三鷹 / 太宰治が愛した街は、きっといい街。
- 更新日: 2018/01/16
太宰が愛した風景、三鷹電車庫跨線橋。
どうもこんにちは。今日は三鷹に来ていますよ。
太宰ですね。
はい、太宰です。三鷹と言えばね。
ほら、街ぐるみで完全に押してきてますから。玉川上水で亡くなるまでの7年半の間(1939年9月から1948年6月まで)、ここ三鷹に住んでいたというのは有名な話。
三鷹でどんなの書いてたんですか。
「人間失格」とか、貴族の没落を描いた「斜陽」とかもそうですね。太宰さんが三鷹に住んでた頃に執筆された作品です。
どちらも破滅的なやつだ……三鷹という土地が……そういうものを書かせるのかな……
三鷹に謝りなさい。
じゃあですよ、ディズニーシーのホテルミラコスタに篭もってこの話を書けますか?
知らないけども、三鷹に謝りなさい。
あ、でも、そういうの関係ないのかなあ……昔稲川淳二がどっかでボサノバ聴きながら怪談書いたみたいな話してた気がするしなあ……
知らないけども、三鷹に謝りなさい。
すみません。
謝るんだ。
ところで太宰さん住んでたのはもう70年も前なんですね。
そう、街もかなり変わってしまっていて、太宰さん絡みのエピソードがある建物は殆ど残ってないんです。でもそこは街を挙げての太宰推しですよ、案内板が立っている跡地もたくさんあるので、今日はそのいくつかを巡ってみましょう。
ところで、三鷹ってかなり出来上がった都市なんですよね。線路から北側は高層マンションが見える(あちらは武蔵野市ですが)。
駅前にはデッキがあり、眼下には喫茶店や飲食店、居酒屋がひしめく。住みやすさレベルすごく高そう。
デッキから入れるスーパーもある。
セブンイレブンも空中にあるのですごい。
そんな三鷹、今でこそザ・シティですが、昔は牧歌的な街だったそうです。文化人が集まるようになったのは昭和5年に中央線が開通してから。中央線沿線には作家が多く住んでいて、編集者もよく通っており、たまり場のようなものが形成されていたそうです。
三鷹が郊外のベッドタウンとして注目を浴び、通勤ラッシュが問題になるのは太宰さんが亡くなったずっとあとです。
太宰と富栄と玉川上水
太宰さんの最後の一日。太宰さんは、昭和23年6月13日夜半に行方不明になります。仕事場を出たあと、親しくしていた山崎富栄さんとともに近くの玉川上水まで歩いていったのだろうとされています。まずは、富栄さんが下宿していて、太宰さんも仕事場としていた野川家の跡地から現場の玉川上水までを歩いてみることに。
デッキを降りてすぐのところに三鷹ネットワーク大学の建物があります。
あ、ここは小料理屋「千草」跡です。これから行く野川家とは別に、太宰さんはここも仕事場に使ってたそうですよ。
今は雑居ビル。小料理屋の反対語みたいなものになっている。
裏に回ると、「千草」という案内板が出ていました。太宰さんはここの2階を仕事場にしていたそうですよ。その他にも編集者との打ち合わせ場所にも使っていたそうです。あとは入水してからの2人のご遺体をこちらのお部屋に安置したとか。
永塚葬儀社。こちらが野川家の跡地です。太宰さんの仕事場で、最後の日にいらっしゃったであろう場所。
千草のほとんど向かい側! 近所に仕事場を2個持つ理由は何なの?
