両国 / 葛飾北斎が愛した街は、きっといい街。

  • 投稿日: 2016/12/20

両国 / 葛飾北斎が愛した街は、きっといい街。のアイキャッチ画像

総武線高架沿いの素晴らしい路上園芸。

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どうもこんにちは。山川です。今日は両国に来ています。


両国ってことは、今日は相撲関係ですか?


いま両国といえば葛飾北斎じゃろがーい!


突然怒られた。相撲でも間違ってないだろ。


いやいや、いま両国といえば北斎ですよ。2016年11月22日に「すみだ北斎美術館」がここ両国にオープンしたんです。富嶽三十六景や北斎漫画で世界的にも有名な浮世絵師、葛飾北斎はここ両国に住んでたんですよ。


それは知ってる。


じゃあこれは知ってますか。葛飾北斎は生涯で93回の引っ越しをしている


それは知らなかった。


葛飾北斎は引っ越し業界でもレジェンド的存在なんですよ。1日3回の転居をしたという記録も持っています。片付けが面倒くさいから引っ越しを繰り返したとか、借金取りから逃げていたとか、いろんな動機があったらしいっす。


ただのダメな人なのでは……。


でもね、その、引っ越しお化けであるところの北斎が住んだ場所は、殆ど墨田区の両国付近だったらしいんですよ。


そうなんだ。両国が好きだったのかな。


そう思うでしょう。僕もそう思います。そこで今日は、北斎が愛した両国はこんなに素晴らしいってのを実感して頂く企画です。両国の街並みを眺めながら、北斎の住居跡へ行きましょう。


よし、行こう。93個、行きましょう!!


えっ? あ、えっと、93個も行かない。北斎が住んでいたとされる場所は2箇所分かっていて、そこ行くだけだから。93個も行かない。


えっ? 2個だけ? 残りの91個は?


どこにあるか定かではないし、仮に全部分かってても、93個も行かない。そんな時間も無いし。






駅前に両国の地図があります。



さすが相撲の街。相撲部屋がしっかり地図に書いてあるのすごい。


これだけあると間違えないか心配。うっかりほかの部屋で稽古してたとかいう事故ないのかな。






さすが相撲の街。横綱一丁目もある。


横綱ってあれ……? よく見ると横網(よこあみ)ですね。Yokoamiってローマ字表記されてる。


わあ本当だ。相撲脳になってた。










ちゃんこの看板がぐいぐい来る。


本物の土俵があるアピールって何なの?


やっぱり通は「おっ、本物の土俵があるのか、行こう」ってなるんですかね。


海鮮料理屋で言うところの「生簀あります」みたいなもんかな。





店横のパネルに思わず顔をハメてしまった。けっこう枠がデカい。力士基準でしょうか。




力士基準といえば、大きい服の専門店とかちらほらある。入り口付近にあるネルシャツもデカい。さすが力士の街。




すぐ隣にある靴屋さんも角界専門の靴屋……



というわけでもなく。普通に女性の靴も店頭に並んでいました。


北斎の匂いのする街



ちょっと両国駅付近をうろうろするだけで、北斎をいくつも見つけることができました。



ここは大江戸線両国駅近くを走る北斎通り。
江戸東京博物館前から錦糸橋まで続いています。
この道路は、江戸時代にできた「本所南割下水」という排水路を暗渠化して作られました。
ちなみに、「割下水」というのは、道路の真ん中を割ってつくられた下水路のことです。江戸時代は、排水路が良く整備されていたんですよね。




電信柱が見当たらないんですけれども、地下に埋まっているようです。




銀行の入り口上に富嶽三十六景。
教科書とかいろんなところで見かけるこの絵は、神奈川沖浪裏から眺めた富士山です。


国道463号線には、比較的新し目で背の高いマンション・ビルが立ち並んでいます。





このあたりはにぎやかで住んだら楽しそう。




江戸東京博物館があります。
江戸時代から高度経済成長期の東京の人々の暮らしが分かる常設展もありつつ、特集展もある。
現在の特集は、葛飾北斎と戦国時代の2本立てでした。ここでも北斎、流行ってるな〜。

しかし、この建物、いまにも動きだしそうな雰囲気ですね。



古地図をみると、江戸東京博物館が立っているここは、陸軍倉庫だったみたいです。
軍の息のかかった土地に、動き出しそうな建築物。可能性はゼロではない気がする。




日大一中・一高と江戸東京博物館の間の並木道が季節ごとに姿を変えそうでいいっすね。
道幅狭いけどキムタクのHEROのエンディングシーンを思い出してしまいます。


北斎の住宅跡を探す



ビルとビルの間の細い道を通って北斎住宅跡地に向かうんですが、ハゲしいビル風が襲い掛かってきました。
後退した生え際が丸見えです。
国道から一本入っただけなのですが、とてもひんやりしています。




あ、多分ここだ。神社が跡地になってるそうなんですけど、一本間違えて裏側に来てしまった。


このドア開けば入れるのになあ。神社にドアから入るってのも新鮮だけど。





神聖なドアに落書きするとはけしからん。


毎週末ドアに手を挟まれる罰がくだれ。






素早く回り込み、榛稲荷神社(はんのきいなりじんじゃ)に到着。
江戸時代、ここら辺に榛馬場という馬術練習場があり、土手の方には榛の木が植えてあったそうな。ここが北斎の暮らしていた跡地……




でもよく読むと、住んでいたのではなく、すぐ近くに住んでいたみたい。


曖昧だなあ。そんなんで看板立てていいの?






