矢野口を散歩しました
- 更新日: 2019/01/15
南武線の高架橋はかっこいい。
今日は矢野口に来ておりますけども。
いやーまあー、なんでここ降りたかっていうと、本当に理由は無くて。降りるつもりはなかったんだけど、ウワッ! って降りた。
ウワッ! というのは、先日、立川行きの南武線乗ってたんですよ。多摩川を上って行く感じで。
これがね、ずーーーっと、川崎市なんです。
川崎市って海の工業地帯のイメージあるけど、多摩川に沿ってめちゃくちゃ細長くて、けっこう山深いほうまで川崎市なんですよね。想像以上に長い。あなたの想像するフランスパンよりも長い。あ、フランスパンもけっこう長いか。長いなー。フランスパンのほうが長いかもしれない。
フランスパンはいいんですけど、川崎は長い。南武線に揺られているとずーーーっと川崎市で、あれ、誰か川崎で信長の野望クリアしちゃったのかな? とか思うんですけど、前触れもなく東京に入るんですね、しかも私的にあまり来る機会のない稲城市で。稲城市!? ウワッ!
という感じで、降りました。びっくり降り。犬ならちょっとおしっこ漏れてる。
区切り方よ。
来る機会無いとか言ってしまった稲城市ですが、あれですよ。東京ヴェルディの本拠地です。
もっとも、東京ヴェルディのホームタウンは「東京都全域」とされていて、なかでも出資しているのは稲城市・多摩市・立川市・日野市なんだそうで、みんなのもの、みたいなニュアンスなんだけど、稲城市にはヴェルディの本社がある。それで、稲城市のサイトでは「わがまち稲城のヴェルディ」と一歩踏み込んで主張しているように見えなくも無い。
ああ、それで、矢野口なんですけど。ここは何だろうな。
稲城市でも小田急が通っているほう、具体的には若葉台のほうは多摩ニュータウンとして開発された住宅街が広がっていて観察に行った記憶があるのですが、矢野口は、なんとなく南武線沿いの川崎市のノリを継承している気がする。
具体的には、多摩川沿いの農地だったことから、水路が多くて、道が入り組んでいる。風景を見せられて「武蔵中原です」と言われても、そうですか、と言ってしまう気がする。「ウラジオストクです」と言われたら、さすがにえっ? て思うけど、でもそれは引っかけで日本によく似た風景をわざわざ撮ってきたのかなあ、とか変に深読みして、あんまり強く「いや無い無い!」とか言わないんだけど、そういうとき相手は大抵ツッコミ待ちでスカッと「日本じゃん!」と言って欲しいはずなのに僕は「えっそうなんだ?」みたいなことを多分言う。図らずも相手のボケを完全に封殺してしまう。
僕のだめなところの話はどうでもいいんだけど、そう、そんなこともあって、パリッと、稲城入ったな、という気はあまりしない。住んだらイメージ変わるのかもしれない。そのあたりは分からない。
そんなわけで、矢野口、スタートです。目的もなくぶらぶらする。
もうすでに何か居るでしょ。梨型ロボット、稲城なしのすけです。
なしが有名なんですよね、稲城は。
なしのすけのまわりになしが配置されていますが、
手前はなしではないですね。何? 悪い花粉?
なしのすけ、良い奴だと思うんですけど、ちょっとイラッとするのは時計の肩に手を回しているところです。大して親しくない人にもこうやりそう。
たましん。
駅をちょっと離れると突然見晴らしがいい。
川崎街道(府中街道)と鶴川街道の交差点。
このあたりが高架になったのはだいたい20年くらい前で、この橋は2004年に完成している。
かっこいいランガー橋です。
あ、それで話は前後するんだけど、高架下にアイポート矢野口というショッピングモールがある。
駅直結でFUJIスーパーがある。完全に東急における東急スーパーのポジションだ。JRでこういうのめずらしくない? そうでもない?
