獅子舞お断り看板を探す5【広島県 呉市】

  • 更新日: 2023/06/06

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「獅子舞お断り」の貼り紙

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以前、「獅子舞お断り看板を探す」という記事を書かせていただいたところ、Twitterで反響が大きく、数々の看板目撃情報が寄せられた。
なぜ縁起の良い獅子舞が「お断り」なのか?その謎を解くために、今回はフォロワーさんに教えてもらった広島県呉(くれ)市を訪れた。

過去の調査だと、家に押しかけてお金を要求するタイプの獅子舞が、昭和の頃にいたという事例も多い。今回の場合はどのような背景があるのだろう?
獅子舞のお断り看板が建てられた理由や、どのような地域にその看板が立てられやすいのかという性質にまで迫っていきたい。


貴重な獅子舞お断り看板、情報を入手!

そもそも、広島県呉市のお断り看板の情報をどうやって得たのかという話だ。獅子舞お断り看板というのは全国見渡してもなかなか見つからないので、非常に貴重である。Twitterにこのような目撃情報が寄せられた。

フォロワーさん:去年の7月ですが広島の呉にも獅子舞お断り看板?貼紙?ありました...!

ぼく:呉にもありましたか!

フォロワーさん:位置的にはかっぱ亭の近くだったように記憶していますが、GPS情報もすこしあさってみます。GPSタグは第三鳥八〜かっぱ亭の近くに立っております…時系列としても大体あの辺り...でもストリートビューが通れないので「恐らく」な所です。

ぼく:すごい!これはけっこう重要な情報です!ありがとうございます。 ここら辺をうろちょろ歩き回ってみますね。 街並みの雰囲気からして、獅子舞お断り看板が残ってそうな、昭和っぽい匂いがします。

というわけで、フォロワーさんはiphoneのGPSタグを使って、記憶を辿りながら、この獅子舞お断り看板の大体の位置を探り当ててくださった。関東からだと広島は遠征となるが、この貴重な看板探しのために、現場へと向かうことにした。


獅子舞お断り看板調査

日程:2023年4月9~10日
調査時間:5時間程度
場所:広島県呉市中通周辺



深夜22時、呉駅に着いた。




呉の第一印象はとにかく道路も歩道も広いということ。非常に計画的に整備された美しい町のように思われる。




川沿いには大きな広場がある!土地の余白が非常に大きい。




この広場の段差は何かの舞台装置のように思える。左側が客席で、右側がステージだ。古代ギリシャの野外劇場を想像させる。公共性の高い演劇...獅子舞が舞うことは想像に難くない。




河川の横幅も非常にのびのびとしている。まだまだ夜は終わらない。明るい街灯の光が川面に反射して光っていた。




これだけ気持ちの良い場所だから、自転車やバイクが行き交うにもちょうど良い。駐輪場がしっかりと整備されている。

さて、獅子舞の生息が非常にしやすそうなこの町に、獅子舞がお断りされる要素は、ひとつもない。どこに、獅子舞お断り看板が潜んでいるのだろうか?




商店街の路地裏へと繰り出してみた。興味深いことが書かれていた。

「この店で飲めばどうなるものか

潰れるなかれ 潰れれば明日はなし

飲み出せばその一杯が酔いとなり

飲み続ければその一杯が楽しくなる

迷わず飲めよ 飲めばわかるで

馬鹿野郎~~~~

家に帰っても何もないぞ」

さあ、ディープな夜の町の始まりだ。




裏路地には十分な街灯がなく薄暗い。見通しも良くないので、何者かが背後から迫りくるような恐怖心を感じざるを得ない。そのようなことを考えていたら、かっぱ亭を見つけた。獅子舞お断り看板はこの辺りだと聞いている。




iphoneのGPSタグの情報は、必ずしも正確ではない。少し迷い込んでしまった。




あたりをうろちょろと見渡すこと、5分...。あ、あった!!!

