上野界隈で庭を見つける散歩会レポ
- 更新日: 2025/08/14
界隈を覗く時、界隈もまたこちらを見ているのだ...!
2024年3月、ドライブ式のツアーに参加した際の6人乗りの車に乗り合わせていたのは藝術探検家の野口竜平さんだった。彼は「上野で散歩の作品を作りたい」と思っていたらしい。私は彼と「一緒に散歩を作りましょう」と約束をした。彼はどうやらアメ横界隈の立ち呑みと肴の名店・魚草の店長である大橋磨州(ましゅう)さんと知り合いで、彼とたまに飲みへ行って話をしたり、アルバイトを魚草で時折しているなど、上野近辺を興味深く思っている様だった。そこから夏に、ましゅうさんと野口さんの三人で呑みながら、アメ横の歴史にまつわる話を聞かせて貰った。又、秋にはアルバイトもさせて頂いた。この時期は積極的に上野・台東区に足を運び、あちこち歩いてみるのだが、しかしなかなか上野の町のことが見えて来ない時期が続いた。
そのまま2025年になってしまい、2月、卒業制作を終えた後に、修士論文の提出に取り掛かっていた私は燃え尽き症候群になりかけ、人と話したりすることが急に億劫になったり、家から出られなくなりそうな状況に陥りかけていた。そんな中、野口さんは上野での仲間内での散歩会を開催し、私のことも誘ってくれた。それは散歩をつくることで、自分がケアされていると感じる瞬間だった。
丁度その時期、ネットを中心に「キャンセル界隈」という言葉が流行していた。界隈とはそこ・その辺り・その近辺。あるいは特定の共通項を持つ人々という意味の言葉だ。私たちは仲間内でありとあらゆるものに「界隈」と名付けてふざけ合って歩いていた。例えば、ある家の屋根に可愛らしいぬいぐるみが沢山飾られているのを見つけた時、「かわいいもの界隈」などと呼んだり。
そんなことをしていると急に、上野の町が見え出した。一見、雑然として見えた上野だが、そこにはいくつもの”界隈”が存在しているのだ。そしてそれぞれがこの町にいるために、それぞれのアジールを作り出しているように見えた。アジールとは「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などと呼ばれる場所のこと。上野には、上から与えられるアジールと、持たざる者が自ら作り出す、聖と俗のアジールの二種類があるのではないだろうか?例えばお寺や大学、アメ横やホームレスの人々がゆるく境界を作りながら、共存している。さらに上野では、それぞれの領域に関わる人々が手を加えながら豊かな場所を造っている。それは「庭作り」ではないかと思った。この「庭」が多様に存在する場所が上野であるように思え、それぞれの界隈が織りなす豊かで複雑な庭模様を見つめて歩いて行こうと考えた。
そこで、鶯谷や上野のあたりを探索して、沢山の庭を探す散歩会を開催することにした。さらにブルーシートと東北のお酒を持ち歩き、そのブルーシートを広げて、一休みできるような手作りアジールを作ることができるか!?も実験してみた。上野公園といえば、以前はブルーテントと呼ばれるホームレスの人々のブルーシートでできた住処があり、上野駅といえば、東北からの金の卵「集団就職列車」が到着していた。そんな記憶に思いを馳せながら歩く。4月20日の10:00に散歩会の開催をSNSで告知したところ、メンバーの途中の入れ替わり立ち替わりを含めて16名で一緒に歩くこととなった。

(ここで一杯・一服の庭)
これは鶯谷の居酒屋の隙間に突如出現したアジール。ここで立ち呑みしたり、煙草を一服するのかな。私は当日朝、山手線の運休によって遅刻してしまい、そこで出口を間違えた参加者をピックアップしながら、鶯谷の裏路地をウロウロと急いで通り抜けて集合場所に向かっている時に見つけたものだ。運休については知っており、参加者に事前に告知したものの、結局自分だけが遅く着いてしまったのだ...。
とはいえ参加者の皆さんは主催者の遅刻をそこまで怒ったりはせず、ゆったりと構えて下さっていた。自己紹介では好きな寿司ネタを言い合う。早速、集合場所の北口付近にあった看板の裏に、ジマーマンさんが庭を見つけていた。「この裏に、庭があるんですよ」その時は女の人がしゃがんでいて、人が集まるといつの間にか消えてしまったらしい...

(掲示板裏の庭)
出発。


右側には神社。左側にはラブホテル。聖と俗。あるいは性と聖のアジール。

(ひよこの庭)
元三島神社にはひよこ界隈がいる。四季折々、ひよこの配置が変わっている様だ。冬に来た時はカラフルな造花の中にひよこがいて極楽浄土の様だった。俗っぽいアヒルが作り出す天国。この神社越しには、ラブホテルが見えるポイントがあったり、アパートの洗濯物が見えるポイントがある。そんな風景からは聖と俗の入り混じるこの地域らしさを感じることができる。
このラブホ街から徒歩12、3分で吉原。江戸時代は庇護の元、明治時代は庇護が無くなり衰退して行く。戦後にはほぼ消滅。そこで働いている人々は上野の山へ集まった。そうして”様々な雰囲気のビジネスの場”が生まれていった...、と野口さんは述べた。芸能の中心地だった吉原は影に追いやられ、鶯谷で個人的な売春が始まる。崖の裏側にあり、しのぎにちょうど良さそうな雰囲気があるのがこの土地だ。(電車の音でかき消されてその後の会話が聞き取れない)・・・というのは当日のカメラマンのツジくんのビデオに映っていただけで、列の後ろで寄り道ばっかりしていた私は聞けていない説明だった。