三鷹に来てからは合計6か所の仕事場があったんですよ。
ノマドブロガーみたいなもんか。俺はどこでも仕事が出来る、みたいな。
違うと思います。
山崎富栄さんとは、知人の紹介で屋台のうどん屋さんにて知り合ったそうです。
山崎さんは野川家に下宿しており、太宰さんは、山崎さんが居た2階北側の部屋を仕事場に使っていたのだそう。
さて、ここを出た2人は玉川上水へ。玉川上水どこだろう。
北に向かってすぐでした。
玉川上水沿いを、吉祥寺のほうへ。
ものすごく道が真っ直ぐ。井の頭公園あたりまではずっと真っ直ぐです。
風の散歩道という名前がついていますね。5月ごろに歩いたら気持ちよさそうです。
この玉川上水は「乞食学生」の舞台にもなっています。
川で流されてきた少年を助けたら、そいつがすごく図々しいやつだったもんで説教してやろうっていう話です。この案内板に書かれているのは乞食学生の序盤の一節ですね。
玉川上水、チョロッチョロじゃないですか~。死ねる?
当時の玉川上水は流れが急で、増水時の深さは2mもあったんですって。三鷹駅の交番には浮き輪が常備されていて、誰かが溺れたって通報があると警官が浮き輪片手に駆けつけてたそうですよ。
ライフセーバーだ。
先ほどの乞食学生の中で、太宰さんは玉川上水についてこんなふうに書いています。「川幅は、こんなに狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である。この土地の人は、この川を、人喰い川と呼んで、恐怖している。」
玉川上水は、古くは江戸時代に江戸城下に飲料水を引くための重要な人工水路で、明治後も新宿の淀橋浄水場に新鮮な水を運んでいました。ちなみに淀橋浄水場は旧淀橋区、新宿西口付近にありました。ヨドバシカメラに地名の痕跡がありますね。淀橋浄水場の廃止後、玉川上水は一旦水が無くなります。しかし景観の保全が叫ばれるようになり、いまは高度処理した下水を引いてせせらぎを復活させています。
目撃者が居ないため、2人が入水した場所は本人たちしか知り得ません。遺留品が見つかって、このあたりであろうとされる場所に、玉鹿石があります。
この石は、太宰さんの出身地である青森県五所川原市金木町から持ってきたものだって。
太宰さんは、高校時代までを青森で過ごしました。小学生時代は開校以来の秀才といわれ、中学時代も学年でトップ5に入る成績優秀者だったそうです。
入らないでくださいって書いてあるのにな。
死ぬと決めてたら無視するだろうよ。あと当時この看板は絶対無い。
自殺の理由は様々な説、解釈、憶測があり、にわかに語るにはちょっと躊躇してしまいます。
確かであったこととしては、自殺願望があり過去に4回失敗していること、憧れていた芥川龍之介も服毒自殺したことなどでしょうか。
いずれにせよ、太宰さんと山崎さんはこのあたりで入水し、6日後の6月19日に引き上げられます。
せっかくなので、ちょっとこのあたりをぶらぶらしてみますか。
脇道にはサツキが生えています。旧暦の皐月に花が咲くのでこの名前が付いたんですね。
ドウダンツツジは刈り込んで生け垣やボーダーをつくる、ですって。
植物についての豆知識じゃなくてHOW TO USEを書くの新しいな。
1998年3月に完成したむらさき橋は、三鷹市と武蔵野市の境に位置しています。ここいらは昔、紫草がたくさん咲いていたことから、公募でこの名前に決まりました。ここを渡って北側の沿道へ。ちょっとだけ武蔵野市におじゃまします。
立派な松の木ですなぁ。
「犬結びの松」だって。昔、キツネやらタヌキから田畑を守ってくれた、山犬と呼ばれた親子の狼が祀られていると。
こんな場所でもおしっこをさせる飼い主さんがいるの?
犬を一時的に結んで良い松、みたいな感じで勘違いされてるんじゃない? 散歩中にスーパー行くときとか、ちょっとここに結んで。
ここら御殿山って言うんですね。品川区にも同じ名前の地名があったような。
あるよ。北品川で昔行ったな。あれは品川御殿っていう将軍の鷹狩りの休憩所があったからなんだけど、今調べたらここも鷹狩りの休憩所だった。そうなると三鷹も鷹って入ってるからもしやと思ったら、やっぱり鷹狩り関連。ここらは全部鷹狩り関連。
ところで、今までずっとなぁなぁにしてきたんだけど、鷹狩って何をするんですか? 鷹を取るの?
