人生でもう一回くらい戸部に住む気がする。
- 更新日: 2017/11/07
京急と国道一号線が交差するとこ。
こんにちは、戸部弘です。
誰。
居そうじゃない? 戸部弘。今日ほんとは鎌倉へ行く予定だったんですよね、でもちょっと都合で延期になっちゃったんで、急遽戸部に来たんですけども。知ってる? 戸部。
戸部も戸部弘も知らないですね。初めて来ました。京急線で横浜の隣駅なんですね。
そう。で、ここは、10年前、俺が就職して最初に一人暮らしをした街なんですよ。
思い出の土地だ。なんで戸部に住んだんですか?
特に思い入れがあったわけじゃないんだけど、会社の寮が横浜の山奥にあって、そこから逃げ出したはいいけどお金ないから、不動産屋に「ここらで一番安い物件を出して」って言ったら、この辺だったっていう出会い。
安いってことは悪いこともあるんですよね。
どうなんだろ、死にそうになったことはないし、治安はわりといいと思うんだけど、その住んでたアパートの地下がキャバクラで、最上階にヤクザ住んでたことくらいかなあ。住みやすいですよ。
最悪じゃないですか。なんでそんなとこ住んだんですか。
引っ越してから気づいたの。昼間キャバクラの電気消えてるし、看板も片付けたりしてるじゃないですか。あと、ゴミめっちゃ持ってエレベータ乗ってたときにヤクザが乗ってきて、ゴミ持ってくれた。優しいヤクザだった。
優しいヤクザ。
僕が住んだのは駅近物件でまさにこのあたりなんですけど、あそこが京急で、あとここ、国道一号線なんですよ。
京急と国道か。めっちゃ煩くないですか?
俺そういうの大丈夫で、余裕で寝られるんですよ。ちなみに国道一号線の横断歩道のペーペコペーみたいな音は朝5時から鳴り始めます。
起こされてるじゃないですか!
あと、ここね、夜暴走族が通るんですよ。こっちは寝てるんでいいんですけど。
それ知ってるってことは寝られてないでしょ!?
その暴走族がさあ、行きと帰りの2回通るの。深夜1時と3時くらい。
だから、寝られてないでしょって。その、「俺は煩くても寝られる」アピールは何なの?
でもね、一度、3回通ったことがあって、3回目のあれは何だったんだろうって今もたまに考える。落とし物拾いに行ったのかな……。
それは知らないけど、全然寝られてなかったってことは分かった。
あとここに消防署があるんですね。夜わりと出動……
寝てくれ。
とか言って、ほら、一本入ると、静かなんです。
ほんとだ。音が無い。
実は戸部の醍醐味は路地なんですね。国道沿いに住まなければ大丈夫なんですよ。ペーペコペーに起こされることもありません。
戸部のせまっこい路地を散策する
というわけで、戸部の中心に足を踏み入れるわけですが、ここでちょっと戸部の立地をおさらい。北は横浜、東にはみなとみらい、桜木町、いずれも徒歩圏内です。戸部は重点開発エリアに挟まれた、時の止まったエリアなのです。
俺はよく横浜駅から歩いて帰ったり、自転車でみなとみらいのクイーンズスクエアに買い物に行ったりしていました。
駅前は10年前と全然変わってないなー。
ちなみにこの喫茶店は来てた?
入ったことないです。なんか喪黒福造が出てきそうで。
わからんでもない。「巣」の字が使われてるからかな。
ずっとあるし良い喫茶店だと思いますよ。
記念湯だって。ここは来てました?
