行き止まり散歩 ~茗荷谷の赤モグラと旧東京砲兵工廠~

  • 更新日: 2020/07/30
  • hatebu
  • feedly
  • rss

行き止まり看板の9割は嘘だと思っている。
もっとも、殆どが車に向けられた看板であるから、歩行者が通り抜けられることは多い。
あまり車や人が入り込まない行き止まり看板の先には、手つかずの何かがある気がしてならないから。

行ってみよう。
行き止まりから始まる、行き止まり散歩。




これは茗荷谷の行き止まり看板です。
そしてこの先に見える橋の下には地下鉄丸ノ内線が走っています。
おや、写真をよく見たらマスクが落ちていました。


赤い列車の丸ノ内線は、地下鉄だけど地上にも顔を出すデュアルタイプ。
ふだんは地中で活動してるけど、地上に出ての日光浴も好きなモグラって感じです。
ためしに今日は丸ノ内線を、「赤モグラ」って呼んでみます。
そういえば、普通のモグラが「太陽の光を浴びると死ぬ」というのはウソだったみたいです。




写真の赤モグラは2019年から営業運転が始まった2000系。丸っこいフロントガラス、サイドの円形の窓とか近未来っぽくてカッコいい赤モグラ。ドラえもんと仲間たちがキャンペーンキャラクターになって駅構内、車内広告なんかで、新・赤モグラのデビューを告知してくれていました。
今日はいっぱい赤モグラを見るために跨線橋だとかトンネルなんかを散歩しながら、となり駅の後楽園に向かって、最後は旧東京砲兵工廠射撃場のトンネル跡を見てきます。
なお、旧東京砲兵工廠射撃場のトンネル跡は立ち入ると危険な場所にあるので注意が必要です。

とにかくこの橋を渡って行き止まり看板の奥へ進もう。



橋を渡って振り返ると、ナポリヤの倉庫らしきシャッターがあった。




一本あまっちゃったから、これオマケね。


渡った橋の向こう側は二手に分かれていた。



正面の行き止まりは一軒家だった。たぶんあの向こうは谷になっているはずだ。

この界隈、茗荷谷という名のとおり谷になっていて駅から歩くと下り坂や階段の多さに気づく。
写真の奥に見える建物は拓殖大学。ここ茗荷谷のキャンパスは120年の歴史を持つ。
拓大の辺りが旧町名「茗荷谷町」で、ここから坂を下った谷の地域。そして今いるこのあたりは台地になっていて、旧町名を「清水谷町」という。

▼『茗荷谷町と清水谷町』


丸ノ内線の駅名は「茗荷谷駅」だけど、路線の計画時は「清水谷駅」という仮称がついていたそうだ。東京市の頃の地図を見ると、市電の駅名で「清水谷町」の文字が見つかる。
実は、地域住民や拓大からの「茗荷谷」推しがなかったら「清水谷駅」になっていたというのだ。
さらに近所の町内会の方から聞いた話によれば、幻の「金富駅」があったのだという。
茗荷谷駅の場所が決まる前には別の候補地があって、もう少し後楽園寄りにある金富(かなとみ)小学校の北側がその候補地だった。でも、その近所にあった旅館を中心に反対運動があったのだとか。駅などできて旅館の周りが騒がしくなったら困る。というのがその理由だったらしい。
実は場所も名前も違っていた可能性のあった「茗荷谷駅」。今日は幻となった「金富駅」の辺りも歩いてみます。




さて、正面の行き止まりを見た後、こんどは右手の行き止まりを見てみると墓地だった。
茶色い塀の向こう側の卒塔婆たちが、『行き止まりなのだよ』と教えてくれた。

こりゃ引き返すしかないと振り返ると、子どもを連れた自転車のママさんがいた。
軽い身のこなしで子どもを自転車から降ろしているそのスポーティーなママさんに、
「行き止まりですね」
と、声を掛けると意外な答えが返ってきた。
「行けますよ」
えー?! 行けるんですか?
行けたとしても地形的に向こうは崖だと思うのですけど…。
「こっちですよ」
とか言いながらズンズン進んでいくスポーティーママ。
戸惑いながらついていくソトノミスト。



「こっちからもいけるんだよー!」
とか言いながら、お墓の隙間をぐるぐる走り回るチビッ子。
めっちゃ慣れてる。



それもそのはず、お寺の向こう側にお住いの方のようでした。
無事お寺を通り抜け、スポーティーママにお礼を言って別れると目の前に階段が現れた。



この階段を降りるとどの辺りにでるのかな。
降りてみよう。




おーっ、そうか! ここに出るのか!
加賀廣(ソトノミストがよく行く居酒屋)のところだ。
子供の頃から近所。だいたいの道は知ってるつもりだったけど、まだまだ未知の道があるのだな。






