歩いて稼いで珈琲ひとつ
- 更新日: 2018/02/21
街に出てコーヒーでも飲もう。それにしても、このコーヒーという飲み物はいつからこんなに高くなったのだろうか。
そうだ。街に出てコーヒーでも飲もう。うん、そうだ。そうに違いない。
思い立ちました。思い立ったら仕方ない。
それにしても。
それにしてもだ。このコーヒーという飲み物はいつからこんなに高くなったのだろうか。プランテーションにおけるかつての非人道的な労働力の酷使が改善されつつあるのか。それともコーヒー需要の拡大による影響だろうか。
需要の拡大?
笑わせるな。「ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノ」などとカウンターで呟くそいつは結局のところコーヒーを飲んでいるのか?
勿論コンビニエンス・ストアで購入できるコーヒーも悪い味はしない。ただし今日はそういう気分ではない。腰を据えて、落ち着いて喫茶したいのだ。しかし繰り返しになるがそういった嗜好品にはそれ相応の値段が伴う。要するに高い。私はこうした駄文を売って日銭を稼いでいる身分だ。高い買い物には罪悪感が伴う。されども、今日はとにかくコーヒーなのだ。
では、高いものを買うときの罪悪感を消す方法は何か?わからないことは先人の知恵を借りる。基本だ。
必要な知識を辞典辞書から参照する。物書きの基本だ。
話を戻そう。がんばった自分。例えばそれは、電車賃を浮かした自分。己の足で歩いて、浮いたお金で高いコーヒーを飲んでも誰も文句は言わないだろう。そうだそうだ。僕はもともと、ここからちょっと離れたシティでコーヒーが飲みたかったのだ。
僕はシティボーイだから、徒歩でシティへ行き、浮いた電車賃でコーヒーを飲む。それも京都市の「し」は「シティ」の「シ」だ。
街でコーヒーを飲む。これだ。今日はこれだ。
まずは取り急ぎ最寄り駅のある四条大宮へ。
まだ本屋も開いてない時間だ。朝とコーヒー。
いや、これは「朝と珈琲」と表記するのが相応しかろう。
お、タリーズか。ここでも悪くない。
ソイラテで一息。それも素敵な午前の過ごし方のひとつ。
しかしまだ一銭たりとも電車賃を浮かせてはいない。見送りだ。しかもここは四条大宮。市内とはいえ一流のシティとは言い難い。せっかく外まで歩いてきたんだ、町ではなく街で喫茶するのが都会人の義務とでも言えよう。
四条通をつらつら歩き「町」を出て「街」へ行こう。電車に乗っても構わないが、ここは日本最大の盆地都市。交通手段に車輪がついてなくたって何の問題もない。読者諸君の邪推を先回りして言っておくが、シティボーイであることと倹約家であることは両立する。都会人が必ずしも、金を金とも思わぬ金遣いをしていると勘違いして欲しくはないね。都会に住むには知恵が要るんだ。
空はまだ白く、人通りもまばら。
陽もまだ昇りきらぬ時間帯。歩くには丁度良い。東へ進もう。
「いたずらをしないで下さい」?
しないよ。僕はシティボーイだからね。
何とも老舗っぽい佇まい。
「京都で一番安い弁当店」?そうだったのか。知らなかった。
いかんいかん、先を急ごう。午前の貴重な時間は待ってくれない。
都会人は時間を何より大切にする。
そんなハリーポッターの序盤みたいな場所に居を構えてるんだ……
もう何かに当たっちゃってない?
絶対わざとだよね。あざといね。
と、言っている間に油小路まで来た。
先はまだ長い。
ここにも喫茶店が。そもそもまだ開いていないし、営業中だとしてもここで立ち寄るわけにはいかない。
大宮駅から烏丸駅まで歩けば150円浮くわけだが、まだ道中。70円くらいしか浮いていないことになるからだ。
四条通をまだ進む。
観光客が目立ってきた。「シティ」に近づいてきたのか?
