渋谷の街に余白はあるか?獅子舞が通れる場所をMAP化
- 更新日: 2022/03/03
渋谷に余白はあるのか
渋谷に門付け型の獅子舞が生息したら、それはどのようなルートを通るのか?について考えてみたい。現在、渋谷区で地域の家一軒一軒を回るいわゆる「門付け型」の獅子舞がいるという話は聞いたことがない。僕は見たことがないが、獅子舞禁止の看板すら立っている場所もあるという。それでもあえて、渋谷で獅子舞が通れる場所を模索してみたいのだ。
以下の写真は石川県で見た門付け型の獅子舞である。この獅子舞が舞える場所は、街の余白がある場所だ。つまり、人間よりも大きい獅子舞という生き物が舞える空間がなくてはならない。それに加えて、地域住民が獅子舞を許容する心を持つことも必要だ。
1体の獅子舞に最低必要な祭り道具は獅子頭、蚊帳(胴体)、太鼓で、これらを職人に発注して作ってもらい200万円かかったとしよう。そうなると、160体の獅子舞を揃えるのに、3億2000万円を投入する必要がある。これを16016人で割るならば、一人当たり2万円の支出が必要である。獅子舞が舞うとなれば、ご祝儀も出さねばならないので、少なくとも初年度に渋谷区の特定地域の全住民から約3万円も獅子舞に対して投資してもらわねばならない。しかし、もし大企業の社長が打ち出の小槌のようにポン!と3億円出してくれるならば、それはそれで話は変わってくる。
さらに、獅子舞を1体演じるのに交代要員を含めた10人の担い手が必要であるとすると、160体の獅子舞を揃えるのに、1600人の担い手が必要になる。そうなると、地域住民の10%が獅子舞の担い手にならなくてはならない。これは中々現実的に難しいと言わざるを得ない。東京という過密な都市空間において、まず考える必要があるのは人口密度と獅子舞供給との釣り合いについてである。やはり、全ての地域住民の同意を得ることは難しい。渋谷区において門付けの獅子舞をするならば、どうしても舞える空間や場所を選ぶ必要が出てくるのだ。そこで次節では、渋谷区のいくつかの場所に絞って獅子舞の生息可能性を考察する。
渋谷駅の周辺は人が多く建物が密集しており、かなり建物の高さも高いので、そのような場所で獅子舞は生息が難しい。渋谷駅の南側である恵比寿方面は基本的に坂が多い立地で、渋谷駅から離れるためストリートカルチャーが入り込む感覚がなく話題性も乏しくなる。さらに、渋谷駅の東側である宮益坂方面は坂が多い上にオフィス街が立ち並び、地域住民による一体感は少ない。また西に寄ってしまうと、松濤は閑静で高級な一軒家が広がっており、地域活動が盛んな土地であるかと言われると疑問であり、松濤まではなかなか舞いに行くのは難しいようにも思える。それで、代々木公園や渋谷駅に挟まれて人が集まるようなエネルギーや話題性が感じられる場所でありながら、程よく一軒家もあり、区役所という地域住民の中枢も存在する宇田川町、神南、神山町あたりが一番獅子舞にとって生息しやすい環境であると考える。
それでは、どのような思考を経て、この場所をマッピングするに至ったのか。現地を訪れた感触を写真とともに細かく見ていきたい。
渋谷駅から半径1km圏で神社を4箇所訪れた中で、最も獅子舞を舞える拠点になりうると感じた。拝殿がかなりモダンで敷地も広く綺麗に整備されている。他の3つの神社は、拝殿前の空間が狭かったり、砂利の中に入らないでくださいなどと書かれていたり、神社内の空間にかなり制約が大きく、「禁止看板」が圧倒的に多かった。それに比べてこの神社はそのような制約がほぼなかったのが決め手である。
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他の神社で見かけた禁止看板について、ここにいくつか載せておきたい。
