神泉を散歩しました
- 更新日: 2018/02/06
神泉駅すぐの鼻の穴みたいなトンネル。いいよねえ。
今日は渋谷区、神泉です。
渋谷から見るとちょうど西。道玄坂を上って、円山町を抜ける方面。
だから「ラブホ街の駅でしょ?」みたいなこと言われるんですよね。たまに。
違うんですよ。今日はそこをはっきりさせたい。
ラブホ街は円山町。神泉駅は神泉町。
円山町は英語の観光ガイドに「Love Hotel Hill」と掲載されている、世界的に人気のあるいかがわしい丘を有しています。
一方で神泉駅は、渋谷から見てLove Hotel Hillを越えてすぐの谷底に位置します。住所はギリギリ神泉町、ここは静かで住みやすい住宅街なんです。
ほら。ラブもホテルもない。いやラブはある。ホテルはない。
でも円山町と隣接してるんでしょ、って?
ご安心ください。円山町のホテル街は高台、神泉町は低地で断絶があり、ホテル街と神泉町を結ぶ道路や階段は高々数本しかない。
しかもそこには、大体こんな看板が立ってます。
これは神泉町が張った結界だと思います。おっぱいのこととか考えながらこの看板の横を通過すると溶けます。
さらに、北は松濤、あの騒々しい渋谷駅商業エリアに隣接するとは思えないほどの高級住宅街です。
このへんは景色が目まぐるしく変わるから面白いんす。
今日は、神泉から円山町、松濤と、渋谷の西をぶらぶらしてみます。
そんなこんなで、神泉、スタートです。
降りましたけど。早速坂がすごい。こちらの坂は西へ行く坂。
こちらの山は円山町ホテル街のほうです。ホテル街に出るにはトンネル脇の細い階段を登ることになります。適切に不便で良いと思います。あとですぐ登るのでちょっと待ってて。
それにしてもこのトンネルいいよね。鼻の穴に見える。しかもここわりと本数来るので、左右の鼻の穴にうどんを出し入れしているように見える。
ちなみに神泉駅自体もトンネルになってます。なんでこんなとこに駅無理矢理作ったんだろうな。
で、神泉駅の周りなんですけど、
ほら、まいばすけっともあるし、
静かな住宅街なんですよ。
それもこれも、この結界のおかげです。
良かったね~。
このコーヒーはいずれぶつかる。もしくは、東西を坂に挟まれている神泉の表現なんだろうか。
さて、駅前はこのくらいにして、まずはいかがわしい方行ってみます。
さきほどのトンネル脇の階段を登る。ラブホラブホ~。
あれ、ホテルじゃないじゃん。
そう、円山町ってホテルだけじゃないんすよ。この辺はいいお店が多い。
楽家はこの辺で仕事してた頃良く行った。何食べても旨いのですごいお店。
こんな感じで、ちょっと小料理屋的なものもあって格の高さを見せつけてくる。
あれ、この辺り何なの? って思うじゃないですか。
(1万分1地形図 明治41-42年)
実はこのあたり、昔は歓楽街として賑わっていたらしいんですね。
「弘法湯」と書かれているのがその中心でした。
古くは、弘法大師の湯ってのがあったんだって。神泉はその名の通り、湧き水が多かったんですって。
明治時代に「弘法湯」は料亭付きの浴場になり、このあたりは芸者の居る歓楽街になったんだそう。
歓楽街が厳しくなってラブホテルに転換、それはひとつの大きな流れなんだろうけど、ここまでラブホテルが林立した理由に岐阜グループという話が出てきます。奥飛騨のダム底に沈んだ村の人が、電力会社から受け取った補償金を使って渋谷でラブホテルを始めたら成功、その話を聞いた岐阜の人が次々にやってきてラブホテルを建てた、という話。これは本当らしくて、渋谷ホテル旅館組合の「60周年記念誌」に記述があるとのこと。
(初出で「岐阜グループ」の出典を中沢新一/アースダイバーとしていましたが誤りでした、訂正します)
ファミコン有り。奥飛騨の人がやっている可能性を考えるとなんだか感慨深い。
らぶほ川柳コンテストですって。ラブホを文化として咀嚼してるのすごいな。
いかがわしいとか言ってごめん。都市型のラブホは日本の文化として胸を張るべきですね。
ね!
