松陰神社前を散歩しました
- 更新日: 2017/10/31
世田谷区役所は前川國男の設計だそうですよ。
今日は、世田谷区、松陰神社前に来ております。
松陰ってのはあの吉田松陰でございますけども、吉田松陰の墓があります。え? 吉田松陰って山口県の人でしょ? って思うじゃないですか。
この近くに長州藩の藩主別邸があって、江戸で刑死した吉田松陰はそこに埋葬されたんだと。松陰神社になったのは明治15年だそう。
大層立派な神社です。松陰の弟子、桂小五郎など明治政府の要人たちが整備したんだそうですよ。
これが都内に残っているってことが、薩長が明治以降の日本を作った、みたいな証なのかもしれません。
ところで、塾の先生で神社までになるってのはすごい話ですよね。今で近い人は誰だろう。東進の林先生とかでしょうか。林先生に「今でしょ」って言われた教え子たちがクーデター起こして新政府を作って林神社が出来るみたいな感じ。書きながら途中で気づいてたけど全然違いました。
そんなこんなで、松陰神社前、スタートです。
降りましたけど。シンプルで、無印良品に売ってそうな世田谷線の駅です。シンプルソファとかの隣に売ってても違和感はありません。あります。
松陰神社前駅を降りるともうそこは松陰神社通り、参道です。松陰界(吉田松陰の結界)から逃れることはできない。井伊直弼がへらへら降りたら一瞬で死ぬ。ジュッ! って。
南の世田谷通りから、「松陰神社通り」が始まっていまして、ここから改めて行ってみます。
人通り多いんですよ。これねー、参道だから、とかじゃなくて、住人が多いんですよ。
看板を無視した業態が流行っている。
ここも。俺もアイスっていう看板でおでんとか売りたい。
真面目な話、居抜きで使えるってことかな。なかなか珍しい気がします。
松陰神社通りは、こんな感じで、柱で幕末の志士を説明している。たまたま見たら時山直八でした。ここで幕末ファンなら「うお~! 渋い~! 時様~!」みたいになる可能性ありますが、わたくしです。残念ながらの、わたくしです。
ところで、さっきからすごい高確率で若い女の人とすれ違うんだけど、これは全員歴女ってことでいいのかしら。
それか国士舘の学生なのかな。とにかく、この街は景色に反して若い。これは西太子堂で感じた違和感に似ている。漫画の舞台とかになりそう。
「立ち飲みでもない」と書かれたちょうちんを初めて見ました。立ち飲みでもないときに使えるちょうちんです。
横町みたいなのもあります。夜は流行ってんのかな。
駄菓子やもあった。
そろそろ線路渡って松陰神社のほうへ行きます。猫の世田谷線が居ました。これは豪徳寺の招き猫ラッピングですね。
参道はにぎやかなんだけど、生活感すごいんだよなあ。
参拝客はカードダス買わないもんね。幕末志士カードダスだったら買うのかもしれない。
それはそうと、この商店街は世田谷線でも屈指の商店街でございまして、
こういうコーヒー屋があったり、
シチューのお店ってなかなかですよ。
一番を宣言しているお店などがあります。
なんか居た。
流行っているし、ここでだいたい揃うのですごい。住みやすい駅なんですよ。
かくれ松陰みたいのがたまに居るので、みつけ甲斐がある。
なんとなくですけど、ここは松陰の霊が出そう。幕末~って言ってそう。
ジュネスITOの人は、ここにゴミを置いていいのか、ダメなのか。
旭屋パーラーのモーニングに期待して来たのですが、
休み。な。
そんなこんなで、松陰神社には意外とすぐに着く。5分くらい? このコンパクトさもいいよね。
池上とか、参道わりと長くて中だるみするんだけど、このくらいがいいですよ。
サイクルラックに誰も停めてなかった。平日だからかな。
と思ったら、メガネが停めてあった。
境内であることを考慮した、モノトーンのタイムズがありました。
でもそばにトーテムポールがあって世界観を破っていました。松陰神社の結界を崩すなら、ここからだと思います。
平日なのに御朱印の行列がすごい。
なんか灯籠がめっちゃ余ってる。
「きけん のってはいけません」という普通の注意書きと、
「どの石とうろうにものぼってはいけません」という、他の灯籠にも影響を与える注意書きがある。
いずれにせよ、すべての灯籠に注意書きは付いているので、個にのみ影響する注意書きで事は足りそうです。
魔法の法則で言えば、影響範囲が広いと力は弱まる傾向にあるので、個にのみ影響する注意書きのほうが悪に対し有効である可能性が高い。
何の話でしたっけ、松陰先生。
あれ、松陰先生? 顔変わりました?