この近辺では様々な男女カップル?が頻繁に私達の列に紛れ込んでいた。自転車に乗ったお巡りさんも混じり合ってみんなで歩く。

ふと目線を下に落とせば。(ご利益のある庭)

(竹が元気に育つ庭)
そして突如、ラブホ街に出現した竹藪。生き生きと茂っている。どうやら会員制のお店がこの奥にあるようなのだが、今もやっているのかどうかは不明だった。(コロナ渦頃までは少なくともやっていたみたい)
公園には、電話ボックスの中にパパ活リスト!(私はまた寄り道していて実はこのリストを実際には見てはいないのだが、列の先の方にいた黒豹さんが後からこっそり教えてくれた。)
この辺りを大人数で歩いていると、いつしか交番のお兄さん達二人にマークされていた。彼らも一緒に散歩についてきている 。公園でみんなが集まっていると、彼らもぐるりと公園を一周♪

とても軽やかな様子だった♪(ここはお巡りさんの庭)
野口さんの解説を聞き、公園を後にする。でも、私は交番のお兄さん達が気になって仕方なく、彼らの姿に湧いてしまって、野口さんの説明を落ち着いて聞くことができなかった。

猫がいる・・・ただそれだけ。

この雲の様な模様の建物は社交場であり、屋上からの眺めはとても素敵だと野口さんは教えてくれた。でも、この人数では行けない、と彼は言った。見てみたいな。どんな景色なのかな。場へのリスペクトをしながら歩くことは大切だ。

屋上は、(ちょっとだけ庭)になっているみたい。

野口さんはこの日、よれたシャツ、裸足にサンダル、手には東北のワンカップ「雪っこ」をビニール袋に入れて持って来た。数日前に、一升瓶を持って歩いて欲しいとリクエストしたら、彼はそうしなかった。それがとても良いなと思った。そして、その姿はこの上野の路上で暮らすホームレスの人々をどこか思わせた。

ここにもひよこがいるよ、と言ったら、楓くんは「僕も持ってる」と言った。

階段を上っていたら見えた。何の旗かなあ。

鶯谷駅の南口には”散策の街”って言葉

(庭の図)
この案内図の絵が好きで見てたら、野口さんが拾って解説してくれた。美術館も博物館も、動物園も庭だよね。

道の向こうは(霊のための庭)

町を見つめている銅像

これは(私が見つけた庭)
白い蝶々がひらひらと舞って、それがたんぽぽに着くかなあってみんなで見守ってた

古い建物を庭の塀の外から覗いた

上野公園の手前。ブルーシートに荷物をまとめて暮らす風景と、道行く人の手にお酒

ここには大きな鯨がいるんだけど、緑の水飛沫の中にいるのは綺麗だよね、と思い写真を撮ってしまった。目に映る時はそうでもないのに、想像したら綺麗だ。木の葉が水の流れを描き出しているみたい。(鯨の泳ぐ庭)

散歩している猿を見つけた。それを真っ先に見つけたのは多分野口さんと黒豹さんだった。見つけて、茂みに入って行く。

うろうろしていたら、誰かがこの辺りでどう?って言ってアジールを作ることに。私は自分が思っていたところとちがうけれど、いいかもなあって感じだった。

みんなで広げて

雪っこと、飲めない人は東北産リンゴジュースで。たびさんが朝に買った炭酸で割ることもできる。この町で、雪っこワンカップが買えることに野口さんは感動したって言っていた。
雪っこはよく振って、みんなでコップに分けて飲む。度数は20度ある、和気藹々。

すると、突然の人影が。

外国人ツアー客達が「あれは何?日本では珍しい光景」と言って、近づいてきた。日本人ガイドの男性が、通訳を挟みながらあれこれと質問してくる。私たちは彼らの質問に色々と答えながら、共に盛り上がって交流を楽しんだ。私のことを彼らはParty girlと呼んだ。「どうして散歩をしているの?」という質問に、私はうまく答えられる気もしなかったし、うまく答えることもできなかった。「生きていることを感じるためです」という言葉はどちらかといえば外の空気を吸う、みたいな意味に翻訳されて伝わってしまった。でも私は「生活」と言いたかった。野口さんはそれに、歴史散歩である旨を付け加えた。そして”ここは将軍の庭です”とおぼこさんの旦那さんは力強く英語で言った。何はともあれ、皆にっこりとし合って、楽しかった。
しかしここで、散歩会のことを”WALK PARTY”と英語で説明すると、大盛り上がりした。散歩会じゃなくて、WALK PARTY にしようかなと思うほど。
ブルーシートを畳んで、また私たちは歩き出した。(私たちは、庭を作れただろうか?)

