鶯谷 / 正岡子規が愛した街は、きっといい街。

  • 更新日: 2017/08/29

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ホテル街だけじゃないぜ、鶯谷。

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どうも、左利きのキャッチャーです。


どういうことなの。っていうか、今日は鶯谷で何するんですか?


ここ鶯谷は、俳人・正岡子規の旧居があるんです。


え、そうなんだ。鶯谷ってラブホ街のイメージしかないけど、そこはラブホですか?


ラブホではないです。鶯谷が花街になったのは大正時代からみたいですよ。明治時代はここら根岸地区は「呉竹の根岸の里」と呼ばれて別荘地のようなエリアだったんです。


そうなんだ。で、そのキャッチャーは、何ですか。


正岡子規って野球が好きだったってのはわりと有名な話ですよね。


あー。はい。この前、上野行ったときも「正岡子規記念野球場」ありましたもんね。野球用語の翻訳とかもやってたっていう。直球とか、打者とかは正岡子規が言い始めたやつだとか。


そうそう、子規自身も選手として熱心にプレーしてまして、ポジションはキャッチャーでした。で、調べたら正岡子規って左利きなんですよ。ということはですよ! 正岡子規は左利きのキャッチャーだったんですよ!!!


興奮が全然伝わってこないんですけど、そうなんですか。


左利きのキャッチャーってめちゃくちゃレアキャラなんですよ! ホームベースで走者をタッチするときにグローブが右側にあるので、右利きのキャッチャーと比べるとほんの少しだけタッチが遅れたり、二塁送球するときに右打者が邪魔で投げにくかったり、不利なんです。ちなみに日本プロ野球には左利きのキャッチャーは居ません。プロ以外ですと、最近だと2000年に甲子園出場した那覇高校の長嶺勇也。これが左利きのキャッチャーで、野球クラスタがうおおお!


山川さん。


はい。


旧居行きましょう。



まあ、左利きのキャッチャーの話はこのくらいにして、ここで鶯谷の位置を簡単におさらいしておきましょう。



鶯谷は、上野駅の北に位置します。上野山(上野恩賜公園)の東側面をなぞるようにJR線が走っていますね。



JRの高架から見ると、鶯谷の構造がよく分かります。西は上野公園、東はホテルが林立してます。これだけ見るとかなり怪しい駅ですが、



鶯谷の駅舎に「散策の街」と書かれています。そう。ホテル街ではない部分、根岸地区の魅力は歩くと分かるのですよ。
しかし、JRの駅舎にこんなキャッチフレーズがついてる駅ほかにあったっけ? まあとにかく、明治の文化人も愛した根岸の町並みを見ていこうじゃありませんか。



とか言ったものの、早速ホテル街に迷い込む我々。避けて通ることは難しい。


鶯谷北口から徒歩5分の子規庵へ



気を引き締め直して、北口から徒歩5分ほどの正岡子規旧居跡に向かいましょうか。
ちなみに今駅からすぐの道を歩いているはずなのですが、全く人気が無くなりました。大丈夫でしょうか。



タバコスイガラステルナっていう落書き。外法には外法で対処するスタイル。


原住民からの忠告みたいな気がして、寒気がする。捨てたら吹き矢飛んできそう。





一度に出るおしっこの量が尋常じゃない。


背中のスイッチ押すとおしっこが滝のように出るっていうオモチャ。


なるほど、夏ですし、水鉄砲に使いたいですね。


おしっこではないと分かっていても屈辱。






静かな住宅街に出ました。きれいなお宅も多い。これが根岸的なるもの、でしょうか。




後ろの4文字が黒塗りにされてる。


剣術に定評がありそうな苗字だけども、道場破りに遭ったのかもしれない。


看板もらうんじゃなくて名前もらってっちゃうんですか? 千と千尋の神隠しみたい。






ここが子規庵か。ぱっと見、普通の家だなー。





これはお隣の家です。インターホン鳴らされまくって困ってるんでしょうね。




子規庵はこっち。現在では、一般見学以外にも句会や歌会等への貸し出しも行ってます。当時から親交のあった夏目漱石や森鴎外と頻繁に文学談義をしていたようですね。27歳の頃から亡くなるまでの34歳の間にこの地に住んでたと言われてます。昭和20年に空襲で家が全焼したのですが、昭和25年に弟子たちによって再建されて今の姿になりました。


34歳とは早世ですね。アレですか。文人あるあるの。


はい。結核ですね。





ちなみに結核に罹ってからはこんな句を詠んでます。「夏草やベースボールの人遠し」


ああー。せつない。野球やりたいやりたいになってるじゃないですか。


あと野球絡みで短歌も詠っています。オススメの歌は「今やかの三つのベースに人満ちて そぞろに胸の打ち騒ぐかな」。


どういうことなの?