松下村塾ですって。
ここにあったわけではないので、山口県にあった塾のレプリカでした。
俺も松下村塾に通ってたら「あー! なつかしいなー!」とかなるんだろうか。
こういう細かいところの頑張りは好きですよ。
ところで、松陰神社の石灯籠は全部誰かの奉献で、さっき「めっちゃ余ってる」って言っちゃったやつも偉人から奉献されたやつであった。しかも初代内閣総理大臣であるところの伊藤博文とかであった。ごめん。
こっから先に、吉田松陰の墓があります。
あと、古いポンプみたいのがあったので、お納めください。
さて、松陰神社出ましたけども。前の道はこんな感じ。
なんかめっちゃレトロなビルが並んでます。
んで、その並びに若林公園があるんですけど、
松陰神社と若林公園の間にいきなり墓があって、桂太郎の墓です。
正直、広い道の脇にいきなり墓があってびっくりします。桂さんが遺言で「松陰神社の隣に埋めて欲しい」って言ったから、ここなんだそうですが、確かに遺言通りではあるけれども、本当にこういうイメージだったのか、ちょっと桂さんには聞いてみたいところですね。正直、ここ、煩いです。
墓の隣に賑やかな若林公園への道があったりします。
わかんないけど、墓へのいたずらも多いんじゃないかなあ。
ベンチに居た老人「この子は……ボールを自由に打ち分ける能力を持っている?」
から二人三脚でメジャーを目指す物語はどうでしょうか。
その隣は国士舘大学。学生がいっぱい居る。
多分学生の間で人気の店。
その隣に世田谷区役所第一庁舎があるんですけど、この佇まい、只者じゃないですよね。
建築については全くの素人なので、これを何と表現したらいいのか分からないけど。なんかすごいのは分かる。
調べたら前川國男の設計だそうです。ル・コルビュジエの弟子の方。1959年竣工。結構築年数行ってるなー。前回の東京オリンピックよりも前ですよ。
後付けした雨よけのテントで見えないんですけど、文字がめちゃくちゃかっこいいので見て。
コンクリ打ちっぱなしっていうのかな。給水塔みたいのが唯一丸くてかっこいい。
あと配管の無駄のなさよ。
売店すらかっこいい。
前面がスッキリしている代わりに天井がごちゃごちゃしている。
向かいの第二庁舎も前川國男の設計だそうです。
これまた趣が全然違う。絹豆腐みたい。
文字が浮いていると、下から覗きたくなる習性です。しばらくお待ちください。
さて、区役所を過ぎると本格的な住宅街になってきます。
こんなきっぱりした行き止まり久しぶりに見た。迷路みたい。「ざんねん!」みたいな看板立てたい。
車が通れない道が増えてきた。世田谷あるあるです。
ものすごく座って不安になる椅子。全然大丈夫なんですけど。
えんとつだって。
カフェレストランみたいですね。住宅街にもこんなのあったりします。
花の裏側が見える。
世田谷線わたって、ちょっと南へ行ってみますけども。
このあたりは完全に西太子堂、若林のあたりの雰囲気と同じ、古い世田谷です。
ここで雨が止んだのかな。
大きなアパートもあったり。
世田谷によくある私道なのですが、まさか店長に言われるとは思わなかった。
世田谷通りに出ました。
「世田谷代官お膝元」って書いてるのは、ここよりもうちょっと南に世田谷代官屋敷ってのがありまして、彦根藩世田谷領の代官を世襲してた大場家のお屋敷なんですって。行かないですけどね。なんか、あれだ。Wikiとかで見てください。
(1万分の1地形図 明治41-42年)
左下の「下町」と書かれているのがちょうどこのあたりなんですけど、昔はこのあたりが政治と文化の中心街でした。
あと右上の松陰神社とその参道、当時は特に栄えてないのが分かります。松陰神社通りは、駅ができてから栄えはじめます。
今、世田谷代官お膝元にはサミットとかがあります。まあ、サミットって名前だけ聞けば首脳が会談してそうですしね。
で、世田谷通りから松陰神社通りへの入り口がここ。一周してきた。今は松陰神社通りのほうが賑やかだな。
松陰神社通りはさっき見たので、ちょっと裏通りをうろうろしてみる。
世田谷線沿いの道なんですけど、
急に幕末の志士たちが出てきます。
みんな名前書いてるんですけど、
これだけ名前書いてなくて、あ、松陰かな。松陰神社前だけにおなじみの、みたいなこと?