というわけで、今回は茗荷谷駅からスタートしました。
新しい駅ビルになって、ホームもリニューアルされてピッカピカになった茗荷谷駅。
昔の駅とつながってた「教育ビル」は二階建ての年季の入った建物だったな。中もなんとなく薄暗かった。確か、レコード屋とか文房具屋、本屋なんかが入ってた。
そうだ、昔は春日通りに面したところに切符の券売機がずらっと並んでて、乗客たちは小銭で切符を買うんだけど小銭を落とす人が結構いて、落とすとすぐに側溝があるもんだからそこに落ちると拾えない。だいたい急いでるから小銭をあきらめて行っちゃう。
それを側で見ている三人の悪童。
小銭が落ちたところに駆け寄ってその場所を確認。重たい鉄製の側溝のフタを二人掛かりで持ち上げて、拾い係が拾ったらその小銭を握りしめて駄菓子屋へレッツゴー。
あ、おじさんの昔話ですいません。




駅前で訴えるマスクがいた。
『同調圧力に負けずに外そう!』
ここに掛けとくのもいいけど、自分の頭にかぶって歩くってのはどうでしょう。




旧ロゴの墓標。
おまんじゅうをお供えしたくなった。




仕切弁のゴレンジャー。
秘密戦隊ゴレンジャーではキレンジャーが好きだったな。

大岩 大太(おおいわ だいた) / キレンジャー(初代)
ゴレンジャーのムードメーカー。23歳。一人称は「おいどん」。
力自慢でカレー好きの九州男児。九州地方の方言らしき言い回しを用いる。挿入歌によれば10人兄弟らしい。
性格的には純朴で、女性や子供にも優しいが、敵にそこを突かれて策略に嵌り捕獲されることも多い。
カレーに関しては目がなく、黒十字軍の仮面怪人が用意したカレーでさえも我慢できずに食べてしまう。痺れ薬入りカレーや睡眠薬入りのカレーを食べてしまったぐらいだった。
ウィキペディアより (かなり省略しました)





お出かけは 一声かけて カギかけて




みんな大好き「丼太郎」(どんぶりたろう)。
でも昔は「牛丼太郎」という名前だったんです。ギュータって呼んでました。
「牛」の字を取ってしまったから今はドンタ。
それであの看板の「牛」の字はテープで隠してあるんです。




だから、坊やの「牛」を「丼」に換えてあげたい。
「いや僕は、このままでいいよ。ペロッ。」



早い 安い うまい お持ち帰りもご利用ください



好きだ、丼太郎!
『マイナーだけど憎めない 認定』
がんばれ!




そう言ってる間にも働いてくれている赤モグラ。



「国土強靭化対策工事」
災害が増えてますので、いろいろな強靭化お願いします。




また、橋があります。
渡ってみます。





左に曲がって、



軽専用、バイク専用のパーキングがあって、



また左に曲がって橋を渡る。
あ、赤モグラ。



どこまでも伸びろ。覆いつくせ。天までとどけ。




はるか向こうで休んでいる赤モグラたち。
ちょっと写真が遠くて判りにくいかも知れませんが、あそこは小石川車両基地です。
赤モグラを休ませたり、ボディチェックをしている場所です。
いやあ、ズームが効かないカメラですみません。

さらに進みます。
こんどは下り坂です。







このくねり感がたまらない釈迦坂。



An akamogura(赤モグラ) runs on the Shaka-zaka slope(釈迦坂).
で合ってる?




釈迦坂を下りきったら短いトンネルがある。この上を赤モグラが走っていく。



釈迦坂の短いトンネル(左)を抜けたら、またトンネル(中央)だ。
あのトンネルの先へ進もう。
ところで、釈迦坂って何度も言ってるとマラカスの音を思い出しませんか。




左には上りの藤坂があって、そのふもとに伝明寺(藤寺)がある。
右の建物は東京メトロの建物です。あの向こうに、先ほどは遠くに見えた赤モグラたちの眠る小石川車両基地があります。




