花見のピークに国立を改めて愛でる
- 更新日: 2022/05/19
道全体が大きな公園みたいになっている「大学通り」
かつて地方から上京した私が、大学生としてはじめての東京暮らしをした町「国立(くにたち)」。
国立がコロナ以降どんな状況かずっと気になっていた。お店のSNSアカウントで「閉店のお知らせ」を見たりするたびに、胸がソワソワした。
2022年4月上旬、数年ぶりに花見客でにぎわう国立を歩く。極めて私的な散歩ですが、お付き合いくださるとうれしいです。
南武線の通るJR谷保駅
花見客で混雑が予想される国立駅と違って静かな駅前。穏やかな旅の始まり。
谷保駅から少し北上すると現れる屋内型商店街「むっさ21」は、このあたりに広がる団地に併設されている。大学の2限後、平日昼下がりの団地周辺を無為に歩き回るのがすきだった。
学生時代は「むっさ」=「めっちゃ」の意味だと勝手に思いこんでいたが、この度インターネットで調べたところ「むっさ」は地名の「武蔵野」に由来しているそう。武蔵野の21世紀を見つめる商店街、的なことらしい。
そもそも「めっちゃ21世紀」ってお前……さすがに無意味すぎるよ……
奥へ。左手には団地へつながる広場が見え、子どもたちが遊んでいる。休日のため人が多く撮影できなかったが、ここには「なんでもないスペース」がふんだんにあり、誰でも弾いていいピアノもある。すごく無料で自由。
屋根付きガラス張りの商店街って雨の日も便利だし、外と内の境界線があいまいでいいよなー。将来このへんに住もっかな。
中にある「Cafe ここたの」で昼食でもと思ったが、谷保駅前にいなかった人びとはここに全員いたのかと思えるほど混み合っており断念した。
歩みを進めるとぼちぼち桜が顔を出しはじめる。右手に立ち並ぶのが「国立富士見台団地」。公団住宅なのでなんとなく「こくりつ」と読みそうになるが「くにたち」である。
こくりつ/くにたち問題は、国立市出身者のあるあるネタとして鉄板です。
団地をすぎると大学通りを横切る「さくら通り」が登場。
やっぱ桜はいいなー♪ふんふん♪と歩いていると、前を歩くご婦人たちが「ずいぶん間引いちゃって寂しいわねえ」とおっしゃっていた。桜の木が古くなりすぎたそう。
自分では変化に気づかなかったが、言われてみれば以前はさらにボボボボと桜で埋まってたかも。イヤホンしないで歩いててよかった。
さくら通りを越えると道の両サイドが立派な桜並木になる。ここからが大学通りの本領発揮ゾーン。
大学通りに一箇所だけ架けられた歩道橋の上は、毎年花見客で埋まる。
みんなが桜を間近で見られるように作られた(と思われる)やさしい曲線……
歩道橋の上から撮影した国立名物・大学通りの桜!(国立駅方面)
毎年思うことだが、桜とはじつに大胆で魅力的な生き物だ。たった1-2週間で盛大に生命を尽くす。「どうせ散りゆく命なら 桜のように美しく」とはじまる特攻服の刺繍(ヤン詩というらしい)が脳をかすめ、桜に理想の生きざまを見た“ヤツら”と一瞬だけ心が通ったような気もした。
自分で選んだ道だから
命尽きても悔いは無し
我ら華麗な暴走天使……
こちらは歩いてきた谷保駅方面。この町は道が広い。
歩道|緑地|自転車道| 車 道 |自転車道|緑地|歩道
この、なんていうんだろう?歩道と自転車道の間にある緑地帯みたいなところ。そこでささやかな宴を開く人たちもいれば、写真を撮り合うカップル、ひとりベンチに腰掛け一点を見つめて動かない爺さんなんかもいる。
こんな日は犬の散歩も家族みんなでしちゃうよなー
ちなみに大学通りは途中まで桜といちょうが交互に植えられているので、秋にはいちょう並木が楽しめる。ただし歩道に落ちた銀杏を歩行者が踏みつぶすので町じゅうが臭い。
木だけでなく丁寧に手入れされた花壇もある。道端にはベンチもたくさんあって座り放題、眺め放題、おしゃべりし放題。
23区ではちょっと難しい、ゆとりのある土地と時間の使い方。ああ無料で自由!やっぱり将来はこのへんに住もうかな。
国立市には丸型ポストがちょこちょこあって、きゅんとします
「大学通り」の由来である一橋大学のキャンパスを通りかかると、コロナ以降大学関係者以外は入場できないようになっていた。
門の前に立つ男性、すんごい入りたそう……私も入りたい……
別の入口(北門)に回ってみたがやはりダメだ。
