国道16号線全部歩いてみた - エピソード0

  • 更新日: 2019/07/04

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これが郊外だ。

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国道16号線、通称東京環状道路はその愛称のとおり、関東近郊圏をぐるっと囲むようにして伸びている環状道路である。全長251キロメートル、関東に存在する多くの都道府県をまたいで巨大な円環を形成している。

そんな国道16号線をぜんぶ歩いてみる――

このとてつもない、あるいは馬鹿げた散歩を思いついたのは、一般にいわれる「国道16号線」のイメージにぼくが疑問をもっているからだ。
「国道16号線」のイメージ――それはこの道路沿いにある、相模原、所沢、狭山、木更津…といった「郊外」都市の代表選手によって決定づけられている。つまり、「なにもない」「ロードサイド」「郊外」という3本柱。この3つのキーワードによって語られるのが、国道16号線である。



しかし、よく考えてみてほしい。「なにもない」ってほんとうにそうなのか。いや、これがどこかの遠い国の砂漠や荒涼とした大地だったら分かる。そこには大地しかない。しかし、曲がりなりにも、ここは日本。それも東京近郊圏である。「なにもない」ってことはないんじゃないか。
「ロードサイド」もまた然り。だいたい、どこにしたってロード(=道)があればロードサイドがある。もちろんぼくは「ロードサイド」がどういった意味で定義づけられているか、その学問的な定義は多少なりとも知っている。けれども、ふつうに考えて、その言葉はなんとも曖昧だ。
それと、「郊外」。ひとはよく「郊外」という言葉を口にする。しかし、「郊外」ってなんだ。おそらく8割ぐらいのひとが「郊外」が具体的にどんな街のことを示していて、どんな場所なのか知らないのではないか。かくいうぼくも「郊外」がなんなのか、そこまでよく知っているわけではない。


▲郊外?

というわけで国道16号線に対する世間のイメージははなはだ曖昧、ちょっと考えてみればどうにもおかしい。

というわけで誰のためか分からない、いや、誰のためでもないかもしれないが、ぼくは国道16号線のすべてをただひたすら歩きながら、世間でいわれているようなイメージが果たして本当にそうなのかどうか、検証してみる旅を企図したのである。

相模原に行く。がしかし……

というわけで、前置きがずいぶん長くなってしまったが、とにもかくにも歩き始めよう。とりあえず行動あるのみである。ちなみに、地図上で国道16号線を確認すると、このようになる。

丸い。さすが環状線である。

そんな16号線をこれからぼくは全部歩くわけだが、その初回となる今回は、ここ



相模原から出発しようと思う。なぜ相模原なのか。特に大きな理由はない。本当は、16号線の起点っぽい久里浜から行ってもよかったのだが、前日、飲み会で多量の焼酎を飲み二日酔いとなってしまった今日、そこまで遠くにいく気力が起きなかった、というのが実のところである。というわけで、最初の「国道16号線をぜんぶ歩く散歩」はヘロヘロの状態でスタート。

芳しくなかったのは体調だけでない。

ぼくは駅を間違えた。

相模原から歩くんだから相模原と名の付く駅名に降り立てばいいんだろう、と新宿駅で思ったのがいけなかった。そう考えたぼくは、時間的にもっともすぐに着く「小田急相模原」で降りたのである(上の写真はあとで相模原駅に着いたときに撮ったもの)。
しかし、この「小田急相模原」、地図上で言うと、


ここ。地図の下側。
そして、本当に向かいたかった相模原駅(JR)は、


ここ。地図の上側。

めちゃくちゃ離れているのである。どれぐらい離れているかというと、単純な直線距離で、10キロメートルぐらいはあるのだ。しかし、今回は国道16号線を歩く旅だ。この地図中央には黄色い線で描かれた国道16号線があって、本来はこちらを経由して歩かなければならないので、相模原まで歩く距離は10キロよりもっとあるのだ。

ぼくのイメージでいうと、相模原とは一つの駅を中心とした街であって、「相模原」だろうが「小田急相模原」だろうが、「新相模原」だろうが(そんな駅はない)、だいたい徒歩5分ぐらいの近接した位置にあるだろうと思っていたのが間違いだったのだ。

