愛知県愛西市で、日本最古の年記銘付き獅子頭について謎解き散歩
- 更新日: 2021/04/22
駐車場の先に、獅子頭が保管されている日置八幡宮が見える。
僕は獅子舞に使われる獅子頭に興味がある。ネットをググっていたら、愛知県愛西市に(年記銘付きの中で)日本最古の獅子頭があると知った。日本最古というワードにつきまとうのは、起源の話。どこからどのように伝わったのかという背景がとても気になった。
ひとまず、実際に現地に行って、愛西市役所や獅子頭が保管されているという神社に足を運んでみた。それらを通して、わかったことをレポートする。
▼今回のルートはこちら。
愛知県愛西市にある、永和駅に降り立った。ここからまずは、愛西市役所に向けて歩いていくこととする。
神社にいる狛犬のごとく、出入り口の左右に自販機が配置されている。狛犬はもともと獅子、すなわちライオンであり、紀元前の西アジアやインドなどでは王の守護神であった。強さの象徴であり、それを殺したり味方につけたりすることで権威づけを行なったのだ。そういうわけで王の宮殿の入り口に獅子の像を作った。かなり端折るが、それが日本に来て狛犬となり、今では神社の入り口に立てられている。この自販機までも狛犬(獅子)に見えてしまうとは、自分も頭がおかしくなったのかもしれない。歴史的に見れば、狛犬と獅子頭の根っこは同じで、個人的には兄弟のような関係だと思っている。
歩き始めてまず感じたことは、道路が直線的で地形に全く起伏がないこと。後から知ったことには、このエリアは海抜ゼロメートル地帯が続き、川が多く水が豊富という特徴があるらしい。関東地方では川や海が近い地域だと、獅子頭が流れてきてそれを拾い上げて祀った、あるいは流れてきた流木をくり抜いて獅子頭を作ったという伝説が各所に残っている。しかし、後ほど愛西市役所の方にお話を伺ったところ、そのような伝説は聞いたことがないという。
家の敷地がとても広い。庭や畑の面積も大きく、多種多様な植物を植えている家が多くみられる。また、園芸を嗜む人も多い。直線的で無機的な土地利用が多いこの地域に、私有地の植物が潤いをもたらしているように感じる。
今日も元気に笑顔で。大きな看板にとてもストレートな言葉が書かれている。小学校の校歌に出てきそうな言葉だ。カオスを一刀両断するかのごとく堂々としたこの看板に影響され、曇り空に影響されて沈んだ心が晴れゆくようにも思えた。
色々なものが集約され捨てられている場所。廃棄をするための「施設」というよりは「城」のようないかめしさがある。モノを引き寄せる磁場を感じるし、昔に何があったのだろうと歴史を紐解きたくなってしまう。真新しい建物が並ぶ風景の中に、突如として出現した城。変わりゆく無機的な風景の中に昔の記憶を止めるような時空のズレを感じるこの違和感。それが、この城の魅力だろう。
何もない広々とした耕作地が広がる。水田ばかりが広がっているのだろうと思っていたが、愛西市は全国有数の蓮根の産地でもある。日本人は奈良時代から蓮根を食べていたらしい。世界中をみても蓮根を食べる人種は稀である。この食材と獅子頭との共通点は、中国由来なことと伝来時期がやや被ることだ。
川がコンクリートで固められている光景をよく見かける。この地域は昔、水害に悩まされたという歴史がある。水害に悩まされたからこそ、土地をコンクリートで固めたのだ。今の所、日本最古の要素がなかなか見当たらず、むしろ新しい物好きに思えてくる愛西市。本当に、日本最古の獅子頭があるのだろうか。
愛西市役所についた。ここで、生涯学習課の方に獅子頭に関するお話を伺った。今回は獅子頭を拝見するのは難しそうでその点では残念だったが、獅子頭のお話をたっぷりと伺えてよかった。愛西市内の日置八幡宮というところに保管されている獅子頭が1252年製作で、年記銘がある中では日本最古の獅子頭と言われているようだ。
獅子頭がどこから伝わったのかについては、不明とのこと。獅子頭が製作された当時、この地域に獅子頭を彫った専業の職人はいなかったし、材料となるヒノキなどの木材は生えていなかった。ただし、仏像を彫る職人はいたそうで、もしかしたらそのような人々が製作したのかもしれない。また、この地域には木曽川を始め、川が非常に多い。もしかしたら、この川の上流(岐阜県など?)から木材が運ばれてきたのかもしれない。街道があったことから、モノや情報が多く流入する土地だったことは間違いない。