かつては誰でも自由に出入りできた一橋大学のキャンパス。豊富な自然や噴水広場で子どもたちが遊んだり、中世ヨーロッパ風のロマネスク建築をデッサンする方々がいたりして「国立(こくりつ)一橋公園」と称されるほどだった。あの頃に戻る日は来るんだろうか。
大学前の駐輪場はこのあたりで唯一無料なので常に大混雑。大学通りの歩道は全面石畳になっており、それが学園都市っぽさを増幅している。この、大学が町と合体している感じが昔からすきだった。
さて、ここで一橋生なら一度は耳にしたことがあるであろう、国立の「奇界遺産」をご紹介したい。
「みまもってるよ」
この奇妙なメッセージは国立のいくつかのスポットで見られ、大学構内でも発見されている。
本件を調査するTwitterアカウントまで作られていたようだが、2013年で更新が止まっている。今後調査が何者かによって引き継がれることはあるのだろうか……みまもってるよ。
ずんずん歩いて、国立駅前までやってきた!
ん?
国立駅の前に……人ん家……?
赤い三角屋根の旧国立駅舎が、歴史資料の展示や観光案内、多目的スペースを有する複合施設として2020年に蘇ったそうだ。
それにしても、現行のJR国立駅を覆い隠すように建っててなんだかちょっと気の毒になってくるな。現役の駅舎、君もなかなかいい駅してるよーっ!
国立駅からすぐのところにある、細くてヨーロピアンな雰囲気の小道「ブランコ通り」
こんにちは
白アーチ×白タイルでいい雰囲気
学生の頃、マダム向けの服屋にジュエリー店、渋いバーなどが立ち並ぶブランコ通りには正直なんの用もなかったが「なんか素敵」というだけで意味もなく歩いたりした。
今回もまた歩いてしまったし、次に行ったらまた歩きそう。今はまだ歩くだけでいいかーと思っているが、いつか気分になったら店にも立ち寄ってみたい。
国立駅から斜めに伸びている「富士見通り」も少し歩いてみる。すごく調子がいい日には、この通りの果てに富士山が見えるらしい。
古着とアンティーク雑貨、テディベアを取り扱う店「レッドバロウ 駅前店」
小さくて目立たないが掘り出し物が見つかるお店。営業を続けられているようで安心した。逆に、コロナ影響か正確にはわからないが無くなったり移転したりした店もたくさんあった。
話は逸れるが、例えば大学隣のバーミヤンはガストに入れ替わっていた。
チェーン店だし運営企業やファミレス形態も同じなので、外から見た町の変化としては地味なものだ。でも実はこのあたりに暮らす人びとにとって、気軽な食事の選択肢としてバーミヤンがなくなったのは結構大きい出来事だったかもしれない。
私には町の変化は追えても、そこに住む人の生活の変化を感じることは難しい。当たり前だが、私がいた頃の国立と同じように、今は私のいない国立があるのだ。急に外からやってきて変化を寂しいとかおもしろいとか言うのも、我ながらずいぶん勝手なことに思えた。
その他にもミスドがなくなるなど、コロナ禍で訪れていなかったここ数年の国立駅周辺の変わり方は、旧国立駅舎の建設とも重なりちょっと驚くほどであった。自分の「脳内国立ランドスケープ」もしっかり更新しておかなくてはならない。
さて、富士見通りに戻る。
急に目に飛び込んできた「ぱぴぷぺぽ」
ぷるっぷるの「ぱぴぷぺぽ」
私が店に入る機会はなかなかなさそうだが、昔からいい看板だと思っていた。こんなに意味なさそうな店名も珍しいし、ぷるっぷるでかわいいし。
イートインスペースもあるたこやき屋があったはず……と向かうと休業中だった「大阪やき三太 国立店」。結局2時間くらい昼食タイミングを逃し続けている。
ここに住んでいた頃はたぶん、計画的に作られた学園都市としての“国立”に魅力を感じていた。自然豊かで、洒落たカフェなんかも多くて高級感があり、23区の焦燥感はないが文化的。なんというか東京の「余裕」部分をかき集めたような。
今はなんとなく、こういう、松屋とかマクドナルドとかとは違った感じの気楽な店にホッとするようになってきた。またやってるときに来たい。
富士見通りから大学の裏手に曲がると、ジブリに出てきそうな帽子店「アトリエ関」が現れた。窓から見える帽子や小物にはどれも信念を感じられ、惹きつけるものがある。
この町には、古道具・骨董品店、雑貨屋、個人アトリエなどがたくさんある。正直儲からないだろうに……。そういう「小さくて大事なものを持っている」人がいっぱいいるところが、私が国立を愛しつづける理由のひとつのような気がする。
あとはやっぱり、無料で自由なスペースが多いのがいいんだよ!