上野公園を歩いていると、上から植物が落ちてくる。私たちはそれを運ぶように歩いて行った

野球観戦界隈

一度広げてしまったブルーシートを畳むのが少し面倒で、何人かに持って貰った。それをしていると、何かのデモの様になった。 特に観光客の人の視線を集めていた。「ブルーシート運動」「絶対ピクニックする同盟」何の主張も書かれていないけれど、私たちはこの辺りからずっとブルーシートを掲げて歩いていた。
階段を上ると小さな広場。ここは1500年前くらいの古墳らしい。上野の山で一番高いところ。石が置いてあってみんな座る場所。東の清水寺のようなものもここにあり、不忍池を望む舞台を作っていたという・・・と、野口さんが話していると、

鳩界隈が急に飛んで集まってきた。(鳩でいっぱいの庭)
ここの広場の真ん中には麻袋がある。町の中に数少なくなったゴミ箱なんだけれど、中を除くと荒れた様子はなくて、不思議な清潔感がある。いつも空き缶をいっぱいビニール袋に詰めて歩いているあのおじさんは、ここにも立ち寄るのだろうか。野口さんは「種をまく」みたいに、さっき使ったコップをこの中に入れた。

高いところにシール よじのぼったのかな

下山。段差の時とか、ブルーシートで繋がれているせいで運命共同体になってしまう。

変なモニュメント

わあ、良い写真だ 臨場感

パンダ橋に到着。

コロナ渦のみんなの立ち飲みテーブルだった

そのテーブルの上は思わず皆が指でなぞりたくなる洞窟壁画。
思い思いの落書き達
(多様な欲望が渦巻く庭)と、ジマーマンさんが呟く
この橋は山手側と下町側を繋ぎ、周遊性にアプローチしたものだったという。さっきの変なロゴの石の隣には、上野駅東西自由通路建設地点の遺跡という看板が建てられて、遺跡化しようと試みられている。けれど、その権威化と裏腹にそこまで人通りの多くないこの橋では、人が端の方に座って飲んだりする姿が見られる。

(キャンセルのための庭)*2025/2/7のリサーチ時に撮影
実はこのテーブル、冬頃はこんな風に花で飾られていて、使えないものがいくつかあったのだ。このまま全て飾られてオブジェ化し、使えなくなってしまうのか?と思っていたので、それらが撤去されていて驚いた。

飾られていた花の説明。

道端で、座っている男性はとても多い。

上野の谷の地形を感じさせる風景。ここを沢山の人が水の様に流れていく
少し戻って、また上野公園の方へ歩き出す。

かわいい。(ささやかな幸せの庭)

私達の仲間だ。ピクニック界隈

上野公園は明治天皇から東京都民に恩賜された庭であり、江戸将軍家の庭だった場所。

この日、上野はお祭り。お祭り界隈の中に紛れて歩く

花を頭に挿して。このお花をお酒に入れたいね、と話しながら。
この先の西郷隆盛像の前には人だかりができていて、日の丸のシールの貼られた車なんかも留まっていた。西郷さんは着物を着せられて、日本国旗がその横で揺らめいている。「犬は何も着せられていないね」野口さんが着物を着ている人に話しかける。「毎年」「どんな祭りなんですか」「僕は神輿を担ぐだけだからわからないんです。」「ははは」グッズ販売なんかもしていて、数名がここでトイレに行ったので人混みを適当に見つめて待っていた。
階段を降りる。そうすると山を降りることになって、地面の高さがアメ横と繋がっていくのだ。
ふと、たびさんが、私のリュックサックの外ポケットにささった歯ブラシセットに気づく。「いつでもキャンプできるね」って、スマートフォンを持たないたびさんに言われて嬉しかった。

何ともいえない(パンダの庭)へようこそ
よく見たら、鬱蒼と茂っている・・・

上野オークラ劇場は、ピンク映画館。オールナイト上映があるから、宿が無くなったら、ここに逃げ込むこともできるかもしれない。(一晩の庭)
「ここで寝たことあります?」という質問に、野口さんは「あります」と答えた。顔ハメパネルがここにあるんだけど、なぜか、女性の左肩から顔を出す仕様。
この先の不忍池では、ヘヴンアーティスト(東京都の文化振興施策)として選ばれた市民による演奏。天国だから、彼らは日々(神の庭)を作り出しているのだろうか。あるお爺さんは椅子を持参して正面で聴き入っている。これに聴き入ってしまったツジくん達と私達は一度はぐれてしまった。
確かこの後、緑色のエレベーターで地下へ降りるんだっけな。
みんなそこにいる。私はブルーシートを持つポジションを、ゴンちゃんに渡してみた。「ゴンちゃん、これ、持ちなよ」と言うとみんなが笑ったので私は「良いものだよ」と言った。