駅近くにはちょっとだけど飲み屋もあったりする。
いなげやもある。住みやすさレベルが上がるやつ。
いなげやの文字が木でちょうど見えないけど、いなげやのマーク自体こんな感じだからいいだろ。
ああ、これ。
さて。散歩続けます。鶴川街道と川崎街道の交差点。
川崎街道沿い。このあたり、見通しがよくて若干こなれた感じがあるのできれいに区画整理された土地なのかなって一瞬思うのですが……
街路樹のノリで突然ご神木が出現してびっくりする。
この交番、隣がコンビニでいいなって思った。なんとなくきれいな交番。
しかし反対側から見ると交番の下に用水路がじゃんじゃん流れている。聞き取り、聞き取れるかしら。
古いものと新しいものがチャンプルであらわれて、なんとかやっている感じがとても楽しい。
ここにもそんな風景があった。
街の植え込み VS 石塔。
植え込みをドーム状に剪定することで、決着をつけようとしている。
このあたりは、土地や区画は古いままで、幹線道路をぶっとおした感じなんだろうな。
これから変わるんだろうか。
いまのところ、端数のような土地がとても多い。
こんな空き地をよく見る。余ってるならくれないかな。
ここも。くれないかなー。細い家建てて住みたい。細い部屋で細いチュロス食べて末長く生きたい。
ところでさっきのご神木があったあたりは「矢野口の渡し」へ続く渡船場道だったんですって。
そう、矢野口のあたりには多摩川の矢野口の渡しがあったんすね。
ご神木の脇の地蔵。
その渡船場道というのは今も残っている。
川崎街道で分断されているけど、北は渡船場、南は京王よみうりランド駅のほうまでつながっているみたい。
南は弁天通りという名前になっている。ちょっと行ってみるか。
その古道はうっすら商店街になっていた。
南下するにしたがってだんだん濃くなっていく。どうやら京王よみうりランド駅のほうが栄えているみたい。
いい八百屋がある。
写真を見返すと、日の出の店内がとても幻想的に見える。
たしかに夜と朝の狭間はこんな感じかもしれない。
LEDライトがこすれて描く、ゆるやかな軌跡。
稲城は見通しがいい。高い建物が何にもないんだもの。とてもいいと思う。
このあたり、全部梨園だったんじゃないかなあ。
なあ。
あと、用水路が多い。多摩川流域あるある。
あれ、これ大丸用水だ。宿河原で、二ヶ領用水につながっているのを見たことがある。
数年前の散歩とつながるのは楽しい。
フェンスあってよかったな。宿河原まで流れるとこだったぞ。
「まちをきれいに」という看板を埋めるようにゴミを捨てる民度。
Y字路の神社。突然ある裸神社。こんもりしてない。かつてこんもりしてたのかもしれない。
なんかかっこいいサブタイトルがついてる。
鎮守の杜から湧き出る御神水。
神社に鬼ごろしが捨ててあったので罰当たるんじゃないかと思ったんだけど、鬼を殺すって縁起がいいし大丈夫かもしれないです。
また視界が開けた。
そこにそびえ立つリサイクルショップ。このあたりの豪族かな。
「不思議なもの」の扱いを一番大事にしている豪族かな。
かつて盛り場だったんだろうなあ、みたいな風景。
突然大根を勧められる。
しかもこれ普通にうまそうじゃんか。
いろいろ言いたいことあるなあ。1つしか言えないとしたら、うーん、車嵐。
3歳児にはやにえの習性があったらこんな感じになりそう。
ご存じないかた向けに「かん」
まだ売り出し中だから、かん。これからって時期だから。
水路と橋上園芸。みかんなってる。
南武線をくぐって北へ。
神社。やっぱりこんもりしてない。こんもりしてたのかもしれない。
こっちが参道だったのかなあ。多摩川のほうから神社へ向かって、それっぽい木が生えてる。
なんでかわかんないけど生きてる。
僕も、なんでかわかんないけど生きてるので、一緒です。
整列している何か。
馬頭観世音塔だって。このあたりの農村で一緒に作ったんだそう。
その向かいはサニーコントロールサービス。なんとなく馬頭観世音塔の対義語だと思った。
あ、君、竹にも書くんだ。へえって思った。いや、だめだけどさ、へえって。書くんだぁって。思ったから。だめだけど。
土手っぽい。
多摩川っぽい。
はじめ見逃したけど、
これ、その、矢野口の渡しの碑だ。
意外にも多摩川最後の渡し場として昭和48年まで続いていたんだと書いてある。
なんもねえですよ。
川というか、野原だな。
陸地を歩きながら川の半分くらいまで来れちゃう。
水が流れているところまできたら、敵国調布が目の前だ。
敵の布団の数まで分かるぞ! ここに陣を張れ!
真面目に張れ!
ゴルフは禁止! 陣を張れ!