せっかくなので夜桜も見る。桜をうまく撮れたためしがない
町のスパゲッティ屋「いたりあ小僧」。帽子は片目を隠してかぶる小僧のポリシー
昼食を逃したので早めの夕食をと思ったがこちらも行列……はらぺこすぎて逆にもういいや……花見シーズンの国立は店を予約していったほうがいい。
夜の旧国立駅舎、紫なんだ……
国立のすきなところも、町の変わったところも歩いて確認できた。前に住んでいた町に行くってのは、なんだか自分の変化まで感じられてちょっと心にいいような気もした。
とっても個人的な散歩にお付き合いくださり、ありがとうございました!
国立がコロナ以降どんな状況かずっと気になっていた。お店のSNSアカウントで「閉店のお知らせ」を見たりするたびに、胸がソワソワした。
2022年4月上旬、数年ぶりに花見客でにぎわう国立を歩く。極めて私的な散歩ですが、お付き合いくださるとうれしいです。
谷保駅から歩きだす
国立のメイン通りであり桜並木が続く「大学通り」は、JR国立駅からJR谷保駅までをまっすぐに貫いている。今回は谷保駅をスタート地点に、国立駅に向かって桜満開の大学通りをゆく腹積もりだ。南武線の通るJR谷保駅
花見客で混雑が予想される国立駅と違って静かな駅前。穏やかな旅の始まり。
谷保駅から少し北上すると現れる屋内型商店街「むっさ21」は、このあたりに広がる団地に併設されている。大学の2限後、平日昼下がりの団地周辺を無為に歩き回るのがすきだった。
学生時代は「むっさ」=「めっちゃ」の意味だと勝手に思いこんでいたが、この度インターネットで調べたところ「むっさ」は地名の「武蔵野」に由来しているそう。武蔵野の21世紀を見つめる商店街、的なことらしい。
そもそも「めっちゃ21世紀」ってお前……さすがに無意味すぎるよ……
奥へ。左手には団地へつながる広場が見え、子どもたちが遊んでいる。休日のため人が多く撮影できなかったが、ここには「なんでもないスペース」がふんだんにあり、誰でも弾いていいピアノもある。すごく無料で自由。
屋根付きガラス張りの商店街って雨の日も便利だし、外と内の境界線があいまいでいいよなー。将来このへんに住もっかな。
中にある「Cafe ここたの」で昼食でもと思ったが、谷保駅前にいなかった人びとはここに全員いたのかと思えるほど混み合っており断念した。
歩みを進めるとぼちぼち桜が顔を出しはじめる。右手に立ち並ぶのが「国立富士見台団地」。公団住宅なのでなんとなく「こくりつ」と読みそうになるが「くにたち」である。
こくりつ/くにたち問題は、国立市出身者のあるあるネタとして鉄板です。
団地をすぎると大学通りを横切る「さくら通り」が登場。
やっぱ桜はいいなー♪ふんふん♪と歩いていると、前を歩くご婦人たちが「ずいぶん間引いちゃって寂しいわねえ」とおっしゃっていた。桜の木が古くなりすぎたそう。
自分では変化に気づかなかったが、言われてみれば以前はさらにボボボボと桜で埋まってたかも。イヤホンしないで歩いててよかった。
国立のゆとり空間・大学通り
さくら通りを越えると道の両サイドが立派な桜並木になる。ここからが大学通りの本領発揮ゾーン。
大学通りに一箇所だけ架けられた歩道橋の上は、毎年花見客で埋まる。