ええっ?
えっ?
鷹を飼い慣らして、放って鳥類とか哺乳類とかを主の元に持ってこさせるんですよ。
え、それって楽しいんですかね? 弓矢とかの狩りはなんとなく楽しさ分かるけど、鷹が全部やっちゃうんでしょ?
ポケモンみたいなもんなんじゃない? 行けっ! みたいな。
ああ。なるほど。それはちょっと楽しそうかも。
太宰治の旧居跡へ
さて、お次は太宰治さんの旧居跡へ行ってみます。三鷹駅に戻ってきた。さっきはデッキに居たから気づかなかったけど「三鷹橋」だって。分かりにくいのですが、駅の斜め前は実は大きな橋になっている。
あーなるほど、玉川上水は三鷹駅の真下で中央線と交差するんですね。
三鷹といえば、三鷹の森ジブリ美術館があるのも有名です。先ほどの玉川上水沿い「風の散歩道」をそのまま歩けば15分ほどで着きますけども、駅前には送迎バスが出てます。
長崎ちゃんぽん、グラバー亭だって。
たまに見かけますねこれ。これって長崎の貿易商人グラバーさんの住処が文化財になって「グラバー邸」って呼ばれてるやつのもじりですよね。
ですねえ、でもそれ言ったら、長崎ちゃんぽんでもっと有名なリンガーハットも貿易商人リンガーさん……
わー! そうなの!?
長崎にグラバー園っていう公園があるんですけども、園内にはグラバー邸はもちろんありますけど、リンガー邸もあります。
長崎ちゃんぽんの店は貿易商人の名前をつける謎の風習がある。
フリー素材で有名な”いらすとや”の絵。サイトで脳梗塞と検索すると全く同じ画像が出てくる。”いらすとや”の守備範囲がすさまじい。
ここは太宰治文学サロン。太宰さんがよく通っていた伊勢元酒店の跡地でもあります。
直筆原稿の複製や初版本、初出雑誌などが展示されています。太宰治さんに関してめちゃくちゃ詳しいガイドボランティアの方もいます。
実はここでいくつか情報を仕入れたので、最初に行くべきはここだったかもしれません。
来年の2月末まで太宰と芙美子っていう企画展を行っています。
林芙美子さんは庶民の生活を慈しむような小説を数多く執筆した小説家です。遊び人の夫を持って苦労している奥さんの視点で物語が進む、太宰さんの短編小説「ヴィヨンの妻」の装幀・挿絵を手掛けたことも。その2人の関係性について注目した企画展ですよ。
警察官も頻繁に立ち寄るほどの名所ですよ。
そうだった、旧居へ行くのでした。さらに南下します。
住宅街に突然ある無添加ベーカリーちのパン。小学生の頃に巷で人気だったアナウンサーを思い出してしまいます。
すごい。マンション名が全く読めない。
あれは「フラット オサダ」と読むんです。
ええっ? なんで分かるの?
ここに書いてあるんだよ。
なんだよ。ていうかあの文字はなんだよ。
三鷹は美しすぎる区画が多い。この通りもどこまで続いてるのか分からないくらいの直線。なぜだか分からないけど、新年明けたときの実家付近をうろついているような気分になりました。
そうこうしているうちに、太宰の案内板がありました。これは「おさん」に出てくる百日紅だそう。
「さるすべりは、これは、一年置きに咲くものかしら」ですね。
太宰さんの旧居はこのあたりなのですが、現在は建て替えられて別の方が住んでいるそうです。ですので、このへん、ということだけ。もっとも、GoogleMapに史跡として登録されてしまっているんですけどね。
サルスベリ初めて触ったんですけど、これすごいですね! これならサルも本当に滑りそう!
