駒沢大学を散歩しました
- 更新日: 2017/04/20
駒沢オリンピック公園の桜並木。
こんにちは、ヤスノリです。
今日は、田園都市線、駒沢大学駅に来てます。
地名としては駒沢、駒沢大学の駒沢キャンパスがあります。さっきから当たり前のことしか言ってない。レゴランドにはレゴがいっぱいあります、くらいのことしか言ってないですけども。
降りたことないっていう方多いと思うのですが、こう言うとちょっと興味湧きますかね。三軒茶屋の隣駅です。
三軒茶屋から玉川通り(246号線)をてくてく歩くとわりとすぐに着きます。
三軒茶屋病院を過ぎたあたりからだんだん街並みが落ち着いてきて、一方通行やら細っこい路地やらが目立ってくるんですけども、まさしく、このあたりはそういうエリア。路地散歩が捗ります。
それでは、30秒で分かる駒沢大学〜。
駒沢大学駅のキーワードは、路地と、駒沢オリンピック公園です。
まず、先程もちょっと言ったのですが、路地。
住民は路地を味方につけ、最短経路を抜けていきます。ですので、たまに「なんでこんな細っこい道に人が多いの?」みたいな光景に出くわします。それはおそらく、何かの最短経路です。
そして結構な割合で私道があるので要注意です。
そして、駒沢オリンピック公園。
1964年の東京オリンピックの第2会場でした。ホントは、1940年のほうの東京オリンピックのメイン会場予定地だったのですが、戦争でポシャりました。でもアレですよ。東洋の魔女伝説が生まれた女子バレー、駒沢球技場はここです。全国民が駒沢で熱狂したんですね。
ところで、あれ、大学は? 大学はキーじゃないの? って思うじゃないですか。
実はですねえ、このエリア、駒沢大学駅と言いつつ、駒沢大学生のフォースをそこまで強く感じないんですよ。例えば日吉で石を投げたら百発百中で慶大生にぶつかりますが、ここは、そうねえ、16発くらいじゃないですかね。
駒沢大学駅前から、大学専用の私道がありまして、学生は、街を通ることなく、駒沢キャンパスに着くんですね。
あと、大学が細心の注意を払ってます。
駒沢大学キャンパスマナー
確かに、このあたりは古い住宅街なので、トラブルになったら面倒そう。
もっとも、駒沢大学は前身を曹洞宗大学といって1913年からここにあるので、新参というわけではないんですけどね。
まあ、朝夕の通学ラッシュ時は駅付近が混雑する(らしい)(住んでないから知らない)のと、付近で飲んだりチェーン店入ったりするとやっぱり学生多いな! とは思いますが。
あ、でも、玉川通りの大学がない方とかは、むしろ落ち着いた住みやすいエリアだと思いますよ。弦巻なんて高級住宅街ですしね。
そんなこんなで、駒沢大学、スタートです。
降りました。玉川通りと首都高の高架が二階建てで仲良く走ってるところに出るので薄暗い。
玉川通り(246号線)沿いは、国道沿いのわりに、古いお店が立ち並んでます。
実はここ、江戸時代に流行した大山詣でに使われた「大山街道」なんですね。田園都市線沿いの主要駅「二子玉川」「溝の口」「長津田」などは、もともとは大山街道の宿場町です。
マッサージも、流行りのお洒落なやつじゃなくて、針もやる本格的なやつですから。
なんでそのフォントにしたんだろう。
飛び散るカレー汁のイメージでしょうか。
タバコの話をしているだけなので、工事の人は関係ない気がする。
一般的な「立入禁止」みたいな看板に引っ張られたのかな。
まあまあ、こんな感じの玉川通りですが、一本入ると、こんな路地が広がってます。
名物、世田谷ダンジョンです。
ダンジョン入り口付近に「銀工房」っていう看板が出てます。
たぶん世田谷ダンジョンの道具屋的な立ち位置です。ゲーム製作者からの、ここで装備を揃えろっていうメッセージだと思います。
へらへらおじゃましました。
「hand」のオーナー。
この建物も自分でつくったんですってよ。バラックみたいなもんだから、と仰ってましたが、普通バラックすら作れないですから。
セールじゃない品を見つけるほうが難しい。
売値は市場価格の半分くらいだとか。
銀の価格が半分以下だった頃に仕入れたものだそうです。半分趣味でやってるから大丈夫とのこと。大丈夫だそうです!
