神奈川を散歩しました
- 更新日: 2018/08/23
県名を冠する駅ですが。
今日は神奈川県、神奈川区、神奈川駅に来ておりますけども。
県名を冠する駅は大抵県下最大のステーションですがもちろん例外もあって、例えば兵庫県は神戸駅が一番大き(ご指摘いただいて、乗降客数では三ノ宮駅、駅舎では姫路駅ですって! ありがとうございます)兵庫駅は山陽本線の中規模の駅です。
だいたい県庁所在地が県名と等しくないところは怪しくて、県を代表するような駅名と、駅舎のミスマッチが、定期的に話題になるのだけど、今日は、その代表格。
神奈川駅。異常な県名駅の中でも神奈川駅は目立って異常で、まず、愛され私鉄であるところの京急電鉄の駅です。かつて国鉄にも、あと東横にも神奈川駅があったそうだけど、今は全部無い。居ない人の悪口を言ってはいけない。
それから、神奈川県下最大ターミナルである横浜駅の、隣駅です。なんなら歩ける。15分くらい。
何も知らなければ、横浜のとなりの神奈川ったら、ははん、なるほど、ここが神奈川県のコア~CORE~か、と思ってしまう。横浜は若者が遊ぶチャラチャラしたあたらしい街であって、その奧、神奈川に中枢がある。大人が居て、チャラチャラした横浜を掌握している。こっちへ出てきたばかりの頃、僕はそんな気持ちで降りました。しかしそうではないことはすぐに気づきます。
神奈川、ここには県庁でもあるの? ない。
神奈川区役所ならちょっと先にあるワン。
もっとも、ここは神奈川区であり、神奈川駅は区を代表していると考えれば何もおかしくない(横浜駅は西区であり、徒歩15分のあいだに区境がある)。歴史を紐解けば、このあたりが東海道の神奈川宿で、神奈川を名乗っても何もおかしくない。
横浜開港とともに、街の重心が関内やその後埋め立てられた高島町のほうに移っていって、図らずも、神奈川宿のすぐ隣で文明が開花して散切り頭にガス灯が刺さったのです。
いろいろあって、いま、横浜の隣に神奈川がある。
ここは、横浜にとても近くて、横浜とは違うなにかなのでした。
そんなわけで、降りましたけど。ドンと青木橋がある。
JRを跨ぐ青木橋は、Wikipediaによれば1870年にかけられたそうだけど、日本初の跨線橋は1872年の八ツ山橋とされているので、これがよく分からない。
2つまとめて日本初と言う人も居て、よく分からない。
いずれにせよ、八ツ山橋と青木橋はともに歴史的に重要な橋です。
ただ、八ツ山橋はよくゴジラにぶっ壊されることで有名だけど、青木橋はゴジラにぶっ壊されたことがない。
ゴジラvsモスラで横浜が舞台になったときも、舞台はみなとみらい、文明が開化して散切り頭にガス灯が刺さったあちら側の話で、青木橋のほうには来ませんでした。
代わりに、横浜ベイブリッジが壊されました。
ただ、このあたりの人たちは、多分青木橋のことが好きです。
住所は青木町なんだけど、青木橋というバス停もあるからか、
青木橋とつける人が多かった。
青木橋はアイデンティティー。
あちら側こと横浜、空を目指す街。ちがう街。今日はどうか忘れてください。
宮前商店街、とある。
多分ここが旧東海道。
ふらっと立ち寄れる価格なら良いのですが。
寺があった。甚行寺。東海道沿いにきっとあった寺。
鯉を捕るミッション:インポッシブルみたいだなって思った。
なんか90年代のJPOP風の曲に合いそう。
と思って調べていたら、これは榎本栄一さんという仏教詩人の言葉らしい。
これは別の人の言葉らしいけれど、これも8インチCDの裏表紙に印刷されていても特に驚かない。
◆繰り返し
とかあっても特に驚かない。
織田哲郎が曲をつけたらすごく良さそう。
江戸時代から続く駐車場であってほしいな。
和牛専門店だけど、1Fは豚なんだな。
また寺がある。普門寺だって。
しかし、さっきから心外なのは、行く先々、旧東海道の看板が出てくる。
自由に散歩しているつもりが、なんか、旧東海道史跡巡りに内包されてしまう恐怖よ。
こういうの採り上げてこう。旧東海道め、追ってこれまい。
つがいのショベルカーを見よう。
そうか、旧東海道を抜け出せば良いんだ。北へ向かう山道へ逃げる。
あれ、山あったんだ。
なにかの施設がある。
一本道を行くと、なにかの施設の真下を通る羽目になる。
今まで、なにかの施設の真下を通る羽目になったことは無い。
通らされているだけで、入ろうという気は一切ないのに!