相模原は大きい


▲ぼくのなかの相模原のイメージと実際の相模原のイメージ図

相模原は大きい。

それが、まずぼくがこの散歩で感じたことであった。実際問題、地図上で「相模原市」を見てみると、



でかい。全体が神奈川県で、緑色の部分が相模原市だ。

だいたい、相模原市が政令指定都市であることは知っていたし、そもそも「市」なのだから大きいに決まっている。少し考えればそんなことは分かったはずだ。しかしぼくは、ここで、世間の相模原に対するイメージと、実際の相模原のギャップをいきなり感じたのである。
世間的には、(というか東京近郊圏に住んでいる人間は)相模原、相模原となんとなく呼んでいるが、そもそもそれは「市」の名前である。だから「相模原は~である」、というような言いきり、たとえば「相模原は郊外である」とかいうような言葉自体がとても粗いのだ。なぜならば相模原は広いからだ。相模原は思っているよりも広いのだ。

というわけで相模原が広いことはよく分かった。ここで失望している場合ではない。まだぼくは一歩も歩を進めていないので、早速歩こう。苦い思い出の「小田急相模原」駅前を記念に撮影。もう、よほどのことがない限り、この駅に降りることはないだろう。



そして目下、ぼくの目標が「国道16号線に出ること」になったのである。「国道16号線」を歩くはずだったのだが、「国道16号線へ行くこと」が目標になってしまったのだからなんとも情けない。

小田急相模原から国道16号線に出るには、県道51号線をずっと北上すればいいらしい。そう地図に書いてある。小田急相模原から一歩手前の「相模大野駅」の近くに16号線と51号線が交わる場所がある。そこから、真の「国王16号線全部歩く散歩」が始まるのである。


というわけで、まずは足慣らしとして、県道51号線を歩かなければならない。

歩こう。




ここは外国

歩いていると、ちらほら目に付くのが、外国人のひとたちである。それもアジア系の人々ではなくて、欧米系の人たち。

こんな看板もあった。



アメリカ人が英語を教えてくれるらしい。どうやらここら辺はアメリカ人が多いらしい。なぜだろう。

そのとき、目に入った標識にこう書いてあっていろいろと合点がいった。

座間。

そう、ここは座間市にも近くて、座間といえば在日米軍キャンプの「座間キャンプ」がある。だから、アメリカ人が結構いるわけである。納得。今歩いているのは、県道51号線だが、これから行こうとしてる16号線もまた、厚木基地や、あるいは横須賀の海軍基地など、在日米軍との関係が深い道路である。東京の都市機能のバックヤードに、こうした在日米軍基地が多く存在する。それもまた、16号線、あるいはその周辺の国道のある側面を表しているだろう。ということは、16号線沿いにも外国の方が結構いるんだろうか。まだ、それは分からない。ただ、とりあえず、県道51号線には結構外国の人がいた。こんな施設もある。



「相模国際学院」。日本語学校である。こいのぼりが情けない感じでぶら下がっているのが印象的である(撮影日は4月14日)。この日本人学校のほかに、県道51号線沿いでこいのぼりをぶら下げている家がなかったということは特筆するに値するかもしれない。例えば、この日本人学校のすぐ向かいにはこんなきれいな住宅街がある。



ビバリーヒルズか。びっくりするぐらいにきれいで真っ白いレンガで覆われた家々。ディズニーランドの一角を見ているかのようだ。それで、この写真にはこいのぼりの「こ」の字も無い。

もちろん4月14日に撮影ということもあって、まだ時期的に早かったのかもしれない。しかし、一方でそれぐらい早い時期から日本人学校がこいのぼりを掲揚するというのが、また興味深い。今では日本の伝統というのは、外国の人びとが日本らしさを作り上げるためのみに使われるものになったのかもしれない。