しかし、そもそも獅子頭を作るというアイデア自体はどこから湧いてきたのか。今日「獅子頭」と呼ばれるものが大陸から日本に流入したのは、612年に百済から伎楽がもたらされて以降である。伎楽の一部に獅子の舞があったのだ。それから、その舞と同時に獅子頭が、現在の奈良や京都、大阪界隈に徐々に伝わっていった。それではなぜ愛知県愛西市に獅子頭が来たのかと言えば、おそらく八幡信仰が元になっているだろう。蔭山誠一著『愛知県日置八幡宮所蔵木造獅子頭考』によれば、京都の若宮八幡宮を起点に日本全国に八幡信仰が伝えられる過程で、愛西市の日置八幡宮にも伝わったのではないかという。真実は定かではないが、少なくとも現存する年記銘のある獅子頭の中では、この愛西市の獅子頭が最古というわけである(年記銘なしだと、奈良の正倉院に保管されている獅子頭などかなり古い時代に作られたと思われるものも現存する)。
日本最古の獅子頭を拝見することは難しそうだが、市役所を出て、その獅子頭が保管されている日置八幡宮に向かって歩くこととする。道端に紫の花が咲いていて綺麗だ。このような小さな花は繁殖力が強くて、「歩いたらまたあった!」と道中で何度も出会う。思えば、鎌倉時代と江戸時代における獅子頭の繁殖力も非常に強かった。それらの時代には、全国各地に獅子頭が伝播するターニングポイントがいくつかあった。今では獅子頭を使って舞われる獅子舞こそが、日本で最も数が多い民俗芸能と言われている。
藁が水路に向けて垂れ下がり、どこかくつろいでいるように思える。直線的な水路の壁面を覆い隠すように横たわり、なだらかなフォルムを演出している。これはファッションだと思った。尖った原型を隠し、見る者に美しさや癒しを与えている。
やはり、愛西市の庭づくりや園芸文化は素晴らしい。小さな土地をうまく活用して、多品目を上手に育てている。植物たちは垣根が無いため車道に迫り、庭が地域に開かれているようで、町に潤いをもたらしている。ペットボトルが木からたくさんぶら下がっていて和やかな気持ちになる。
カラーコーンがぐちゃぐちゃになっている。このカラーコーンはなぜ置かれているのだろうか。想像するに、壁を取り壊したから道路と敷地との境界がなくなり、仕方なくカラーコーンを置いたのだろう。この地域の面白さは、家の敷地と道路との境界が色々な意味で曖昧なことだと思う。垣根がなく、庭や家が道路に迫っている。一方で、カラーコーンという取り外し可能な境界を作るのだけど、それが潰されてしまっている。私有地と公道が接近しあって、じゃれ合っているように思える。
収穫された野菜がゴロンと置いてある。棒をたくさん立てて曲げて..という手作り感が感じられる。それにしても、本当に様々な野菜が育てられている。
ここにもカラーコーン。これから家でも建てるのだろうか。ポツンとトイレが設置されている。この私有地がなぜか公園の広場のようにも思えてしまう。
味のあるお家を発見。サビのグラデーションが美しい。
よく見ると、ここは散髪屋さんらしい。それにしても、看板がとても面白い。「カット&パーマ」と書いてあるのだろうが、キャラクターのハサミを持っている手が「と」に見えるので、「カットとパーマ」と書いてあるように見える。理容の理は繋ぎ文字になっていて、鼻を膨らませているようだ。理容の容の書き方がヒゲっぽい。
この散髪屋の入り口はここだろうか。ローカル感が漂っており、この先にどんな世界が広がっているのかを想像するだけで楽しくなってくる。
発泡スチロールか何かで作られた花壇。三角形の余った土地を有効活用している。そういえば以前、ランドスケープデザイナーに土地の読み解き方を教わったことがある。「海側から海岸線と平行に家を建てる一方で、山側から裾野と平行に家を建てるのを同時に実践した地域があるとする。順々に作って行くと、必ず街に矛盾が出てくる。山と平行な場所と、海と平行な場所との交差点こそがまさに矛盾の現場である。つまり、そこには土地がうまいこと割り当てができず、三角地が生まれる。」これを聞いて、なるほどと思った。三角地が存在するのは設計ミスであるというより、少なからず町全体の構成からして仕方のないことなのだ。人はこういう三角地こそ、愛でたくなるのだろう。単に余りの土地として見なすわけではなく、花壇を置いて華やかに飾り愛でるのだ。
駐車場に作られた道。なぜこの道は作られたのだろうか。下がぬかるむのか、それとも車の停め方を示したいがためにあえて歩道を設計したということなのか。謎が尽きない。縁石の位置からして、車を斜めに停めなくてはならない。面白い作りをした駐車場なので、車が停まる瞬間を見てみたかった。