大丈夫ですから!
桜場についた。こういう場のことを桜場と試みに呼んでみました。
さっき真下を通る羽目になった施設は、幸ヶ谷公園コミュニティハウスと言うらしい。
チェリーハウスとも言うらしい。
あれ! こいつから逃れるために山に来たのに。
結局、神奈川で歩くということは、神奈川宿歴史散歩をすることなのです。もう諦めよう。学ぼう。歴史を。
このあたりは権現山城址らしい。へえー。
後頭葉にチップを埋め込まれた兎と、
後頭葉にチップを埋め込まれたパンダ。
後頭葉の主な機能といえば視覚であり、視界を制御されている可能性があります。
無限笹とか無限にんじんとかを見ている可能性があります。
駅のほうへ降りますけど。
中腹は綺麗な住宅街。
線路についた。
京急と、その先はJR、あと、ヤクルトレディーが乗りこなす自転車。
三種類の乗り物。
線路沿いにヤクルトの何かがあるので、ちょっと、神奈川駅から離れる方向へ、線路沿いを歩いてみますけど。
ヤクルトの何かのせいにしたけど、歩きたいだけです。
さっきから鉄製品の地獄絵みたいな感じになってる。
悪い鉄製品はこうなる、みたいな感じでこの写真集作ったら、鉄製品は心を入れ替えて人に尽くすと思う。
全然錆びなくなる。
脱皮。
第二形態の模様に着目したい。
びっくりした。
雲がハートなのも良かった。
神奈川警察署の人の字だと思うとグッとくる。
ただし踏切は京急のもので、JRはちょい奧を走っている。青木橋のあたりは完全併走してたのにな。
JRを越えるには跨線橋を渡る。
跨線橋から青木橋、横浜方面。
このあたりで、右のJRと左の京急が一旦離れる。
ふたたび子安あたりで併走して、鶴見、川崎、多摩川越えて、つかず離れずのデッドヒートを繰り広げるのだけど、僕は品川に通っていた頃、どっちも好きでどっちもまんべんなく乗っていた。ドレミファインバーターでおなじみの京急はもちろん好きなんだけど、タイヤ公園が見える京浜東北線の景色も好きで、半分くらいはこちらに乗っていた。そういえば最近タイヤ公園目当てで雑色に降りた。いずれにせよ、横浜から品川までの車窓からの景色をたぶん一番見ていて、走馬灯の20%くらいが晴れた日のこれだったら気持ち良いだろうなと思ってる。
線路の向こうは、国道一号線。間延びした文字、上から見るとバカみたいだな。
来たぜ、北側。
今このへん。
訳文が書いてあった。恩恵を受けている人が居ますように。
このあたりは反町のテリトリー。
この自前アーケードみたいな屋根が良かった。
すごい坂。この家の床もこうであったら楽しいと思うけど、平らなんだろうな。
この斜面に特化した食器とかが開発されていて欲しいけど、まあ、中は平らなんだろうな。
桐畑。このあたりは明治時代に宅地化された古い住宅街で、いろんな年代の家がチャンプルであるのが楽しい。
古い。
あたらしい。
圧倒的昭和感。
最近、こういうアパートが好きで好きでしょうがない。
地獄教師みたいなフォント。地獄教師って何?