一点ものは作らないんですか? と聞いたら、「一点もの作るなら、金で作るね〜」と。
銀へのこだわりは特になし!
ここで喫茶店をやってたこともあったそうです。自由だな〜。
これから屋根をなおすとのことで、このへんで失礼します。
さてさて、まずは、駅脇の路地を北へ行ってみます。
もう既に細っこいですが、おそらく駅への最短経路なので人が一杯います。
風の診療所ですって。路地ではあるんですけど、まあ、もとこのあたりは畑でのんびりした風景だった筈ですし、アリだと思います。
くすりのマーサ。生活用品売ってる系の薬局があったりもします。
路地の正面はピザ屋です。
行き止まりの奥にはWANNE。
まつげ専門のビューティーサロンですって。ロゴが桜と合う。
なんかこんな感じで、路地にもいろいろあるんすよ。駒沢大学って。
さらに奥へいくとさすがに住宅街。
上馬まちづくりセンター、上馬地区会館とか入ってる地区の複合施設。
これたまたまあったけど、二度とたどり着く自信ないですよ。
上馬まちづくりセンター前の道が、やけにくねっている。これはもしかして……
品川用水でした。玉川上水から分水して、品川区の細川家屋敷(戸越公園)へ流れる水路。
これねえ、戦後、昭和25年くらいまではあったらしいですよ。
あと、旧・上馬まちづくりセンターを見つけました。さっきの場所に、最近引っ越したみたいですね。
×印を多用した打ち消し方が独特。
さてさて、環七と玉川通りの交差点まで来ました。
玉川通り渡った先に、寺があります。宗円寺。
ビルがめっちゃ迫っている。山深い山寺があるならば、これはビル深いビル寺。
寺の脇に沿ってちょっと歩いてみます。
赤が消えて読めなくなってしまうことはありますが、これは赤が消えた結果、停めていい感じになってしまっている。
初見、これ駐車場ですよ。
玉川通りを北上。右の首都高と、左の古い建物。
材木屋さんでした。古そう。
駐車禁止x4。
さてさて、自由通りに出ました。
革命により治外法権を勝ち取った独立国家の通りかと思いきや、自由が丘に出られるっていうだけの通りです。
この通りには、まあまあゆるーくお店があります。ふとんで例えると夏掛けくらいです。
ハイボールのテンションだけ高い居酒屋やら、
マルエツやら、
世田谷区でよく見るココカラファインやら、
アジアンビストロやら。
ここから目黒区です。
よくされるトップ2の場所に貼ってあるんだろうな。
このサビは、そういうことなんだろうな。
「らくがき は はんざい」と書かれている自己言及の落書き。
逮捕されたらいいと思う。
門が閉まっているただっぴろいエリア。
「電通八星苑」と書かれています。1917年に立てられた古い更生施設なのですが、カウフマン邸などで有名なアメリカの建築士「フランク・ロイド・ライト」の作なんだそう。なんだそうなんですけど、いま見えてるあれそうなの? あれそうなのかな。普通じゃない? 中にすごいのがあるの? それともあれも見る人が見るとすごいの?
と思って裏へ回ってみたんですけど、テニスコートしか見えない。
そうこうしているうちに、駒沢オリンピック公園に着きました。
なんだろ、この看板の「オリンピック」という文字の扱いあぐねている感じ。そこメインじゃないの?
