新宿に獅子舞が出現したらどうなるかを妄想する
- 更新日: 2021/07/20
新宿の獅子舞を妄想する。
獅子舞が開催されていない昨今。日本全国の獅子舞をあれこれと取材したい気分なのだが...新型コロナウイルスの流行によって、その機会はかなり少なくなっている。しかし、獅子舞を取材していた時の記憶は頭の中にある。その時の記憶を引っ張り出して、勝手に一人で街歩きをする行為を「妄想による獅子舞マニア散歩」と呼ぶことにする。
今回は地域の家を一軒一軒回るような、田舎によくある以下の写真のような獅子舞(4本足で2人立ち)を妄想しながら散歩を楽しむことにしよう。これは地域コミュニティがあって、住民が担い手となり実施するような獅子舞のことだ。獅子舞には種類がいろいろあって、例えば都会によくある神社のみで舞う奉納目的のものもあれば、パフォーマンスを重視した舞台の上で演じるものもある。ただ、これらを妄想しても、街歩きには発展しない。私は街の新しい見方を考えたいので、あえて田舎の地域の家を一軒一軒回るような獅子舞を妄想することにしたい。
ちなみに新型コロナウイルスが流行する前、獅子舞の祭りが実施されていた時には、妄想に頼る必要がなかった。リアルな獅子舞を追いかけて、街の新しい見方を考えたのが「獅子舞マニア散歩」というシリーズだ。例えば、この記事を参考にしていただきたい。
僕がこれからご紹介する「妄想による獅子舞マニア散歩」は、「獅子舞マニア散歩」の発展系である。実物の獅子舞を見ずとも、獅子舞の動きと街の見え方の変化を予測していくという高度でマニアックな散歩なのだ。それではこの散歩を始める前に、地域の家を一軒一軒回るような田舎の獅子舞のあるある話について紹介しておきたい。
これらのポイントに着目しながら、散歩をしていきたい。同時に、このような散歩は可能性を探る行為でもある。例えば、明治時代に日本を旅した旅行家・イザベラバード は個人的好奇心の裏にキリスト教布教の可能性を探る視点を持っていたと言われる。それと同様に、獅子舞はこの土地に馴染むだろうか?という視点を持って妄想を膨らませたい。
今回の「妄想による獅子舞マニア散歩」の舞台は東京のど真ん中、新宿。ここで普段行われていない地域の家を一軒一軒回るような獅子舞が登場したら、どのような風景が見られるのかを妄想していきたい。
まずは、四谷三丁目駅に降り立った。ここから新宿駅に向かって、あれこれと寄り道しながら歩き、妄想による獅子舞マニア散歩を楽しむこととする。
獅子舞は神社への奉納の舞いから始まる。ここで散歩の途中に見つけた神社の写真を貼っておく。新宿には既に花園神社の酉の市に登場する獅子舞がある。しかし、神社の外まで出て地域の家一軒一軒を回って舞う田舎でやるような獅子舞というのは聞いたことがない。そのような獅子舞ができるとしたら、このようなこじんまりと地域に溶け込んだかのような神社の存在が重要になるだろう。ここから獅子舞を開始するというのも良いかもしれない。
チャリンコがたくさん並べられている。これは都会ならではの光景だ。獅子舞が数多く残る地方の田舎には、こんなにチャリンコが停められている風景をあまり見ない。近場でも車で移動する人が多いかもしれない。田舎での獅子舞取材の際に、徒歩5分なのに車で送り迎えしてくれたこともあった。獅子舞を行うには、道幅が広いことが望ましいが、チャリンコが停められていることで少し道幅が狭くなっている。逆に、獅子舞が舞っていると、チャリンコを停める人を少し妨害してしまいそうで、ちょっと恐縮である。
交通量調査員が座っている。田舎ではあまり見ることのない光景である。獅子舞は通常、家々を順々に回るときに、歩道だけでなく車が通る道路まではみ出してしまうことも多い。そういう場合、車はその場で一旦停止をするか、違う道をいくことになる。でも、これだけ交通量が多いと、獅子舞が道路にはみ出していたら渋滞と混乱が起きるだろう。その場合は、一車線通行止めなどが必要である。神輿が練り歩く場合は、新宿でも道路を通行止めにすることがあるようなので、そこはすんなり受け入れられるかもしれない。