一部をひったくられていた。
バリアフリーのスロープが迷路みたいだった。
何これ。ほんとに一切無駄ない? ちょっとふざけて増やしてない?
いや、これはやりたくなる。
え、さっきの、迷路みたいなとこでしょう?
スケボーやったことなくてもやりたくなるから、相当じゃないですか。
どういたしまして。
公園の入口が街の古さを物語る。
何だろう。時空の穴? ウニ?
動物病院の看板に外れ無し。僕の格言なんだけど。
兎と亀の配色が最高。このアップリケ欲しいもんな。
併設?された犬の美容院もいい。
刺さっている胃。
それを見る犬。
大人向けの文と子供向けの文。
栄町のほうにヨコハマタワーズがにょきにょき生えてきたのはちょうど僕が横浜に出てきた頃で、タワーズて、って思ったのを今思い出した。
当時の僕は相鉄線の奥まったほうの社員寮に住んでいて、畳は4枚で、部屋の押し入れの奥には「昭和38年 忍耐」と書かれていた。入社とともにそこに押し込まれ、金を貯めて抜け出すのに、8ヶ月を要した。
引っ越し先を探しているときに、ヨコハマタワーズの部屋が賃貸で何部屋か出ていて、それが社員寮の100倍の値段で、あれ、この仕事の延長線上に、このタワーはないぞ? と気づいたのでした。
それで、いまぼくは、このタワーに住んでいる。
となればかっこいいのだけど、住んでない。住んでないわ。ちょっと住んでる気になってた。住んでない。
何かあるな。
まあ、本覚寺なんだけど、暑いし行かないんだけど。
それよりも、この社殿が、完全に地面ないところに作っててすごい。
こんなのいいんだ?
近くまで来てしまった。平面を作る技術が好きです。
その隣に突如現れる高島山トンネル。
いいトンネルだなあ。歩道のトンネルにしとくのもったいない。
トンネルで一番たのしいことが規制されていた。
いいトンネルでしょう。
素人のカメラにもよく映る、気立ての良いトンネル。
地面に、線路のような模様。
実はこの緑道は、もと東横線で、みなとみらい線との直通運転のために地下化したときに余った土地なんですね。
さっきのきれいなトンネルは平成20年に補強工事が行われて、新しくなっている。
もと線路だと知っていれば、そうだろうな、という看板。
ということで、反町駅を目指して今日は終わろうと思います。
かつての車窓の気持ちでSPAゆ反町を眺める。
路線の地下化は2004年だそうで、ここを走っていた東横はギリで乗っていた筈だけど、この景色は全然覚えてない。
なんとなく周りを理解しはじめた頃には横浜駅の東急乗り場は地下にあって近未来で、ルミネと同じくらいルクスが高かった。
ルクスが高い赤レンガ倉庫へは東急で行くものだと最初から思っていたし、みなとみらい線との区別もついていなかった。
それで、東急線のイメージは「我が鐵路、長大なり・東急五島慶太の生涯」を読むまでずっとキラキラしていた。
こんな犬、ピタゴラスイッチに出てこなかったっけ。
必ずが2回でてきて文法的にはおかしいんだけど、この立て札たくさんあったので、多分意識的なのでしょう。
必ず、糞を、必ず。
糞の必ず挟み揚げ。
見逃すところだったけど反町駅って書いてあるから反町駅だわ、これ。
何そのさりげなさ。茶道でもやってるの?