庚申塔ですね。
かわいい三猿が見えます。



見ざる 言わざる 聞かざる  なんでござる
村上ショージ




この崖の上に、赤モグラたちが眠る小石川車両基地があるはずだけど見えない。



高すぎて見えない。



この階段を上ったら見えるかな。



おっ、少し見える。赤モグラたち。
休んでいる。




ちょっと進んだところにある庚申坂を上って、



坂上から小石川車両基地を眺める。おおっ、小さく見えるあれは、



黄モグラだ!
なぜ上野検車区の黄モグラ(銀座線)がここに紛れているのだろう。
何か特別なボディチェックでもあったのかな。




上った庚申坂を下って、真っすぐにトンネルをくぐる。



トンネルを抜けると車両基地の入口がある。チラッと赤モグラが見えた。

ここは切支丹坂という。
この坂上には『切支丹屋敷跡』があるのですけど、気になる方はこちらのお話をどうぞ。

ソトノミスト「切支丹屋敷」をゆく。 | 自分をさまよい、世界を彷徨う、コアジャーニーマガジン

 子どもの時分、友達が幽霊を見たと言った。  夜中に、誰もいないはずの空き家に白い人影があって、窓から見えたその人影はじっと動かず、もう一度見たときには消えていたという。  普段おとなしい彼(マサオ)





これをジーと見ていたら、Gが左回りの矢印に見えてきませんか。




先を急ぎます。




ここは巻石通りです。
大昔には神田上水が流れていました。




ここは何十年か前は、「ヘアサロンタカハシ」という床屋さんでした。子ども時代のぼくはここで散髪してもらっていました。
当時のお店の入口に、今は自販機が置かれています。



そして、ぶち抜かれた当時の店内は駐車場になっています。
写真のあの自転車のあたりに待合のソファがあって、本棚に並んでいる漫画なんかを読んで順番を待ちました。
子ども時代は床屋さんに行くのに緊張しました。
まず、何と言ってカットをお願いして良いかが判りません。
「今日は、どのぐらいにする?」
と鏡の向こうの店主に聞かれ、母から教わった「坊ちゃん刈りでお願いします」と言うのが(果たして正解だったのかどうか)恥ずかしくて恥ずかしくて、
「前回と同じで……」
と、ボソッと言った後は、ひたすら無言で動かないようにじっとしてた。
手際よく散髪してもらった後は、前かがみ式(後頭部からシャワーで流してもらう)でシャンプーしてもらって、子どもだからヒゲも生えてないのだけど、ヒゲを当たってもらって(気持ちよかった)、終わったらお金を払って、最後に子ども向けのチューインガムを貰って。
店を出てから、なんだかやけに揃った前髪とか良い香りがなんだか恥ずかしくて、自分の手で頭をクシャクシャにしながら家に帰ったなあ。




小日向の交差点。
交番と、全てのメニューが大盛りな萬来飯店がある。
萬来飯店にはちょっと辛い思い出があります。
小学生のころ、弟とふたりでこのお店に入ったときの話です。確か親は用事があって、お昼は弟と何か食べてとお金を置いて出かけていました。
僕と弟は、ラーメンとチャーハンとギョーザが食べたいという事になって、初めて入った萬来飯店でそれらを全て頼んでしまったんです。
大人だって一品で満足できるお店。盛りがいいと有名な萬来飯店で。
店員さんは思っていたはずです、
『この兄弟、たくさん注文したな。後から親がくるのかな?』 と。
いいえ、親は来ません。子供ふたりだけです。それなのにラーメンとチャーハンとギョーザを二人前ずつ注文してしまったんです。大盛りで人気の萬来飯店で。
目の前の大盛料理をふたりで半泣きになって食べている記憶はあるのですが、最後はどうなったのか覚えていません。さっき弟にも電話して聞いてみましたが、やはり最後は覚えていないとのことでした。
あまりにも辛い出来事だったため解離性健忘でも起きたのでしょうか。


昔話が過ぎたのでここから先はサクサク行きます。





徳川慶喜公終焉の地は現在、国際仏教学大学院大学を兼ねています。



となりの金富小の間を上る今井坂(新坂)を進みます。



するとまた橋がありまして。





赤モグラに会えます。



坂を上りきると、ベル・ジュバンスサロン ダリがあります。


そして、書店があります。
なになに、「子どもを本好きにするには…」



「⑤おぼっちゃまくんを選んだらメチャクチャ褒めて全巻買って帰る。」
なるほど!