3つのベースに人満ちてっていうのは満塁のことですよ。攻撃側にとっては最大のチャンスだし、守備側にとっては最大のピンチ。このときの緊張感を表した歌ですよ。


野球短歌って、なんか考えすぎた現代のアーティストが始めそうなやつだけど、すでに正岡子規に手垢つけられてるのか。マンガでいうところの「あれもこれも手塚治虫がやってる」案件ですよ、これは。





子規庵の向かい側には、子規の親友である中村不折が創設した書道博物館があります。子規が新聞社「日本」で務めていたころ、挿絵が描ける人を探していたのが縁で不折と知り合います。子規の俳句の理論は「客観写生」と言われていますが、子規はこの出会いを通じて、見たものをそのまま写しとる描き方「写生」を学びとり、俳句に活かしたと言われています。




ちなみに、さきほどの隣の民家は、子規が生きていたころは空き地だったそうです。子規がこの空き地について詠んだ句が貼ってありました。
椎の実を 拾ひに来るや 隣の子
子規の家から伸びた木が実を結び、こちらの空き地に落っこちると、子どもたちが拾いにやってきてキャッキャしていた様子。



ちょっと行くと別の俳句が貼ってある。そうか、この街って、詠んだ場所に子規の俳句が貼ってあるんだ。すごくいい。


鶯谷は俳句の街なんですね。ちなみに正岡子規が生涯詠んだ句は軽く10000を超えてます。





いまの子規庵からはラブホテルの看板が見えます。子規が生きていたら、この光景をなんと詠んだでしょうね。



これも子規ですか? 「本日の お泊りは21時から


絶対に違う。




正岡子規のよく行っていた豆富店・笹之雪へ

さて、これから子規庵すぐ近くの豆富屋へ向かうのですが、



ごくごく自然に、ふたたびホテル街に迷い込みました。



ホテル街の中には八二神社。ここは根岸八十二番地ということで八十二神社だそうです。



これ、投げ銭の難易度が高いですよ。


いや、子規ならいけるんじゃないですか? キャッチャーは素早く、かつ正確な2塁への送球が求められるポジションですからね。






こちらにも一句。菜種(なのはな)の花が咲く時期は2~3月。紅梅は2月ごろに満開を迎える。春が近くなってきたころの庭の景色を詠っているみたい。




屋久橋通りを鶯谷駅のほうに歩いています。ちなみに、屋久橋通りから行けば、多少遠回りにはなりますが、路地のホテル街を通ることなく子規庵へ行くことができますので、ご安心ください。




世茂利奈。カレーとスパゲッティがウリの純喫茶。パスタやプリンを作るのに使う粉・セモリナがお店の由来になっているっぽい。




尾竹橋通りとぶつかったところを右に曲がると、笹之雪に着きました。

ここは江戸時代から続いている豆富料理店「笹之雪」です。江戸時代に上野の宮様が「雪の上に積もりし雪の如き美しさよ!」って大感激したことから、この屋号が名付けられました。正岡子規も愛したお店なんですよ。


豆腐じゃなくて豆富なんですね。


最近この字を使うお店多いですけど、今から80年ほど前に9代目当主の奥村多吉さんが、「腐るという字はふさわしくない」と考えて改称したそうですよ。






「水無月や 根岸涼しき 笹の雪」
「蕣(あさがお)に 朝商いす 笹の雪」

正岡子規もこちらのお店によく通っていたということで、笹之雪絡みの句もたくさん残しています。




ここの豆腐は、この地下300尺の井戸水を使って作られているんですよ。地下300尺っていうのはメートルに直すと約90mですね。
このあたりは地形的に谷底なので、井戸は多いそうです。




定食屋さんの「ねぎし はつね」の入り口にも正岡子規の句が2句。
「氏祭 これより根岸 蚊の多き」。これはちょっと分かる気がする。
しかし要所要所に子規の俳句。俳句をめぐりながらの散歩、すごく楽しい!



これも子規ですかね。 「カキフライ カレイの煮付け ハンバーグ」


すっごい五七五だけど、違います。





じゃあこれは? 子規?