北斎と、その娘の阿栄が描かれていました。阿栄も才ある画家で有名です。
あれ、北斎と阿栄がここに居て、じゃあこれは誰が描いた絵なんだ? と思ったら、「露木為一の北斎仮宅写生」とのこと。
露木為一は北斎の門下生らしい。


北斎の生誕の地へ

じゃ、次の住居跡へ行きましょうか。次はねえ、なんと「葛飾北斎生誕地」とされているんですよ。亀沢1-7にあるんだって。


住所まで分かってるから探しやすそう! と思ったら、亀沢1-7ってわりと広いな。この区画のどこかってことか。





あ、あそこに看板ありますよ。あそこじゃないですか。





これは怪談話の「おいてけ堀」だ。


釣った魚を持って帰ろうとしたら井戸の中から「おいてけ〜おいてけ〜」って声が……っていう話ですよね。うちの父の鉄板ネタですよ。あれほんとにあったのか。父親の創作だと思っていた。





看板のお隣に居るこの方が「おいてけ〜」って言ってた方ですかね。


どう見えも違うだろ。この人は日大一中・一高の偉い先生だそうですよ。





亀沢1-7周辺を回ってみても全然見当たりませんね、看板。


いま検索したらフォートラベルの写真が引っかかったんですけど、「葛飾北斎生誕地」の看板の背景に「東あられ」ってありますよ。東あられを探したらよさそう。もはや亀沢1-7ではないのが気になるけど。







お、あった! と見せかけて営業時間のご案内。


ここにもない。






あられ屋の向かい、例のオープンしたばかりの「すみだ北斎美術館」なんですね。


なにか手がかりがあるかも。





お、美術館の庭になんかいっぱい看板立ってるじゃないですか。「葛飾北斎生誕地」来ましたか。


遂にか〜。わりと探したぞ。





葛飾北斎生誕地とみせかけて、鉄製の大砲を鋳造するための反射炉を作り、お台場の原形を作り、日本で初めてパンを焼いた江川太郎左衛門の屋敷跡。


屋敷跡だけあってる。葛飾北斎にしてくれ。




津軽家上屋敷跡。


だから葛飾北斎にして。





南割下水。


屋敷跡ですら無くなった。




そして遂に。




うおー! 葛飾北斎生誕地。ありましたよ!


でもさー、さっきフォートラベルにアップされてた写真は「東あられ」の前だったじゃん。なんで生誕の地変わっちゃってるの?


看板見ると生まれた付近らしいので、多少看板を動かしてもいいってことですかね。美術館に寄せたほうがいいよねって。


ええっ。そんなんでいいんだ。





北斎は「あと10年、いや5年でよいから生きさせてくれ、そうすれば真の画工になれる」って言って息を引き取ったんですね。


時々、熱血ドラマで「毎日アツく生きてるか!? 明日死んでも満足なのか!」みたいなくだりをよく見かけますけれども……。でも、毎日ストイックに絵を描き続けた北斎ですら、こういう言葉を残したってんだから、明日死んで満足って人はいないのかもしれないですね。






北斎美術館の庭は広い芝生になっています。遠くにスカイツリーが見えます。




ゴールだって。北斎謎解きゲームの。


ゴールから見つけちゃった。気まずいなあ。これみんな必死で探してるんでしょ?


下の方のバーコード読み取るとなんかプレゼントくれるみたい。いきなりゴール見つけちゃった人にもプレゼントくれるんだろうか。





まあそうだろうなー。





この岩の裂け目に入っていく感じのところが、2016年に出来たばかりの北斎美術館。約120点の名品が展示されているそう。
その中でも注目なのが「隅田川両岸景色図巻」。海外に流出して今日まで100年余まったく行方が分からなかったものを、2015年に墨田区が取得。7メートルもある幻の絵巻が初公開されていますよ。



なんかの記念上映をしている。



北斎関連の蔵書が豊富な図書館もあります。

両国は、文化の匂いがすごい。で、その文化をさあ、肩肘張らずに料理してるのすごいなと思う。この美術館もさあ、わりとスッと入れる感じでしょ。


まさにそうで、さっき調べたんですけど、この建物、裏が無いデザインなんですよ。どこからもふらっと入れる。


えっ、じゃあ、両国の不良に「北斎美術館裏に来い!」って言われたらどうするの?


無いから、行かなくていいんじゃないですかね。




とまあ、北斎の偉業が今でも光る街、両国でした。
両国は、歩いていると、江戸がちらちら見切れるんですよね。その中に北斎も生きていて、精力的に作品を生み出していた、とか考えるとちょっとわくわくします。賑やかで、文化に寛容な両国は、創作に没頭するのにいい街だったのかもしれないですね。


………
……


そろそろ帰ります?


あれ、この匂い。





うなぎいいですね。ちょうどお昼も食べてないですし。





香ばしい……。行くしかない。









































さすが両国の牛丼旨いなー。


チェーン店。




(おしまい)



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山川悠

誰もいないバッティングセンターで数百円分の素振りを楽しむのが好きです。
いや、本当は好きじゃない。みんなが見てる前でカキンカキンしたい。高校時代は帰宅部。

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