大変です! 河川敷が川崎軍に占領されています!
あれっ、いつのまにか川崎市に入ってた。
先ほどから見えていた、鶴川街道にかかる橋。多摩川原橋。
多摩川原といえば調布側のなんとなくこのあたりのイメージあるけど、すっごいゼロベースで考えると、多摩川の河原なんて、流域全部じゃんか。山梨県・東京都・神奈川県を流れる一級河川ですよ。どこが名乗りをあげてもおかしくない。
いつも思うのは、多摩川流域のいろいろな名前、けっこう「全部じゃんか」となる名前が多くて、被ってないかドキドキする。
例えば東急の「多摩川駅」なんてのはその筆頭で、まてまてまて~い! って思う。
ちなみに、多摩川原駅というのがかつて立川のほうにあったらしい。やっぱり被ってるじゃんか。近くの京王多摩川駅も、最初は多摩川原駅だったらしい。ほら~もう~。
駅の方に戻る。
傾きマイナス1のマフラーを尻目に戻る。
かしこい犬が「ま」を成立させている。
矢野口駅に戻ってきた。
西側ももうちょっとだけ行ってみる。
こちらも区画がガチャガチャしている気配がする。すでに謎の花壇がある。
右の水路に沿っているのが本来の道で、あとから左側をぶっ通したことでできた残余地かしら。
右側の家々が律儀に水路に沿って建てられているのかわいいな。いや、そうするしかないんですけども。
突然の小道もある。そんな空気出してなかったじゃん。びっくりするわ。
どうも、矢野口はチャンプルすぎて散歩の勘が働かない。
ヒョヒョヒョ~。いまほんとにヒョヒョヒョ~って言いながら歩いてます。
突然開けた。ヒョ~。
矢野口住宅。1972年築。正方形の窓がかっこいい。
なんとなく登りやすそうだなって思った。ボルダリングとか全くやったことないけど。
ああやって、ああかな、みたいな。
その前の道が通行止めだったり公園も変な形で、この公園は水路を埋めたんだと思う。
真ん中のあれは、砂場だと思いたいんだけど、水路の埋め残しとかだったらいいな。
こちら側から開けていつでも濁流を見ることができるとかだったらいいな。
盡性園というのがあって、サッカー場とかテニスコートがある。
何なのかはよくわかんない。ただ広い。
この犬は、うんこしたことにも気づいてなさそう。
いい表情をしている。
今年はこんな感じで生きようと思った。
どっかの溝。雨水をじゃんじゃん流している感じ、懐かしいな。
古き良き山崎パンの店。懐かしいな。
そんな感じで駅へ戻ってきて今日はおしまい。
ああそうだ、多摩川の「矢野口の渡し」について。
とてもよく似た名前の渡し場に矢口の渡しというのがあって、蒲田の近く、わりと河口のほうにある。こちらは駅名にもなっているし、知名度も高い気がする。
有名である理由のひとつとして、新田義貞の次男、新田義興が誅殺された場所である、というのがある。この物語は人形浄瑠璃になった。矢口渡の隣駅武蔵新田には、それを祀った新田神社がある。
ところで、その有名な矢口渡からかなり上流へ遡った、田園都市線の二子玉川があるあたりに「兵庫島」という中州があります。二子玉川駅で降りて川遊びをしたことがある人なら絶対に足を踏み入れたことがあるこの島は、新田義興の家臣であるところの由良兵庫助の死体が流れ着いたから、という、ちょっと子供とキャッキャする気が失せる由来を持つ島なのですが、その、下流の矢口渡で殺された兵庫助の死体が、ここまで上ってくる? ほんとに? という話がありまして。
それで、新田義興事件があったのは、実は「矢野口の渡し」なのでは? という俗説があるそうなんですね。矢野口から見れば、二子玉川は下流なので、流れ着いてもおかしくない。
もしこれがマジであれば、人形浄瑠璃で知名度を上げ、新田神社ができたのはここ矢野口だったかもしれない。
渡し場跡は枯れ草に覆われていなかったかもしれない。
駅そばの駐輪場は満満満だったかもしれない。
ただまあ現実として、のどかな矢野口がある。まあ、それもいいじゃない。
いやーまあー、なんでここ降りたかっていうと、本当に理由は無くて。降りるつもりはなかったんだけど、ウワッ! って降りた。
ウワッ! というのは、先日、立川行きの南武線乗ってたんですよ。多摩川を上って行く感じで。
これがね、ずーーーっと、川崎市なんです。
川崎市って海の工業地帯のイメージあるけど、多摩川に沿ってめちゃくちゃ細長くて、けっこう山深いほうまで川崎市なんですよね。想像以上に長い。あなたの想像するフランスパンよりも長い。あ、フランスパンもけっこう長いか。長いなー。フランスパンのほうが長いかもしれない。
フランスパンはいいんですけど、川崎は長い。南武線に揺られているとずーーーっと川崎市で、あれ、誰か川崎で信長の野望クリアしちゃったのかな? とか思うんですけど、前触れもなく東京に入るんですね、しかも私的にあまり来る機会のない稲城市で。稲城市!? ウワッ!