みんなが桜を間近で見られるように作られた(と思われる)やさしい曲線……
歩道橋の上から撮影した国立名物・大学通りの桜!(国立駅方面)
毎年思うことだが、桜とはじつに大胆で魅力的な生き物だ。たった1-2週間で盛大に生命を尽くす。「どうせ散りゆく命なら 桜のように美しく」とはじまる特攻服の刺繍(ヤン詩というらしい)が脳をかすめ、桜に理想の生きざまを見た“ヤツら”と一瞬だけ心が通ったような気もした。
自分で選んだ道だから
命尽きても悔いは無し
我ら華麗な暴走天使……
こちらは歩いてきた谷保駅方面。この町は道が広い。
歩道|緑地|自転車道| 車 道 |自転車道|緑地|歩道
この、なんていうんだろう?歩道と自転車道の間にある緑地帯みたいなところ。そこでささやかな宴を開く人たちもいれば、写真を撮り合うカップル、ひとりベンチに腰掛け一点を見つめて動かない爺さんなんかもいる。
こんな日は犬の散歩も家族みんなでしちゃうよなー
ちなみに大学通りは途中まで桜といちょうが交互に植えられているので、秋にはいちょう並木が楽しめる。ただし歩道に落ちた銀杏を歩行者が踏みつぶすので町じゅうが臭い。
木だけでなく丁寧に手入れされた花壇もある。道端にはベンチもたくさんあって座り放題、眺め放題、おしゃべりし放題。
23区ではちょっと難しい、ゆとりのある土地と時間の使い方。ああ無料で自由!やっぱり将来はこのへんに住もうかな。
国立市には丸型ポストがちょこちょこあって、きゅんとします
学園都市の主人公・一橋大学
「大学通り」の由来である一橋大学のキャンパスを通りかかると、コロナ以降大学関係者以外は入場できないようになっていた。
門の前に立つ男性、すんごい入りたそう……私も入りたい……
別の入口(北門)に回ってみたがやはりダメだ。
かつては誰でも自由に出入りできた一橋大学のキャンパス。豊富な自然や噴水広場で子どもたちが遊んだり、中世ヨーロッパ風のロマネスク建築をデッサンする方々がいたりして「国立(こくりつ)一橋公園」と称されるほどだった。あの頃に戻る日は来るんだろうか。
大学前の駐輪場はこのあたりで唯一無料なので常に大混雑。大学通りの歩道は全面石畳になっており、それが学園都市っぽさを増幅している。この、大学が町と合体している感じが昔からすきだった。
さて、ここで一橋生なら一度は耳にしたことがあるであろう、国立の「奇界遺産」をご紹介したい。
「みまもってるよ」
この奇妙なメッセージは国立のいくつかのスポットで見られ、大学構内でも発見されている。
本件を調査するTwitterアカウントまで作られていたようだが、2013年で更新が止まっている。今後調査が何者かによって引き継がれることはあるのだろうか……みまもってるよ。
国立市に点在する奇妙な落書き『みまもってるよ』の謎を追う調査チームです。
国立駅前まできました
ずんずん歩いて、国立駅前までやってきた!
ん?
国立駅の前に……人ん家……?
赤い三角屋根の旧国立駅舎が、歴史資料の展示や観光案内、多目的スペースを有する複合施設として2020年に蘇ったそうだ。
旧国立駅舎って?
それにしても、現行のJR国立駅を覆い隠すように建っててなんだかちょっと気の毒になってくるな。現役の駅舎、君もなかなかいい駅してるよーっ!