ただの標語です。






狭いスペースを最大限に有効活用してるなこの駐輪所。





このNo.1の人、酒と栄養ドリンク飲んでる。なんか破壊と再生を同時にするような組み合わせだ。


それぞれ別の通行人が捨てたと思うけど。




もっと根岸を見つけに行きますよ



言問通りから、下谷のほうへ向かっています。あちらには、古き良き根岸の商店街があるとのこと。




わあ、鶯谷園だ。ここ来たことあるわ。すごい旨い焼き肉屋さん。10年くらい前に来たことあるんですけど、未だにここがいちばん旨い。


どんな店なんですか。高級焼き肉屋みたいな?


いや全然、庶民的な韓国焼き肉屋で、でっかい肉をはさみでジョキジョキしながら食べるだけなんですけど、ただただ肉が高級で旨い。そのくせそこまで高くないのですごい。あと、俺そのとき初めて鶯谷降りて、マクドで友達と待ち合わせしてたんですけど、左右前の席が全部怪しい待ち合わせで、露出の高いおばちゃんがタバコスパスパ吸ってて、鶯谷のイメージがそれだったので、今日は来て良かったです、ありがとう!


えっ? どういたしまして?






業務スーパー河内屋。付近の住みやすさを保証するスーパーです。
さっきから歩いていて、ラブホテル街と同じくらい住宅街も多いことに気づきます。しかもそれらのゾーニングがゆるく、共存しているんですよね。歩いていて、はじめは面食らいましたが、すぐ慣れてしまいました。ちなみにラブホテルの数で言えば新宿区などほうが多いそうで、鶯谷は駅前に表立っているから目立つだけなのかもしれません。




言問通りからうぐいす通りに進みます。根岸三丁目の商店街とはこのあたりでしょうか。

しかし、ウグイスのシンボルが多いね。


正岡子規も「雀より 鶯多き 根岸かな」って詠んでるくらいですからね。江戸時代に皇族の公弁が、京都からウグイスをたくさん持ってきて放したって話です。なんでも、上野山の鶯の鳴き方が遅くて気に入らなかったんですって。


在来種はヒットの手応えが無い、とか言ってブラックバス放流しちゃう感じだ。


えっ? それ一緒かなあ?





このあたりの街並み、すごくいいですね。



これも古そうな建物です。



創業50数年の手児奈せんべい。昔は千葉県市川にお店を構えていたそうで、近くに在った安産の神様「手児奈」が店名の由来らしい。黒ごまがぎっしり詰まったゴマ煎餅が人気。江戸っ子が好きな堅めの煎餅ですよ。




鶯谷の街並みにもマンションが。都会化が徐々に進んできているのかもしれません。




スカイツリーも見えます。ここから押上は、言問通りを一直線ですね。ただ隅田川の向こうなので、歩いたら1時間弱かかりそう。




ビルの谷間にこんもり発見。



小野照崎神社ですって。学問・芸能に定評のある神様、小野篁公・菅原道真公を祀った神社です。



庚申さんと青面金剛。庚申信仰は江戸時代に大流行したもので、全国各地にあるので珍しくもなんともないのですが、この青面金剛の石碑は聖徳太子が彫ったものとされていてめちゃくちゃ珍しいやつです。




「強烈な努力」をあざ笑うかのように寝そべるネコ2匹。


でも右側のネコ辛そうですよ。修行しつつ休憩みたいな修行僧感ないですか。


ほんとだ。寝てるようにみせかけて、強烈な努力をしている。






透かし彫りが見事。ところでさっきからこの神社、とても涼しい。ビルの谷間だからか、常に微風が吹いています。昔は上野山の谷、いまはビルの谷。谷間の神社は、今日も涼しいのでした。


さて、ラブホテルの街として名高い? 鶯谷ですが、「散策の街」の名のとおり、実際に歩いてみるとホテル街以前の地層、根岸の街が見えてきました。
ところで、正岡子規の子規って、ホトトギスという意味なんですね。ホトトギスが、ウグイスの谷に住んでいたって、ちょっと面白くないですか?
ホトトギスといえば、「托卵」という習性があります。自分の卵をウグイスの巣に紛れ込ませ、ウグイスがホトトギスを育てるんですね。鶯谷という土地が、子規の魅力を増幅し、育てた、と解釈すれば、丸く収まりますかねぇ。

(おしまい)



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山川悠

誰もいないバッティングセンターで数百円分の素振りを楽しむのが好きです。
いや、本当は好きじゃない。みんなが見てる前でカキンカキンしたい。高校時代は帰宅部。

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