新宿の交通量が多いところでは、信号待ちでこれだけの車が並ぶ。獅子舞がはみ出す隙がない。
新宿の街並みの片隅に、伝統的景観をみる。これは韓国料理を提供しているお店らしい。こういう場所の人はもしかすると民俗芸能に理解があり、獅子舞に興味があるかも?と雑な予測をしてみる。
不動産の物件情報がとても多い。窓一面を覆い尽くしている。獅子舞を開催すると建物の中から外を覗くという行為があちこちに見られるが、この様子だと少し難しいかもしれない。しかし、物件情報の紙の間から多少は覗くことができそうだ。
新宿は裏道に入らない限り道幅が広い。道幅が広いと獅子舞はゆったり歩ける。
木を守護するようにUber Eatsのチャリンコが停まっていた。やはり獅子舞マニア的なフィルターを通すと、色々なものが守護獣に思えてくるらしい。
こういう歩道が狭い裏道がもし混雑する場合、獅子舞の肩身が狭くなってしまうので、交通封鎖も視野に入れねばならない。「通学路」と書いてはいるけれど..。
公道から庭などの空地を挟んで入り口があるような建物は獅子舞から見たら居心地が良い場所だろう。舞う際にスペースをたっぷりと確保できるからだ。日本全国に空地の事例は見られ、例えば、長野県の木曽平沢では建物前に「アガモチ」という空地を設けることで、湾曲する道でも全家屋を一定方向に向けて建てるという工夫をする。しかし、獅子舞を演ずるために空地を設けたという事例は聞いたことがない。
新宿の建物はいろんな形をしていて面白い。とりわけ中央部の湾曲して光っている建物がどことなく気になる。建物の反射が海の波を連想させる。
建物の入り口前には空地ではなく、地下や上の階に向けて階段が設けられている場合もある。こういう建物で獅子舞が舞っている姿は見たことがないので、どのように舞うのか気になる。基本的に獅子舞は家の外で舞うが、玄関や店の中に顔を突っ込んだり出したりすることもあるので、そういう場合を想定すると階段の上がり下がりがあるということになる。舞いながらとなると、少し高度な技術が必要そうだ。
右側に「滑りやすいのでご注意ください」と書いてある。入り口が狭目なので、獅子舞がすっぽりとはまって抜け出せなくなっちゃうみたいなレアケースに遭遇できるかもしれない。
この建物は入り口までのアプローチがかなり長いので興奮する。獅子舞が中まで入って行けそうだ。
ここも素晴らしいアプローチだ。獅子頭を持って、油そば食べているお客さんの頭をいたずら心でたくさん噛んであげたら面白そうだ。油そばを吹き出してしまうかもしれない。
ちょっとカオスになりつつある路上園芸。
道幅が広い。ただし、歩道と車道の間に柵がある。獅子舞が車道にはみだせないので、柵を取り外し可能にするなど、工夫しなくてはいけないだろう。右側には宇宙村という隕石を売っているお店がある。看板に「願いが叶う隕石」と書かれており、なかなかの珍スポットと思われる。
樹上家屋的な冒険感満載なお店。獅子舞はこういう階段を登りながら、演舞できるだろうか。慎重で動きの小さな獅子舞を見られるかもしれない。
このUber Eatsは木を守護していなかった。カバンを下ろして、ゆったりとくつろいでいるようだ。休暇中である。その横を足早にチャリが通り過ぎた。
この建物のアプローチも良い。少し狭いが獅子舞が中まで入っていけそうだ。
歩道が広くて良い。裏道にも関わらず、これだけの道幅があれば、獅子舞も悠々と移動ができる。
足跡のマークで立ち、壁に張り付いた表を見れば、視力検査ができるらしい。視力検査なんてなかなかやる機会がないので、こういう光景を久しぶりに見た。獅子舞もここでひと休みして視力検査をしてみると良いだろう。
こういう場所を通ると、ついつい自分はどんな感じで歩いているのだろうとチラ見してしまう。獅子舞を演じる人にとっては、他人が撮影した写真や動画以外で自分の姿を見る機会はほぼないので、こういう場所で動きやファッションの確認をしておくと良いだろう。
新宿だとお酒飲むところはたくさんあるから、獅子舞後の打ち上げの場所には困らなそうだ。でも、だいたい混んでいるから、獅子舞関係者たちが大人数で集まった場合、席の確保はできるのだろうか。そう考えると、どこか会場をレンタルしてお酒を持ち込むのがベストかもしれない。