上野駅の通路の隅っこに、アジールを作ってみた。これも誰のアイデアだったか。ふっと生まれたのだ。ここではお酒を飲んだりはしない。みんなどきどきと座るだけだ。全員が座るのではなくて、近くにしゃがむだけ、立ってるだけのメンバーもいた。ヒヤヒヤするもんね。「デモの準備みたい」「主張は強めだよね」「でも、何も主張が書かれていない」「確かに、何もしていない」「ここに集まらないでくださいって張り紙される」「キャンセルされる界隈」スーツケースを持った人の通りが多かった。床は冷たくひんやりとしていた。歩いて来たから、ちょっと気持ち良かった。

この先に、戦災孤児の記憶や、当時の上野駅の壁がまだ見ることのできる場所がある。各地で生まれた戦後の孤児達は、ほとんど皆上野へ集結して、そこで共同生活を営んでいた。駅の中は冬は寒過ぎず、夏は暑過ぎない。三歳ぐらいの子供もここに集まり、小さい子達はシケモクをこの駅で拾い集めていた。もう少し手先が器用になった十歳ぐらいの子供はそれを包み直し、口が達者な高学年の子供がそれを街頭で売って、皆でその売り上げを山分けしていたという物語を野口さんはこのブルーシートの上で話すのだった。

そして、移動。

全員集合 ジマーマンさんは階段派

通路に庭が出現。ここで人を眠らせないようにしているように見えた。きっと(キャンセルのための庭)だ。かつては戦災孤児達がここで眠った。

新しい壁から覗ける

戦争孤児が眠った当時の壁
地上へ出る

上野にはかつて東北からの集団就職列車が到着していた。その碑の奥には、誰かの毛布が置かれていて、人の住んでいる匂いがする。ポストも、どうしてかここにあった。
お昼ご飯はアメ横で。ましゅうさんのお店へ行くためにグループ分けをした。何人かに分かれて立ち呑み。半分が魚草、半分が姉妹店の魚塚へ行く。

ここ、この間までは緑の葉っぱの模様の壁が立っていたところなのに、赤コーンだけになっていた。緑の壁の内側は、誰かが住んでいるような雰囲気がしていたのに。

(キャンセルのための庭)*2025/2/7のリサーチ時に撮影
キャンセルの中で住むってハックみたいだな

ジマーマンさんが発見

アメ横にも、人々が川のように流れる
ここは元々下町の住宅街だったが、空襲に対しての建物疎開が行われた。東京大空襲によって焼け野原となり、戦後、この土地に目をつけた人々による闇市が始まったことが起源・・・
はぐれてしまう。全員いるかな...

アメ横の地下には、(多国籍料理ための庭)があって、アメ横の中でも異質で特別な雰囲気が漂う。大きな肉。大きな魚。香辛料。それらが揃う市場だ。じっと見ていたら店員さんに声をかけられてしまうから、さーっと通り抜ける。でもたまに唐辛子をここで買ったりする。これはそこへ繋がる階段の写真。雰囲気が、伝わるかな??
地上でみんなと合流すると、何人かは昆虫食の自販機を眺めてた。はぐれてしまった人とも再会。

さあついに魚草で、飲むぞ...

Neoくんは、水に香辛料を入れて飲む

美味しい刺身と立ち呑み。そして、お店で活き活きと働く皆さんと、店内の手書きのポップがとっても素敵。

冬は熱燗風呂界隈が設置*2025/2/7のリサーチ時に撮影

店内奥の席に座ると見つけられるプリクラ界隈

鯨問題界隈への問いかけ
店の外側には行き交う人々。大勢の人が流れて行く。賑やかな客引きの声。でも店内に入ってしまえば天国のような場所にいることができる。そこは決して広くはなく、座ることができない。立ち去って、再び流れて漂うまでの少しの時間をそこで過ごす。
いうなればこの場所は「千と千尋の神隠し」のようなところがあるように思う。ましゅうさんはここで働く人に対し、「ずっといてもいい人と、そうでない人がいると考えている」と言った。年末に、魚草では蟹売りをする。その一大イベントの後、大晦日をスタッフみんなで寿司を食べて呑む。その場に一緒に居させて貰った際に、働くことへの復帰のために魚草で働いていた方が笑顔でみんなに見送られて行ったことが心に残っている。上野やアメ横には、行き場を失ったり、悩んでいる人が、居られる場所があるんじゃないか。