ついでなので、円山町に隣接する百軒店に来た。道玄坂に来たことある人はこの門見たことあるでしょう。
ここはかつて賑わってた歓楽街なんだそう。
西武が関東大震災で被災した名店を誘致したのが始まりなんだって。
今も十分お店あるんだけど、まあ、メイン通りかって言われるとメインじゃない。場所柄、風俗店もちらほら見かけるし、入るのにはちょっと勇気要る。
たるやは創業昭和6年。
喫茶ライオンは創業1926年。
和暦と西暦で来られたからどっちが古いか一瞬で判断つかない。
ところで、ムルギーは渋谷で一番おいしいカレーを出す店です。
こういうカレーが出てきます。名物エベレストごはん。
けっこう辛いのでチャツネを混ぜて食べるとちょうど良い。
場所柄ね。
せっまい稲荷の境内に、
ほっそい事務所がございます。
あれ、よく見たら百軒店商店会の事務所じゃないか。百人入っても大丈夫なのかしら。
ちなみにこの千代田稲荷も関東大震災を機にここに移ってきたと。
片手にすごい持ってたな。
あれ、このあたりは円山町かしら。
まあまあこんな感じで、百軒店と円山町は、今はなんとなく溶け合ってやっている気がする。
こんなところに?
こんなところに?
えっ? こんなところに?
ホテル街に公園がある。円山児童遊園地。遊園地? ハードル上げてきたぞ?
ホイッ。
しかもこの公園は施錠されるのか。まあー。歓楽街の夜の公園は危険がいっぱいだから。
ところで、この公園は、子供が遊ぶことはあるんだろうか。
米が好きで好きで仕方ないのかな。
何だこれ。裏渋谷通り。聞いたことない。
道玄坂の警察署の脇から弘法湯跡あたりを通って旧山手通りに抜ける道、実はこれ古道で、今も趣深い通りなんですよね。それの名前募集してたみたい。
裏渋谷通りねー。あー。これねえ、個人的には非常にしっくりくる。
というわけでその裏渋谷通りに来たんですけど、ほら。いいでしょう。
あ、ここもよく行ってた。ひしゅうや。宮崎の鳥料理とかを出すお店。
店内丸見えのおしゃれカフェもございますよ、裏渋谷通り。
マルエツなんかもありましてよ。住みやすさレベルが上がるやつ。
ちなみにこの辺一本入るとマンションエリアです。
この辺後輩が住んでたな。
ゴミ捨て場ではないのか、ゴミ捨て場なのか。
道玄坂上の方面とは、高低差がございます。
めっちゃ氷作ってた。繁盛している。
植物になりたかったパイロン。
左が酒場で、右がバイク屋。はしごはできない。
裏渋谷通りをガンガン西へ進むと旧山手通りに出る。
中央環状線が見える。
中央環状線って北区とか足立区とかのほうまでぐるっと回るやつだと思うんだけど、ここでこんなカーブしちゃっていいの?
今のは、環状線が完全な円だと思っている人の真似です。
東大前だって。全然東大前じゃないけどな。
駒場の東大はここから歩いて15分くらいかかる上に区が違うんだけど、なんでここなんだろ。
さかな
さかなさかな
ほら~、東大前じゃないって言ったじゃないですか~。
この辺曲がってみる。なんとなく、美しい街並みになってきた。松濤っぽ~い。
これ可愛すぎません? ぼく住んでも大丈夫?
ここね。松濤美術館です。渋谷の良心ですよ。
今日は、香水瓶の展示でした。ね。アールデコのね。ルネ・ラリックのね。
松濤民はみんな興味ありますから。アールデコ。
ところで、松濤ってのは、かつては紀州徳川家の邸宅、維新後は旧佐賀藩主の鍋島家の土地になって、松濤園っていう茶園があったんですって。
その後果樹園になり、鍋島農場と呼ばれます。
(1万分1地形図 明治41-42年)
関東大震災後、高級住宅地として分譲されたんですって。
ところで、古い地図に池が見えますかねえ、
この池は鍋島松濤公園に今もある。
水車は回ってなかったけど、どうやらここは水湧いてるらしい。これぞ神泉ですよ。
なんか木を支えるやつがあったんだけど、形が鳥居っぽいからか、
渋谷の落書きがこの支え木に力を与える呪詛っぽくて良かった。
いやあ、いい公園ですよ。
この人がちらちら視界に入ってくるけど、いい公園ですよ。
公園の斜向かいは渋谷区立松濤中学校。
治安よさそ~。ツッパるにしても、アールデコとか採り入れるわけでしょう?