これは来てた。コインランドリーが併設されてるんですけど、うちのアパート洗濯機置けなかったんで、毎日来てました。
洗濯機置けないとかあるんですね。
引っ越してから知りました。
引っ越してから知ること多いですね。キャバクラとか。ちゃんと見たほうがいいですよ。
で、普通の人はなんか大きめのモノを洗うためにコインランドリー利用すると思うけど、こっちは普段使いだから、パンパンの洗濯袋持ってくるわけ。んで、家からここまで来るのに戸部駅の前を通るんだけど、俺一回、駅前でパンツを落として。そしたら親切な人が「パンツ落ちましたよ」って言ってくれたんだけど、駅前でパンツ落とすとかめっちゃ恥ずかしいじゃないですか。「違いますよ」って言っちゃって。パンパンの洗濯袋持ってるのに「違いますよ」って。
せっかく声をかけてくれたのに、頭がおかしい。
あれはねえ、今でも謝りたいですよ。
居酒屋とかあるんですね。
そうなんですよ、昔からやってる感じの居酒屋が多い。こういうの好きな人はほんとここは飽きないですよ。俺も一通り入ったと思う。一個失敗したのは、20代では絶対に入ってはいけない、ママの居るクラブみたいなとこうっかり入っちゃって。
わあ。
「この近くに住んでいるの?」「はい」しか会話が無くて、鯖味噌を食べて出てきました。鯖味噌はおいしかったです。
実は戸部駅近辺はスーパーが無くて、ここが唯一使える生鮮食品屋さんで。まあ、横浜近いし、あっち行けばいろいろあるので全然良いんだけども。
あ、そうなんですね。
ここはすっごいお世話になった思い出があって。当時カレーを寸胴で作って代々木公園で配るっていう趣味があったんだけど、俺のカレーのレシピって、タマネギを大量に使うのね。
はい。
そのとき、確か5月で、ちょうど新タマネギの時期でどのスーパーにも新タマネギが並ぶんですけど、あの、俺のカレー、新タマネギだとあんまり旨くないんですよ。旧タマネギが大量に必要で。すっごい探したんだけど、どのスーパーも「新タマネギ!」「出ました新タマネギ!」みたいな。馬鹿の一つ覚えのように。
まあ、季節モノですからね。買いたい人も多いだろうし。
そんな中、流行り物は目もくれず、旧タマネギを大量に売ってらっしゃったのがこちらのマルノーストアさんです。
それは、いいの?
その節はお世話になりました。
ちなみに、今は紅梅通り沿いにまいばすけっとが出来ているようです。便利になったなあ。
あれは、110円なのか、60円なのか。
60分だった。こっちの駐車場の話であった。
野菜とエンディングノートを売っている。自由である。
この道は紅梅通りって言って、昔は梅が綺麗だったみたい。
ちなみに、昔、この近くに戸部監獄という刑務所がありました。古地図を重ねると、あ~、みたいな土地なので、どことは言わないですけども。心霊スポットにもなってるみたいです。
古そうなお店が多いです。
古本屋さんがあった。知らなかった。
壁が本で出来ている。あの下の方の本が欲しいときどうするんだろう?
紅梅通り沿いでブロック塀の脇に石碑を見つけたんだけど、読めない。大発見の予感したんだけど。
紅梅通りを海の方へ歩くとランドマークタワーが見えてきます。この対比。
山のふもとが戸部村だぜ
南に目をやると土地が高くなっているのお分かりでしょうか。
急にこんな感じ。はるか昔はこのあたりが海岸線だったそうです。
今ここ。
京急も、戸部駅を出発するとすぐにトンネルに入ります。この丘陵は、飲み歩きでおなじみの野毛山へ続いています。
戸部の路地には、こういう古くからの工務店も多いです。ステンレス材料ですって。
ステンレス材料のお店の壁がステンレスだったから撮りました。
いい字。
看板標識制作の会社らしい。どうりで。
木の生命力にプラスチックが追いついていなかった。
開港時代の歴史もあるぞ戸部
今度は、ちょっとベタなところも行ってみる。
戸部にもそういう名所みたいのあるんですか。
横浜や桜木町と隣接しているだけあって、いわゆる歴史散歩も捗るエリアです。やり尽くされている感があって気が進まないけど、まあ一応行くか……戸部の名誉のために……
これは新横浜通り。この近くに「横浜通り」っていう、開港時代に港まで通した由緒ある道があって、それと平行する新しい通りだから、だと思っていたら、ここによれば、新横浜まで通じている通りだかららしい。紛らわしい!
