品川シーサイド・りんかい線と東京の果て / 東京はじめて住んだ街

  • 更新日: 2017/11/16

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ここは臨海地区、東京の果て。

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僕のなかで、東京といえば品川シーサイドであったことがあります。

上京して初めて入った会社、初めて配属された部署が万年炎上していたので、新人にして夏休みのない生活を送っていたのですが、その会社の最寄り駅が、品川シーサイドでした。
会社の寮は郊外、寝るためだけに帰る場所だったので、僕の散策は昼と夕方、専ら仕事の休憩時間でした。そんなわけで、臨海地区のビル群をうろうろして、初めての東京を吸収しようとしていたのでした。



品川シーサイド駅の周辺は正式名称を「品川シーサイドフォレスト」といって、オフィスとショッピングモールの複合施設を謳っているエリアです。ただ、でかいオフィスビルが数本建っていることもあり、実際に歩いているのはほぼ会社員。モールのフードコートは社食みたいなことになっていました。上司がよくオムライスを食べていて、あ、男性が一人でオムライス食べていいんだな、って学んだのはここでした。




もともとここはJTの工場があった場所で、今も昔も京浜運河に隣接しています。でも、ここで働いている人で運河の存在を知らない人は結構居るのでは。無機質でひょろ長いビル群に気をとられるのか、運河の気配が一切消えているのです。マジックのテクニックにこういうやつがあった気がします。

品川シーサイドの1日の乗降者人数は2015年実績で39,058人。その殆どは会社員のため、就業時間中は無人の場所をいくつも見つけることができます。



この無機質なトーキョーの解釈には困りました。
田舎者が東京の日常を見て「お祭りなの?」と言うベタなネタがありますが、まあ僕も一回くらいは「お祭りなの?」って言ってみたいなと思っていたら、そこには無が広がっていて、あれ? 遂に終わったのかな、お祭り。



りんかい線はなんとも未来の香りがします。海や運河の下を通るので、改札が深い場所にあります。昭和のゴミゴミした駅へのアンチテーゼなのでしょうか、開放的な吹き抜けが多用されています。そのため、何も無い空間に細長いエスカレーターがどこまでも伸びる、CGのような風景が多いのだと思います。
品川シーサイド、という名前も未来ですが、隣駅は意味不明の領域に突入していました。



天王洲アイル。
17歳、能力者。右手と左手で指した空間を入れ替えることができる。
天王洲財閥の一人娘で何不自由ない生活を送っていたが、ふとしたきっかけで首都転覆計画の黒幕が父と知り、さらに自分の能力が計画遂行に欠かせないことに気づく。

何の話でしたっけ。東京だ。
東京に来て1ヶ月、仕事以外で初めて降りた駅がここ。夕方の休憩時間に来ました。



誰も居ない道を煌々と照らす明かり、人の気配は無く。
もしかしてここはバーチャル空間なのではないか。僕がここに来た2003年といえば、セカンドライフという3Dのメタヴァースがサービスをスタートした年でした。2007年に一瞬沸騰して社会現象になったことを除けば、誰も居ない空間に電気を点し続けています。
このあたりは、それに似ている。みんな東京に飽きてログインしなくなったのかな。
そのうち「死」という言葉が連想され、わりと納得しました。誰も居ないけれど、システムだけ動いている世界というのは、死の世界に似ている。世界の維持費を全く考慮していない点において。
臨海エリアは死の香りがする。



運河の上を大きく弧を描いて走るモノレールは人魂のようで、死者を運ぶシステムは淡々と仕事をこなす。



ここから先、埠頭のほうには入国管理局、清掃工場、火力発電所などがあって、人間が生活するところは殆ど無く、そういう意味では、死の世界というのはあながち間違っていないかもしれません。