またもタリーズ。ちなみにタリーズの「本日のコーヒー」は320円。
阪急京都線で言えば河原町から茨木市駅まで。乗車時間で言えば特急で約25分。
あれ、コーヒーってそんなに高かったっけ。
ライブハウスMOJO。うむ、シティの香りが漂ってきたな。
そしてその横にまたカフェが。
セットは580円から。少し高いが、それを理由に見送るわけではない。
都会人に必要なのは適度な運動。それをこなした上で喫茶するのだ。
ホーリーズ。少し高いが……以下同文。
ん……?これはもしや??
阪急京都線烏丸駅、そして地下鉄四条駅。
紛れもない「シティ」だ。そしてこの時点で私は1駅分の運賃を浮かすことに成功したことになる。
当然スターバックスだって。なんたってここは「シティ」だ。
さて、大宮駅から一駅、烏丸駅まで歩いた。
つまり150円が浮いた。
今の手持ち金額は150円ということになる。
150円では残念ながらスターバックスに入店することは出来ない。スコーン的なものだけを買えば不可能ではないが、喫茶なくして都会人の朝とは言い難い。
何かあるはずだ。地下に降りよう。
ここも良さそうだが、難点はB1というところ。出来れば朝の日差しを浴びたい。
地下道を渡る。
イノダコーヒーか。悪くない。ただし地下だ。ここもパス。
まずは地上に。話はそれからだ。
ロッテリアが近くにあったような。150円で買い物できそうな気もするけど、あいにく今日はそういう気分じゃない。
奥に見えるエクセルシオールどころか、手前に映る吉野家で食事が出来るかもどうか怪しくなってきた。
浮いたお金はたったの150円。冷静に考えればこの額で喫茶店に入ろうというのが間違いかもしれない。
河原町まで行こうか?そうすればもう150円が浮く。
いや待てよ。そうじゃない。大宮スタートで換算しているから烏丸まで歩こうが河原町まで頑張ろうが結局の金額は同じ150円だ。
乗り換えるしか無い。ここは阪急京都線烏丸。地下鉄を使おう。
たったの一駅で210円もする。しかしありがたいことにたったの一駅で210円も浮かせることが出来る。
スターバックスもあるがショートサイズ280円から。今の僕には到底手の出る代物ではない。しかし。烏丸御池まで歩けばこちらの持ち金は150円から大きく跳ね上がり360円に。なんと丁度グランデサイズを買うことが出来るほどになる。
グランデ。
なんとアーバンな響きだろうか。グランデ、グランデ。嗚呼グランデ。素晴らしい。僕は今朝、グランデを頂くことにする。
このあたりはよく通る。
好きなお店も少なくないし、気になっている飲食店も多い。
とんかつ……。まあ朝から食べる物ではない。パス。
茶わん蒸し程度なら大丈夫か?いかんいかん。今の所持金は150円。
烏丸御池まで歩けばグランデ、ターンエンドだ。
東洞院蛸薬師のあたりは何度来ても飽きない。喫茶店も多い。
だめだ。まだ我慢だ。繰り返すが今の想定所持金は150円。地下鉄の初乗り料金を歩いて稼ぐまでは何も口にはしてはいけない。
「働かざるもの食うべからず」だ。
しかし逆に言えば「歩いて稼げば何を飲み食いしても可」だ。
歩こう。それで万事解決だ。歩いて稼げば何の問題もない。
そういえば烏丸御池駅すぐすこの三条烏丸にはスターバックスが。グランデは非常に現実的なプランになりつつある。
錦小路まで到着。