こちらは姉妹店の魚塚。私がアルバイトの時に優しくエプロンを貸してくれたルミさん。



魚塚へ行ったYさんが後から教えてくれたのだけれど、魚塚は満員。ひっきりなしに注文があり、店員さんは忙しそうだった。6人くらいのグループだったので全員一緒での入店は難しいと思われたが、店員さんがカウンターのわずかなスペースを工夫して席を作ってくれた。カウンターを前にしてぐるりと散歩会メンバーで囲み、料理をシェア。おいしい料理を食べて皆さんとおしゃべりをしながら、ふと「この場所、庭ではないか?」と思ったそう。魚草も魚塚も、臨時に対応して席を上手く作ることを時折している。決められたはずの場所が拡張する瞬間があるのだ。そのことによって店はある種のグルーブ感を伴い、イマーシブな感覚 に客は陥る。
上野では、それぞれの界隈がここで庭を手作りしている。道端に傘を置いてみることも、ひよこを沢山集めることも、ピクニックする人々も、モニュメントに落書きすることも、お祭りも、アメ横も、ましゅうさんがアメ横で作り上げたこの店も...。そして私たちもブルーシートを持ち歩いて、庭を作ってみたかった。しかし庭は時々何かをキャンセルするために用いられたりもする。けれど天国のような庭も、何かを規制するための庭も、いずれも流れ流れて、変化していく。
合流して、少し歩き出すと、酔っ払ったみんながじわっと仲良くなっているのを感じた。
撮影協力
黒坂ひな 都路拓未 吉川日奈子 ジマーマン Neo
そのまま2025年になってしまい、2月、卒業制作を終えた後に、修士論文の提出に取り掛かっていた私は燃え尽き症候群になりかけ、人と話したりすることが急に億劫になったり、家から出られなくなりそうな状況に陥りかけていた。そんな中、野口さんは上野での仲間内での散歩会を開催し、私のことも誘ってくれた。それは散歩をつくることで、自分がケアされていると感じる瞬間だった。
丁度その時期、ネットを中心に「キャンセル界隈」という言葉が流行していた。界隈とはそこ・その辺り・その近辺。あるいは特定の共通項を持つ人々という意味の言葉だ。私たちは仲間内でありとあらゆるものに「界隈」と名付けてふざけ合って歩いていた。例えば、ある家の屋根に可愛らしいぬいぐるみが沢山飾られているのを見つけた時、「かわいいもの界隈」などと呼んだり。
そんなことをしていると急に、上野の町が見え出した。一見、雑然として見えた上野だが、そこにはいくつもの”界隈”が存在しているのだ。そしてそれぞれがこの町にいるために、それぞれのアジールを作り出しているように見えた。アジールとは「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などと呼ばれる場所のこと。上野には、上から与えられるアジールと、持たざる者が自ら作り出す、聖と俗のアジールの二種類があるのではないだろうか?例えばお寺や大学、アメ横やホームレスの人々がゆるく境界を作りながら、共存している。さらに上野では、それぞれの領域に関わる人々が手を加えながら豊かな場所を造っている。それは「庭作り」ではないかと思った。この「庭」が多様に存在する場所が上野であるように思え、それぞれの界隈が織りなす豊かで複雑な庭模様を見つめて歩いて行こうと考えた。
そこで、鶯谷や上野のあたりを探索して、沢山の庭を探す散歩会を開催することにした。さらにブルーシートと東北のお酒を持ち歩き、そのブルーシートを広げて、一休みできるような手作りアジールを作ることができるか!?も実験してみた。上野公園といえば、以前はブルーテントと呼ばれるホームレスの人々のブルーシートでできた住処があり、上野駅といえば、東北からの金の卵「集団就職列車」が到着していた。そんな記憶に思いを馳せながら歩く。4月20日の10:00に散歩会の開催をSNSで告知したところ、メンバーの途中の入れ替わり立ち替わりを含めて16名で一緒に歩くこととなった。

(ここで一杯・一服の庭)
これは鶯谷の居酒屋の隙間に突如出現したアジール。ここで立ち呑みしたり、煙草を一服するのかな。私は当日朝、山手線の運休によって遅刻してしまい、そこで出口を間違えた参加者をピックアップしながら、鶯谷の裏路地をウロウロと急いで通り抜けて集合場所に向かっている時に見つけたものだ。運休については知っており、参加者に事前に告知したものの、結局自分だけが遅く着いてしまったのだ...。
とはいえ参加者の皆さんは主催者の遅刻をそこまで怒ったりはせず、ゆったりと構えて下さっていた。自己紹介では好きな寿司ネタを言い合う。早速、集合場所の北口付近にあった看板の裏に、ジマーマンさんが庭を見つけていた。「この裏に、庭があるんですよ」その時は女の人がしゃがんでいて、人が集まるといつの間にか消えてしまったらしい...

(掲示板裏の庭)
出発。


右側には神社。左側にはラブホテル。聖と俗。あるいは性と聖のアジール。

(ひよこの庭)
元三島神社にはひよこ界隈がいる。四季折々、ひよこの配置が変わっている様だ。冬に来た時はカラフルな造花の中にひよこがいて極楽浄土の様だった。俗っぽいアヒルが作り出す天国。この神社越しには、ラブホテルが見えるポイントがあったり、アパートの洗濯物が見えるポイントがある。そんな風景からは聖と俗の入り混じるこの地域らしさを感じることができる。
このラブホ街から徒歩12、3分で吉原。江戸時代は庇護の元、明治時代は庇護が無くなり衰退して行く。戦後にはほぼ消滅。そこで働いている人々は上野の山へ集まった。そうして”様々な雰囲気のビジネスの場”が生まれていった...、と野口さんは述べた。芸能の中心地だった吉原は影に追いやられ、鶯谷で個人的な売春が始まる。崖の裏側にあり、しのぎにちょうど良さそうな雰囲気があるのがこの土地だ。(電車の音でかき消されてその後の会話が聞き取れない)・・・というのは当日のカメラマンのツジくんのビデオに映っていただけで、列の後ろで寄り道ばっかりしていた私は聞けていない説明だった。