帽子、かっこよろしいですな。
眼光鋭い彼らは、一体その目に何を見ているのか。
世田谷線でした。
そんなこんなで、松陰神社前に戻ってまいりました。
もっとも、ここはもういろんなサイトで「実は住みやすい駅」みたいな紹介されているので、俺がどうこう言うアレもないんですけど、実際歩いてみて、商店街あり、ザ・世田谷みたいな路地あり、区役所ありと、まとまった良いエリアだなあと思います。
あ、あと、「○○前」という駅は○○から遠い、という定説がありまして、例えば「読売ランド前」とか「不動前」とかあって毎回文句を言ってるんですけども、ここに限って言えば、5分くらいでして、これは「○○前」界の良心だと思いました。
そんなわけで、松陰神社前でした。またねー。
駅の地図、なんか消されてたのですが、
こういう仕組みなので、横から見えてしまう。
(おしまい)
松陰ってのはあの吉田松陰でございますけども、吉田松陰の墓があります。え? 吉田松陰って山口県の人でしょ? って思うじゃないですか。
この近くに長州藩の藩主別邸があって、江戸で刑死した吉田松陰はそこに埋葬されたんだと。松陰神社になったのは明治15年だそう。
大層立派な神社です。松陰の弟子、桂小五郎など明治政府の要人たちが整備したんだそうですよ。
これが都内に残っているってことが、薩長が明治以降の日本を作った、みたいな証なのかもしれません。
ところで、塾の先生で神社までになるってのはすごい話ですよね。今で近い人は誰だろう。東進の林先生とかでしょうか。林先生に「今でしょ」って言われた教え子たちがクーデター起こして新政府を作って林神社が出来るみたいな感じ。書きながら途中で気づいてたけど全然違いました。
そんなこんなで、松陰神社前、スタートです。
松陰神社前駅前
降りましたけど。シンプルで、無印良品に売ってそうな世田谷線の駅です。シンプルソファとかの隣に売ってても違和感はありません。あります。
松陰神社前駅を降りるともうそこは松陰神社通り、参道です。松陰界(吉田松陰の結界)から逃れることはできない。井伊直弼がへらへら降りたら一瞬で死ぬ。ジュッ! って。
松陰神社通り
さて、駅を降りてこのまま北へ行くとすぐに松陰神社なんですけど、ちょっと一旦南側に行きまして……南の世田谷通りから、「松陰神社通り」が始まっていまして、ここから改めて行ってみます。
人通り多いんですよ。これねー、参道だから、とかじゃなくて、住人が多いんですよ。
看板を無視した業態が流行っている。
ここも。俺もアイスっていう看板でおでんとか売りたい。
真面目な話、居抜きで使えるってことかな。なかなか珍しい気がします。
松陰神社通りは、こんな感じで、柱で幕末の志士を説明している。たまたま見たら時山直八でした。ここで幕末ファンなら「うお~! 渋い~! 時様~!」みたいになる可能性ありますが、わたくしです。残念ながらの、わたくしです。
ところで、さっきからすごい高確率で若い女の人とすれ違うんだけど、これは全員歴女ってことでいいのかしら。
それか国士舘の学生なのかな。とにかく、この街は景色に反して若い。これは西太子堂で感じた違和感に似ている。漫画の舞台とかになりそう。
「立ち飲みでもない」と書かれたちょうちんを初めて見ました。立ち飲みでもないときに使えるちょうちんです。
横町みたいなのもあります。夜は流行ってんのかな。
駄菓子やもあった。
松陰神社前の北側
そろそろ線路渡って松陰神社のほうへ行きます。猫の世田谷線が居ました。これは豪徳寺の招き猫ラッピングですね。
参道はにぎやかなんだけど、生活感すごいんだよなあ。
