獅子舞お断り看板を探す3【兵庫県神戸市】

  • 更新日: 2023/02/07

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獅子舞お断り看板 ダブルバージョン

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今回は関西までの遠征だ。青春18きっぷを使って関東から向かうので長旅である。以前「獅子舞お断り看板を探す」という記事を書かせていただいたところ、Twitterでの反響が大きく、さらなる看板目撃情報が寄せられた。

獅子舞お断り看板を探す|ジモトぶらぶらマガジン サンポー

突然だが「獅子舞お断り看板」をご存知だろうか?正月などにパクパクと頭を噛んでくれるあの縁起物の獅子舞がお断りされてしまうなんて!と驚く方もいるだろう。戦後、警察署の名義で商店や個人宅などに、数…


なぜ縁起の良い獅子舞が「お断り」なのか?その謎を解くために、今回はフォロワーさんに事前に場所を教えていただき、兵庫県神戸市長田区を訪れた。獅子舞のお断り看板が建てられた理由や、どのような地域にその看板が立てられやすいのかという性質にまで迫っていきたい。


神戸市長田区の情報を入手

ある日、フォロワーさんから写真付きでこの様なメッセージを頂いた。

「初めまして。これは神戸市長田区の獅子舞お断り看板です(2019年6月撮影)。解体されていなければ、まだ残っていると思います。神戸の山麓で震災の被害が少なかった所は、再建築不可の古い家屋が多いので、もしかしたらここ以外にもあるかもしれません。」


なるほど、神戸の山側というのは、震災で被害が少なかったらしい。しかも再建築不可物件が多いとのこと。再建築が不可ということは、建物を壊したとしても駐車場、家庭菜園、畑などにするしかなく、土地の使い道が限られる為、買い手が見つかりにくい土地になる。逆に言えば、倒壊寸前の古い家屋が数多く残る土地ということだ。情報も新しいので、獅子舞お断り看板が見つかる可能性も高い。さあ、現地に行ってみよう。


獅子舞お断り看板調査

日程:2022年12月20日
調査時間:1時間程度
場所:兵庫県神戸市長田区



神戸駅に降り立った。




バスに乗り込んだ。目指すのは長田区の鵯越(ひよどりごえ)だ。




バス停を降り立つと広がっていたのは、高台からの雄大な眺めだ。

鵯越といえば遡ること800年以上前、源平合戦の一ノ谷の戦いの時に、源氏の源義経が馬で駆け降り、平家方を奇襲した坂があるところだ。鹿が降るのを見て「同じ四つ足の動物である馬でも降れないわけはない」ということで、強行突破したところである。歴史の史実が頭の中に浮かんで、目の前の坂とリンクした。ここは意外と緩やかだが、もっと急な坂が上の方にあるみたいだ。




急な斜面に建つ家屋。地上1階が2階になっており、おそらく2階に玄関があるのだろう。ただもう空き家になっているからか、立ち入りできないようになっている。




少しずつ坂を下っていこう。源義経が降りた坂はこのように緩やかではなかったはずだ。少なからずこの坂を蛇行せずに直線的に降りたと思われる。その頃に比べれば、かなり通りやすい道になっているだろうし、民家の数は半端なく多くなっているはずだ。平安時代末期といえば、日本の人口は全国で約600万人しかいなかった。あの頃は源平合戦と飢饉で、日本人は歴史上まれに見る人口減少を経験した。おそらく空き家も幾らか存在していただろう。現代ほどそれが深刻だったかどうかはよくわからないけれど。




再建築不可物件が多い中、たまに新築の物件もある。少しずつ、開発が進んでいるのかもしれない。一抹の不安を感じながらも、ひとまず少しずつ坂を下って、教えていただいた場所に向かってみることにしよう。




坂の道が多いからだろうか。花が壁のところに吊るされていた。地面に置くとあまりにも坂が急すぎるから安定しないのかもしれないなどと推測してみる。




家の入り口には、坂の地形を利用して階段が設けられている。秘密基地のような、迷路を歩いているような感じが面白い。




今回は対象の物件をすぐに見つけることができた!蔦が這うどこか古びた家屋は、昭和の建築様式を思わせる。この建物に獅子舞お断り看板が取り付けられていると聞いている。さて、どこにあるのだろうか。




一階部分をのぞいてみると...あった!!!ゴミが大量に投棄されている真上、柱のところに緑の看板が貼られている。白色で書かれている文字をしっかりと読み取りたい。近くまで寄ってみよう。




すごい、獅子舞お断り看板がダブルで貼られている!これは初めて見た!右の家と左の家で2軒分、長田警察署が看板を発行したということだろう。

中にはもちろん人の気配はない。左の部屋は明かりがついているように錯覚してしまうが、これはちょうど部屋の中に太陽の光が差し込んでいるからのようだ。右の家が明治牛乳を頼んでいたのに対して、左の家は高脂肪の兵庫牛乳を頼んでいたらしい。そうか、昔は牛乳が宅配によって運ばれてきたわけだ。




一応、2階の部屋も見ておこう。なぜか階段を上ったテッペンに、ホウキが置かれていた。掃除でもしていたのだろうか。人の息吹のようなものが感じられた。




2階の玄関ドアの前には、獅子舞お断り看板がなかった。これはあくまでも推測に過ぎないが、1階の住民は獅子舞を断りたかった一方で、2階の住民は獅子舞を断ろうという気がなかったのかもしれない。ところで、LETTERSと書かれた郵便受けに紙が挟まっていた。