この近辺では様々な男女カップル?が頻繁に私達の列に紛れ込んでいた。自転車に乗ったお巡りさんも混じり合ってみんなで歩く。

ふと目線を下に落とせば。(ご利益のある庭)

(竹が元気に育つ庭)
そして突如、ラブホ街に出現した竹藪。生き生きと茂っている。どうやら会員制のお店がこの奥にあるようなのだが、今もやっているのかどうかは不明だった。(コロナ渦頃までは少なくともやっていたみたい)
公園には、電話ボックスの中にパパ活リスト!(私はまた寄り道していて実はこのリストを実際には見てはいないのだが、列の先の方にいた黒豹さんが後からこっそり教えてくれた。)
この辺りを大人数で歩いていると、いつしか交番のお兄さん達二人にマークされていた。彼らも一緒に散歩についてきている 。公園でみんなが集まっていると、彼らもぐるりと公園を一周♪

とても軽やかな様子だった♪(ここはお巡りさんの庭)
野口さんの解説を聞き、公園を後にする。でも、私は交番のお兄さん達が気になって仕方なく、彼らの姿に湧いてしまって、野口さんの説明を落ち着いて聞くことができなかった。

猫がいる・・・ただそれだけ。

この雲の様な模様の建物は社交場であり、屋上からの眺めはとても素敵だと野口さんは教えてくれた。でも、この人数では行けない、と彼は言った。見てみたいな。どんな景色なのかな。場へのリスペクトをしながら歩くことは大切だ。

屋上は、(ちょっとだけ庭)になっているみたい。

野口さんはこの日、よれたシャツ、裸足にサンダル、手には東北のワンカップ「雪っこ」をビニール袋に入れて持って来た。数日前に、一升瓶を持って歩いて欲しいとリクエストしたら、彼はそうしなかった。それがとても良いなと思った。そして、その姿はこの上野の路上で暮らすホームレスの人々をどこか思わせた。

ここにもひよこがいるよ、と言ったら、楓くんは「僕も持ってる」と言った。

階段を上っていたら見えた。何の旗かなあ。

鶯谷駅の南口には”散策の街”って言葉

(庭の図)
この案内図の絵が好きで見てたら、野口さんが拾って解説してくれた。美術館も博物館も、動物園も庭だよね。

道の向こうは(霊のための庭)

町を見つめている銅像

これは(私が見つけた庭)
白い蝶々がひらひらと舞って、それがたんぽぽに着くかなあってみんなで見守ってた

古い建物を庭の塀の外から覗いた

上野公園の手前。ブルーシートに荷物をまとめて暮らす風景と、道行く人の手にお酒

ここには大きな鯨がいるんだけど、緑の水飛沫の中にいるのは綺麗だよね、と思い写真を撮ってしまった。目に映る時はそうでもないのに、想像したら綺麗だ。木の葉が水の流れを描き出しているみたい。(鯨の泳ぐ庭)

散歩している猿を見つけた。それを真っ先に見つけたのは多分野口さんと黒豹さんだった。見つけて、茂みに入って行く。

うろうろしていたら、誰かがこの辺りでどう?って言ってアジールを作ることに。私は自分が思っていたところとちがうけれど、いいかもなあって感じだった。

みんなで広げて

雪っこと、飲めない人は東北産リンゴジュースで。たびさんが朝に買った炭酸で割ることもできる。この町で、雪っこワンカップが買えることに野口さんは感動したって言っていた。
雪っこはよく振って、みんなでコップに分けて飲む。度数は20度ある、和気藹々。

すると、突然の人影が。

外国人ツアー客達が「あれは何?日本では珍しい光景」と言って、近づいてきた。日本人ガイドの男性が、通訳を挟みながらあれこれと質問してくる。私たちは彼らの質問に色々と答えながら、共に盛り上がって交流を楽しんだ。私のことを彼らはParty girlと呼んだ。「どうして散歩をしているの?」という質問に、私はうまく答えられる気もしなかったし、うまく答えることもできなかった。「生きていることを感じるためです」という言葉はどちらかといえば外の空気を吸う、みたいな意味に翻訳されて伝わってしまった。でも私は「生活」と言いたかった。野口さんはそれに、歴史散歩である旨を付け加えた。そして”ここは将軍の庭です”とおぼこさんの旦那さんは力強く英語で言った。何はともあれ、皆にっこりとし合って、楽しかった。
しかしここで、散歩会のことを”WALK PARTY”と英語で説明すると、大盛り上がりした。散歩会じゃなくて、WALK PARTY にしようかなと思うほど。
ブルーシートを畳んで、また私たちは歩き出した。(私たちは、庭を作れただろうか?)