例えば、ここには「玉砂利の中に入るべからず」と書かれている。 基本的に狭い参道の範囲内に獅子舞を収めるのは難しいと言わざるを得ない。
こちらの看板には「倉庫前駐車禁止」と書いてある。倉庫前は拝殿前でもあり、おそらく交通の妨げをしないでほしいという意図であろう。そのため、獅子舞がもし仮にでもゆったりと舞っていたとしたら、注意されてしまう可能性もあるのだ。
やはり圧倒的に個人が多いと言う印象はある。しかし、とある神社でドン・キホーテの奉納旗を見かけた。大企業やチェーン店でも、地域の信仰に対して貢献していこうという可能性が見られてよかった。同時に、ドン・キホーテは地域貢献をしている企業と考えることができるため、獅子舞の舞場としては可能性があるといえる。
他にも色々な奉納旗があった。日本街路灯製造という会社さんは、品川区にあるらしい。シブヤテレビジョンさんは渋谷と代々木公園の狭間エリアであり、舞場に入るかもしれない。
東北地方では、東日本大震災の際に獅子舞の練習場所である、伝承館や公民館などを避難場所として提供する動きが多数見られたので、獅子舞が生息する場所というのは、地域の人を受け入れる許容度が高いと言うこともできるだろう。
今回は避難場所のMAPを参考に、獅子舞の拠点を北谷稲荷神社とした時にアクセスしやすい場所として、国立代々木競技場、渋谷公会堂、日本アムウェイ、住友不動産渋谷タワー、渋谷東武ホテル、渋谷パルコ・ヒューリックビルの6箇所を挙げておきたい。ここでは、教会などの宗教性の高い場所は除いて選ぶこととする。この6箇所では、獅子舞を舞える可能性が高い。
渋谷パルコに関しては、2019年にリニューアルオープンした時に、「ノンエイジ」「ジェンダーレス」「コスモポリタン」などのコンセプトを掲げた。若者の街と考えられることも多い渋谷において、特定のターゲットを持たない商業施設を目指しているのだ。これは獅子舞の精神性とも繋がるものがある。つまり、獅子舞をすることは地域の大人から子供まで普段生活の中で交わりにくい多世代を繋ぎ、お互いを理解する場を創出するような機能があるのだ。この獅子舞を温かい心で迎え入れてくれるような存在が渋谷パルコなのかもしれない。
ただし、この場所を獅子舞の舞い場として提供してくれるのかは別問題。地域に開かれたオープンな庭というよりかは、広々とした家が欲しいという私的な欲求を強く感じる家が多い。つまり、舞場の選択には人の気質を考える必要があるわけだ。空間的可能性と人の気質から見た可能性を総合的に考えた結果、松濤のエリアは獅子舞の舞場に入れていない。
こちらはニュージーランド大使館である。
こちらはモンゴル大使館だ。
こちらはニュージーランド初のコーヒーショップであるCoffee Supreme Tokyoだ。「日本の文化は素晴らしい!」と理解を示してくれるのは、内の人ではなく、外から来た人である場合が多いと思う。
例えば、この「魚力」というお店は昔から営業されていそうな風格のお店だ。
基本的には、道幅が広い歩道があると嬉しい。宮益坂付近の歩道は人間2人でも余裕で通れる。
宇田川遊歩道と言って歩行者天国になっている場所も見つけた。
信号待ちのところに作られる巨大な空間は心休まる。
人間や自転車の動きをルール化しようとすると、逆に獅子舞のような巨大な生き物は通れなくなる。道はあくまでも、平均的な人間の大きさを想定して作られているのだ。
謎に置かれたカラーコーンは道幅を狭くしておりもったいない。
歩道まではみ出している自転車屋のチャリも見かけた。店の中に自転車が置ききれなくなって、自らの土地領域を外まで拡大していこうという試みかもしれない。これも獅子舞にとって通りにくい空間を作り出していてもったいない。
かといって駐輪をなくすためにコーンでくくると、そこは人間も獅子舞もアクセスできない真の意味での無駄な土地となってしまう。ここが難しい問題だと思う。