高級住宅街~高級だよ~
坂を下って渋谷駅のほうに向かってます。
いらっしゃい~高級だよ~
松濤の人も100円ショップ行くんだ。100万円ショップしか行かないと思ってた。
この、パイプ穴の仕上げ方すごくない? なんか、伝統工芸のような。
坂を下るとそこは松濤文化村通り。
奥渋谷とあわせてこのあたりは子供が居ない、大人のエリアとされてます。
日中でも意外とカフェに入れるってのも嬉しい。怪しい勧誘とカモみたいな客層が居ないのもいい。
この界隈に子供を入れないための結界の役割はやっぱり東急本店とbunkamuraですかね。
そばにセンター街とMEGAドンキがあるのですが、見事にパリピの侵入を防いでいます。
ドンキ渋谷店はかつて文化村ストリートのほうに若干食い込む位置にあったんだけど、センター街のほうに寄ったのは整理整頓という意味でもいいな。
そんなこんなで、神泉駅に戻ってきました。
渋谷の隣で全然渋谷じゃないところ。円山町の丘を越えると急に空気が変わる感じとかが面白くて、会社の残業をススッと抜け出してよく山越えをしていました。僕の会社を抜け出す技術はすごいです。
住むエリアとしての神泉ですが、探すと結構いいマンションが(エリアのわりに)安くある。騒音に目を瞑れば、246と山手通りの間あたりは、いい物件が多い気がする。実は、このあたりで働いていたとき、帰れなかったときの寝床確保のために同僚数人でシェアすることを考えて、ちょっと探したことがある。結局その前に僕が会社をやめたので実現しなかったんだけど。
そんなこんなで、神泉でした。またねー。
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参考資料
アースダイバー / 中沢新一
東京のラブホテル誕生 奥飛騨からのダム移転者の功績大きい
2016年08月31日 - 水の行方を追って(宇田川)
渋谷区 地名の由来
渋谷から見るとちょうど西。道玄坂を上って、円山町を抜ける方面。
だから「ラブホ街の駅でしょ?」みたいなこと言われるんですよね。たまに。
違うんですよ。今日はそこをはっきりさせたい。
ラブホ街は円山町。神泉駅は神泉町。
円山町は英語の観光ガイドに「Love Hotel Hill」と掲載されている、世界的に人気のあるいかがわしい丘を有しています。
一方で神泉駅は、渋谷から見てLove Hotel Hillを越えてすぐの谷底に位置します。住所はギリギリ神泉町、ここは静かで住みやすい住宅街なんです。
ほら。ラブもホテルもない。いやラブはある。ホテルはない。
でも円山町と隣接してるんでしょ、って?
ご安心ください。円山町のホテル街は高台、神泉町は低地で断絶があり、ホテル街と神泉町を結ぶ道路や階段は高々数本しかない。
しかもそこには、大体こんな看板が立ってます。
これは神泉町が張った結界だと思います。おっぱいのこととか考えながらこの看板の横を通過すると溶けます。
さらに、北は松濤、あの騒々しい渋谷駅商業エリアに隣接するとは思えないほどの高級住宅街です。
このへんは景色が目まぐるしく変わるから面白いんす。
今日は、神泉から円山町、松濤と、渋谷の西をぶらぶらしてみます。
そんなこんなで、神泉、スタートです。
神泉駅前
降りましたけど。早速坂がすごい。こちらの坂は西へ行く坂。
こちらの山は円山町ホテル街のほうです。ホテル街に出るにはトンネル脇の細い階段を登ることになります。適切に不便で良いと思います。あとですぐ登るのでちょっと待ってて。
それにしてもこのトンネルいいよね。鼻の穴に見える。しかもここわりと本数来るので、左右の鼻の穴にうどんを出し入れしているように見える。
ちなみに神泉駅自体もトンネルになってます。なんでこんなとこに駅無理矢理作ったんだろうな。
で、神泉駅の周りなんですけど、
ほら、まいばすけっともあるし、
静かな住宅街なんですよ。
それもこれも、この結界のおかげです。
良かったね~。
このコーヒーはいずれぶつかる。もしくは、東西を坂に挟まれている神泉の表現なんだろうか。
さて、駅前はこのくらいにして、まずはいかがわしい方行ってみます。
神泉駅の東側、Love Hotel Hill
さきほどのトンネル脇の階段を登る。ラブホラブホ~。
あれ、ホテルじゃないじゃん。