「たけし」というお店の名前は素朴で良い。「海鮮ぜいたく丼」をとても強調しており、インパクトが強い。
キックボードが見せしめになってるようだ。
引っ越しのトラック。こういうところから、いきなり獅子舞が飛び出してきたら面白いだろう。
中華料理店。獅子舞は中華街で頻繁に行われているので、親和性が高い。こういうお店の店先から手始めに獅子舞を始めてみるのも良いだろう。
階段の案内表示が互い違いになっている。壁面を思う存分活用している感じが良い。実際に各階の配置がこうなっているということなのだろうか。もしくは、単純な遊び心ということかもしれない。松田ビルの看板の位置が絶妙で面白い。その光景を横から林ビルが見ている。
この建物の奥へのアプローチも良い。しかし、通せんぼしている。
新宿御苑の森。獅子舞たちがほっと一息つける休憩スペースは、こういう広くて緑豊かなゆったりとした空間なのかもしれない。
どことなく海外の路地を思わせる場所。「お気軽に唄える店!!」という看板がある。そういえば、獅子舞とカラオケ大会がセットになっている地域もあったなと思い出す。
獅子舞に限らず、祭りに水分補給は欠かせない。これだけ大量の自販機があれば、飲み物に困らなそうだ。
路地裏のカオス。
新宿駅が近くなると、人が多くなってきた。こういう場所で獅子舞をすると、すぐに人だかりができそうだ。
エスカレーターから獅子舞が登場してきたら結構シュールだ。
歩道に歴史的な地図が描いてあるが、多くの人は気に留めることなく歩いている。なぜなら、新宿は田舎と比べると、上を見上げる回数が多い。ビルが高い分、目的地も目線より高いところにあって、看板も広告もそっちに全部集中している。しかし、多くの人が忘れ去ってしまった土地の過去を物語るものは常に足元、もっといえば道路や歩道の地下に眠っている。獅子舞然り、土地の歴史の掘り起こしをしたくなってきた。
ビルが高い、とても高い。例えば、最上階のお店が祭りの日に、獅子舞に厄払いをお願いするとしたらどのように実現できるだろうか。獅子舞は厄を払う側だから、厄を払ってもらう人間が見降ろすのは失礼にあたる。それならば、獅子舞に上まで上がってきてもらうしかない。しかし、このようなことの繰り返しで、ビルを上がったり下がったりしていたら、中々祭りが進まなそうだ。この矛盾をどう解決するかが獅子舞普及の肝になると思うのだが、その解決方法が全く見当たらない。
百貨店の搬入口は究極的に奥まっている。
このお店の店内へのアプローチにはビールの缶が敷き詰められている。
新宿で獅子舞を開催するには、エレベータに乗るということを想定しなければならない。
新宿駅前に到着。何に使うのかはわからないが、カラフルな広場がある。大きなオブジェも立っている。こういう場所で披露するパフォーマンスとしての獅子舞は現実的に考えて実現しやすいだろう。
獅子舞の演者の着替えや手荷物などは、こういうロッカーを有効活用して収納するのが良いかもしれない。しかし、更衣室がないので、結果的にはどこかのオフィスや会場を貸し切るしかないのかもしれない。
この空間は段差がある分、あまり人が通らない。鳩がのんびりとしている。路上ライブなどは禁止となっているらしい。獅子舞はここではできなさそうだ。
横断歩道が多すぎて、道路のしましまが異様に目立つ。シマウマを出現させたくなってきた。
新宿駅近くにも、よく見るとこういう昔の歴史に関する看板が貼られている。ほどんどの人は見ていない。江戸城普請の際は、多摩の方から石灰が運ばれてきたらしい。
地下道の壁面には、昔整備されていた街道に関する絵が描かれている。しかし、これに着目している人はほとんどいない。この高さだと、獅子神輿とか大きな部類の獅子は通ることができないだろう。獅子舞が通ったら渋滞になるかもしれない。しかし、地下道で獅子舞に遭遇するというレア体験ができるかもしれない。
思い出横丁。街灯を繋ぐように提灯が並んでいて、お祭り気分が味わえる場所。こういう場所でこそ、獅子舞普及の実験をしてみたい。獅子舞は新宿という街に受け入れられるのだろうか。想像は膨らむばかりだ。