工事の紙だ...まさか、取り壊しか...?
と思って心配してよく見たら、単なる下水道工事のお知らせだった。令和4年の1月のことだから、もうそろそろこの下水道工事から1年経つわけだ。




それにしても下の方から見ると、この空き家、すごい斜面に建っているよなと思った。一階部分の中間くらいの高さに、表の道路が通っている。さあ、看板が無事に発見できたのだから、周辺も散策してみよう。




少し古めのアパートを発見。ただ、こちらは先ほどの空き家に比べると生活感があるので、人が住んでいそうな感じがする。そうそう、今まで獅子舞お断り看板を見つけた愛知県名古屋市も埼玉県川口市も、看板を発見した周辺はどこか生活感が外に漏れ出てそうな家が多かったことを思い出した。これ、もしかしたら獅子舞お断り看板探しの1つの手がかりになるかもしれない。




この家もかなり良い感じの味を出している。看板がありそうな雰囲気を醸し出していたので、ちょっと周りを観察してみる。




もう人は住んでいなさそうで、看板はなかった。蔦が下を這っており、壁面によじ登ろうとしていた。ここは確実に空き家だろう。




木に埋もれそうな小屋もあった。




玄関前の入り口のところにライオンの取っ手が付いたものがあった。ライオンが取っ手をガジガジと噛んでいるようなデザインだ。獅子舞の調査をしているとよく、こういうデザインにいちいち突っ込みたくなる。

さて、ここら辺でいっちょヒアリングを挟んでおこう。やはり今回も人に声をかけずにはいられない。坂の下から上ってくる白髪のおばあさんを発見!すかさず、声をかけてみることにした。




——すみません、そこの空き家に獅子舞お断り看板ってのがあったんですけど、ここらへんに獅子舞いたんですか?

いやいや、そんなん聞いたことない。見たことないですよ。

——ほんとですか、いま街歩きで看板を調べていて、珍しい看板があったので。そしたら、相当昔の看板なんですかね。

あそこに建ってるお家でしょ?

——あ、えっと。地図だと、ここのお家なんですけど。自販機があってその前です。
(グーグルマップを見せる)

ここでしょ、空き家のお家。もう潰さないかんお家だわ。

——ここに獅子舞の看板が立ってるんですけど。
あるの?獅子舞?聞いたことない。でも確かにこの家は古いわ。もう何十年も昔から立ってる。

——ずっと空き家なんですか?
うん、ずっと空き家。もうどなたも住んでないわ。この街に住んでもう50年になるけど、獅子舞は聞いたことないわ。今度通ったら見てみます。ありがとう。




こちらが色々教えてもらってお礼を言うべきだが、相手からお礼を言ってくれた。神戸の人は気さくで話しやすい雰囲気だと感じた。

そして、獅子舞の目撃情報は得られなかった。今から50年前、つまり1970年くらいにはもう既に、獅子舞はこの周辺にいなかったということだけわかった。おばあさんはおそらく結婚後にこの土地に住み始めたのだろう。獅子舞がいたのはもっと昔の話かもしれない。少しでも手がかりとなる情報がつかめてよかった。

今回、このおばあさんよりも物知りそうな方は見かけなかった。ここら辺で、鵯越の坂を眺めてから帰ることにしよう。



この辺は、なぜか石材店が多い。それもそのはず、鵯越の坂のあたりは現在、巨大な墓地になっているようだ。つまり、墓石を作るお店がたくさんあるのだ。




ここが霊園の入り口になっているらしい。オブジェのようなものが左脇に立っているのがどことなく気になる。おそらく植栽を保護しているのだろう。




霊園の入り口近くには、鵯越の碑があった。「この道は摂播交通の古道で源平合戦のとき源義経がこの山道のあたりから一の谷へ攻め下ったと伝えられている」とある。




その近くから海の方を眺めてみると、遠く四国の方まで眺めることができた。いやあ、これは素晴らしい景色だ。坂に生きる獅子舞が昔、昭和の頃におそらくは存在していたことを思い浮かべると、どこか熱い想いがこみ上げてきた。多くの人は源義経の坂降りに想いを馳せるのだろうが、自分は鎌倉時代と昭和時代がなぜか妙にシンクロして、不思議な気分になってきた。源義経と獅子舞、どちらもある意味、「奇襲」を行なった人間離れした存在であったことは間違いないだろう。




手前を眺めれば、放置自転車の溜まり場?があった。ここは人間の墓場だけではない。自転車の墓場でもあるのかもしれない。大きな道路が近くを貫通しているが、このような事実はどこか忘れ去られており、人間の意識にはなかなか入ってこない。ここでは何かが起こっている。知らず知らずのうちに何かが...。だから、十分注意して見ておかねばならない。

さあ、獅子舞お断り看板という遺産はこの後どうなるのだろうか、そして、様々な歴史を乗り越えてきたこの坂の姿はどうなるのか、これからも注目していきたい。そのようなことを考えながらバス停に戻り、神戸駅へのバスに乗って鵯越を後にした。









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稲村行真

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

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