ちなみに新横浜通りの文字が消えかかっていました。これ直さないのかな。
と思ったら新横浜通りの看板はどこもひどい。行政に嫌われている可能性すら感じる。
こちらはJRに沿って走っている国道16号線。
実はこのあたりの線路とそれに沿う通り、歴史が面白いんですよ。
これは横浜の埋立が開始された頃、明治時代の地図です。面ではなく線で埋めているのが特徴的です。
この浮島のような土地に線路が敷かれました(今のJRの線路はちょっとずれていますが)。これは国鉄の線路を短縮する意図の埋立です。
この工事を仕切ったのが高島嘉右衛門で、嘉右衛門は線路や国道用地以外は私有できるという条件だったそうです。今でもここの住所は「高島町」です。
高島嘉右衛門は日本で初めてガス灯を点したことでも有名で、横浜の父と言われておりますね。
で、高島嘉右衛門は、手に入れた土地に遊郭を誘致します。現在の関内、横浜公園のあたりにあった遊郭が火事で移転することになり、それを引き受けた格好だったようです。
遊郭のあとは殆ど残ってないんですけど、有名なのは、この「岩亀横町(がんきよこちょう)」です。新横浜通りから斜めに入っていくところ。
明治時代の地図にもこの角はあります。当時は川があり、橋になっていたようですね。
今、この交差点の名前は「雪見橋」なので、雪見橋だったんでしょう。
さて、岩亀横町なんですけども、岩亀楼という遊郭の静養所があったといわれるところ。
当時の街並みではないんですけど、昭和の古い商店街が残っています。
食堂とおもちゃ。経営の多角化案件ですね。
テントの割合が腰の入れ具合を表しているとしたら、7:3で食堂ですね。
わりと最近有名になっている岩亀稲荷。このあたりに遊女の静養所があって、その敷地内の稲荷だったそう。
脇道も良いんですよ。この窓、ガラスこれ入れるの大変だろうな。
で、ここが掃部山公園(かもんやまこうえん)なんですけど。
お、これも史跡ですか。
横浜開港50年の記念で、ここに掃部頭(かもんのかみ)井伊直弼の像があるんです。
あ、確かに横浜を開港したのは井伊直弼か。でも脅されて不平等条約で……。
そう、そこは一悶着あったようで、井伊直弼の子孫がこの土地を所有して建立したんですけど、明治政府の要人は除幕式を欠席しています。彼らからしたら、井伊直弼が横浜開港の祖というのは納得いかないよね。まあでも、横浜が発展したのは開港して八王子から生糸を運んでバンバン輸出したからだし、結果論ではあるけれど、井伊直弼が寒村横浜をこんな大都市にするきっかけを作ったってのは本当。
じゃ、井伊直弼の像見に行きましょう。
行かないです。
えー!
あのねー、さっきから、岩亀横町からの掃部山公園って、どこのトラベルガイドだよ! っていうベタベタなコース辿ってるんですよ。公園の中には入らない。これは俺の意地です。
よくわかんないけど、じゃあ次どこ行くの?
僕が住みたかったアパート見せます。
はあ? 住みたかったアパート?
これは紅葉橋って言って、桜木町のメイン通りに繋がってます。
もう桜木町か。ほんと近いんだね。
で、これが紅葉坂なんですけど、ここは夕方自転車で良く来てました。眺めが素晴らしく……
良くないですね。
あれ? こんなんだっけかな。あれ?
思い出補正?
ビル増えたのかなあ。あれー? あ、ほら、観覧車見えるじゃん! ほら!