かくいう日本人はどうも外国風のモチーフが好きなようで、



外国のお城のような建物を発見した。これは何の建物だろう、と近寄ってみると。



Memorial House、つまり、斎場。

斎場ってことはないだろう。最期のときを西洋風のお城で迎えたいだろうか。ぼくは迎えたくない。この日も実際に葬儀が行われているというが、故人もどういった気持ちでそのときを迎えているのだろうか。日本人学校にはこいのぼりが飾ってあって、一方で日本人は西洋風の建物の中で人生の最後の時を過ごす。なかなかねじくれた状況で面白い。


国道沿いの看板たち

歩こう。

相模大野まであともう少しである。当初は、何も目立った建物がないんじゃないかと思って大変心配していたのだが(というかそんな心配をするんだったらこの散歩自体やってはいけない気もするが)、以外と道沿いをゆっくり、そしてじっくり観察しながら歩いてみると面白いことに気が付く。

看板がでかいのである。



ほら。



でかいでしょ?

アメリカの建築学者にロバート・ヴェンチューリというひとがいて、彼が『ラスヴェガス』という本の中で、こう述べている。曰く、ラスヴェガスにはデカくて、おかしな形の看板が多い。なぜか。それは車で道を走り過ぎるひとたちにもよく看板が見えるようにするためなんだ、と。

ラスベガス

ラスベガス(英語: スペイン語: Las Vegas 英語発音: [lɑːs ˈveɪɡəs]、スペイン語発音: [laz ˈβeɣas])は、アメリカ合衆国ネバダ州南部にある都市。同州最大の都市である。

▲ラスヴェガスを見よ

とすれば、この「鳶」とか「Book・Off」のような看板もまたラスヴェガスの巨大看板のように車を意識してそのようになったのだろうか。しかしどうなんだろう。ここで問題になってくるのは、日本とアメリカの空間的なサイズ感の問題である。どういうことか。

アメリカはすべてがデカいのだ。Bignessなのである。英語で言ったのに、特段深い意味はない。車が走る道もデカければ、車のスピードも速い。そうしたら必然的に看板だって大きくしなければ、一瞬で通り過ぎてしまう車にアピールすることはできない。

しかし、ぼくはさきほどからずっと県道51号線を歩いているのだ。ここはアメリカではない。そこを通り過ぎる車はそんなにスピードを出していない。それもそのはずで、だいたいにして日本の国道はいくら車がビュンビュン走るといってもそのサイズ感はたかが知れているから、あまりスピードも出せない。



だとしたら、そんなにデカい看板は必要ないはずである。しかしなぜか日本の国道にはアメリカ並みにデカい看板が多くある。いったいこの看板たちはだれにむかってアピールをしているのか。ちなみに歩きながらそれらを見つめると、本当にでかくて、文字があんまり見えない。ほんとうに、いったいなんのためにデカいのか、よく分からない。

なんのためにデカいのかよく分からない。そういって思い出すのは新宿歌舞伎町にあるロボットレストランである。



これはロボットレストランの正面入り口を写真で撮ったものだが、この入り口の看板やらオブジェは大きすぎて、撮りきることができない。では、この看板を撮りきるためにはどうしたらよいのか。
残念なことに、それは不可能な相談なのだ。
というのも、ロボットレストランは——歌舞伎町の真ん中という立地からも分かるように――細い路地に面しており、看板全体を見渡すことが出来ないのだ。


▲ロボットレストラン正面。非常に狭い裏路地に面している

なのに、写真にあるようにこの看板はあまりにも巨大で、そしてド派手である。ラスヴェガスをも凌駕するんじゃないか。いったいこの看板は誰が見るためにあるのだ。
ロボットレストランはあまりにも謎が深いのである。

脱線した。
ともあれ、問題は、巨大な看板だ。16号線にもこうした看板がたくさんあるのだろうか。今からわくわくするのだが、なかなか16号線にはたどり着かない。16号線はまだだろうか。まだなんだろう。


相模大野、あるいは過剰な都市

まだなんだろう、といい終わるか言い終わらないかのときに、ぼくは突然周りの風景が急に都会っぽくなったことに気が付いた。もしかすると、ぼくは街にさしかかったのかもしれない。
すると、突然、