エレベータを降りると見慣れた東横の駅だった。
今日は反町駅でおしまい。
横浜市街から15分、あちらの賑わいと比較していてのどか、という話で終わらせてしまうと勿体なくて、歩かないと分からない、静かな存在感がある。
たとえば、あちら側の開発に貢献した高島嘉右衛門は晩年こちら側に住んでいて、昔からちゃんと陸地だったところ、高いところなんだと思う。
そんな、横浜の奧、横浜以前からある何か。
県名を冠する駅は大抵県下最大のステーションですがもちろん例外もあって、例えば兵庫県は
だいたい県庁所在地が県名と等しくないところは怪しくて、県を代表するような駅名と、駅舎のミスマッチが、定期的に話題になるのだけど、今日は、その代表格。
神奈川駅。異常な県名駅の中でも神奈川駅は目立って異常で、まず、愛され私鉄であるところの京急電鉄の駅です。かつて国鉄にも、あと東横にも神奈川駅があったそうだけど、今は全部無い。居ない人の悪口を言ってはいけない。
それから、神奈川県下最大ターミナルである横浜駅の、隣駅です。なんなら歩ける。15分くらい。
何も知らなければ、横浜のとなりの神奈川ったら、ははん、なるほど、ここが神奈川県のコア~CORE~か、と思ってしまう。横浜は若者が遊ぶチャラチャラしたあたらしい街であって、その奧、神奈川に中枢がある。大人が居て、チャラチャラした横浜を掌握している。こっちへ出てきたばかりの頃、僕はそんな気持ちで降りました。しかしそうではないことはすぐに気づきます。
神奈川、ここには県庁でもあるの? ない。
神奈川区役所ならちょっと先にあるワン。
もっとも、ここは神奈川区であり、神奈川駅は区を代表していると考えれば何もおかしくない(横浜駅は西区であり、徒歩15分のあいだに区境がある)。歴史を紐解けば、このあたりが東海道の神奈川宿で、神奈川を名乗っても何もおかしくない。
横浜開港とともに、街の重心が関内やその後埋め立てられた高島町のほうに移っていって、図らずも、神奈川宿のすぐ隣で文明が開花して散切り頭にガス灯が刺さったのです。
いろいろあって、いま、横浜の隣に神奈川がある。
ここは、横浜にとても近くて、横浜とは違うなにかなのでした。
神奈川駅前
そんなわけで、降りましたけど。ドンと青木橋がある。
JRを跨ぐ青木橋は、Wikipediaによれば1870年にかけられたそうだけど、日本初の跨線橋は1872年の八ツ山橋とされているので、これがよく分からない。
2つまとめて日本初と言う人も居て、よく分からない。
いずれにせよ、八ツ山橋と青木橋はともに歴史的に重要な橋です。
ただ、八ツ山橋はよくゴジラにぶっ壊されることで有名だけど、青木橋はゴジラにぶっ壊されたことがない。
ゴジラvsモスラで横浜が舞台になったときも、舞台はみなとみらい、文明が開化して散切り頭にガス灯が刺さったあちら側の話で、青木橋のほうには来ませんでした。
代わりに、横浜ベイブリッジが壊されました。
ただ、このあたりの人たちは、多分青木橋のことが好きです。
住所は青木町なんだけど、青木橋というバス停もあるからか、
青木橋とつける人が多かった。
青木橋はアイデンティティー。
あちら側こと横浜、空を目指す街。ちがう街。今日はどうか忘れてください。
神奈川駅の南側
宮前商店街、とある。
多分ここが旧東海道。
ふらっと立ち寄れる価格なら良いのですが。
寺があった。甚行寺。東海道沿いにきっとあった寺。
鯉を捕るミッション:インポッシブルみたいだなって思った。
なんか90年代のJPOP風の曲に合いそう。
と思って調べていたら、これは榎本栄一さんという仏教詩人の言葉らしい。
これは別の人の言葉らしいけれど、これも8インチCDの裏表紙に印刷されていても特に驚かない。
◆繰り返し
とかあっても特に驚かない。
織田哲郎が曲をつけたらすごく良さそう。
江戸時代から続く駐車場であってほしいな。
和牛専門店だけど、1Fは豚なんだな。
また寺がある。普門寺だって。
しかし、さっきから心外なのは、行く先々、旧東海道の看板が出てくる。
自由に散歩しているつもりが、なんか、旧東海道史跡巡りに内包されてしまう恐怖よ。
こういうの採り上げてこう。旧東海道め、追ってこれまい。
つがいのショベルカーを見よう。
そうか、旧東海道を抜け出せば良いんだ。北へ向かう山道へ逃げる。
あれ、山あったんだ。
なにかの施設がある。
一本道を行くと、なにかの施設の真下を通る羽目になる。
今まで、なにかの施設の真下を通る羽目になったことは無い。
通らされているだけで、入ろうという気は一切ないのに!