我ながら全く記憶にないが。どうやら本能的に食べ物を購入してしまったらしい。
暖を取る。これは本能的でありながらも極めて非動物的な欲求だ。言語、道具などに加えて「火」の使用も人間を人間たらしめる重要な要素であることは御存知の通り。つまり肉まんで暖を取ることは人間であれば当然のこと。遺伝子に組み込まれた避けられない宿命だったのだ。
そこにセブンイレブンがあったのだ、仕方ないだろう。良い気分になれるチャンスを素通りできるのは相当の忍耐力を要する。残念ながら若輩者の僕にまだそのレベルではなかったようだ。
しかしむしろラーメンやパスタなど所定の金額を超えた食事をしなかったことや、誘惑に負けて100円コーヒーに先走らなかったことだけは評価して欲しい。
繰り返すが「歩いて稼げば何を飲み食いしても可」。
この肉まんだって阪急京都線を歩いて手に入れた金だ。自分の足で稼いだ金だ。誰に文句も言わせないつもりだ。
心中でゴールに想定していた場所とはまた別のところにもスターバックス。
しかし駄目だ。入ることが出来ない。
今の想定所持金額は150円−100円=50円。
もう少し歩こう。あと一息で駅につく。さすれば一気に210円を手にしたことになる。
そうこうしているうちに着いた。こんな至近距離にスターバックスを乱立させるなよ。50年ちかく前のシアトルで誰がこの有様を想像しただろうか。
まあいい。これで晴れて喫茶開始だ。窓際のカウンターで朝日を浴びようじゃないか。残念ながらグランデは手に入らないが、大事なのは量ではない。他でもなくその質だ。京都に鴨川が2本あれば喜ばれるだろうか?そういうことだ。
と、ここで驚きの事実。
所持金を確認する。
150円(阪急)+210円(地下鉄)ー100円(肉まん)=260円。
しかしスターバックスのドリップコーヒーショートサイズは280円。
微妙に足りない。何度確認したところで足りないものは足りない。数字というのは非常に正確だ。日本語を操って白を黒にすることはできても、数字を何度こねくり回しても1+1を3以上の数にすることは出来ない。いや、どうだろうか。2乗すれば負の値となる虚数、際限なく続く円周率。数字の世界にだってエキセントリックな方法があるに違いない。きっとあるのだろう。
だが現時点で僕にその能力はない。電卓もなければ2桁の引き算も出来ないような男だ。想定所持金260円という右辺の三桁だけが現実だ。
今の自分にはグランデどころかショートサイズも身の丈に合わないという事実に愕然とする。
飲みたい。どうしても珈琲が飲みたい。
歩くしかない。
しかし。京都市地下鉄は初乗りが高いが、駅単位での運賃になっておらず、非常に距離に忠実だ。四条から1駅あるいて210円を稼いだが、今出川まで歩いてようやく2区間の260円に到達する。これでは割に合わない。
京都市役所前駅まで歩いても、三条京阪駅まであるいても210円には変わりない。
烏丸三条でしばし途方に暮れる。
コーヒーはすぐ目の前だと言うのに。ミニストップにするか?いや今日は気分じゃない。「ちょっとストップ」どころで済む気分じゃない。
セオリー的には乗り変えるしかないのだが、これ以上乗り変える路線がない。今日はもう諦めるしかないのか?
切歯扼腕。
悔やんでも悔やみきれないが資本主義経済における敗北を飲み込むほかあるまい。
足を止めると寒いのであてもなく北へ。烏丸御池に。
ん?
あれ?
バス!