実際はけっこう簡単に登っちゃうらしいよ。テレビでやってた。
当時のまま現存する太宰治さんのお気に入りスポット
さて、太宰さんゆかりの場所はいくつもあるのですが、やはり70年前のこと、殆ど「●●跡」という看板が立つのみです。しかし唯一、当時のままの姿で残っている場所があるそうなので、行ってみますね。
三たび三鷹駅。
ここから線路沿いに西側へ歩きます。電車庫通りという名前みたい。
カトオ北駐車場。カトウじゃないのね。
歩いて1分くらいのところに、今度は加藤電車庫通り駐車場が。同族か、それとも別人か。
メガネにもコーヒーブレイクだって。
コーヒーに浸けられそうだなって一瞬思った。思った?
思った。
太宰スポットへ誘うかのような片手袋だ。
指す方向全然違うけども。
さぁ、つきました。ここが太宰さんのお気に入りスポットの鉄橋です。
鉄橋。
太宰さんも親友を案内するくらいに大好きな場所だったらしいですよ。
友達もさあ、鉄橋に案内されてどうすんだろ。
さあ。電車見たり? とにかく、この鉄橋は当時から変わってないんですって。当時のまま現存。貴重。太宰。
やる気元気井脇みたいになってますよ。
階段を下りる太宰さんの写真。
過去に5兆人がやっているであろう真似をしてみたんですが、階段から落ちるのが怖くて視線がちょっと下になってしまいました。
正式名称は三鷹電車庫跨線橋。長さ約90m、幅は約3mです。
1929年(昭和4年)、ここに三鷹電車庫が作られます。そのときにできた跨線橋です。
実はこの橋、昔のレールで作られているんですって。言われてみればレールっぽいような……
1929年当時の「昔のレール」だから、100年以上前のレール?
ところで、先ほど行った「太宰治文学サロン」で伺ったのですが、ここには海外の廃レールも使われていて、年代や国名の刻印が橋の上から目視できるレールがあるそうなんです。
というわけで、ちょっと探したものの、なかなか見つからずに何往復もする我々。
セブンスターのシール。一瞬おっ! ってなった。紛らわしい。やめてくれ。
鉄骨と平行に真っ青な空を飛んでいるどこぞの飛行機。
国の名前は見つけられなかったのですが、一個だけ見つけた刻印がこれ。うっすらと数字が刻まれている。意味はよくわかんない。どこら辺の箇所でみつけたのかは伏せておきます。ここに立ち寄ったときにはぜひ探してみてくれ!
あと全然関係ないですが、刻印を捜索中に、さきほどの片手袋の相方と思われるものを見つけたので報告します。
ユーモラスなものから、自分自身の葛藤を映し出したような重厚感のあるものまで、様々な小説を生み出してきた太宰治さんですが、32歳でほとんどの歯を入れ歯にしたという話があります。
というのも、虫歯にとても苦しめられていたとのこと。美知子夫人の勧めで歯医者に通い、入れ歯の装着に踏み切ったんです。
太宰さんは食べ物はウナギにお豆腐、すっぽんが大好きだったそう。ウナギやら豆腐は柔らかくて歯にも優しいけども、すっぽんってけっこうコリコリしてるからちょっと食べるのが大変だったんじゃないですかね。
ただね、ちゃんと磨いていても虫歯になりやすい人っているんですよね。逆に全然磨かなくても虫歯にならない人がいたり。歯をしっかり磨くのはもちろん、大事なのは定期検診に行くことなんですよね。
虫歯に悩んだ太宰さん。今から数年前に、頬杖をついて自分の顔を小さく見せる自撮り「虫歯ポーズ」が流行ったことがありましたが、これこそ太宰治ポーズと言えましょう。それでは太宰治ポーズでさようなら!
(おしまい)