さて、日置八幡宮についた。看板に、日本最古の獅子頭を所有する神社と書かれている。それでは、中に入ってみよう。
左の看板には、三社を祀っているということが書かれている。右の看板には、文化財に関する案内がある。管粥(くだかゆ)という豊作を占う神事や、懸仏(かけぼとけ)という鏡面に神仏を取り付ける信仰が行われているようだ。それに並んで紹介されているのが本題である獅子頭のお話。
年記銘のあるものでは日本最古との記載がある。口周りが赤く染められており、全体は黒く塗られているが、木が少しむき出しになっている。それにしても素朴で味がある獅子頭だ。鼻がとても高い。なるほど、このような形をしているのかとしばし感慨に浸る。
境内には、堂々とした石造物も設置されている。この両脇には阿吽のポーズをしている狛犬が彫られており興味深い。それにしても、この石造物は鳥居から拝殿までの道を遮る形で設置されているのはなぜだろうか。「拝殿は奥にある」という認識を強くさせる石造物だ。
行きとは違う鳥居から出て、神社から駅に向かった。八幡宮のフォントが素晴らしい。「八」の反り具合が大きくて、エックス(X)の文字のようになっている。
それから徒歩数分で、ゴールポイントの日比野駅に到着。わずか2時間ちょっとの散歩ではあったが、ぎゅっと色々な話題が詰まった中身の濃い時間だった。最後は自販機に描かれたクマに癒された。自販機に始まり自販機に終わるという散歩であった。
駅のホームに立つと、屋根がカブトムシの角に見えた。そういえば、日置八幡宮の看板に掲載されていた獅子頭には角が生えていなかった。獅子頭に角が生えてくるのは、恐らく鎌倉時代よりももっと後の話だろう。今回、八幡宮で見た写真の獅子頭は、その風貌からとても古い時代のものであると再認識した。一方で、愛西市の町並みはそれと真逆の新しい雰囲気。この町に年記銘付きの中で日本最古の獅子頭があるなどと、多くの人は想像しないだろう。しかし、獅子頭の起源を解き明かす鍵はその何気ない風景の1つ1つに眠っているはずだ。固められたコンクリートの下に眠る河岸は、もしかしたら岐阜の山奥から木材が供給される船着場であり、その木材を使用して獅子頭が作られたということも十分考えられる。遠い歴史に思いを馳せながら、日常の何気ない風景を眺めると想像を超える楽しさがあるのだ。
ひとまず、実際に現地に行って、愛西市役所や獅子頭が保管されているという神社に足を運んでみた。それらを通して、わかったことをレポートする。
▼今回のルートはこちら。
愛知県愛西市にある、永和駅に降り立った。ここからまずは、愛西市役所に向けて歩いていくこととする。
神社にいる狛犬のごとく、出入り口の左右に自販機が配置されている。狛犬はもともと獅子、すなわちライオンであり、紀元前の西アジアやインドなどでは王の守護神であった。強さの象徴であり、それを殺したり味方につけたりすることで権威づけを行なったのだ。そういうわけで王の宮殿の入り口に獅子の像を作った。かなり端折るが、それが日本に来て狛犬となり、今では神社の入り口に立てられている。この自販機までも狛犬(獅子)に見えてしまうとは、自分も頭がおかしくなったのかもしれない。歴史的に見れば、狛犬と獅子頭の根っこは同じで、個人的には兄弟のような関係だと思っている。
歩き始めてまず感じたことは、道路が直線的で地形に全く起伏がないこと。後から知ったことには、このエリアは海抜ゼロメートル地帯が続き、川が多く水が豊富という特徴があるらしい。関東地方では川や海が近い地域だと、獅子頭が流れてきてそれを拾い上げて祀った、あるいは流れてきた流木をくり抜いて獅子頭を作ったという伝説が各所に残っている。しかし、後ほど愛西市役所の方にお話を伺ったところ、そのような伝説は聞いたことがないという。
家の敷地がとても広い。庭や畑の面積も大きく、多種多様な植物を植えている家が多くみられる。また、園芸を嗜む人も多い。直線的で無機的な土地利用が多いこの地域に、私有地の植物が潤いをもたらしているように感じる。
今日も元気に笑顔で。大きな看板にとてもストレートな言葉が書かれている。小学校の校歌に出てきそうな言葉だ。カオスを一刀両断するかのごとく堂々としたこの看板に影響され、曇り空に影響されて沈んだ心が晴れゆくようにも思えた。