ちょうど満開の時に来てしまった。一人で。
スポーツ公園ですので、ジョギングコースとサイクリングコースが主で、
歩行者は端を歩くことを義務付けられています。
サッカーやってます。
この辺桜並木なんですよ。平日ですがお花見客いっぱい。
お花見客なので看板の酒率が高い。
良い公園でございました。
ちなみに、オリンピック会場になる前、この広い敷地は一体何だったかと申しますと、
駒沢ゴルフ場でした。
ゴルフ場ができたのは、駒沢大学がここに来た頃と同じ、1910年代で、大学の土地を借りて運営していたそうです。
それから、先ほど電通の更生施設「電通八星苑」がありましたが、ほかにも三越の厚生施設である「三越倶楽部」がありました(現在は駒沢大学深沢キャンパス)。
今でこそゴミゴミした住宅街ですが、昔はそんなノリの土地だったことが忍ばれます。
さてさて、公園を出て駅のほうに帰っております。
左は駒沢大学の駒沢キャンパス。
駒沢公園通りまで出てきました。
1000円カットプラス。1000円より高いってことでしょうか。
このまま玉川通り行けば駅につきそうですけど、右の路地から帰ってみます。
ほらもういいじゃないですか。こっちの道のほうが。座布団居ますよ。
何かの1号と2号が居ました。
急に竹林。
土日だけ開放されてるらしい。もともとこんなんだったんだろうね、このへんは。
お蕎麦屋さんがあったりしながら、
玉川通り沿いの駒沢大学駅に着きました。
これなんて最高のまとめ。
あとはこのへん、玉電の駅多いんですよね。ちょっと遠いので今回は行ってないんですけど、例えば「中里」「上馬」とかに商店街や跡があって、実は玉電の駅跡地だったりするんですよね。そういう散歩も楽しいエリアでございますよ。
というわけで、駒沢大学でした。またねー。
今日は、田園都市線、駒沢大学駅に来てます。
地名としては駒沢、駒沢大学の駒沢キャンパスがあります。さっきから当たり前のことしか言ってない。レゴランドにはレゴがいっぱいあります、くらいのことしか言ってないですけども。
降りたことないっていう方多いと思うのですが、こう言うとちょっと興味湧きますかね。三軒茶屋の隣駅です。
三軒茶屋から玉川通り(246号線)をてくてく歩くとわりとすぐに着きます。
三軒茶屋病院を過ぎたあたりからだんだん街並みが落ち着いてきて、一方通行やら細っこい路地やらが目立ってくるんですけども、まさしく、このあたりはそういうエリア。路地散歩が捗ります。
それでは、30秒で分かる駒沢大学〜。
駒沢大学駅のキーワードは、路地と、駒沢オリンピック公園です。
まず、先程もちょっと言ったのですが、路地。
住民は路地を味方につけ、最短経路を抜けていきます。ですので、たまに「なんでこんな細っこい道に人が多いの?」みたいな光景に出くわします。それはおそらく、何かの最短経路です。
そして結構な割合で私道があるので要注意です。
そして、駒沢オリンピック公園。
1964年の東京オリンピックの第2会場でした。ホントは、1940年のほうの東京オリンピックのメイン会場予定地だったのですが、戦争でポシャりました。でもアレですよ。東洋の魔女伝説が生まれた女子バレー、駒沢球技場はここです。全国民が駒沢で熱狂したんですね。
ところで、あれ、大学は? 大学はキーじゃないの? って思うじゃないですか。
実はですねえ、このエリア、駒沢大学駅と言いつつ、駒沢大学生のフォースをそこまで強く感じないんですよ。例えば日吉で石を投げたら百発百中で慶大生にぶつかりますが、ここは、そうねえ、16発くらいじゃないですかね。
駒沢大学駅前から、大学専用の私道がありまして、学生は、街を通ることなく、駒沢キャンパスに着くんですね。
あと、大学が細心の注意を払ってます。