という感じで、降りました。びっくり降り。犬ならちょっとおしっこ漏れてる。
区切り方よ。
来る機会無いとか言ってしまった稲城市ですが、あれですよ。東京ヴェルディの本拠地です。
もっとも、東京ヴェルディのホームタウンは「東京都全域」とされていて、なかでも出資しているのは稲城市・多摩市・立川市・日野市なんだそうで、みんなのもの、みたいなニュアンスなんだけど、稲城市にはヴェルディの本社がある。それで、稲城市のサイトでは「わがまち稲城のヴェルディ」と一歩踏み込んで主張しているように見えなくも無い。
ああ、それで、矢野口なんですけど。ここは何だろうな。
稲城市でも小田急が通っているほう、具体的には若葉台のほうは多摩ニュータウンとして開発された住宅街が広がっていて観察に行った記憶があるのですが、矢野口は、なんとなく南武線沿いの川崎市のノリを継承している気がする。
具体的には、多摩川沿いの農地だったことから、水路が多くて、道が入り組んでいる。風景を見せられて「武蔵中原です」と言われても、そうですか、と言ってしまう気がする。「ウラジオストクです」と言われたら、さすがにえっ? て思うけど、でもそれは引っかけで日本によく似た風景をわざわざ撮ってきたのかなあ、とか変に深読みして、あんまり強く「いや無い無い!」とか言わないんだけど、そういうとき相手は大抵ツッコミ待ちでスカッと「日本じゃん!」と言って欲しいはずなのに僕は「えっそうなんだ?」みたいなことを多分言う。図らずも相手のボケを完全に封殺してしまう。
僕のだめなところの話はどうでもいいんだけど、そう、そんなこともあって、パリッと、稲城入ったな、という気はあまりしない。住んだらイメージ変わるのかもしれない。そのあたりは分からない。
そんなわけで、矢野口、スタートです。目的もなくぶらぶらする。
矢野口駅前
もうすでに何か居るでしょ。梨型ロボット、稲城なしのすけです。
なしが有名なんですよね、稲城は。
なしのすけのまわりになしが配置されていますが、
手前はなしではないですね。何? 悪い花粉?
なしのすけ、良い奴だと思うんですけど、ちょっとイラッとするのは時計の肩に手を回しているところです。大して親しくない人にもこうやりそう。
たましん。
矢野口駅の南側
駅をちょっと離れると突然見晴らしがいい。
川崎街道(府中街道)と鶴川街道の交差点。
このあたりが高架になったのはだいたい20年くらい前で、この橋は2004年に完成している。
かっこいいランガー橋です。
あ、それで話は前後するんだけど、高架下にアイポート矢野口というショッピングモールがある。
駅直結でFUJIスーパーがある。完全に東急における東急スーパーのポジションだ。JRでこういうのめずらしくない? そうでもない?