色々なものが集約され捨てられている場所。廃棄をするための「施設」というよりは「城」のようないかめしさがある。モノを引き寄せる磁場を感じるし、昔に何があったのだろうと歴史を紐解きたくなってしまう。真新しい建物が並ぶ風景の中に、突如として出現した城。変わりゆく無機的な風景の中に昔の記憶を止めるような時空のズレを感じるこの違和感。それが、この城の魅力だろう。
何もない広々とした耕作地が広がる。水田ばかりが広がっているのだろうと思っていたが、愛西市は全国有数の蓮根の産地でもある。日本人は奈良時代から蓮根を食べていたらしい。世界中をみても蓮根を食べる人種は稀である。この食材と獅子頭との共通点は、中国由来なことと伝来時期がやや被ることだ。
川がコンクリートで固められている光景をよく見かける。この地域は昔、水害に悩まされたという歴史がある。水害に悩まされたからこそ、土地をコンクリートで固めたのだ。今の所、日本最古の要素がなかなか見当たらず、むしろ新しい物好きに思えてくる愛西市。本当に、日本最古の獅子頭があるのだろうか。
愛西市役所についた。ここで、生涯学習課の方に獅子頭に関するお話を伺った。今回は獅子頭を拝見するのは難しそうでその点では残念だったが、獅子頭のお話をたっぷりと伺えてよかった。愛西市内の日置八幡宮というところに保管されている獅子頭が1252年製作で、年記銘がある中では日本最古の獅子頭と言われているようだ。
獅子頭がどこから伝わったのかについては、不明とのこと。獅子頭が製作された当時、この地域に獅子頭を彫った専業の職人はいなかったし、材料となるヒノキなどの木材は生えていなかった。ただし、仏像を彫る職人はいたそうで、もしかしたらそのような人々が製作したのかもしれない。また、この地域には木曽川を始め、川が非常に多い。もしかしたら、この川の上流(岐阜県など?)から木材が運ばれてきたのかもしれない。街道があったことから、モノや情報が多く流入する土地だったことは間違いない。
しかし、そもそも獅子頭を作るというアイデア自体はどこから湧いてきたのか。今日「獅子頭」と呼ばれるものが大陸から日本に流入したのは、612年に百済から伎楽がもたらされて以降である。伎楽の一部に獅子の舞があったのだ。それから、その舞と同時に獅子頭が、現在の奈良や京都、大阪界隈に徐々に伝わっていった。それではなぜ愛知県愛西市に獅子頭が来たのかと言えば、おそらく八幡信仰が元になっているだろう。蔭山誠一著『愛知県日置八幡宮所蔵木造獅子頭考』によれば、京都の若宮八幡宮を起点に日本全国に八幡信仰が伝えられる過程で、愛西市の日置八幡宮にも伝わったのではないかという。真実は定かではないが、少なくとも現存する年記銘のある獅子頭の中では、この愛西市の獅子頭が最古というわけである(年記銘なしだと、奈良の正倉院に保管されている獅子頭などかなり古い時代に作られたと思われるものも現存する)。
日本最古の獅子頭を拝見することは難しそうだが、市役所を出て、その獅子頭が保管されている日置八幡宮に向かって歩くこととする。道端に紫の花が咲いていて綺麗だ。このような小さな花は繁殖力が強くて、「歩いたらまたあった!」と道中で何度も出会う。思えば、鎌倉時代と江戸時代における獅子頭の繁殖力も非常に強かった。それらの時代には、全国各地に獅子頭が伝播するターニングポイントがいくつかあった。今では獅子頭を使って舞われる獅子舞こそが、日本で最も数が多い民俗芸能と言われている。
藁が水路に向けて垂れ下がり、どこかくつろいでいるように思える。直線的な水路の壁面を覆い隠すように横たわり、なだらかなフォルムを演出している。これはファッションだと思った。尖った原型を隠し、見る者に美しさや癒しを与えている。
やはり、愛西市の庭づくりや園芸文化は素晴らしい。小さな土地をうまく活用して、多品目を上手に育てている。植物たちは垣根が無いため車道に迫り、庭が地域に開かれているようで、町に潤いをもたらしている。ペットボトルが木からたくさんぶら下がっていて和やかな気持ちになる。
カラーコーンがぐちゃぐちゃになっている。このカラーコーンはなぜ置かれているのだろうか。想像するに、壁を取り壊したから道路と敷地との境界がなくなり、仕方なくカラーコーンを置いたのだろう。この地域の面白さは、家の敷地と道路との境界が色々な意味で曖昧なことだと思う。垣根がなく、庭や家が道路に迫っている。一方で、カラーコーンという取り外し可能な境界を作るのだけど、それが潰されてしまっている。私有地と公道が接近しあって、じゃれ合っているように思える。