こういう場所で獅子舞が向こうから歩いてきたら、避ける場所がなく頭をパクパクと噛まれるだろう。
史上稀にみるしましまスポットだ。シマウマかパンダがここに生息していたら、擬態した結果と言われても素直に納得しちゃうだろう。
これ!獅子舞の祭りの日によく見る光景だ。そう考えると、缶が道端に置いてあるというのもどこか味わい深いものがある。
こういうところにさりげなく獅子舞の写真飾ったら、たぶん憧れの対象として見られるだろう。
窓の数が非常に多い。ほとんど開けることなく利活用されてなさそうなので、全ての窓に獅子舞の鼻でも貼ったら面白そうだ。
最後に新宿という街を歩いてみて感じたことを述べておきたい。この街の地域コミュニティに獅子舞が突如として入り込もうとしたら、明らかに新しい形態の獅子舞が生まれる。建物への入り口に至るまでのアプローチの多様さ、エレベーターやエスカレーターによる上下運動、地下に深く地上に高く伸びる空間や地下道などに、獅子舞はどのように対応していくべきだろうか。人間が環境適応していったように、おそらく獅子舞も環境適応していくことが生き残るすべであろう。
そのことを考える上で鍵を握るのが、上下運動の時間的ロスである。高いビルを店舗ごとにお祓いしていたら、労力がいくらあっても追いつかない。だから、ビルごとにお祓いしていくしかないだろう。ビルごとにお祓いするとなると、最上階が獅子舞を見下ろすポジションにいると失礼なので、必然的に獅子舞はビルの高さを超えるものを作らねばならない。こうなるともはや人が入って舞うことはできない。それゆえ、1日だけ新宿の道路を全面封鎖して、青森のねぷたの超大きいバージョンの獅子神輿を作り道路を練り歩くしかないという発想になる。新宿で獅子舞を実現するとしたら、このような獅子神輿を作るしかないだろう。
今回は地域の家を一軒一軒回るような、田舎によくある以下の写真のような獅子舞(4本足で2人立ち)を妄想しながら散歩を楽しむことにしよう。これは地域コミュニティがあって、住民が担い手となり実施するような獅子舞のことだ。獅子舞には種類がいろいろあって、例えば都会によくある神社のみで舞う奉納目的のものもあれば、パフォーマンスを重視した舞台の上で演じるものもある。ただ、これらを妄想しても、街歩きには発展しない。私は街の新しい見方を考えたいので、あえて田舎の地域の家を一軒一軒回るような獅子舞を妄想することにしたい。
ちなみに新型コロナウイルスが流行する前、獅子舞の祭りが実施されていた時には、妄想に頼る必要がなかった。リアルな獅子舞を追いかけて、街の新しい見方を考えたのが「獅子舞マニア散歩」というシリーズだ。例えば、この記事を参考にしていただきたい。
【石川県加賀市】獅子舞マニア散歩vol3 柴山町|ジモトぶらぶらマガジン サンポー
獅子舞は、町内をぐるりと一周する。僕はその獅子舞にくっついて歩く。
僕がこれからご紹介する「妄想による獅子舞マニア散歩」は、「獅子舞マニア散歩」の発展系である。実物の獅子舞を見ずとも、獅子舞の動きと街の見え方の変化を予測していくという高度でマニアックな散歩なのだ。それではこの散歩を始める前に、地域の家を一軒一軒回るような田舎の獅子舞のあるある話について紹介しておきたい。
<田舎の獅子舞あるある>
・獅子舞が通れる道があり少なからず道幅が広い、もしくは交通量が少ない。
・家の前の道から玄関先までのアプローチが長く、獅子舞を行いやすい。
・玄関が広く段差がほとんどないので、獅子舞が玄関の中まで飛び込めちゃう。
・2階建て以上の高い建物はなく、地上に玄関がある。階段を登ったり、エスカレーターに乗ったりして玄関までたどり着くというシチュエーションがほぼない。
・獅子舞を神様と考える場合、上から見下すという行為は失礼にあたるが、高い建物がないので、そのような状況にはなりにくい。
・獅子舞は胴体が大きい場合、尻尾などがよく道路にはみ出す。