看板のインパクトに気を取られていたが、よく見ると、その左横に意味深な貼り紙がある。



獅子舞お断り看板というよりかは、貼り紙という理解の方が正しいかもしれない。素材は紙でできているらしい、よくここまで剥がれずに残ってきたものだ。「店内での物売り 寄付の勧誘 獅子舞い等の行為はかたくお断りいたします」とのこと。

この貼り紙を発行したのは「呉市暴力監視連合会」「呉市スタンドバー組合防犯連合会」らしい。こういうものは通常、警察署が発行する場合が多いのだが、民間団体が発行している。スタンドバーとは、スナックと同じような意味で、小さな空間にカウンターや席が配置された空間のこと。

このお店はなぜ、獅子舞お断りの貼り紙をつけたのかが気になって、深夜なのに好奇心が先走り、コンコンとノックしてしまった。しかし、誰も出てこない。中をのぞいてみると、もうそこには何もなかった。ここはおそらく空き家のようだ...。




獅子舞お断り看板(貼り紙)は、いつもこういう裏路地に現れるんだ。生活臭や場末感が溢れる場所。しかも、商店街が圧倒的に多い。周囲のお店は営業していないところばかりで、区画整理が進んでいないから、こういう掘り出し物が見つかるのだろう。

それにしても深夜の徘徊というのはスリル満点で楽しい。



1本道を外れると、綺麗でしっかりと整備された商店街が広がっている。今でも活気ある商店街だ。賑わいと裏の顔、それぞれがこの街には共存しているのだ。




おそらく、この通りが日中で一番賑やかな道だろう。歩道の道幅は広く、道路は歩行者天国になっている。夜の23時ともなれば、ほとんど人が歩いていないが、会社帰りのサラリーマンがちょっと酔いつぶれて騒いでいる姿をちらほらと見かける。




無人販売と言われると、農産物の直売など、違う世界を想像してしまいがちだ。しかし、これは肉屋である。肉の無人販売なんて、初めて見た。

ネオンの光が眩しく、風俗の無料案内所にも思えてくる。窓に描かれた馬やら鶏やらの絵が、ムーミンのようにも見えてきて、一瞬、何屋かよくわからない感覚が襲ってくる。




すぐ近くには、ショーパブもあった。夜の街は予想外に深く根を張っている。




ここにも、貼り紙があった。18歳未満、暴力団、同業者などは入店お断りとのこと。かなり新しい貼り紙に思えるが、ここには獅子舞お断りの文言はない。




ヤンキー達がコンビニにたむろしている姿を見かけた。これからカラオケなどに出かけて、オールでもするんだろうなと想像しながら、その自由さと仲の良さに嫉妬した。

孤独な夜の徘徊はこれくらいにしておきたい。もう、日もまたいでしまった。あえて安そうなローカルのネットカフェに泊まることにしよう。






次の日の朝、8時半。意外と良く眠れた。ネットカフェを出ると、印象の異なる清々しい街が広がっていた。そこで、朝の散歩がてらに、再び街を歩いてみることにした。獅子舞お断り看板の周辺は改めてどのような景色が広がっているのだろうか。



昨日、歩いた空き家が多い商店街の裏路地。夜の奇妙な雰囲気は全くなくて、眩しい太陽の光を浴びた廃屋がゴロッと転がっていた。




やはり、しっかりと、獅子舞お断りの貼り紙は存在した。昨夜見たものは、現実だったのだ。



夜にはわからなかったが、この貼り紙は少し茶色く染まっている。改めて、獅子舞お断り看板を見つけたんだという感慨に浸った。




周辺の廃屋を観察していると、窓ガラス越しにダンボールが見えた。新宿中村屋か...。昔、この商店では和菓子か何かを出していたのだろうか。かつての町の記憶をわずかな手がかりから、手繰り寄せようとする思考が働いた。


獅子舞の嗅覚はさらなる深みへと誘う

獅子舞お断り看板は見事に発見できた。夜に見つけて、朝確認しに行って、大満足!それでもまだ獅子舞を追い求める嗅覚は収まることがない。もう少し歩いてみたい。この土地には、まだ獅子舞の匂いがする。かつていた獅子舞の痕跡、足跡を辿るように、裏路地を進むことにしたのだ。