とにかくあらゆる空間が広い。
道幅が広すぎて、物置き場と化している。路上生活者の家々も並ぶ。これらの人々にとっても都市空間の余白は大事な居住スペースになるのだ。一方で、掃除用具もたくさん並べられている。路上生活者の空き家があればそれを撤去するのかもしれない。あるいは、路上生活者たちが皆で使う共有資産の可能性もある。
たまに放置物禁止などの禁止看板がありひやっとする。
適当に遊具が放置されていても、それがどこか自然に思えてくる空間。素晴らしい。
よくわからないスタートとゴール。歩いている人側から読もうとすれば、ゴールが先に来て、スタートへと向かう。
こちらがスタートだ。意味がよくわからないという感情とともに空間的な余白の存在を感じた。
競技場とかその前にある巨大な玄関とかで獅子舞を披露したい。かつて獅子舞は地域アイドルのような存在だった。こういう場所でライブ感覚で獅子舞をやるのも楽しそうだ。
こういうステージでも良いな。渋谷の獅子舞の祭りのクライマックスにふさわしい。
獅子舞の休憩場所もあった。
休憩場所という意味では、歩いている途中にお店の前にベンチがあるのも見かけた。このお店の前のベンチこそ、田舎と都会で解釈が違うモノである。都会ではお店を利用する人のために作られている場合が多いが、田舎では誰でも気軽に座って休んでいいよという場合が多い気がする。というか、そういうメッセージを放っているような気がするのだ。獅子舞は座っても良いですか?と訪ねたくなる場所でもある。
さて、代々木公園を最後に、渋谷の獅子舞ルート設計は完了。帰り道に、大規模な工事が行われているのを見かけた。建物がどんどん高くなっていく。渋谷という町はこれからどう変わっていくのだろうかと妄想を膨らませた。
①から始まり⑦まで舞いきり、その後、代々木公園などで昼食を食べる。やはり、担い手同士が食事を共にするというのは、地域交流という獅子舞の良さをさらに引き出すことにも繋がる。
午後は⑧から開始。最後のクライマックスは代々木の体育館付近で舞い話題をかっさらってから、最後に①の神社の奉納で締めくくるという流れである。
これが実際に実現できるかは別として、今回私が散歩をした上で導き出した獅子舞のルートはこの回り方がベストだと考えた。違う道を歩けば、このルートはまた無限に書き換えられ、さらにより良いMAPになっていくだろう。
獅子舞という生き物はもはや自分と土地との出会いの中に生まれる生き物であり、固定化されず常に変化し続ける存在なのだ。
以下の写真は石川県で見た門付け型の獅子舞である。この獅子舞が舞える場所は、街の余白がある場所だ。つまり、人間よりも大きい獅子舞という生き物が舞える空間がなくてはならない。それに加えて、地域住民が獅子舞を許容する心を持つことも必要だ。
渋谷における街の余白を考える
渋谷区の人口密度は2022年1月現在、16016人/1㎢である。渋谷駅周辺のたった1㎢の範囲内において、1日で家を一軒一軒回る門付けの獅子舞がいるとするならば、回れる限界値が100軒とすると、なんと160体の獅子舞が必要になる。1体の獅子舞に最低必要な祭り道具は獅子頭、蚊帳(胴体)、太鼓で、これらを職人に発注して作ってもらい200万円かかったとしよう。そうなると、160体の獅子舞を揃えるのに、3億2000万円を投入する必要がある。これを16016人で割るならば、一人当たり2万円の支出が必要である。獅子舞が舞うとなれば、ご祝儀も出さねばならないので、少なくとも初年度に渋谷区の特定地域の全住民から約3万円も獅子舞に対して投資してもらわねばならない。しかし、もし大企業の社長が打ち出の小槌のようにポン!と3億円出してくれるならば、それはそれで話は変わってくる。