そうだ、バスだ。バスに乗ったことにしよう。17世紀フランスにて、かのパスカルが考案したとされる魅惑のシステム。ラテン語の「オムニバス」が語源で、その意味は「すべての人のために」である。ありがとうパスカル。人間は考える葦。そして人間の勘定は足だ。
さらに河原町の方向へ進めば良いらしい。
少し曇っているが、心は晴れやかだ。美味しい珈琲が見えてきた。
さて、猛烈なスピードで歩き一駅をこなした。
想定所持金額はさっきまでの260円にバス代の230円をプラスして490円だ。
このあたりはシティ感が薄いので三条の中の方に戻る。
お、きったない雪の残骸。都会だ。
良い喫茶店がありそうな予感。
大した距離ではないにしろ、この寒さの中歩いたとなると結構な距離だ。並大抵の喫茶店で甘んじるわけにはいかない。
こちとら490円を握りしめた大富豪。もうスターバックスなんぞでは満足しない。
昔振られた女を見返してやるような気持ちで更なる上級のカフェを探す。
ポールスミスを発見。ここで買い物をするには東京や福岡からスタートするなどして新幹線代を浮かさないと駄目だ。
つまりこの理論から推察するにこのショップの客に京都人はひとりとして居ない。
と、三条通をぶらつく。
京都に詳しく、かつ勘の鋭い読者はもう気付いてるかもしれない。
そう、イノダコーヒーだ。
素晴らしい。まさに「珈琲」だ。
お願いすればカウンターの中から新聞だって出てくる。
決して静かではないが、かといってもちろん騒がしいわけではない。
適度な温度、適度な喧噪、適度な接客、そのうえで際立つ最上級の珈琲。
これが都会人の都会人による都会人のためだk
お金が足りませんでした。
いやあ、まさか足りないとはね。
たっか!!!イノダコーヒーたっか!!
美味しいだけあるわ。たっか!!なんやこれ!!
想定所持金は490円。会計額は大きく上回り560円。
70円の赤字。損失だ。
これをどうするか。
残された道は一つだ。
歩く。ただそれだけだ。行って飲むだけで良いのか?
違う。そう、行って帰るまでが喫茶だ。かつて居た場所に戻る。この神話的な円環構造こそが喫茶と散歩の本質だ。
つまり帰りの電車賃を浮かして稼げば何の問題もない。
徒歩。それは交通手段であり労働だ。
walkとworkとではたった2文字しか違わない。たったの2文字だ。松本零士であれば100%訴訟を起こすであろう微小な差異だ。walk はwork を裏切らないし、work はwalk を裏切らない。
僕は今日も歩く。どこかでお会いした際は遠慮なく声をかけて欲しい。
ひと駅向こうまで余分に歩いて一緒にお茶でもしようじゃないか。
思い立ちました。思い立ったら仕方ない。
それにしても。
それにしてもだ。このコーヒーという飲み物はいつからこんなに高くなったのだろうか。プランテーションにおけるかつての非人道的な労働力の酷使が改善されつつあるのか。それともコーヒー需要の拡大による影響だろうか。
需要の拡大?
笑わせるな。「ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノ」などとカウンターで呟くそいつは結局のところコーヒーを飲んでいるのか?
勿論コンビニエンス・ストアで購入できるコーヒーも悪い味はしない。ただし今日はそういう気分ではない。腰を据えて、落ち着いて喫茶したいのだ。しかし繰り返しになるがそういった嗜好品にはそれ相応の値段が伴う。要するに高い。私はこうした駄文を売って日銭を稼いでいる身分だ。高い買い物には罪悪感が伴う。されども、今日はとにかくコーヒーなのだ。
では、高いものを買うときの罪悪感を消す方法は何か?わからないことは先人の知恵を借りる。基本だ。
「がんばった自分へのご褒美はノーカン!」
(おんなのこ大辞典より引用)
必要な知識を辞典辞書から参照する。物書きの基本だ。
話を戻そう。がんばった自分。例えばそれは、電車賃を浮かした自分。己の足で歩いて、浮いたお金で高いコーヒーを飲んでも誰も文句は言わないだろう。そうだそうだ。僕はもともと、ここからちょっと離れたシティでコーヒーが飲みたかったのだ。
僕はシティボーイだから、徒歩でシティへ行き、浮いた電車賃でコーヒーを飲む。それも京都市の「し」は「シティ」の「シ」だ。
街でコーヒーを飲む。これだ。今日はこれだ。
お金は徒歩で。さながらコーヒーの抽出の如く
まずは取り急ぎ最寄り駅のある四条大宮へ。
まだ本屋も開いてない時間だ。朝とコーヒー。
いや、これは「朝と珈琲」と表記するのが相応しかろう。
お、タリーズか。ここでも悪くない。
ソイラテで一息。それも素敵な午前の過ごし方のひとつ。
しかしまだ一銭たりとも電車賃を浮かせてはいない。見送りだ。しかもここは四条大宮。市内とはいえ一流のシティとは言い難い。せっかく外まで歩いてきたんだ、町ではなく街で喫茶するのが都会人の義務とでも言えよう。
四条通をつらつら歩き「町」を出て「街」へ行こう。電車に乗っても構わないが、ここは日本最大の盆地都市。交通手段に車輪がついてなくたって何の問題もない。読者諸君の邪推を先回りして言っておくが、シティボーイであることと倹約家であることは両立する。都会人が必ずしも、金を金とも思わぬ金遣いをしていると勘違いして欲しくはないね。都会に住むには知恵が要るんだ。
空はまだ白く、人通りもまばら。
陽もまだ昇りきらぬ時間帯。歩くには丁度良い。東へ進もう。
「いたずらをしないで下さい」?