上野公園を歩いていると、上から植物が落ちてくる。私たちはそれを運ぶように歩いて行った

野球観戦界隈

一度広げてしまったブルーシートを畳むのが少し面倒で、何人かに持って貰った。それをしていると、何かのデモの様になった。 特に観光客の人の視線を集めていた。「ブルーシート運動」「絶対ピクニックする同盟」何の主張も書かれていないけれど、私たちはこの辺りからずっとブルーシートを掲げて歩いていた。
階段を上ると小さな広場。ここは1500年前くらいの古墳らしい。上野の山で一番高いところ。石が置いてあってみんな座る場所。東の清水寺のようなものもここにあり、不忍池を望む舞台を作っていたという・・・と、野口さんが話していると、

鳩界隈が急に飛んで集まってきた。(鳩でいっぱいの庭)
ここの広場の真ん中には麻袋がある。町の中に数少なくなったゴミ箱なんだけれど、中を除くと荒れた様子はなくて、不思議な清潔感がある。いつも空き缶をいっぱいビニール袋に詰めて歩いているあのおじさんは、ここにも立ち寄るのだろうか。野口さんは「種をまく」みたいに、さっき使ったコップをこの中に入れた。

高いところにシール よじのぼったのかな

下山。段差の時とか、ブルーシートで繋がれているせいで運命共同体になってしまう。

変なモニュメント

わあ、良い写真だ 臨場感

パンダ橋に到着。

コロナ渦のみんなの立ち飲みテーブルだった

そのテーブルの上は思わず皆が指でなぞりたくなる洞窟壁画。
思い思いの落書き達
(多様な欲望が渦巻く庭)と、ジマーマンさんが呟く
この橋は山手側と下町側を繋ぎ、周遊性にアプローチしたものだったという。さっきの変なロゴの石の隣には、上野駅東西自由通路建設地点の遺跡という看板が建てられて、遺跡化しようと試みられている。けれど、その権威化と裏腹にそこまで人通りの多くないこの橋では、人が端の方に座って飲んだりする姿が見られる。

(キャンセルのための庭)*2025/2/7のリサーチ時に撮影
実はこのテーブル、冬頃はこんな風に花で飾られていて、使えないものがいくつかあったのだ。このまま全て飾られてオブジェ化し、使えなくなってしまうのか?と思っていたので、それらが撤去されていて驚いた。

飾られていた花の説明。

道端で、座っている男性はとても多い。

上野の谷の地形を感じさせる風景。ここを沢山の人が水の様に流れていく
少し戻って、また上野公園の方へ歩き出す。

かわいい。(ささやかな幸せの庭)

私達の仲間だ。ピクニック界隈

上野公園は明治天皇から東京都民に恩賜された庭であり、江戸将軍家の庭だった場所。

この日、上野はお祭り。お祭り界隈の中に紛れて歩く

花を頭に挿して。このお花をお酒に入れたいね、と話しながら。
この先の西郷隆盛像の前には人だかりができていて、日の丸のシールの貼られた車なんかも留まっていた。西郷さんは着物を着せられて、日本国旗がその横で揺らめいている。「犬は何も着せられていないね」野口さんが着物を着ている人に話しかける。「毎年」「どんな祭りなんですか」「僕は神輿を担ぐだけだからわからないんです。」「ははは」グッズ販売なんかもしていて、数名がここでトイレに行ったので人混みを適当に見つめて待っていた。
階段を降りる。そうすると山を降りることになって、地面の高さがアメ横と繋がっていくのだ。
ふと、たびさんが、私のリュックサックの外ポケットにささった歯ブラシセットに気づく。「いつでもキャンプできるね」って、スマートフォンを持たないたびさんに言われて嬉しかった。

何ともいえない(パンダの庭)へようこそ
よく見たら、鬱蒼と茂っている・・・

上野オークラ劇場は、ピンク映画館。オールナイト上映があるから、宿が無くなったら、ここに逃げ込むこともできるかもしれない。(一晩の庭)
「ここで寝たことあります?」という質問に、野口さんは「あります」と答えた。顔ハメパネルがここにあるんだけど、なぜか、女性の左肩から顔を出す仕様。
この先の不忍池では、ヘヴンアーティスト(東京都の文化振興施策)として選ばれた市民による演奏。天国だから、彼らは日々(神の庭)を作り出しているのだろうか。あるお爺さんは椅子を持参して正面で聴き入っている。これに聴き入ってしまったツジくん達と私達は一度はぐれてしまった。
確かこの後、緑色のエレベーターで地下へ降りるんだっけな。
みんなそこにいる。私はブルーシートを持つポジションを、ゴンちゃんに渡してみた。「ゴンちゃん、これ、持ちなよ」と言うとみんなが笑ったので私は「良いものだよ」と言った。

上野駅の通路の隅っこに、アジールを作ってみた。これも誰のアイデアだったか。ふっと生まれたのだ。ここではお酒を飲んだりはしない。みんなどきどきと座るだけだ。全員が座るのではなくて、近くにしゃがむだけ、立ってるだけのメンバーもいた。ヒヤヒヤするもんね。「デモの準備みたい」「主張は強めだよね」「でも、何も主張が書かれていない」「確かに、何もしていない」「ここに集まらないでくださいって張り紙される」「キャンセルされる界隈」スーツケースを持った人の通りが多かった。床は冷たくひんやりとしていた。歩いて来たから、ちょっと気持ち良かった。