さらに、獅子舞を1体演じるのに交代要員を含めた10人の担い手が必要であるとすると、160体の獅子舞を揃えるのに、1600人の担い手が必要になる。そうなると、地域住民の10%が獅子舞の担い手にならなくてはならない。これは中々現実的に難しいと言わざるを得ない。東京という過密な都市空間において、まず考える必要があるのは人口密度と獅子舞供給との釣り合いについてである。やはり、全ての地域住民の同意を得ることは難しい。渋谷区において門付けの獅子舞をするならば、どうしても舞える空間や場所を選ぶ必要が出てくるのだ。そこで次節では、渋谷区のいくつかの場所に絞って獅子舞の生息可能性を考察する。
獅子舞生息域を選定する
渋谷区で獅子舞が存在できる可能性がある場所を選び、マップを作成してみた。獅子舞がもし渋谷に生息するならば、代々木公園と渋谷駅に挟まれている宇田川町、神南、神山町あたりの立地が最も適しているだろう。偶然かもしれないが、まさに神が棲む可能性のある土地という趣旨にふさわしい町名である。渋谷駅の周辺は人が多く建物が密集しており、かなり建物の高さも高いので、そのような場所で獅子舞は生息が難しい。渋谷駅の南側である恵比寿方面は基本的に坂が多い立地で、渋谷駅から離れるためストリートカルチャーが入り込む感覚がなく話題性も乏しくなる。さらに、渋谷駅の東側である宮益坂方面は坂が多い上にオフィス街が立ち並び、地域住民による一体感は少ない。また西に寄ってしまうと、松濤は閑静で高級な一軒家が広がっており、地域活動が盛んな土地であるかと言われると疑問であり、松濤まではなかなか舞いに行くのは難しいようにも思える。それで、代々木公園や渋谷駅に挟まれて人が集まるようなエネルギーや話題性が感じられる場所でありながら、程よく一軒家もあり、区役所という地域住民の中枢も存在する宇田川町、神南、神山町あたりが一番獅子舞にとって生息しやすい環境であると考える。
獅子舞が実際に舞う場所はどこか?
それでは、実際に獅子舞が舞う場所はどこになるのだろうか?宇田川町、神南、神山町あたりの立地において、獅子舞の舞場を検討していった結果、以下の舞う順番を数字でプロットした地点が最も獅子舞にとって居心地が良い場所のように思えてきた。山手線がこのエリアの背骨だとすれば、代々木公園や体育館があるエリアは肺にあたる。つまり空気を吸って吐いてそれを目まぐるしく循環させていくような余地を残している場所なのだ。それでは、どのような思考を経て、この場所をマッピングするに至ったのか。現地を訪れた感触を写真とともに細かく見ていきたい。
神社から獅子舞は始まる
獅子舞は神社から始まり神社に終わるというのが一般的な経路である。神社への奉納をした後に、地域の家々を一軒ずつ回り門付けをしていくという流れだ。 今回僕が選んだ神社は、この「北谷稲荷神社」という場所。渋谷駅から半径1km圏で神社を4箇所訪れた中で、最も獅子舞を舞える拠点になりうると感じた。拝殿がかなりモダンで敷地も広く綺麗に整備されている。他の3つの神社は、拝殿前の空間が狭かったり、砂利の中に入らないでくださいなどと書かれていたり、神社内の空間にかなり制約が大きく、「禁止看板」が圧倒的に多かった。それに比べてこの神社はそのような制約がほぼなかったのが決め手である。
他の神社で見かけた禁止看板について、ここにいくつか載せておきたい。
例えば、ここには「玉砂利の中に入るべからず」と書かれている。 基本的に狭い参道の範囲内に獅子舞を収めるのは難しいと言わざるを得ない。
こちらの看板には「倉庫前駐車禁止」と書いてある。倉庫前は拝殿前でもあり、おそらく交通の妨げをしないでほしいという意図であろう。そのため、獅子舞がもし仮にでもゆったりと舞っていたとしたら、注意されてしまう可能性もあるのだ。
奉納旗に地域貢献度を感じる