これらのポイントに着目しながら、散歩をしていきたい。同時に、このような散歩は可能性を探る行為でもある。例えば、明治時代に日本を旅した旅行家・イザベラバード は個人的好奇心の裏にキリスト教布教の可能性を探る視点を持っていたと言われる。それと同様に、獅子舞はこの土地に馴染むだろうか?という視点を持って妄想を膨らませたい。
今回の「妄想による獅子舞マニア散歩」の舞台は東京のど真ん中、新宿。ここで普段行われていない地域の家を一軒一軒回るような獅子舞が登場したら、どのような風景が見られるのかを妄想していきたい。
まずは、四谷三丁目駅に降り立った。ここから新宿駅に向かって、あれこれと寄り道しながら歩き、妄想による獅子舞マニア散歩を楽しむこととする。
獅子舞は神社への奉納の舞いから始まる。ここで散歩の途中に見つけた神社の写真を貼っておく。新宿には既に花園神社の酉の市に登場する獅子舞がある。しかし、神社の外まで出て地域の家一軒一軒を回って舞う田舎でやるような獅子舞というのは聞いたことがない。そのような獅子舞ができるとしたら、このようなこじんまりと地域に溶け込んだかのような神社の存在が重要になるだろう。ここから獅子舞を開始するというのも良いかもしれない。
チャリンコがたくさん並べられている。これは都会ならではの光景だ。獅子舞が数多く残る地方の田舎には、こんなにチャリンコが停められている風景をあまり見ない。近場でも車で移動する人が多いかもしれない。田舎での獅子舞取材の際に、徒歩5分なのに車で送り迎えしてくれたこともあった。獅子舞を行うには、道幅が広いことが望ましいが、チャリンコが停められていることで少し道幅が狭くなっている。逆に、獅子舞が舞っていると、チャリンコを停める人を少し妨害してしまいそうで、ちょっと恐縮である。
交通量調査員が座っている。田舎ではあまり見ることのない光景である。獅子舞は通常、家々を順々に回るときに、歩道だけでなく車が通る道路まではみ出してしまうことも多い。そういう場合、車はその場で一旦停止をするか、違う道をいくことになる。でも、これだけ交通量が多いと、獅子舞が道路にはみ出していたら渋滞と混乱が起きるだろう。その場合は、一車線通行止めなどが必要である。神輿が練り歩く場合は、新宿でも道路を通行止めにすることがあるようなので、そこはすんなり受け入れられるかもしれない。
新宿の交通量が多いところでは、信号待ちでこれだけの車が並ぶ。獅子舞がはみ出す隙がない。
新宿の街並みの片隅に、伝統的景観をみる。これは韓国料理を提供しているお店らしい。こういう場所の人はもしかすると民俗芸能に理解があり、獅子舞に興味があるかも?と雑な予測をしてみる。
不動産の物件情報がとても多い。窓一面を覆い尽くしている。獅子舞を開催すると建物の中から外を覗くという行為があちこちに見られるが、この様子だと少し難しいかもしれない。しかし、物件情報の紙の間から多少は覗くことができそうだ。
新宿は裏道に入らない限り道幅が広い。道幅が広いと獅子舞はゆったり歩ける。
木を守護するようにUber Eatsのチャリンコが停まっていた。やはり獅子舞マニア的なフィルターを通すと、色々なものが守護獣に思えてくるらしい。
こういう歩道が狭い裏道がもし混雑する場合、獅子舞の肩身が狭くなってしまうので、交通封鎖も視野に入れねばならない。「通学路」と書いてはいるけれど..。
公道から庭などの空地を挟んで入り口があるような建物は獅子舞から見たら居心地が良い場所だろう。舞う際にスペースをたっぷりと確保できるからだ。日本全国に空地の事例は見られ、例えば、長野県の木曽平沢では建物前に「アガモチ」という空地を設けることで、湾曲する道でも全家屋を一定方向に向けて建てるという工夫をする。しかし、獅子舞を演ずるために空地を設けたという事例は聞いたことがない。
新宿の建物はいろんな形をしていて面白い。とりわけ中央部の湾曲して光っている建物がどことなく気になる。建物の反射が海の波を連想させる。
建物の入り口前には空地ではなく、地下や上の階に向けて階段が設けられている場合もある。こういう建物で獅子舞が舞っている姿は見たことがないので、どのように舞うのか気になる。基本的に獅子舞は家の外で舞うが、玄関や店の中に顔を突っ込んだり出したりすることもあるので、そういう場合を想定すると階段の上がり下がりがあるということになる。舞いながらとなると、少し高度な技術が必要そうだ。