大丈夫ですから!
桜場についた。こういう場のことを桜場と試みに呼んでみました。
さっき真下を通る羽目になった施設は、幸ヶ谷公園コミュニティハウスと言うらしい。
チェリーハウスとも言うらしい。
あれ! こいつから逃れるために山に来たのに。
結局、神奈川で歩くということは、神奈川宿歴史散歩をすることなのです。もう諦めよう。学ぼう。歴史を。
このあたりは権現山城址らしい。へえー。
後頭葉にチップを埋め込まれた兎と、
後頭葉にチップを埋め込まれたパンダ。
後頭葉の主な機能といえば視覚であり、視界を制御されている可能性があります。
無限笹とか無限にんじんとかを見ている可能性があります。
駅のほうへ降りますけど。
中腹は綺麗な住宅街。
神奈川駅の東側
線路についた。
京急と、その先はJR、あと、ヤクルトレディーが乗りこなす自転車。
三種類の乗り物。
線路沿いにヤクルトの何かがあるので、ちょっと、神奈川駅から離れる方向へ、線路沿いを歩いてみますけど。
ヤクルトの何かのせいにしたけど、歩きたいだけです。
さっきから鉄製品の地獄絵みたいな感じになってる。
悪い鉄製品はこうなる、みたいな感じでこの写真集作ったら、鉄製品は心を入れ替えて人に尽くすと思う。
全然錆びなくなる。
脱皮。
第二形態の模様に着目したい。
びっくりした。
雲がハートなのも良かった。
神奈川警察署の人の字だと思うとグッとくる。
線路群を渡りたい
踏切があった。ただし踏切は京急のもので、JRはちょい奧を走っている。青木橋のあたりは完全併走してたのにな。
JRを越えるには跨線橋を渡る。
跨線橋から青木橋、横浜方面。
このあたりで、右のJRと左の京急が一旦離れる。
ふたたび子安あたりで併走して、鶴見、川崎、多摩川越えて、つかず離れずのデッドヒートを繰り広げるのだけど、僕は品川に通っていた頃、どっちも好きでどっちもまんべんなく乗っていた。ドレミファインバーターでおなじみの京急はもちろん好きなんだけど、タイヤ公園が見える京浜東北線の景色も好きで、半分くらいはこちらに乗っていた。そういえば最近タイヤ公園目当てで雑色に降りた。いずれにせよ、横浜から品川までの車窓からの景色をたぶん一番見ていて、走馬灯の20%くらいが晴れた日のこれだったら気持ち良いだろうなと思ってる。
線路の向こうは、国道一号線。間延びした文字、上から見るとバカみたいだな。
神奈川駅の北側
来たぜ、北側。
今このへん。
訳文が書いてあった。恩恵を受けている人が居ますように。
このあたりは反町のテリトリー。
この自前アーケードみたいな屋根が良かった。
すごい坂。この家の床もこうであったら楽しいと思うけど、平らなんだろうな。
この斜面に特化した食器とかが開発されていて欲しいけど、まあ、中は平らなんだろうな。
桐畑。このあたりは明治時代に宅地化された古い住宅街で、いろんな年代の家がチャンプルであるのが楽しい。
古い。
あたらしい。
圧倒的昭和感。
最近、こういうアパートが好きで好きでしょうがない。
地獄教師みたいなフォント。地獄教師って何?