しないよ。僕はシティボーイだからね。
何とも老舗っぽい佇まい。
「京都で一番安い弁当店」?そうだったのか。知らなかった。
いかんいかん、先を急ごう。午前の貴重な時間は待ってくれない。
都会人は時間を何より大切にする。
そんなハリーポッターの序盤みたいな場所に居を構えてるんだ……
もう何かに当たっちゃってない?
絶対わざとだよね。あざといね。
と、言っている間に油小路まで来た。
先はまだ長い。
ここにも喫茶店が。そもそもまだ開いていないし、営業中だとしてもここで立ち寄るわけにはいかない。
大宮駅から烏丸駅まで歩けば150円浮くわけだが、まだ道中。70円くらいしか浮いていないことになるからだ。
四条通をまだ進む。
観光客が目立ってきた。「シティ」に近づいてきたのか?
またもタリーズ。ちなみにタリーズの「本日のコーヒー」は320円。
阪急京都線で言えば河原町から茨木市駅まで。乗車時間で言えば特急で約25分。
あれ、コーヒーってそんなに高かったっけ。
ライブハウスMOJO。うむ、シティの香りが漂ってきたな。
そしてその横にまたカフェが。
セットは580円から。少し高いが、それを理由に見送るわけではない。
都会人に必要なのは適度な運動。それをこなした上で喫茶するのだ。
ホーリーズ。少し高いが……以下同文。
ん……?これはもしや??
阪急京都線烏丸駅、そして地下鉄四条駅。
紛れもない「シティ」だ。そしてこの時点で私は1駅分の運賃を浮かすことに成功したことになる。
当然スターバックスだって。なんたってここは「シティ」だ。
さて、大宮駅から一駅、烏丸駅まで歩いた。
つまり150円が浮いた。
今の手持ち金額は150円ということになる。
150円では残念ながらスターバックスに入店することは出来ない。スコーン的なものだけを買えば不可能ではないが、喫茶なくして都会人の朝とは言い難い。
何かあるはずだ。地下に降りよう。
ここも良さそうだが、難点はB1というところ。出来れば朝の日差しを浴びたい。
地下道を渡る。
イノダコーヒーか。悪くない。ただし地下だ。ここもパス。
まずは地上に。話はそれからだ。
ロッテリアが近くにあったような。150円で買い物できそうな気もするけど、あいにく今日はそういう気分じゃない。
奥に見えるエクセルシオールどころか、手前に映る吉野家で食事が出来るかもどうか怪しくなってきた。
浮いたお金はたったの150円。冷静に考えればこの額で喫茶店に入ろうというのが間違いかもしれない。
河原町まで行こうか?そうすればもう150円が浮く。
いや待てよ。そうじゃない。大宮スタートで換算しているから烏丸まで歩こうが河原町まで頑張ろうが結局の金額は同じ150円だ。
乗り換えるしか無い。ここは阪急京都線烏丸。地下鉄を使おう。
地下鉄へ乗り換える
京都の地下鉄は高い。愛馬阪急線の運賃を見習って頂きたいものだ。たったの一駅で210円もする。しかしありがたいことにたったの一駅で210円も浮かせることが出来る。
スターバックスもあるがショートサイズ280円から。今の僕には到底手の出る代物ではない。しかし。烏丸御池まで歩けばこちらの持ち金は150円から大きく跳ね上がり360円に。なんと丁度グランデサイズを買うことが出来るほどになる。
なんとアーバンな響きだろうか。グランデ、グランデ。嗚呼グランデ。素晴らしい。僕は今朝、グランデを頂くことにする。
このあたりはよく通る。
好きなお店も少なくないし、気になっている飲食店も多い。
とんかつ……。まあ朝から食べる物ではない。パス。
茶わん蒸し程度なら大丈夫か?いかんいかん。今の所持金は150円。
烏丸御池まで歩けばグランデ、ターンエンドだ。
東洞院蛸薬師のあたりは何度来ても飽きない。喫茶店も多い。