そう、円山町ってホテルだけじゃないんすよ。この辺はいいお店が多い。
楽家はこの辺で仕事してた頃良く行った。何食べても旨いのですごいお店。
こんな感じで、ちょっと小料理屋的なものもあって格の高さを見せつけてくる。
あれ、この辺り何なの? って思うじゃないですか。
(1万分1地形図 明治41-42年)
実はこのあたり、昔は歓楽街として賑わっていたらしいんですね。
「弘法湯」と書かれているのがその中心でした。
古くは、弘法大師の湯ってのがあったんだって。神泉はその名の通り、湧き水が多かったんですって。
明治時代に「弘法湯」は料亭付きの浴場になり、このあたりは芸者の居る歓楽街になったんだそう。
歓楽街が厳しくなってラブホテルに転換、それはひとつの大きな流れなんだろうけど、ここまでラブホテルが林立した理由に岐阜グループという話が出てきます。奥飛騨のダム底に沈んだ村の人が、電力会社から受け取った補償金を使って渋谷でラブホテルを始めたら成功、その話を聞いた岐阜の人が次々にやってきてラブホテルを建てた、という話。これは本当らしくて、渋谷ホテル旅館組合の「60周年記念誌」に記述があるとのこと。
(初出で「岐阜グループ」の出典を中沢新一/アースダイバーとしていましたが誤りでした、訂正します)
ファミコン有り。奥飛騨の人がやっている可能性を考えるとなんだか感慨深い。
らぶほ川柳コンテストですって。ラブホを文化として咀嚼してるのすごいな。
いかがわしいとか言ってごめん。都市型のラブホは日本の文化として胸を張るべきですね。
ね!
道玄坂の百軒店(ひゃっけんだな)
ついでなので、円山町に隣接する百軒店に来た。道玄坂に来たことある人はこの門見たことあるでしょう。
ここはかつて賑わってた歓楽街なんだそう。
西武が関東大震災で被災した名店を誘致したのが始まりなんだって。
今も十分お店あるんだけど、まあ、メイン通りかって言われるとメインじゃない。場所柄、風俗店もちらほら見かけるし、入るのにはちょっと勇気要る。
たるやは創業昭和6年。
喫茶ライオンは創業1926年。
和暦と西暦で来られたからどっちが古いか一瞬で判断つかない。
ところで、ムルギーは渋谷で一番おいしいカレーを出す店です。
こういうカレーが出てきます。名物エベレストごはん。
けっこう辛いのでチャツネを混ぜて食べるとちょうど良い。
場所柄ね。
せっまい稲荷の境内に、
ほっそい事務所がございます。
あれ、よく見たら百軒店商店会の事務所じゃないか。百人入っても大丈夫なのかしら。
ちなみにこの千代田稲荷も関東大震災を機にここに移ってきたと。
片手にすごい持ってたな。
あれ、このあたりは円山町かしら。
まあまあこんな感じで、百軒店と円山町は、今はなんとなく溶け合ってやっている気がする。
こんなところに?
こんなところに?
えっ? こんなところに?
ホテル街に公園がある。円山児童遊園地。遊園地? ハードル上げてきたぞ?
ホイッ。
しかもこの公園は施錠されるのか。まあー。歓楽街の夜の公園は危険がいっぱいだから。
ところで、この公園は、子供が遊ぶことはあるんだろうか。
米が好きで好きで仕方ないのかな。
何だこれ。裏渋谷通り。聞いたことない。
道玄坂の警察署の脇から弘法湯跡あたりを通って旧山手通りに抜ける道、実はこれ古道で、今も趣深い通りなんですよね。それの名前募集してたみたい。
裏渋谷通りねー。あー。これねえ、個人的には非常にしっくりくる。
裏渋谷通りに来た
というわけでその裏渋谷通りに来たんですけど、ほら。いいでしょう。
あ、ここもよく行ってた。ひしゅうや。宮崎の鳥料理とかを出すお店。
店内丸見えのおしゃれカフェもございますよ、裏渋谷通り。
マルエツなんかもありましてよ。住みやすさレベルが上がるやつ。
ちなみにこの辺一本入るとマンションエリアです。
この辺後輩が住んでたな。
ゴミ捨て場ではないのか、ゴミ捨て場なのか。
道玄坂上の方面とは、高低差がございます。
めっちゃ氷作ってた。繁盛している。
植物になりたかったパイロン。
左が酒場で、右がバイク屋。はしごはできない。
神泉駅の西側
裏渋谷通りをガンガン西へ進むと旧山手通りに出る。
中央環状線が見える。
中央環状線って北区とか足立区とかのほうまでぐるっと回るやつだと思うんだけど、ここでこんなカーブしちゃっていいの?