「相模大野駅」という掲示が目に入ってきた。おお、やはり、ここは相模大野である。ということは16号線がもう近い。

しかし興味深いのは、県道51号線沿いにあった洋風の建造物が、相模大野でもまた大賑わいであることだ。



お城風の屋根を持った団地やら、



オシャレなファサード(正面図)を持ったビルまで、日本人の外国好きはどうにも止まらないらしい、というか郊外都市で少しきれいな建物を作ろうとすると、どうやら自然と外国風のデザインを取り入れてしまうようである。そういえば、相模大野のすぐ手前にあったTSUTAYAがこれまたすごかった。



ギリシャ神殿のようなデザイン……!ぼくは、これを「パルテノン多摩」ならぬ「パルテノンTSUTAYA」と呼んでこれからも巡礼しようと思う。なんでTSUTAYAにギリシャ神殿なんだ。

こうした外国のデザインが「オシャレっぽく見えるから」という理由だけでデザインに取り入れられたのであれば、もはやそれは論理破綻である。なぜなら、「パルテノンTSUTAYA」の外観をおしゃれだと思っている人はいないだろうからだ。それは他の洋風デザインが採用された建物でもまた然り、もはやそれらはオシャレとは到底思われてないだろう。

さきほど見た巨大看板にしても同様、日本人は外国のなにがしかを持ってくると、どうにも過剰になってしまうらしい。必要ないほど過剰になり、それは元々の意図を超えて、肥大化する。なぜこんなに小難しそうな話を、わざわざ相模大野でしているかというと、ぼくはさっきロボットレストランの話をしてからというもの、頭からロボットレストランの幻影が消えないからである。なぜロボットレストランかというと、それはすでに述べたように過剰なまでに大きくて、派手で、そして意味が分からないからだ。

ともあれ、ロボットレストランはすごい。それが目下の結論である。国道16号線はまだやってこない。


いざ国道16号線へ



国道16号線はまだやってこない



国道16号線はまだやってこない



あ。

国道16号線にやってきた。

いつのまにか交点にやってきていた。ここが県道51号線と国道16号線の交差点だ。いままであんなに待ち望んでいたのに、いざやってくるとなると、なんとも何気ない。人生とはいつもそんなものである。いつが交点だったか、後になってみないと分からない。なにを言っているのだ。


この交差点を左に曲がれば、相模原の方に着くらしい。左を向くと、



蚕守稲荷、という一風変わったお稲荷さんがある。せっかくだ。これから来る16号線一周の旅の祈願をしておこう。



このお稲荷さんの由来は、その名の通り、養蚕が唯一の産業として栄えていたこの辺りの神様として、信仰されていたことにあるらしい。明治維新のころ、横浜と八王子の間で絹を交易するための道として「絹の道」というのがあったらしいが、国道16号線もまたその「絹の道」の途上にあり、この蚕守稲荷もその歴史を伝えているのだろう。

国道16号線、最初のスポットとして歴史のある、興味深い場所からスタートできた気がする。



というわけでとうとう、国道16号線に入ろう。



さようなら、県道51号線。なんだか若干愛着がわいてきた気もする。このまま、51号線をずっと歩いてもいいのだけれど。しかし、本題は16号線である。



16号線に入る。早速、木が枯れている。怖い。国道16号線、木も育たない悪魔の道なのだろうか(失礼)。

進む。



おお……

ロードサイドだ。

というわけで、

今回はここで終了。

なぜなら、すでに字数がかなりのところまで来てしまったからだ。本当は相模大野までの道のりはすべて書かないつもりだったが、せっかくだからちょっとばかり書いてみようと思ったら、こんな量になってしまったのだ。

というわけで次回から、ぼくはとうとう国道16号線、全251キロメートルを歩きはじめる。

次回(というかもう歩いているんだけれども)、ぼくは相模原駅まで行く。そこでなにを見るのか(もう見てるんだけれども)。乞うご期待。

※ひとりで国道を歩くということがわりと寂しいと分かったので、だれか一緒に歩きましょう、国道16号線を。連絡はぼくのTwitterのDMか、メールアドレスまで……!






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谷頭和希

ライター・作家。チェーンストアやテーマパーク、日本の都市文化について、東洋経済オンライン、日刊SPA!などのメディアに寄稿。著書に『ブックオフから考える』『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』。

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