だめだ。まだ我慢だ。繰り返すが今の想定所持金は150円。地下鉄の初乗り料金を歩いて稼ぐまでは何も口にはしてはいけない。
「働かざるもの食うべからず」だ。
しかし逆に言えば「歩いて稼げば何を飲み食いしても可」だ。
歩こう。それで万事解決だ。歩いて稼げば何の問題もない。
そういえば烏丸御池駅すぐすこの三条烏丸にはスターバックスが。グランデは非常に現実的なプランになりつつある。
錦小路まで到着。
一萬の失敗
しまった。つい。我ながら全く記憶にないが。どうやら本能的に食べ物を購入してしまったらしい。
暖を取る。これは本能的でありながらも極めて非動物的な欲求だ。言語、道具などに加えて「火」の使用も人間を人間たらしめる重要な要素であることは御存知の通り。つまり肉まんで暖を取ることは人間であれば当然のこと。遺伝子に組み込まれた避けられない宿命だったのだ。
そこにセブンイレブンがあったのだ、仕方ないだろう。良い気分になれるチャンスを素通りできるのは相当の忍耐力を要する。残念ながら若輩者の僕にまだそのレベルではなかったようだ。
しかしむしろラーメンやパスタなど所定の金額を超えた食事をしなかったことや、誘惑に負けて100円コーヒーに先走らなかったことだけは評価して欲しい。
繰り返すが「歩いて稼げば何を飲み食いしても可」。
この肉まんだって阪急京都線を歩いて手に入れた金だ。自分の足で稼いだ金だ。誰に文句も言わせないつもりだ。
心中でゴールに想定していた場所とはまた別のところにもスターバックス。
しかし駄目だ。入ることが出来ない。
今の想定所持金額は150円−100円=50円。
もう少し歩こう。あと一息で駅につく。さすれば一気に210円を手にしたことになる。
そうこうしているうちに着いた。こんな至近距離にスターバックスを乱立させるなよ。50年ちかく前のシアトルで誰がこの有様を想像しただろうか。
まあいい。これで晴れて喫茶開始だ。窓際のカウンターで朝日を浴びようじゃないか。残念ながらグランデは手に入らないが、大事なのは量ではない。他でもなくその質だ。京都に鴨川が2本あれば喜ばれるだろうか?そういうことだ。
と、ここで驚きの事実。
所持金を確認する。
150円(阪急)+210円(地下鉄)ー100円(肉まん)=260円。
しかしスターバックスのドリップコーヒーショートサイズは280円。
微妙に足りない。何度確認したところで足りないものは足りない。数字というのは非常に正確だ。日本語を操って白を黒にすることはできても、数字を何度こねくり回しても1+1を3以上の数にすることは出来ない。いや、どうだろうか。2乗すれば負の値となる虚数、際限なく続く円周率。数字の世界にだってエキセントリックな方法があるに違いない。きっとあるのだろう。
だが現時点で僕にその能力はない。電卓もなければ2桁の引き算も出来ないような男だ。想定所持金260円という右辺の三桁だけが現実だ。
今の自分にはグランデどころかショートサイズも身の丈に合わないという事実に愕然とする。
飲みたい。どうしても珈琲が飲みたい。
歩くしかない。
しかし。京都市地下鉄は初乗りが高いが、駅単位での運賃になっておらず、非常に距離に忠実だ。四条から1駅あるいて210円を稼いだが、今出川まで歩いてようやく2区間の260円に到達する。これでは割に合わない。
京都市役所前駅まで歩いても、三条京阪駅まであるいても210円には変わりない。
烏丸三条でしばし途方に暮れる。
コーヒーはすぐ目の前だと言うのに。ミニストップにするか?いや今日は気分じゃない。「ちょっとストップ」どころで済む気分じゃない。
セオリー的には乗り変えるしかないのだが、これ以上乗り変える路線がない。今日はもう諦めるしかないのか?