古い家々を縫うように進んでいく。室外機の上に植物あり。こぢんまりとした可愛らしさを感じる。遊び心がある土地には、獅子舞の匂いがする。




ビルのところに書かれた、文字が長々と書かれた看板。6行もの文字が詰め詰めの横長フォントで書かれている。郵便受けの寂れた感じも良い。




これは寂れた路地、お?ここはもしや?獅子舞お断り看板がありそうな雰囲気...。

狭い道に、区画整理が進まない廃屋が立ち並ぶ。僕はすでに5回の獅子舞お断り看板探しをしてきたので、どのような場所にありそうか、その直感が見事に働いた。

そして、嗅覚は間違っていなかった。



スタンドのお店の看板の下に、獅子舞お断り看板(貼り紙)を発見!!!!!!

目撃者情報なしに、初めてこの看板を発見できた喜びというのは非常に大きかった。そして、同じエリアでも少し離れた場所に2枚目の看板の存在を確認できたのも初めてだった。



よく観察してみると、昨夜見つけた獅子舞お断りの貼り紙と比べて、とても綺麗だ。これも同じく紙製ですぐはがせるような素材だが、お店の看板が上にあることによって、雨風の影響をあまり受けにくかったのだろう。

この貼り紙を発行したのも先ほどのと同じく、「呉市暴力監視連合会」「呉市スタンドバー組合防犯連合会」らしい。おそらく、この貼り紙が貼り付けられた当時、ここら一帯のスタンドバーには皆こういう貼り紙が貼られたのではあるまいか?と推測する。




このスタンドバー周辺は、昭和の匂いを感じる建物が多い。ここなんて、昭和の看板がめちゃくちゃ貼られている。


獅子舞お断り看板が作られた背景に迫る

タイムスリップしたこの廃屋群に、どのような歴史が隠されているのだろう?獅子舞お断りの真相に迫ってみたくなった。



ふと辺りを見渡すと、スナックからオーナーの女性(50代?)と思われる人が出てきた。そこで、この方に声をかけてみることにした。中学校までは広島の市街地に住んでいたそうだが、その後に呉に引っ越してきて数十年になるという。

ーーすみません、今看板を調べていて。そこのスタンドバーで、獅子舞お断りの貼り紙を見かけたのですが、ここには獅子舞がいたんでしょうか?

獅子舞が出るというのはないですよね。獅子舞...!?初めてみましたよ、この貼り紙。秋にヤブっていう鬼が来ることはありますけどね。

ーーへえ!そういう鬼が出ることもあるんですね。

そうそう、亀山神社からやって来るんですよ。ヤブに抱っこされたら病気にならないとか、そういう風に言われることもあります。

ーーなるほど、ヤブについて、あとで調べてみますね。ちなみに、お店に看板を貼るようなご経験は?

いやー特にないですね。でも、想像するに、獅子舞が狭いお店のところにいきなり入ってきても困りますよね。

ーーそうですね、人間関係がないところに、押し売りと一緒でご祝儀を求めてやってくるという場合があるようですね。

そうなんですね。こういうのを調べてどうするわけ?

ーー獅子舞の研究をしていて、その歴史を調べているんです。一般的には暴力団関係の方が獅子舞をしていてお断りするようなケースもあるんですが、縁起が良い獅子舞がなぜお断りされるのか?調べているんです。

呉には暴力団が多かったですからね。

ーーこの辺だとどこが多かったんですかね?

仁義なき戦いっていう映画では、佐々木のてっちゃんというのがいて、呉市の中通(獅子舞お断りの貼り紙があったエリア)で事件が起こる設定でした。映画のモデルになるほど呉の商店街には、ヤクザが多いって言われますね。

ーーなるほど...いろいろ教えていただきありがとうございました。




次は交番だ。看板の発行に関して、知っている方はいるだろうか?扉を開けると、50代くらいのおじさんが出てきた。

ーーこんにちは!獅子舞のお断りの看板を見かけたのですが、獅子舞は昔いたんですかね?この看板は1960年代くらいに急増したようなのですが...。

さあ、知らんですね。僕が生まれたころの話ですから。昔はその筋の方(暴力団など)が舞いよったのかもしれんな、花代をくれるから。今では子供神輿がくるくらいかな。

ーー最近は暴力団お断りの看板をつけることはありますか?