参拝客はカードダス買わないもんね。幕末志士カードダスだったら買うのかもしれない。
それはそうと、この商店街は世田谷線でも屈指の商店街でございまして、
こういうコーヒー屋があったり、
シチューのお店ってなかなかですよ。
一番を宣言しているお店などがあります。
なんか居た。
流行っているし、ここでだいたい揃うのですごい。住みやすい駅なんですよ。
かくれ松陰みたいのがたまに居るので、みつけ甲斐がある。
なんとなくですけど、ここは松陰の霊が出そう。幕末~って言ってそう。
ジュネスITOの人は、ここにゴミを置いていいのか、ダメなのか。
旭屋パーラーのモーニングに期待して来たのですが、
休み。な。
松陰神社来たよ
そんなこんなで、松陰神社には意外とすぐに着く。5分くらい? このコンパクトさもいいよね。
池上とか、参道わりと長くて中だるみするんだけど、このくらいがいいですよ。
サイクルラックに誰も停めてなかった。平日だからかな。
と思ったら、メガネが停めてあった。
境内であることを考慮した、モノトーンのタイムズがありました。
でもそばにトーテムポールがあって世界観を破っていました。松陰神社の結界を崩すなら、ここからだと思います。
平日なのに御朱印の行列がすごい。
なんか灯籠がめっちゃ余ってる。
「きけん のってはいけません」という普通の注意書きと、
「どの石とうろうにものぼってはいけません」という、他の灯籠にも影響を与える注意書きがある。
いずれにせよ、すべての灯籠に注意書きは付いているので、個にのみ影響する注意書きで事は足りそうです。
魔法の法則で言えば、影響範囲が広いと力は弱まる傾向にあるので、個にのみ影響する注意書きのほうが悪に対し有効である可能性が高い。
何の話でしたっけ、松陰先生。
あれ、松陰先生? 顔変わりました?
松下村塾ですって。
ここにあったわけではないので、山口県にあった塾のレプリカでした。
俺も松下村塾に通ってたら「あー! なつかしいなー!」とかなるんだろうか。
こういう細かいところの頑張りは好きですよ。
ところで、松陰神社の石灯籠は全部誰かの奉献で、さっき「めっちゃ余ってる」って言っちゃったやつも偉人から奉献されたやつであった。しかも初代内閣総理大臣であるところの伊藤博文とかであった。ごめん。
こっから先に、吉田松陰の墓があります。
あと、古いポンプみたいのがあったので、お納めください。
松陰神社前の北側
さて、松陰神社出ましたけども。前の道はこんな感じ。
なんかめっちゃレトロなビルが並んでます。
んで、その並びに若林公園があるんですけど、
松陰神社と若林公園の間にいきなり墓があって、桂太郎の墓です。
正直、広い道の脇にいきなり墓があってびっくりします。桂さんが遺言で「松陰神社の隣に埋めて欲しい」って言ったから、ここなんだそうですが、確かに遺言通りではあるけれども、本当にこういうイメージだったのか、ちょっと桂さんには聞いてみたいところですね。正直、ここ、煩いです。
墓の隣に賑やかな若林公園への道があったりします。
わかんないけど、墓へのいたずらも多いんじゃないかなあ。
ベンチに居た老人「この子は……ボールを自由に打ち分ける能力を持っている?」
から二人三脚でメジャーを目指す物語はどうでしょうか。
その隣は国士舘大学。学生がいっぱい居る。
多分学生の間で人気の店。
その隣に世田谷区役所第一庁舎があるんですけど、この佇まい、只者じゃないですよね。
建築については全くの素人なので、これを何と表現したらいいのか分からないけど。なんかすごいのは分かる。