駅近くにはちょっとだけど飲み屋もあったりする。
いなげやもある。住みやすさレベルが上がるやつ。
いなげやの文字が木でちょうど見えないけど、いなげやのマーク自体こんな感じだからいいだろ。
ああ、これ。
さて。散歩続けます。鶴川街道と川崎街道の交差点。
川崎街道沿い。このあたり、見通しがよくて若干こなれた感じがあるのできれいに区画整理された土地なのかなって一瞬思うのですが……
街路樹のノリで突然ご神木が出現してびっくりする。
この交番、隣がコンビニでいいなって思った。なんとなくきれいな交番。
しかし反対側から見ると交番の下に用水路がじゃんじゃん流れている。聞き取り、聞き取れるかしら。
古いものと新しいものがチャンプルであらわれて、なんとかやっている感じがとても楽しい。
ここにもそんな風景があった。
街の植え込み VS 石塔。
植え込みをドーム状に剪定することで、決着をつけようとしている。
このあたりは、土地や区画は古いままで、幹線道路をぶっとおした感じなんだろうな。
これから変わるんだろうか。
いまのところ、端数のような土地がとても多い。
こんな空き地をよく見る。余ってるならくれないかな。
ここも。くれないかなー。細い家建てて住みたい。細い部屋で細いチュロス食べて末長く生きたい。
ところでさっきのご神木があったあたりは「矢野口の渡し」へ続く渡船場道だったんですって。
そう、矢野口のあたりには多摩川の矢野口の渡しがあったんすね。
ご神木の脇の地蔵。
渡船場道
その渡船場道というのは今も残っている。
川崎街道で分断されているけど、北は渡船場、南は京王よみうりランド駅のほうまでつながっているみたい。
南は弁天通りという名前になっている。ちょっと行ってみるか。
その古道はうっすら商店街になっていた。
南下するにしたがってだんだん濃くなっていく。どうやら京王よみうりランド駅のほうが栄えているみたい。
いい八百屋がある。
写真を見返すと、日の出の店内がとても幻想的に見える。
たしかに夜と朝の狭間はこんな感じかもしれない。
LEDライトがこすれて描く、ゆるやかな軌跡。
稲城は見通しがいい。高い建物が何にもないんだもの。とてもいいと思う。
このあたり、全部梨園だったんじゃないかなあ。
なあ。
あと、用水路が多い。多摩川流域あるある。
あれ、これ大丸用水だ。宿河原で、二ヶ領用水につながっているのを見たことがある。
数年前の散歩とつながるのは楽しい。
フェンスあってよかったな。宿河原まで流れるとこだったぞ。
「まちをきれいに」という看板を埋めるようにゴミを捨てる民度。
Y字路の神社。突然ある裸神社。こんもりしてない。かつてこんもりしてたのかもしれない。
なんかかっこいいサブタイトルがついてる。
鎮守の杜から湧き出る御神水。
神社に鬼ごろしが捨ててあったので罰当たるんじゃないかと思ったんだけど、鬼を殺すって縁起がいいし大丈夫かもしれないです。
また視界が開けた。
そこにそびえ立つリサイクルショップ。このあたりの豪族かな。
「不思議なもの」の扱いを一番大事にしている豪族かな。
多摩川のほうへ
今度は渡船場道を通って矢野口駅の北、多摩川の矢野口の渡しのほうへ行ってみる。かつて盛り場だったんだろうなあ、みたいな風景。
突然大根を勧められる。
しかもこれ普通にうまそうじゃんか。
いろいろ言いたいことあるなあ。1つしか言えないとしたら、うーん、車嵐。
3歳児にはやにえの習性があったらこんな感じになりそう。
ご存じないかた向けに「かん」
まだ売り出し中だから、かん。これからって時期だから。
水路と橋上園芸。みかんなってる。
南武線をくぐって北へ。
神社。やっぱりこんもりしてない。こんもりしてたのかもしれない。
こっちが参道だったのかなあ。多摩川のほうから神社へ向かって、それっぽい木が生えてる。
なんでかわかんないけど生きてる。
僕も、なんでかわかんないけど生きてるので、一緒です。
整列している何か。
馬頭観世音塔だって。このあたりの農村で一緒に作ったんだそう。
その向かいはサニーコントロールサービス。なんとなく馬頭観世音塔の対義語だと思った。
あ、君、竹にも書くんだ。へえって思った。いや、だめだけどさ、へえって。書くんだぁって。思ったから。だめだけど。
土手っぽい。
多摩川っぽい。
はじめ見逃したけど、
これ、その、矢野口の渡しの碑だ。
意外にも多摩川最後の渡し場として昭和48年まで続いていたんだと書いてある。
なんもねえですよ。
川というか、野原だな。
陸地を歩きながら川の半分くらいまで来れちゃう。
水が流れているところまできたら、敵国調布が目の前だ。
敵の布団の数まで分かるぞ! ここに陣を張れ!
真面目に張れ!
ゴルフは禁止! 陣を張れ!
大変です! 河川敷が川崎軍に占領されています!