今のは、環状線が完全な円だと思っている人の真似です。
東大前だって。全然東大前じゃないけどな。
駒場の東大はここから歩いて15分くらいかかる上に区が違うんだけど、なんでここなんだろ。
さかな
さかなさかな
ほら~、東大前じゃないって言ったじゃないですか~。
神泉の北側は松濤
この辺曲がってみる。なんとなく、美しい街並みになってきた。松濤っぽ~い。
これ可愛すぎません? ぼく住んでも大丈夫?
ここね。松濤美術館です。渋谷の良心ですよ。
今日は、香水瓶の展示でした。ね。アールデコのね。ルネ・ラリックのね。
松濤民はみんな興味ありますから。アールデコ。
ところで、松濤ってのは、かつては紀州徳川家の邸宅、維新後は旧佐賀藩主の鍋島家の土地になって、松濤園っていう茶園があったんですって。
その後果樹園になり、鍋島農場と呼ばれます。
(1万分1地形図 明治41-42年)
関東大震災後、高級住宅地として分譲されたんですって。
ところで、古い地図に池が見えますかねえ、
この池は鍋島松濤公園に今もある。
水車は回ってなかったけど、どうやらここは水湧いてるらしい。これぞ神泉ですよ。
なんか木を支えるやつがあったんだけど、形が鳥居っぽいからか、
渋谷の落書きがこの支え木に力を与える呪詛っぽくて良かった。
いやあ、いい公園ですよ。
この人がちらちら視界に入ってくるけど、いい公園ですよ。
公園の斜向かいは渋谷区立松濤中学校。
治安よさそ~。ツッパるにしても、アールデコとか採り入れるわけでしょう?
高級住宅街~高級だよ~
坂を下って渋谷駅のほうに向かってます。
いらっしゃい~高級だよ~
松濤の人も100円ショップ行くんだ。100万円ショップしか行かないと思ってた。
この、パイプ穴の仕上げ方すごくない? なんか、伝統工芸のような。
坂を下るとそこは松濤文化村通り。
奥渋谷とあわせてこのあたりは子供が居ない、大人のエリアとされてます。
日中でも意外とカフェに入れるってのも嬉しい。怪しい勧誘とカモみたいな客層が居ないのもいい。
この界隈に子供を入れないための結界の役割はやっぱり東急本店とbunkamuraですかね。
そばにセンター街とMEGAドンキがあるのですが、見事にパリピの侵入を防いでいます。
ドンキ渋谷店はかつて文化村ストリートのほうに若干食い込む位置にあったんだけど、センター街のほうに寄ったのは整理整頓という意味でもいいな。
そんなこんなで、神泉駅に戻ってきました。
雑感
神泉好きなんですよ僕。渋谷の隣で全然渋谷じゃないところ。円山町の丘を越えると急に空気が変わる感じとかが面白くて、会社の残業をススッと抜け出してよく山越えをしていました。僕の会社を抜け出す技術はすごいです。
住むエリアとしての神泉ですが、探すと結構いいマンションが(エリアのわりに)安くある。騒音に目を瞑れば、246と山手通りの間あたりは、いい物件が多い気がする。実は、このあたりで働いていたとき、帰れなかったときの寝床確保のために同僚数人でシェアすることを考えて、ちょっと探したことがある。結局その前に僕が会社をやめたので実現しなかったんだけど。
そんなこんなで、神泉でした。またねー。
---
参考資料
アースダイバー / 中沢新一
東京のラブホテル誕生 奥飛騨からのダム移転者の功績大きい
2016年08月31日 - 水の行方を追って(宇田川)
渋谷区 地名の由来