また獅子舞を始める場所選びのためにいくつか神社を回っていて、誰が奉納旗を奉納したのかということにも注目してみた。やはり圧倒的に個人が多いと言う印象はある。しかし、とある神社でドン・キホーテの奉納旗を見かけた。大企業やチェーン店でも、地域の信仰に対して貢献していこうという可能性が見られてよかった。同時に、ドン・キホーテは地域貢献をしている企業と考えることができるため、獅子舞の舞場としては可能性があるといえる。
他にも色々な奉納旗があった。日本街路灯製造という会社さんは、品川区にあるらしい。シブヤテレビジョンさんは渋谷と代々木公園の狭間エリアであり、舞場に入るかもしれない。
避難所から見る舞い場
また、中学校の校門に貼り付けられた防災の避難場所に関するMAPから獅子舞の舞場を推定することだってできる。こちらは松濤中学校の校門に貼り付けられていた災害時の避難場所のマップ。渋谷駅周辺の1キロ圏で、災害時に地域住民を受け入れられる場所がこれほどあるとは驚いた。東北地方では、東日本大震災の際に獅子舞の練習場所である、伝承館や公民館などを避難場所として提供する動きが多数見られたので、獅子舞が生息する場所というのは、地域の人を受け入れる許容度が高いと言うこともできるだろう。
今回は避難場所のMAPを参考に、獅子舞の拠点を北谷稲荷神社とした時にアクセスしやすい場所として、国立代々木競技場、渋谷公会堂、日本アムウェイ、住友不動産渋谷タワー、渋谷東武ホテル、渋谷パルコ・ヒューリックビルの6箇所を挙げておきたい。ここでは、教会などの宗教性の高い場所は除いて選ぶこととする。この6箇所では、獅子舞を舞える可能性が高い。
渋谷パルコに関しては、2019年にリニューアルオープンした時に、「ノンエイジ」「ジェンダーレス」「コスモポリタン」などのコンセプトを掲げた。若者の街と考えられることも多い渋谷において、特定のターゲットを持たない商業施設を目指しているのだ。これは獅子舞の精神性とも繋がるものがある。つまり、獅子舞をすることは地域の大人から子供まで普段生活の中で交わりにくい多世代を繋ぎ、お互いを理解する場を創出するような機能があるのだ。この獅子舞を温かい心で迎え入れてくれるような存在が渋谷パルコなのかもしれない。
家空間の舞い場
獅子舞の舞場について考える上で、玄関前の広々とした空間に注目するという方法もある。特に松濤周辺は一軒家が多く、家の敷地が広い印象だ。ただし、この場所を獅子舞の舞い場として提供してくれるのかは別問題。地域に開かれたオープンな庭というよりかは、広々とした家が欲しいという私的な欲求を強く感じる家が多い。つまり、舞場の選択には人の気質を考える必要があるわけだ。空間的可能性と人の気質から見た可能性を総合的に考えた結果、松濤のエリアは獅子舞の舞場に入れていない。
大使館という受け入れ装置
大使館という存在にも注目していただきたい。大使館は日本人だけでなく、他の国の人を寛容的に受け入れるような性質を持っている。そして少なからず、国の文化に対する関心があり理解がある。だから、大使館関係者は日本の伝統的な文化としての獅子舞に対して、興味を持ってくれる可能性が高いのではないかと思う。こちらはニュージーランド大使館である。
こちらはモンゴル大使館だ。
海外発祥のお店という受け入れ装置
そういう発想でいくならば、海外発祥のお店は比較的、獅子舞に対する関心が高いようにも思えてくる。こちらはニュージーランド初のコーヒーショップであるCoffee Supreme Tokyoだ。「日本の文化は素晴らしい!」と理解を示してくれるのは、内の人ではなく、外から来た人である場合が多いと思う。
日本に古くからあるお店に注目してみる
そういう意味では、下町にありそうな老舗にも注目してみるのも面白い。例えば、この「魚力」というお店は昔から営業されていそうな風格のお店だ。
交通の安全性から見た獅子舞の通り道