さっき上ったばかりだけどまた下るぞ。
今日は湿度高めで汗がにじんできた。



いい感じに狭めの道。
狭い道好き。



最後に『みつを』の3文字をくっ付けたくなってしまう。パブロフの犬のようだ。




狭っ!
本日の最狭(さいせま)坂。




狭い坂を下った先に橋。遠い向こうのトッパンホールのビルが大きく見える。



しかし、この橋。



突然のアニマルパラダイスなんだよにゃー。
あ、そうか。この橋の向こうに金富小があるから、この橋の辺りが、幻の「金富駅」だ。
駅新設に反対したという、例の旅館が今もあるのか地図で探してみたけど見当たらなかった。

ところで、ここの旧町名は「小石川金富(かなとみ)町」なのですが、金剛寺の「金」と小石川富坂新町の「富」の文字とった町名なのだそうです。
そうすると「かなとみ」じゃなくて、「こんとみ」が正解だと思いましたが正直どうでもいいですよね。




橋を渡って左に折れて狭めの坂を下ります。



坂の途中に落ちていたアニマルパラダイス。
よく見ると急坂にはよく見られるグリップが効きそうなギザギザ路面だった。




振り返ると実に狭くて急なアニマルパラダイスでした。
狭かった。確かに車じゃ無理ですね。(でも、後日あの急坂を果敢に攻める軽トラを目撃しました。でも登り切った後、ゆっくりバックしてました。)



振り返れば、「この先 行き止まり」
やはり路面に書いてありました。はい今、その行き止まりから出てきました。




また、となりにある坂を上って橋を渡る。



よぉ、赤モグラ。また会ったな。




歩いて歩いて、ここは区立三中前。もうちょっと歩けばゴール。後楽園だ。
忘れかけてた目的地、旧東京砲兵工廠も近いぞ。
ところで、ここ三中の三は「三番目の」という意味じゃなく、「三井」の三なんだって聞いたことがあります。空襲で焼失した旧三井邸を戦後になって学校にしたからなのだそうです。
相当な豪邸だったんだろうなー。三中の校庭は区立中で最大だってんだから。




マスク!
よく落ちてるんだよね。息苦しかったのかな。今日は蒸し暑いから。




右に中央大学の後楽園キャンパスを見ながら春日通りの富坂を下る。
正面には文京区役所の入っている文京シビックセンター。あれ見ると地球連邦軍のホワイトベースを思い出してしまう。




外側を歩くなよ。中央を歩けよ。中央大学の学生・生徒諸君!




じゃあ、オンライン飲み会しようか!


※ここから先は危険な場所になりますので、読み進めるかどうかは自己責任にてお願いいたします。



突然のけもの道。
これでも後楽園駅の近くです。



転んで怪我をしないように進みます。



突如として現れたトンネルは大きな口を開けていました。
そして執拗なバリケードが侵入者を拒んでいます。



最後警告の看板が事の重大さを物語っている。
これ以上進めないから行き止まりだ。モグラに変身できればトンネルの奥に行けるのに。

この辺り一帯は旧陸軍の東京砲兵工廠。銃砲や弾薬なんかを製造していた工場です。このトンネルの中は試射場だったらしいです。
大伯父にあたる人が、ここで銃砲の試射をしていたとか聞いたことがある。その人が撃って的に当たらなかった銃砲は調整、作り直しになったらしい。

▼『東京砲兵工廠』


当時の地図をみると東京砲兵工廠の敷地の広さに驚かされます。
だいたい四角っぽい敷地の一辺がおよそ一駅分。
ものすごく乱暴かつ大雑把に言えば、
(JR水道橋~JR飯田橋の距離)×(都営水道橋~都営春日の距離)=東京砲兵工廠の面積
と、こんな感じだと思います。
この公式に当てはめて計算してみると、東京ドーム13個分ということになりました。
以上、危険な現場からのリポートでした。





赤モグラと、『赤もぐら』です。
こっちは芋焼酎の赤もぐらです。
こいつをロックでいただいて、今日の蒸し暑さを吹っ飛ばそう。

芋を見たとき、もぐらを思い出した。
そして、これが『もぐら』という名の由来となった。

と、さつま無双株式会社のホームページに書いてありました。カッコいいネーミングですよね。

もぐら | 鹿児島本格焼酎さつま無双株式会社

 本格芋焼酎「もぐら」は、手間暇をかけてこだわりの製法により生産しているさつま無双株式会社を代表する焼酎のひとつです。






赤モグラを見ながら赤もぐらをロックで流す。
スッキリとした印象。そうか、これが芋焼酎の古酒なのか。
さつま芋の甘さ、シャープなキレと芳しさが鼻孔を突く。味わい深い芋焼酎だ。




「落し物のない、きれいな散歩をありがとうございます」
いやいや、マスクの落し物は結構ありましたよ。

それでは、またいつか。
行きましょう。
行き止まりから始まる、行き止まり散歩。







このサイトの最新記事を読もう

twitterでフォローFacebookでフォロー
  • hatebu
  • feedly
  • rss

ソトノミスト

特技:素早く紙を数える
好きな乗り物:フォークリフト

関連する散歩

フォローすると最新の散歩を見逃しません。

facebook      twitter      instagram      feedly

TOPへ戻る