大人向けの洒落た小道・ブランコ通り
結構すんなりと大学通りを踏破したので、別の通りにもちょっと入ってみたい。国立駅からすぐのところにある、細くてヨーロピアンな雰囲気の小道「ブランコ通り」
こんにちは
白アーチ×白タイルでいい雰囲気
学生の頃、マダム向けの服屋にジュエリー店、渋いバーなどが立ち並ぶブランコ通りには正直なんの用もなかったが「なんか素敵」というだけで意味もなく歩いたりした。
今回もまた歩いてしまったし、次に行ったらまた歩きそう。今はまだ歩くだけでいいかーと思っているが、いつか気分になったら店にも立ち寄ってみたい。
富士見通りへ
国立駅から斜めに伸びている「富士見通り」も少し歩いてみる。すごく調子がいい日には、この通りの果てに富士山が見えるらしい。
古着とアンティーク雑貨、テディベアを取り扱う店「レッドバロウ 駅前店」
小さくて目立たないが掘り出し物が見つかるお店。営業を続けられているようで安心した。逆に、コロナ影響か正確にはわからないが無くなったり移転したりした店もたくさんあった。
話は逸れるが、例えば大学隣のバーミヤンはガストに入れ替わっていた。
チェーン店だし運営企業やファミレス形態も同じなので、外から見た町の変化としては地味なものだ。でも実はこのあたりに暮らす人びとにとって、気軽な食事の選択肢としてバーミヤンがなくなったのは結構大きい出来事だったかもしれない。
私には町の変化は追えても、そこに住む人の生活の変化を感じることは難しい。当たり前だが、私がいた頃の国立と同じように、今は私のいない国立があるのだ。急に外からやってきて変化を寂しいとかおもしろいとか言うのも、我ながらずいぶん勝手なことに思えた。
その他にもミスドがなくなるなど、コロナ禍で訪れていなかったここ数年の国立駅周辺の変わり方は、旧国立駅舎の建設とも重なりちょっと驚くほどであった。自分の「脳内国立ランドスケープ」もしっかり更新しておかなくてはならない。
さて、富士見通りに戻る。
急に目に飛び込んできた「ぱぴぷぺぽ」
ぷるっぷるの「ぱぴぷぺぽ」
私が店に入る機会はなかなかなさそうだが、昔からいい看板だと思っていた。こんなに意味なさそうな店名も珍しいし、ぷるっぷるでかわいいし。
イートインスペースもあるたこやき屋があったはず……と向かうと休業中だった「大阪やき三太 国立店」。結局2時間くらい昼食タイミングを逃し続けている。
ここに住んでいた頃はたぶん、計画的に作られた学園都市としての“国立”に魅力を感じていた。自然豊かで、洒落たカフェなんかも多くて高級感があり、23区の焦燥感はないが文化的。なんというか東京の「余裕」部分をかき集めたような。
今はなんとなく、こういう、松屋とかマクドナルドとかとは違った感じの気楽な店にホッとするようになってきた。またやってるときに来たい。
富士見通りから大学の裏手に曲がると、ジブリに出てきそうな帽子店「アトリエ関」が現れた。窓から見える帽子や小物にはどれも信念を感じられ、惹きつけるものがある。
この町には、古道具・骨董品店、雑貨屋、個人アトリエなどがたくさんある。正直儲からないだろうに……。そういう「小さくて大事なものを持っている」人がいっぱいいるところが、私が国立を愛しつづける理由のひとつのような気がする。
あとはやっぱり、無料で自由なスペースが多いのがいいんだよ!
日が暮れました
せっかくなので夜桜も見る。桜をうまく撮れたためしがない
町のスパゲッティ屋「いたりあ小僧」。帽子は片目を隠してかぶる小僧のポリシー
昼食を逃したので早めの夕食をと思ったがこちらも行列……はらぺこすぎて逆にもういいや……花見シーズンの国立は店を予約していったほうがいい。
夜の旧国立駅舎、紫なんだ……
ざっくりした散歩ルート
国立のすきなところも、町の変わったところも歩いて確認できた。前に住んでいた町に行くってのは、なんだか自分の変化まで感じられてちょっと心にいいような気もした。
とっても個人的な散歩にお付き合いくださり、ありがとうございました!