天王洲というのは名前のとおり、もともと「州」であったところを埋め立てたものです。



1751年(宝暦元年)に、ここで船人が牛頭天王の面を引き上げ、それが名前の由来になっているそうです。この面は今も荏原神社の天王祭の御神輿に付けられるとか。
牛頭天王は須佐之男命と同一視されることが多いですが、もとがよく分かっていないそうです。一説には須佐之男命と同じく、行疫神としての側面を持ちます。





今の天王洲は、薄明るい夜がずっと続いていて、だれかの夢みたい。






国際展示場のアレは大きな鳥居に見えることがあります。鎮魂か、セーブポイントか。どちらでもいい気がします。



ここは臨海エリア、東京の果て。生きてるとか死んでるとかバーチャルとか、なんかそんなのが混ざった場所です。



大勢が駅のほうへ移動するプログラムが稼働しています。
こんばんは、僕はそれを写真に収めるプログラムです。
奇しくもこの写真撮りに行った日、国際展示場ではVRフェアをやっていました。バーチャルの入れ子構造です。

2003年、オックスフォード大学のニック・ボストロム教授は論文「Are you living in a computer simulation?」で、我々が過去をシミュレーションできる技術レベルに達したのなら、別の知的文明もそれに達する可能性があり、我々自身もシミュレーションである可能性が高いと述べました。とても、納得感があります。



シミュレーション内部の人間は、この世界がシミュレーションであることを絶対に証明できないのですが、臨海エリアはなんか作り込みが甘い気がして、もしかしたらうっかり証明できるんじゃないか。
例えば、遠くのビルがめちゃくちゃ嘘っぽくて笑えます。さっき振り返ったときと形違った気がするし。あと、石ころやゴミ一つ落ちていないのでおかしい。ちゃんとやれ。ディテールにこだわれ。



もしかして、臨海エリアは新人が作ったのかしら。そう考えると腑に落ちることがあります。
あちらこちらに壁があって、この向こう側はきっとバグった世界なのでしょう。
同じ自転車が無限増殖しているし、バグが漏れ出している可能性がある。このあたりははやく改修してほしい。




品川シーサイドの反対側は大井町。この間に、海抜マイナス43.76メートルの場所があり、海抜においては東京の地下鉄で最深なんだそうです。
りんかい線は根の国を抜け、光を目指します。



ちゃんとした世界との結合点は大井町だと思いました。





品川の下町、大井町では、人が思い思いのものを食べている。食べるってのはとても生きている感じがして良いですね。






牛八のスタミナカレー。このちょっと薄いけれど煮込み肉の旨みでしっかりと足場を補強されたカレーは、「こちら側」の食べ物であることに疑いようがなく、穢を払うにはちょうどいいものでした。世界がバーチャルだとしても牛八のスタミナカレーは本当。




今では東京にいろいろなエリアがあることは把握しているけれど、東京初心者の僕は、もしかしてこの国ってだんだん死ぬのかな、など思っていました。

当時のりんかい副都心は、今思えば最悪の時期だったのかもしれません。フジテレビが移転して新社屋が名物になったものの、バブル崩壊のあおりで空き地がたくさんありました。お台場初のショッピング施設であるデックス東京ビーチでは、伊勢丹の出店が白紙になり、セガのジョイポリスが後付けで核テナントになったのは有名な話です。あの界隈の初見殺しの迷路感も、グランドデザインが失敗していると考えれば合点がいきます。

2017年現在、お台場含めた臨海エリアは観光スポットとして大復活を遂げていて、訪日観光客で溢れているんだそう。完全に生きた街です。
でも黄昏時に訪れると、踏切の音、高校生のおしゃべり、伸び切った焼き芋屋の声となどが無い世界は中音をごっそり削ったデジタル音楽のようで、まあ、それはそれで感触が面白くて、たまに来たくなります。





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ヤスノリ

街の歪み研究家。1年に100駅以上降りる。駅を制覇する系のアプリは本気出せば結構なとこまでいくと思うのだけど、毎回起動を忘れる。

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