この先に、戦災孤児の記憶や、当時の上野駅の壁がまだ見ることのできる場所がある。各地で生まれた戦後の孤児達は、ほとんど皆上野へ集結して、そこで共同生活を営んでいた。駅の中は冬は寒過ぎず、夏は暑過ぎない。三歳ぐらいの子供もここに集まり、小さい子達はシケモクをこの駅で拾い集めていた。もう少し手先が器用になった十歳ぐらいの子供はそれを包み直し、口が達者な高学年の子供がそれを街頭で売って、皆でその売り上げを山分けしていたという物語を野口さんはこのブルーシートの上で話すのだった。

そして、移動。

全員集合 ジマーマンさんは階段派

通路に庭が出現。ここで人を眠らせないようにしているように見えた。きっと(キャンセルのための庭)だ。かつては戦災孤児達がここで眠った。

新しい壁から覗ける

戦争孤児が眠った当時の壁
地上へ出る

上野にはかつて東北からの集団就職列車が到着していた。その碑の奥には、誰かの毛布が置かれていて、人の住んでいる匂いがする。ポストも、どうしてかここにあった。
お昼ご飯はアメ横で。ましゅうさんのお店へ行くためにグループ分けをした。何人かに分かれて立ち呑み。半分が魚草、半分が姉妹店の魚塚へ行く。

ここ、この間までは緑の葉っぱの模様の壁が立っていたところなのに、赤コーンだけになっていた。緑の壁の内側は、誰かが住んでいるような雰囲気がしていたのに。

(キャンセルのための庭)*2025/2/7のリサーチ時に撮影
キャンセルの中で住むってハックみたいだな

ジマーマンさんが発見

アメ横にも、人々が川のように流れる
ここは元々下町の住宅街だったが、空襲に対しての建物疎開が行われた。東京大空襲によって焼け野原となり、戦後、この土地に目をつけた人々による闇市が始まったことが起源・・・
はぐれてしまう。全員いるかな...

アメ横の地下には、(多国籍料理ための庭)があって、アメ横の中でも異質で特別な雰囲気が漂う。大きな肉。大きな魚。香辛料。それらが揃う市場だ。じっと見ていたら店員さんに声をかけられてしまうから、さーっと通り抜ける。でもたまに唐辛子をここで買ったりする。これはそこへ繋がる階段の写真。雰囲気が、伝わるかな??
地上でみんなと合流すると、何人かは昆虫食の自販機を眺めてた。はぐれてしまった人とも再会。

さあついに魚草で、飲むぞ...

Neoくんは、水に香辛料を入れて飲む

美味しい刺身と立ち呑み。そして、お店で活き活きと働く皆さんと、店内の手書きのポップがとっても素敵。

冬は熱燗風呂界隈が設置*2025/2/7のリサーチ時に撮影

店内奥の席に座ると見つけられるプリクラ界隈

鯨問題界隈への問いかけ
店の外側には行き交う人々。大勢の人が流れて行く。賑やかな客引きの声。でも店内に入ってしまえば天国のような場所にいることができる。そこは決して広くはなく、座ることができない。立ち去って、再び流れて漂うまでの少しの時間をそこで過ごす。
いうなればこの場所は「千と千尋の神隠し」のようなところがあるように思う。ましゅうさんはここで働く人に対し、「ずっといてもいい人と、そうでない人がいると考えている」と言った。年末に、魚草では蟹売りをする。その一大イベントの後、大晦日をスタッフみんなで寿司を食べて呑む。その場に一緒に居させて貰った際に、働くことへの復帰のために魚草で働いていた方が笑顔でみんなに見送られて行ったことが心に残っている。上野やアメ横には、行き場を失ったり、悩んでいる人が、居られる場所があるんじゃないか。

こちらは姉妹店の魚塚。私がアルバイトの時に優しくエプロンを貸してくれたルミさん。



魚塚へ行ったYさんが後から教えてくれたのだけれど、魚塚は満員。ひっきりなしに注文があり、店員さんは忙しそうだった。6人くらいのグループだったので全員一緒での入店は難しいと思われたが、店員さんがカウンターのわずかなスペースを工夫して席を作ってくれた。カウンターを前にしてぐるりと散歩会メンバーで囲み、料理をシェア。おいしい料理を食べて皆さんとおしゃべりをしながら、ふと「この場所、庭ではないか?」と思ったそう。魚草も魚塚も、臨時に対応して席を上手く作ることを時折している。決められたはずの場所が拡張する瞬間があるのだ。そのことによって店はある種のグルーブ感を伴い、イマーシブな感覚 に客は陥る。
上野では、それぞれの界隈がここで庭を手作りしている。道端に傘を置いてみることも、ひよこを沢山集めることも、ピクニックする人々も、モニュメントに落書きすることも、お祭りも、アメ横も、ましゅうさんがアメ横で作り上げたこの店も...。そして私たちもブルーシートを持ち歩いて、庭を作ってみたかった。しかし庭は時々何かをキャンセルするために用いられたりもする。けれど天国のような庭も、何かを規制するための庭も、いずれも流れ流れて、変化していく。
合流して、少し歩き出すと、酔っ払ったみんながじわっと仲良くなっているのを感じた。
撮影協力
黒坂ひな 都路拓未 吉川日奈子 ジマーマン Neo