若干ね。
当時この坂がすごく気に入ってうろうろしてたんですけど、この青いドアの家に住みたくて何回か調べた。当時はもっと壁が真っ白で、ドアの色がすごく映えてた気がする。
引っ越せば良かったのでは。
あのキャバクラのアパート、4.8万円だったんですよ。給料も安くて楽器売ったりしながら食いつないでた毎日だったので、引越は夢のまた夢でしたね。でも、なんかのきっかけがあれば今でもここ借りてみたい気持ちはある。
8年しか使われなかった「二代目横浜駅」
まだまだ見せたいものいっぱいあるけど、そうだなあ。二代目横浜駅見る?
何その歌舞伎役者みたいなやつ。見ますね。
中区の桜木町のほうまで来てしまったので、新横浜通りを戸部駅の方に戻ってます。
西区に戻ってきた。
看板が、なんか、司会者がビリッて破って「正解は西区!」みたいなことになってる。
路上園芸が、実っている。いいのかな。
農業をしてしまうと、また違う気もしますね。
あの、左側のなだらかな屋根の建物分かります? あれ、アンパンマンミュージアムなんですけど。
え、あんな場所にあるんですか。
そう、JRと首都高の向こうの、みなとみらい地区にあるんですけど、実は徒歩だとむちゃくちゃアクセスが悪い。まず、このJRの高架に殆どトンネルが無くて、向こうへ行けない。
ちょっと横浜のほうに戻るとJRはなんとか潜れる。あとは首都高をなんとかしないといけない。
で、高島町交差点のこの歩道橋を登ることになるんだけど、
見て、この初見殺しの分岐。あと、ここに来るともうゴミゴミしすぎて目的のアンパンマンミュージアムは見えない。毎月行ってた俺レベルになると大丈夫なんだけど。
毎月行ってたんですか。アンパンマンミュージアム、何があるの?
俺もねえ、楽しさは全く分からないんだけど、子供が一時期すっごいハマって、何があるかって言われると、パン工場のパンとか、あ、あとおむすびまんのおむすびとか売ってます。
コンビニみたいなもん?
ああ。言われてみれば、コンビニですね。
あ、これ? 二代目横浜駅って書いてある。
これは、公衆トイレです。裏のマンション敷地内にあるんですよ。
これが、出来てから8年後に関東大震災で崩れた二代目横浜駅の残骸なんだって。
これが震災の爪痕……
それよりも……
今建ってるマンションのほうが駅舎に見える。これは絶対意識してますよね。
まあ、これでしてないって言われても誰も信じないですよね。
B級カレーの王者バーグで昼飯を食べる
ここは、毎週行ってたバーグっていうカレーのお店。
旨いんですか。
旨いです。っていうか実は今でも月イチくらいで来てます。
来てるの? え? 戸部は10年ぶりに来たんじゃないの!?!?
え、うん。聞かれなかったから言わなかったけど、毎月このへん来てますし、正直戸部に懐かしさとかは無いですよ。
ええ……
わりとテレビにも取り上げられるお店なので色紙いっぱいあります。
こういうお店で、石ちゃんの出現率が今のところ100%なのですごい。
スタミナカレー生玉子入り。通称「ナマ」は、注文してから30秒くらいで出てきます。
粘度の高いカレーが濃厚で、アイスクリームで例えると牧場で食べるやつです。これは自分では作れない。だから食べに来るしかない。戸部はバーグだけでも降りる価値があるのです。
戸部の魅力は何なのか、実はよく分かっていません。
静かな街だけど、決して穏やかではない。かといって人情の街というわけでもない。あれ、なんで住んでたんだっけ。でも、少し足を伸ばすと、人工的なショッピングモール、暴力的な繁華街、淫靡な通り、おだやかな海、何でも揃っている。
改めて考えてみたけれど、戸部は、一人になれる街なのかな、と思ったり。ちょっと遠出して、帰ってきて、整理する、匿名性の高い場所。思えば俺は、戸部をそうやって使っていました。手を出したり、絞ったり。ああそうだ、最初の会社を辞めたのはここに住んでるときでした。
なんかまたそういう時期が来たら、ここに帰ってきて、組み立て直すのも良いんだろうな、と思ったりします。そんな街です、ここは。
(おしまい)