駒沢大学キャンパスマナー
確かに、このあたりは古い住宅街なので、トラブルになったら面倒そう。
もっとも、駒沢大学は前身を曹洞宗大学といって1913年からここにあるので、新参というわけではないんですけどね。
まあ、朝夕の通学ラッシュ時は駅付近が混雑する(らしい)(住んでないから知らない)のと、付近で飲んだりチェーン店入ったりするとやっぱり学生多いな! とは思いますが。
あ、でも、玉川通りの大学がない方とかは、むしろ落ち着いた住みやすいエリアだと思いますよ。弦巻なんて高級住宅街ですしね。
そんなこんなで、駒沢大学、スタートです。
駒沢大学駅・玉川通り沿い
降りました。玉川通りと首都高の高架が二階建てで仲良く走ってるところに出るので薄暗い。
玉川通り(246号線)沿いは、国道沿いのわりに、古いお店が立ち並んでます。
実はここ、江戸時代に流行した大山詣でに使われた「大山街道」なんですね。田園都市線沿いの主要駅「二子玉川」「溝の口」「長津田」などは、もともとは大山街道の宿場町です。
マッサージも、流行りのお洒落なやつじゃなくて、針もやる本格的なやつですから。
なんでそのフォントにしたんだろう。
飛び散るカレー汁のイメージでしょうか。
タバコの話をしているだけなので、工事の人は関係ない気がする。
一般的な「立入禁止」みたいな看板に引っ張られたのかな。
まあまあ、こんな感じの玉川通りですが、一本入ると、こんな路地が広がってます。
名物、世田谷ダンジョンです。
ダンジョン入り口付近に「銀工房」っていう看板が出てます。
たぶん世田谷ダンジョンの道具屋的な立ち位置です。ゲーム製作者からの、ここで装備を揃えろっていうメッセージだと思います。
へらへらおじゃましました。
「hand」のオーナー。
この建物も自分でつくったんですってよ。バラックみたいなもんだから、と仰ってましたが、普通バラックすら作れないですから。
セールじゃない品を見つけるほうが難しい。
売値は市場価格の半分くらいだとか。
銀の価格が半分以下だった頃に仕入れたものだそうです。半分趣味でやってるから大丈夫とのこと。大丈夫だそうです!
一点ものは作らないんですか? と聞いたら、「一点もの作るなら、金で作るね〜」と。
銀へのこだわりは特になし!
ここで喫茶店をやってたこともあったそうです。自由だな〜。
これから屋根をなおすとのことで、このへんで失礼します。
駒沢大学駅の北側
さてさて、まずは、駅脇の路地を北へ行ってみます。
もう既に細っこいですが、おそらく駅への最短経路なので人が一杯います。
風の診療所ですって。路地ではあるんですけど、まあ、もとこのあたりは畑でのんびりした風景だった筈ですし、アリだと思います。
くすりのマーサ。生活用品売ってる系の薬局があったりもします。
路地の正面はピザ屋です。
行き止まりの奥にはWANNE。
まつげ専門のビューティーサロンですって。ロゴが桜と合う。
なんかこんな感じで、路地にもいろいろあるんすよ。駒沢大学って。
さらに奥へいくとさすがに住宅街。
上馬まちづくりセンター、上馬地区会館とか入ってる地区の複合施設。
これたまたまあったけど、二度とたどり着く自信ないですよ。
上馬まちづくりセンター前の道が、やけにくねっている。これはもしかして……
品川用水でした。玉川上水から分水して、品川区の細川家屋敷(戸越公園)へ流れる水路。
これねえ、戦後、昭和25年くらいまではあったらしいですよ。
あと、旧・上馬まちづくりセンターを見つけました。さっきの場所に、最近引っ越したみたいですね。
×印を多用した打ち消し方が独特。
駒沢大学駅の西側
さてさて、環七と玉川通りの交差点まで来ました。
玉川通り渡った先に、寺があります。宗円寺。