収穫された野菜がゴロンと置いてある。棒をたくさん立てて曲げて..という手作り感が感じられる。それにしても、本当に様々な野菜が育てられている。
ここにもカラーコーン。これから家でも建てるのだろうか。ポツンとトイレが設置されている。この私有地がなぜか公園の広場のようにも思えてしまう。
味のあるお家を発見。サビのグラデーションが美しい。
よく見ると、ここは散髪屋さんらしい。それにしても、看板がとても面白い。「カット&パーマ」と書いてあるのだろうが、キャラクターのハサミを持っている手が「と」に見えるので、「カットとパーマ」と書いてあるように見える。理容の理は繋ぎ文字になっていて、鼻を膨らませているようだ。理容の容の書き方がヒゲっぽい。
この散髪屋の入り口はここだろうか。ローカル感が漂っており、この先にどんな世界が広がっているのかを想像するだけで楽しくなってくる。
発泡スチロールか何かで作られた花壇。三角形の余った土地を有効活用している。そういえば以前、ランドスケープデザイナーに土地の読み解き方を教わったことがある。「海側から海岸線と平行に家を建てる一方で、山側から裾野と平行に家を建てるのを同時に実践した地域があるとする。順々に作って行くと、必ず街に矛盾が出てくる。山と平行な場所と、海と平行な場所との交差点こそがまさに矛盾の現場である。つまり、そこには土地がうまいこと割り当てができず、三角地が生まれる。」これを聞いて、なるほどと思った。三角地が存在するのは設計ミスであるというより、少なからず町全体の構成からして仕方のないことなのだ。人はこういう三角地こそ、愛でたくなるのだろう。単に余りの土地として見なすわけではなく、花壇を置いて華やかに飾り愛でるのだ。
駐車場に作られた道。なぜこの道は作られたのだろうか。下がぬかるむのか、それとも車の停め方を示したいがためにあえて歩道を設計したということなのか。謎が尽きない。縁石の位置からして、車を斜めに停めなくてはならない。面白い作りをした駐車場なので、車が停まる瞬間を見てみたかった。
さて、日置八幡宮についた。看板に、日本最古の獅子頭を所有する神社と書かれている。それでは、中に入ってみよう。
左の看板には、三社を祀っているということが書かれている。右の看板には、文化財に関する案内がある。管粥(くだかゆ)という豊作を占う神事や、懸仏(かけぼとけ)という鏡面に神仏を取り付ける信仰が行われているようだ。それに並んで紹介されているのが本題である獅子頭のお話。
年記銘のあるものでは日本最古との記載がある。口周りが赤く染められており、全体は黒く塗られているが、木が少しむき出しになっている。それにしても素朴で味がある獅子頭だ。鼻がとても高い。なるほど、このような形をしているのかとしばし感慨に浸る。
境内には、堂々とした石造物も設置されている。この両脇には阿吽のポーズをしている狛犬が彫られており興味深い。それにしても、この石造物は鳥居から拝殿までの道を遮る形で設置されているのはなぜだろうか。「拝殿は奥にある」という認識を強くさせる石造物だ。
行きとは違う鳥居から出て、神社から駅に向かった。八幡宮のフォントが素晴らしい。「八」の反り具合が大きくて、エックス(X)の文字のようになっている。
それから徒歩数分で、ゴールポイントの日比野駅に到着。わずか2時間ちょっとの散歩ではあったが、ぎゅっと色々な話題が詰まった中身の濃い時間だった。最後は自販機に描かれたクマに癒された。自販機に始まり自販機に終わるという散歩であった。
駅のホームに立つと、屋根がカブトムシの角に見えた。そういえば、日置八幡宮の看板に掲載されていた獅子頭には角が生えていなかった。獅子頭に角が生えてくるのは、恐らく鎌倉時代よりももっと後の話だろう。今回、八幡宮で見た写真の獅子頭は、その風貌からとても古い時代のものであると再認識した。一方で、愛西市の町並みはそれと真逆の新しい雰囲気。この町に年記銘付きの中で日本最古の獅子頭があるなどと、多くの人は想像しないだろう。しかし、獅子頭の起源を解き明かす鍵はその何気ない風景の1つ1つに眠っているはずだ。固められたコンクリートの下に眠る河岸は、もしかしたら岐阜の山奥から木材が供給される船着場であり、その木材を使用して獅子頭が作られたということも十分考えられる。遠い歴史に思いを馳せながら、日常の何気ない風景を眺めると想像を超える楽しさがあるのだ。