右側に「滑りやすいのでご注意ください」と書いてある。入り口が狭目なので、獅子舞がすっぽりとはまって抜け出せなくなっちゃうみたいなレアケースに遭遇できるかもしれない。
この建物は入り口までのアプローチがかなり長いので興奮する。獅子舞が中まで入って行けそうだ。
ここも素晴らしいアプローチだ。獅子頭を持って、油そば食べているお客さんの頭をいたずら心でたくさん噛んであげたら面白そうだ。油そばを吹き出してしまうかもしれない。
ちょっとカオスになりつつある路上園芸。
道幅が広い。ただし、歩道と車道の間に柵がある。獅子舞が車道にはみだせないので、柵を取り外し可能にするなど、工夫しなくてはいけないだろう。右側には宇宙村という隕石を売っているお店がある。看板に「願いが叶う隕石」と書かれており、なかなかの珍スポットと思われる。
樹上家屋的な冒険感満載なお店。獅子舞はこういう階段を登りながら、演舞できるだろうか。慎重で動きの小さな獅子舞を見られるかもしれない。
このUber Eatsは木を守護していなかった。カバンを下ろして、ゆったりとくつろいでいるようだ。休暇中である。その横を足早にチャリが通り過ぎた。
この建物のアプローチも良い。少し狭いが獅子舞が中まで入っていけそうだ。
歩道が広くて良い。裏道にも関わらず、これだけの道幅があれば、獅子舞も悠々と移動ができる。
足跡のマークで立ち、壁に張り付いた表を見れば、視力検査ができるらしい。視力検査なんてなかなかやる機会がないので、こういう光景を久しぶりに見た。獅子舞もここでひと休みして視力検査をしてみると良いだろう。
こういう場所を通ると、ついつい自分はどんな感じで歩いているのだろうとチラ見してしまう。獅子舞を演じる人にとっては、他人が撮影した写真や動画以外で自分の姿を見る機会はほぼないので、こういう場所で動きやファッションの確認をしておくと良いだろう。
新宿だとお酒飲むところはたくさんあるから、獅子舞後の打ち上げの場所には困らなそうだ。でも、だいたい混んでいるから、獅子舞関係者たちが大人数で集まった場合、席の確保はできるのだろうか。そう考えると、どこか会場をレンタルしてお酒を持ち込むのがベストかもしれない。
「たけし」というお店の名前は素朴で良い。「海鮮ぜいたく丼」をとても強調しており、インパクトが強い。
キックボードが見せしめになってるようだ。
引っ越しのトラック。こういうところから、いきなり獅子舞が飛び出してきたら面白いだろう。
中華料理店。獅子舞は中華街で頻繁に行われているので、親和性が高い。こういうお店の店先から手始めに獅子舞を始めてみるのも良いだろう。
階段の案内表示が互い違いになっている。壁面を思う存分活用している感じが良い。実際に各階の配置がこうなっているということなのだろうか。もしくは、単純な遊び心ということかもしれない。松田ビルの看板の位置が絶妙で面白い。その光景を横から林ビルが見ている。
この建物の奥へのアプローチも良い。しかし、通せんぼしている。
新宿御苑の森。獅子舞たちがほっと一息つける休憩スペースは、こういう広くて緑豊かなゆったりとした空間なのかもしれない。
どことなく海外の路地を思わせる場所。「お気軽に唄える店!!」という看板がある。そういえば、獅子舞とカラオケ大会がセットになっている地域もあったなと思い出す。
獅子舞に限らず、祭りに水分補給は欠かせない。これだけ大量の自販機があれば、飲み物に困らなそうだ。
路地裏のカオス。
新宿駅が近くなると、人が多くなってきた。こういう場所で獅子舞をすると、すぐに人だかりができそうだ。
エスカレーターから獅子舞が登場してきたら結構シュールだ。
歩道に歴史的な地図が描いてあるが、多くの人は気に留めることなく歩いている。なぜなら、新宿は田舎と比べると、上を見上げる回数が多い。ビルが高い分、目的地も目線より高いところにあって、看板も広告もそっちに全部集中している。しかし、多くの人が忘れ去ってしまった土地の過去を物語るものは常に足元、もっといえば道路や歩道の地下に眠っている。獅子舞然り、土地の歴史の掘り起こしをしたくなってきた。