調べたら前川國男の設計だそうです。ル・コルビュジエの弟子の方。1959年竣工。結構築年数行ってるなー。前回の東京オリンピックよりも前ですよ。
後付けした雨よけのテントで見えないんですけど、文字がめちゃくちゃかっこいいので見て。
コンクリ打ちっぱなしっていうのかな。給水塔みたいのが唯一丸くてかっこいい。
あと配管の無駄のなさよ。
売店すらかっこいい。
前面がスッキリしている代わりに天井がごちゃごちゃしている。
向かいの第二庁舎も前川國男の設計だそうです。
これまた趣が全然違う。絹豆腐みたい。
文字が浮いていると、下から覗きたくなる習性です。しばらくお待ちください。
松陰神社前の西側
さて、区役所を過ぎると本格的な住宅街になってきます。
こんなきっぱりした行き止まり久しぶりに見た。迷路みたい。「ざんねん!」みたいな看板立てたい。
車が通れない道が増えてきた。世田谷あるあるです。
ものすごく座って不安になる椅子。全然大丈夫なんですけど。
えんとつだって。
カフェレストランみたいですね。住宅街にもこんなのあったりします。
花の裏側が見える。
松陰神社前の南側
世田谷線わたって、ちょっと南へ行ってみますけども。
このあたりは完全に西太子堂、若林のあたりの雰囲気と同じ、古い世田谷です。
ここで雨が止んだのかな。
大きなアパートもあったり。
世田谷によくある私道なのですが、まさか店長に言われるとは思わなかった。
世田谷通りに出ました。
「世田谷代官お膝元」って書いてるのは、ここよりもうちょっと南に世田谷代官屋敷ってのがありまして、彦根藩世田谷領の代官を世襲してた大場家のお屋敷なんですって。行かないですけどね。なんか、あれだ。Wikiとかで見てください。
(1万分の1地形図 明治41-42年)
左下の「下町」と書かれているのがちょうどこのあたりなんですけど、昔はこのあたりが政治と文化の中心街でした。
あと右上の松陰神社とその参道、当時は特に栄えてないのが分かります。松陰神社通りは、駅ができてから栄えはじめます。
今、世田谷代官お膝元にはサミットとかがあります。まあ、サミットって名前だけ聞けば首脳が会談してそうですしね。
で、世田谷通りから松陰神社通りへの入り口がここ。一周してきた。今は松陰神社通りのほうが賑やかだな。
松陰神社通りはさっき見たので、ちょっと裏通りをうろうろしてみる。
世田谷線沿いの道なんですけど、
急に幕末の志士たちが出てきます。
みんな名前書いてるんですけど、
これだけ名前書いてなくて、あ、松陰かな。松陰神社前だけにおなじみの、みたいなこと?
帽子、かっこよろしいですな。
眼光鋭い彼らは、一体その目に何を見ているのか。
世田谷線でした。
そんなこんなで、松陰神社前に戻ってまいりました。
雑感
えっと、松陰神社前ね。活気がある。最近ちょっと連続で三軒茶屋から世田谷線やってますけど、駅を中心に栄えている街はここが初めて。もっとも、ここはもういろんなサイトで「実は住みやすい駅」みたいな紹介されているので、俺がどうこう言うアレもないんですけど、実際歩いてみて、商店街あり、ザ・世田谷みたいな路地あり、区役所ありと、まとまった良いエリアだなあと思います。
あ、あと、「○○前」という駅は○○から遠い、という定説がありまして、例えば「読売ランド前」とか「不動前」とかあって毎回文句を言ってるんですけども、ここに限って言えば、5分くらいでして、これは「○○前」界の良心だと思いました。
そんなわけで、松陰神社前でした。またねー。
おまけ
駅の地図、なんか消されてたのですが、
こういう仕組みなので、横から見えてしまう。
(おしまい)