あれっ、いつのまにか川崎市に入ってた。
先ほどから見えていた、鶴川街道にかかる橋。多摩川原橋。
多摩川原といえば調布側のなんとなくこのあたりのイメージあるけど、すっごいゼロベースで考えると、多摩川の河原なんて、流域全部じゃんか。山梨県・東京都・神奈川県を流れる一級河川ですよ。どこが名乗りをあげてもおかしくない。
いつも思うのは、多摩川流域のいろいろな名前、けっこう「全部じゃんか」となる名前が多くて、被ってないかドキドキする。
例えば東急の「多摩川駅」なんてのはその筆頭で、まてまてまて~い! って思う。
ちなみに、多摩川原駅というのがかつて立川のほうにあったらしい。やっぱり被ってるじゃんか。近くの京王多摩川駅も、最初は多摩川原駅だったらしい。ほら~もう~。
駅の方に戻る。
傾きマイナス1のマフラーを尻目に戻る。
かしこい犬が「ま」を成立させている。
矢野口駅に戻ってきた。
矢野口駅の西側
西側ももうちょっとだけ行ってみる。
こちらも区画がガチャガチャしている気配がする。すでに謎の花壇がある。
右の水路に沿っているのが本来の道で、あとから左側をぶっ通したことでできた残余地かしら。
右側の家々が律儀に水路に沿って建てられているのかわいいな。いや、そうするしかないんですけども。
突然の小道もある。そんな空気出してなかったじゃん。びっくりするわ。
どうも、矢野口はチャンプルすぎて散歩の勘が働かない。
ヒョヒョヒョ~。いまほんとにヒョヒョヒョ~って言いながら歩いてます。
突然開けた。ヒョ~。
矢野口住宅。1972年築。正方形の窓がかっこいい。
なんとなく登りやすそうだなって思った。ボルダリングとか全くやったことないけど。
ああやって、ああかな、みたいな。
その前の道が通行止めだったり公園も変な形で、この公園は水路を埋めたんだと思う。
真ん中のあれは、砂場だと思いたいんだけど、水路の埋め残しとかだったらいいな。
こちら側から開けていつでも濁流を見ることができるとかだったらいいな。
盡性園というのがあって、サッカー場とかテニスコートがある。
何なのかはよくわかんない。ただ広い。
この犬は、うんこしたことにも気づいてなさそう。
いい表情をしている。
今年はこんな感じで生きようと思った。
どっかの溝。雨水をじゃんじゃん流している感じ、懐かしいな。
古き良き山崎パンの店。懐かしいな。
そんな感じで駅へ戻ってきて今日はおしまい。
雑感
矢野口は懐かしくて好きだな。紛うことなき農村エリアであって、幹線があってそこそこ発展しているけど道が謎で古い。普段使いの道路が妙にくねっており、無駄に運転スキルを要求してくる。それでいてこのあたりって、新宿まで30分くらいで出られる。ああそうだ、多摩川の「矢野口の渡し」について。
とてもよく似た名前の渡し場に矢口の渡しというのがあって、蒲田の近く、わりと河口のほうにある。こちらは駅名にもなっているし、知名度も高い気がする。
有名である理由のひとつとして、新田義貞の次男、新田義興が誅殺された場所である、というのがある。この物語は人形浄瑠璃になった。矢口渡の隣駅武蔵新田には、それを祀った新田神社がある。
ところで、その有名な矢口渡からかなり上流へ遡った、田園都市線の二子玉川があるあたりに「兵庫島」という中州があります。二子玉川駅で降りて川遊びをしたことがある人なら絶対に足を踏み入れたことがあるこの島は、新田義興の家臣であるところの由良兵庫助の死体が流れ着いたから、という、ちょっと子供とキャッキャする気が失せる由来を持つ島なのですが、その、下流の矢口渡で殺された兵庫助の死体が、ここまで上ってくる? ほんとに? という話がありまして。
それで、新田義興事件があったのは、実は「矢野口の渡し」なのでは? という俗説があるそうなんですね。矢野口から見れば、二子玉川は下流なので、流れ着いてもおかしくない。
もしこれがマジであれば、人形浄瑠璃で知名度を上げ、新田神社ができたのはここ矢野口だったかもしれない。
渡し場跡は枯れ草に覆われていなかったかもしれない。
駅そばの駐輪場は満満満だったかもしれない。
ただまあ現実として、のどかな矢野口がある。まあ、それもいいじゃない。