ビルが高い、とても高い。例えば、最上階のお店が祭りの日に、獅子舞に厄払いをお願いするとしたらどのように実現できるだろうか。獅子舞は厄を払う側だから、厄を払ってもらう人間が見降ろすのは失礼にあたる。それならば、獅子舞に上まで上がってきてもらうしかない。しかし、このようなことの繰り返しで、ビルを上がったり下がったりしていたら、中々祭りが進まなそうだ。この矛盾をどう解決するかが獅子舞普及の肝になると思うのだが、その解決方法が全く見当たらない。
百貨店の搬入口は究極的に奥まっている。
このお店の店内へのアプローチにはビールの缶が敷き詰められている。
新宿で獅子舞を開催するには、エレベータに乗るということを想定しなければならない。
新宿駅前に到着。何に使うのかはわからないが、カラフルな広場がある。大きなオブジェも立っている。こういう場所で披露するパフォーマンスとしての獅子舞は現実的に考えて実現しやすいだろう。
獅子舞の演者の着替えや手荷物などは、こういうロッカーを有効活用して収納するのが良いかもしれない。しかし、更衣室がないので、結果的にはどこかのオフィスや会場を貸し切るしかないのかもしれない。
この空間は段差がある分、あまり人が通らない。鳩がのんびりとしている。路上ライブなどは禁止となっているらしい。獅子舞はここではできなさそうだ。
横断歩道が多すぎて、道路のしましまが異様に目立つ。シマウマを出現させたくなってきた。
新宿駅近くにも、よく見るとこういう昔の歴史に関する看板が貼られている。ほどんどの人は見ていない。江戸城普請の際は、多摩の方から石灰が運ばれてきたらしい。
地下道の壁面には、昔整備されていた街道に関する絵が描かれている。しかし、これに着目している人はほとんどいない。この高さだと、獅子神輿とか大きな部類の獅子は通ることができないだろう。獅子舞が通ったら渋滞になるかもしれない。しかし、地下道で獅子舞に遭遇するというレア体験ができるかもしれない。
思い出横丁。街灯を繋ぐように提灯が並んでいて、お祭り気分が味わえる場所。こういう場所でこそ、獅子舞普及の実験をしてみたい。獅子舞は新宿という街に受け入れられるのだろうか。想像は膨らむばかりだ。
こういう場所で獅子舞が向こうから歩いてきたら、避ける場所がなく頭をパクパクと噛まれるだろう。
史上稀にみるしましまスポットだ。シマウマかパンダがここに生息していたら、擬態した結果と言われても素直に納得しちゃうだろう。
これ!獅子舞の祭りの日によく見る光景だ。そう考えると、缶が道端に置いてあるというのもどこか味わい深いものがある。
こういうところにさりげなく獅子舞の写真飾ったら、たぶん憧れの対象として見られるだろう。
窓の数が非常に多い。ほとんど開けることなく利活用されてなさそうなので、全ての窓に獅子舞の鼻でも貼ったら面白そうだ。
最後に新宿という街を歩いてみて感じたことを述べておきたい。この街の地域コミュニティに獅子舞が突如として入り込もうとしたら、明らかに新しい形態の獅子舞が生まれる。建物への入り口に至るまでのアプローチの多様さ、エレベーターやエスカレーターによる上下運動、地下に深く地上に高く伸びる空間や地下道などに、獅子舞はどのように対応していくべきだろうか。人間が環境適応していったように、おそらく獅子舞も環境適応していくことが生き残るすべであろう。
そのことを考える上で鍵を握るのが、上下運動の時間的ロスである。高いビルを店舗ごとにお祓いしていたら、労力がいくらあっても追いつかない。だから、ビルごとにお祓いしていくしかないだろう。ビルごとにお祓いするとなると、最上階が獅子舞を見下ろすポジションにいると失礼なので、必然的に獅子舞はビルの高さを超えるものを作らねばならない。こうなるともはや人が入って舞うことはできない。それゆえ、1日だけ新宿の道路を全面封鎖して、青森のねぷたの超大きいバージョンの獅子神輿を作り道路を練り歩くしかないという発想になる。新宿で獅子舞を実現するとしたら、このような獅子神輿を作るしかないだろう。