ビルがめっちゃ迫っている。山深い山寺があるならば、これはビル深いビル寺。
寺の脇に沿ってちょっと歩いてみます。
赤が消えて読めなくなってしまうことはありますが、これは赤が消えた結果、停めていい感じになってしまっている。
初見、これ駐車場ですよ。
玉川通りを北上。右の首都高と、左の古い建物。
材木屋さんでした。古そう。
駐車禁止x4。
駒沢大学駅の南側、自由通りからオリンピック公園へ
さてさて、自由通りに出ました。
革命により治外法権を勝ち取った独立国家の通りかと思いきや、自由が丘に出られるっていうだけの通りです。
この通りには、まあまあゆるーくお店があります。ふとんで例えると夏掛けくらいです。
ハイボールのテンションだけ高い居酒屋やら、
マルエツやら、
世田谷区でよく見るココカラファインやら、
アジアンビストロやら。
ここから目黒区です。
よくされるトップ2の場所に貼ってあるんだろうな。
このサビは、そういうことなんだろうな。
「らくがき は はんざい」と書かれている自己言及の落書き。
逮捕されたらいいと思う。
門が閉まっているただっぴろいエリア。
「電通八星苑」と書かれています。1917年に立てられた古い更生施設なのですが、カウフマン邸などで有名なアメリカの建築士「フランク・ロイド・ライト」の作なんだそう。なんだそうなんですけど、いま見えてるあれそうなの? あれそうなのかな。普通じゃない? 中にすごいのがあるの? それともあれも見る人が見るとすごいの?
と思って裏へ回ってみたんですけど、テニスコートしか見えない。
駒沢オリンピック公園
そうこうしているうちに、駒沢オリンピック公園に着きました。
なんだろ、この看板の「オリンピック」という文字の扱いあぐねている感じ。そこメインじゃないの?
ちょうど満開の時に来てしまった。一人で。
スポーツ公園ですので、ジョギングコースとサイクリングコースが主で、
歩行者は端を歩くことを義務付けられています。
サッカーやってます。
この辺桜並木なんですよ。平日ですがお花見客いっぱい。
お花見客なので看板の酒率が高い。
良い公園でございました。
ちなみに、オリンピック会場になる前、この広い敷地は一体何だったかと申しますと、
駒沢ゴルフ場でした。
ゴルフ場ができたのは、駒沢大学がここに来た頃と同じ、1910年代で、大学の土地を借りて運営していたそうです。
それから、先ほど電通の更生施設「電通八星苑」がありましたが、ほかにも三越の厚生施設である「三越倶楽部」がありました(現在は駒沢大学深沢キャンパス)。
今でこそゴミゴミした住宅街ですが、昔はそんなノリの土地だったことが忍ばれます。
駅の方へ帰る
さてさて、公園を出て駅のほうに帰っております。
左は駒沢大学の駒沢キャンパス。
駒沢公園通りまで出てきました。
1000円カットプラス。1000円より高いってことでしょうか。
このまま玉川通り行けば駅につきそうですけど、右の路地から帰ってみます。
ほらもういいじゃないですか。こっちの道のほうが。座布団居ますよ。
何かの1号と2号が居ました。
急に竹林。
土日だけ開放されてるらしい。もともとこんなんだったんだろうね、このへんは。
お蕎麦屋さんがあったりしながら、
玉川通り沿いの駒沢大学駅に着きました。
雑感
えっと、駒沢大学ね。駒沢の歴史は駒沢大学がまとめてくれているお陰で、わりと調べやすかった。これなんて最高のまとめ。
あとはこのへん、玉電の駅多いんですよね。ちょっと遠いので今回は行ってないんですけど、例えば「中里」「上馬」とかに商店街や跡があって、実は玉電の駅跡地だったりするんですよね。そういう散歩も楽しいエリアでございますよ。
というわけで、駒沢大学でした。またねー。