基本的に獅子舞は人間より大きいため、人間より大きな生き物が通れるだけの道幅と安全性の確保が必要となる。基本的には、道幅が広い歩道があると嬉しい。宮益坂付近の歩道は人間2人でも余裕で通れる。
宇田川遊歩道と言って歩行者天国になっている場所も見つけた。
信号待ちのところに作られる巨大な空間は心休まる。
人間や自転車の動きをルール化しようとすると、逆に獅子舞のような巨大な生き物は通れなくなる。道はあくまでも、平均的な人間の大きさを想定して作られているのだ。
謎に置かれたカラーコーンは道幅を狭くしておりもったいない。
歩道まではみ出している自転車屋のチャリも見かけた。店の中に自転車が置ききれなくなって、自らの土地領域を外まで拡大していこうという試みかもしれない。これも獅子舞にとって通りにくい空間を作り出していてもったいない。
かといって駐輪をなくすためにコーンでくくると、そこは人間も獅子舞もアクセスできない真の意味での無駄な土地となってしまう。ここが難しい問題だと思う。
代々木公園という最終目的地
最後に巨大な獅子舞という生き物を受け止めてくれるのは代々木公園である。とにかくあらゆる空間が広い。
道幅が広すぎて、物置き場と化している。路上生活者の家々も並ぶ。これらの人々にとっても都市空間の余白は大事な居住スペースになるのだ。一方で、掃除用具もたくさん並べられている。路上生活者の空き家があればそれを撤去するのかもしれない。あるいは、路上生活者たちが皆で使う共有資産の可能性もある。
たまに放置物禁止などの禁止看板がありひやっとする。
適当に遊具が放置されていても、それがどこか自然に思えてくる空間。素晴らしい。
よくわからないスタートとゴール。歩いている人側から読もうとすれば、ゴールが先に来て、スタートへと向かう。
こちらがスタートだ。意味がよくわからないという感情とともに空間的な余白の存在を感じた。
競技場とかその前にある巨大な玄関とかで獅子舞を披露したい。かつて獅子舞は地域アイドルのような存在だった。こういう場所でライブ感覚で獅子舞をやるのも楽しそうだ。
こういうステージでも良いな。渋谷の獅子舞の祭りのクライマックスにふさわしい。
獅子舞の休憩場所もあった。
休憩場所という意味では、歩いている途中にお店の前にベンチがあるのも見かけた。このお店の前のベンチこそ、田舎と都会で解釈が違うモノである。都会ではお店を利用する人のために作られている場合が多いが、田舎では誰でも気軽に座って休んでいいよという場合が多い気がする。というか、そういうメッセージを放っているような気がするのだ。獅子舞は座っても良いですか?と訪ねたくなる場所でもある。
さて、代々木公園を最後に、渋谷の獅子舞ルート設計は完了。帰り道に、大規模な工事が行われているのを見かけた。建物がどんどん高くなっていく。渋谷という町はこれからどう変わっていくのだろうかと妄想を膨らませた。
獅子舞の舞場を改めて考えてみる
さて、ここまで考えてきたところで、最初のルートマップに戻ってみよう。散歩をしながら発見した獅子舞が存在できそうな場所をつなぎ合わせた結果、このMAPができた。①から始まり⑦まで舞いきり、その後、代々木公園などで昼食を食べる。やはり、担い手同士が食事を共にするというのは、地域交流という獅子舞の良さをさらに引き出すことにも繋がる。
午後は⑧から開始。最後のクライマックスは代々木の体育館付近で舞い話題をかっさらってから、最後に①の神社の奉納で締めくくるという流れである。
これが実際に実現できるかは別として、今回私が散歩をした上で導き出した獅子舞のルートはこの回り方がベストだと考えた。違う道を歩けば、このルートはまた無限に書き換えられ、さらにより良いMAPになっていくだろう。
獅子舞という生き物はもはや自分と土地との出会いの中に生まれる生き物であり、固定化されず常に変化し続ける存在なのだ。