エリアによっては暴力団関係の事件が減らないエリアもある。でも今では獅子舞お断り看板の現物というのは残ってないでしょうね。私たちが警察官になった頃は、プラスチックのプレートだった。1行程の簡潔な言葉、「暴力追放」などの言葉しか書かなくなったんですよ。

(話はその後、なぜ暴力団が増えたかという話に移る)

海の近くじゃけえ、言葉が荒っぽい。喧嘩してもすぐキレる、手が出ん限りは、仲直りは早い。上品にはしておられん。トロトロしていると魚が逃げるぞ!はよう上げんと!魚が痛むじゃないか!なんてゆう。山の方が、比較的マイルドですよ。

ーーへえ!港町だとやっぱり海と格闘していかないといけないから荒っぽくなるんですね。地形とか気候によって、人の気質が変わってくるというのは面白いですね。

文句ゆうとったらガラの悪いおっちゃんだったら、次の日にはさん付けになっていたとかね。そういう話もあるよ。わしは(こち亀に登場する)両津勘吉みたいなことをしとったんじゃ。でも両津の方が確実に馬鹿力で捕まえるからすごいんよ。

ーーおじさんもすごいですね!ここら辺で物騒な街はどこにあるんですか?
やっぱり飲食店とかカラオケがあるような中心部だろうね。お酒は飲み過ぎないことよ。今の時代だから、どこで何があるかわからんよ。運転の事件もあるしな、まあ、何かあったら、110番することよ。ここの交番におれも3時くらいまではいるから。




お話を伺っていて、なんだかヤクザは遠い昔の話のように、聞こえてきた。平和な町で、待ちぼうけを食わされているおまわりさんと話している感覚にもなってきた。そして、そのおまわりさんは話し相手がほしいからか、最後に自分の勤務時間までも教えてくれたのだ。「ご苦労様です」という言葉を残し、交番を出た。




それから、獅子舞お断り看板に関する文献があるか調べるために呉市の中央図書館に向かった。図書館は月曜日が休日のことも多いのだが、今日は空いており助かった。

結果的に、獅子舞お断り看板の情報を見つけることはできなかったが、なぜこの地に住む人の気性が荒いのかということを、掘り下げることはできた。




呉といえば、海軍基地が存在する場所だ。戦後、旧海軍遺産に関して、膨大な軍事物資がここに集積されてきた。これは一般市民が手が喉から出るほどにほしいものばかりで、在庫リストも混乱の中で消失していたため、横領や横流し、窃盗などが起こったようである。

例えばそこに集積されていたメチルアルコールが酒類の代用のために密売されるということもあった。そのほかにも数多くの金属類などがやり取りされていたようだ。そのほか、治安がこんな状態だから密売も多く、医薬品の密売を資金源とした暴力団もあったようだ。

また、連合国の進駐軍が滞在していたので、そこには「夜の女」もいた。昭和27年には、土着の600名の売春婦のうち、300名は18歳未満とのことで、子どもの性観念に大きな影響をもたらしたと思われる。

(参考:呉市役所『呉市史 第7巻』平成5年3月)




現在、瀬戸内の海は一見おおらかだし、呉の街並みもどこかのびのびとしている。ただし裏路地に入れば男臭さにあふれ、漁師さんたちは気性が荒いし、かつては海軍と市民との間に、のっぴきならない干渉もあった。

そこには言葉や暴力のぶつかり合いがあったわけで、全く油断を許さない。そういう町の中に獅子舞お断り看板(貼り紙)が姿を現し、獅子舞の生息を難しくさせた。縁起の良い獅子舞は時として、お金を要求するブラック獅子舞へと様変わりする。そのメカニズムの一端を知れたような気がする。

そのようなことを考えながら、気持ちの良い海を眺め、帰路に着いた。






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稲村行真

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

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