切歯扼腕。
悔やんでも悔やみきれないが資本主義経済における敗北を飲み込むほかあるまい。
足を止めると寒いのであてもなく北へ。烏丸御池に。
ん?
あれ?
バス!
バスという発明
そうだ、バスだ。バスに乗ったことにしよう。17世紀フランスにて、かのパスカルが考案したとされる魅惑のシステム。ラテン語の「オムニバス」が語源で、その意味は「すべての人のために」である。ありがとうパスカル。人間は考える葦。そして人間の勘定は足だ。
さらに河原町の方向へ進めば良いらしい。
少し曇っているが、心は晴れやかだ。美味しい珈琲が見えてきた。
さて、猛烈なスピードで歩き一駅をこなした。
想定所持金額はさっきまでの260円にバス代の230円をプラスして490円だ。
このあたりはシティ感が薄いので三条の中の方に戻る。
お、きったない雪の残骸。都会だ。
良い喫茶店がありそうな予感。
大した距離ではないにしろ、この寒さの中歩いたとなると結構な距離だ。並大抵の喫茶店で甘んじるわけにはいかない。
こちとら490円を握りしめた大富豪。もうスターバックスなんぞでは満足しない。
昔振られた女を見返してやるような気持ちで更なる上級のカフェを探す。
ポールスミスを発見。ここで買い物をするには東京や福岡からスタートするなどして新幹線代を浮かさないと駄目だ。
つまりこの理論から推察するにこのショップの客に京都人はひとりとして居ない。
と、三条通をぶらつく。
京都に詳しく、かつ勘の鋭い読者はもう気付いてるかもしれない。
そう、イノダコーヒーだ。
素晴らしい。まさに「珈琲」だ。
お願いすればカウンターの中から新聞だって出てくる。
決して静かではないが、かといってもちろん騒がしいわけではない。
適度な温度、適度な喧噪、適度な接客、そのうえで際立つ最上級の珈琲。
これが都会人の都会人による都会人のためだk
お金が足りませんでした。
いやあ、まさか足りないとはね。
たっか!!!イノダコーヒーたっか!!
美味しいだけあるわ。たっか!!なんやこれ!!
想定所持金は490円。会計額は大きく上回り560円。
70円の赤字。損失だ。
これをどうするか。
残された道は一つだ。
歩く。ただそれだけだ。行って飲むだけで良いのか?
違う。そう、行って帰るまでが喫茶だ。かつて居た場所に戻る。この神話的な円環構造こそが喫茶と散歩の本質だ。
つまり帰りの電車賃を浮かして稼げば何の問題もない。
徒歩。それは交通手段であり労働だ。
walkとworkとではたった2文字しか違わない。たったの2文字だ。松本零士であれば100%訴訟を起こすであろう微小な差異だ。walk はwork を裏切らないし、work はwalk を裏切らない。
僕は今日も歩く。どこかでお会いした際は遠慮なく声をかけて欲しい。
ひと駅向こうまで余分に歩いて一緒にお茶でもしようじゃないか。