一部をひったくられていた。
バリアフリーのスロープが迷路みたいだった。
何これ。ほんとに一切無駄ない? ちょっとふざけて増やしてない?
いや、これはやりたくなる。
え、さっきの、迷路みたいなとこでしょう?
スケボーやったことなくてもやりたくなるから、相当じゃないですか。
どういたしまして。
公園の入口が街の古さを物語る。
何だろう。時空の穴? ウニ?
動物病院の看板に外れ無し。僕の格言なんだけど。
兎と亀の配色が最高。このアップリケ欲しいもんな。
併設?された犬の美容院もいい。
刺さっている胃。
それを見る犬。
大人向けの文と子供向けの文。
栄町のほうにヨコハマタワーズがにょきにょき生えてきたのはちょうど僕が横浜に出てきた頃で、タワーズて、って思ったのを今思い出した。
当時の僕は相鉄線の奥まったほうの社員寮に住んでいて、畳は4枚で、部屋の押し入れの奥には「昭和38年 忍耐」と書かれていた。入社とともにそこに押し込まれ、金を貯めて抜け出すのに、8ヶ月を要した。
引っ越し先を探しているときに、ヨコハマタワーズの部屋が賃貸で何部屋か出ていて、それが社員寮の100倍の値段で、あれ、この仕事の延長線上に、このタワーはないぞ? と気づいたのでした。
それで、いまぼくは、このタワーに住んでいる。
となればかっこいいのだけど、住んでない。住んでないわ。ちょっと住んでる気になってた。住んでない。
何かあるな。
まあ、本覚寺なんだけど、暑いし行かないんだけど。
それよりも、この社殿が、完全に地面ないところに作っててすごい。
こんなのいいんだ?
近くまで来てしまった。平面を作る技術が好きです。
その隣に突如現れる高島山トンネル。
いいトンネルだなあ。歩道のトンネルにしとくのもったいない。
トンネルで一番たのしいことが規制されていた。
いいトンネルでしょう。
素人のカメラにもよく映る、気立ての良いトンネル。
地面に、線路のような模様。
実はこの緑道は、もと東横線で、みなとみらい線との直通運転のために地下化したときに余った土地なんですね。
さっきのきれいなトンネルは平成20年に補強工事が行われて、新しくなっている。
もと線路だと知っていれば、そうだろうな、という看板。
ということで、反町駅を目指して今日は終わろうと思います。
かつての車窓の気持ちでSPAゆ反町を眺める。
路線の地下化は2004年だそうで、ここを走っていた東横はギリで乗っていた筈だけど、この景色は全然覚えてない。
なんとなく周りを理解しはじめた頃には横浜駅の東急乗り場は地下にあって近未来で、ルミネと同じくらいルクスが高かった。
ルクスが高い赤レンガ倉庫へは東急で行くものだと最初から思っていたし、みなとみらい線との区別もついていなかった。
それで、東急線のイメージは「我が鐵路、長大なり・東急五島慶太の生涯」を読むまでずっとキラキラしていた。
こんな犬、ピタゴラスイッチに出てこなかったっけ。
必ずが2回でてきて文法的にはおかしいんだけど、この立て札たくさんあったので、多分意識的なのでしょう。
必ず、糞を、必ず。
糞の必ず挟み揚げ。
見逃すところだったけど反町駅って書いてあるから反町駅だわ、これ。
何そのさりげなさ。茶道でもやってるの?
エレベータを降りると見慣れた東横の駅だった。
今日は反町駅でおしまい。
横浜市街から15分、あちらの賑わいと比較していてのどか、という話で終わらせてしまうと勿体なくて、歩かないと分からない、静かな存在感がある。
たとえば、あちら側の開発に貢献した高島嘉右衛門は晩年こちら側に住んでいて、昔からちゃんと陸地だったところ、高いところなんだと思う。
そんな、横浜の奧、横浜以前からある何か。