呑川緑道にかかる「新しい橋」について
- 更新日: 2019/06/04
暗渠化後にかかる、あたらしい橋
エイ出版社さんが出している「街ラブ本」というシリーズがあって、よく地元の本屋とかに置かれています。
聞くところによるとこのシリーズは観光者というよりも住んでいる人が購入することが多いらしく、地元民が満足するディープな地元参考書になっています。
我が街の暮らしを3倍楽しめる本、というキャッチフレーズは伊達ではない。
これの「目黒本新版」が最近発売されたのですが、ここになぜかサンポーが1ページ頂き散歩記録を書き散らす許可を頂いたのでした。
何故なのか。
これはよく分かってないんですよね。
お話を頂いたのは奇しくも改元の直前でしたので、改元によるバグが遠因で、ピタゴラ装置的にそうなったのではないかと考えています。
もっとバグ起きないかな。
街のぼんやりした現象をもっと書きたいです。
普段のサンポーの感じで、という理解ある編集さんに甘えて、目黒にカラコンをつける散歩とかも考えたのですが「呑川緑道を歩く」という、お題としてはシンプルな散歩のお話を書きました。
呑川は桜新町のあたりを水源として、世田谷区、目黒区、大田区と流れていく二級河川です。
蒲田のあたりは存在感ある川になっているのですが、目黒区のあたりは川を直接見ることができません。
昭和30年後半からふたをされはじめ、現在は緑道として整備されています。
▼この下に水道管が埋まっていて、呑川が流れています。
この緑道を、都立大学駅から緑が丘駅まで歩く散歩です。10分くらいの距離ですが2時間くらいかかりました。
サンポーを知らない人や、ふだん散歩をしない方でも読んで楽しい散歩記録を書いたつもりでございます。
僕らのほかにも目黒の歴史やカレーまとめなど、これはとても有益な目黒の参考書です。
機会ありましたらぜひ「目黒本新版」をお手にとってみてください。
◆
さて、今回は紙の1ページでしたので、書きたかったけれど書かなかった小ネタがいくつかあります。
その中でも「新しい橋」の話はいつかしたいなと思っていたので、いい機会なので紹介できればと思います。
呑川緑道散歩B面としてご査収ください。
川の痕跡といえば護岸、排水溝のあとなどがありますが、見つけるとテンションの上がるものの一つに「橋の跡」があります。
さて、呑川の橋の跡について。
都立大学北側の「中根橋」は昭和初期の欄干が残っています。
それより南には一見それっぽいものは残っていません。
都立大学南側は、このように静かな緑道になっています。
橋、無いんですよ。跡形も無い。と言いたいところなんですけど。
これ。
これって橋なんじゃないか。とふと思ったんです。
これは中根小学校の児童が、校舎から向こう岸の体育館へ行くときに使う連絡通路です。
児童しか通れないのですが、見事に呑川を渡っちゃっていませんか。
もうちょっと踏み込んで考えてみる。
もし呑川が開渠であった時代にもここに橋があったとしたら?
当時から児童が校舎から体育館へ橋を渡って移動していたのだとしたら?
ここには橋をかける圧が今も昔もあって、この連絡通路は橋の子孫、開渠時代の記憶ということにならないでしょうか。
それってとてもわくわくすることです。
まあ、調べたところそんな都合の良い事実は無く、この連絡通路および小学校校舎が出来たのは暗渠化された後でした。
さて、連絡通路・橋の子孫説を主張する夢は潰えたのですが、ちょっと考えてみてください。
暗渠化された緑道にさらに橋をかける行為ってすごくないですか。
いやだって、蓋をしたのだから、歩けるんです。原則的には、橋を架ける動機がもはやありません。
児童が安全に移動するため、という特殊な目的があってはじめて成立したのです。
というわけでこれはただの連絡通路に非ず、暗渠化後に誕生した珍しい橋であると、僕は主張したいのです。
みたいな向きもありましょうか。
分かりました。呑川緑道をさらに南下すると。
認めてくれ。橋だ。これは橋でしょ! 認めて! 橋!
吊ってます。大層な橋です。
このあたりの緑道の両側は東工大のキャンパスになっており、往来するために橋が架けられています。
えっ、なんでわざわざ橋を? 緑道を横切ればいいだけなのでは?
実はこのあたり、高低差がすごいんです。特に西側の台地がすごい。
西側に台地があり、画像中央部、縦に低いラインが呑川緑道です。
蓋をしてもなお谷。谷を越えるために誕生した橋。
これも面白いなと思いました。
先ほどよりもだいぶシンプルで地味な橋です。
これも、両岸の台地にある東工大キャンパスを繋いでいる橋なのですが、ちょっとこの橋、前出の2つと違うことがあって……
一万分一地形図 昭和30-35年
昭和30年代の地図を見ると、その場所にはかつて本当に橋があったんですね。
あれっ? これはガチの……開渠時代の橋の子孫なのでは? ギャ~!
それで、この橋を近くで見たいな、と思ったのですが、ここどうやって入るんだろうな……
下から眺めていると、キャンパス内にもかかわらず人通りが多くて、明らかに大学生ではない、犬を連れたおばあちゃんとかが通ります。
犬を連れたおばあちゃんおよび犬が学生でしたら大変申し訳ないです。生涯学習の時代です。
まあ、それで、あれっ? ここ通れるんだ? って。
GooleMapには書かれていないのですが、結論から言うと構内の道路が解放されていました。
一万分一地形図 昭和30-35年
先ほどの地図の、大岡山から大井町線の線路沿いを通り、緑が丘に抜けるこの道がそのまま現存しており、通ることができました。
GoogleMapより昭和の地図が正しいってどういうことだよ。
せっかくなので、大岡山駅前、東工大蔵前会館からスタート。
会館とはいえ、あの上野の精養軒が出店していたり、学生だけを相手にしているわけではないように見えます。
そこから特に咎められることなく構内に入ることができました。
僕が智のオーラをまとっているから大学関係者と思われたのかな、とも考えたのですが、靴を足で放り投げて履いて放り投げて履いてを繰り返しながら進む子供も同じ道を進んでいたので、おそらく誰でも入って大丈夫です。
もしあなたが咎められたら、靴を足で放り投げて履いて放り投げて履いてを繰り返しながら進む子供より下、ということです。
犬を連れて歩ける場所が制限されています。
逆に言えば犬を連れて東工大に入っても良い。
大井町線とすれ違う。そういえば大井町線の車内からここ見たことあるわ。
太陽光パネルがびっしり、みたいな建物の脇。
難しい建物の前を通る。
僕は僕の最高知識であるところの九九を唱えながら進む。
特に難しいとされる七の段を唱えながら進む。
あった。
轟橋(とどろきはし)というのか。
開渠時代も同じ名前だったかしら。
橋に竣工が書かれていなかったので、いつからあるものかは不明でした。
呑川の工事が昭和30年後半ですから、さすがに暗渠化後に作ったものであるような気がします。
でも、両岸の台地の高さが変わっていないとすると、開渠時代の橋からの眺めもこんな感じだったのでは? と思ったりします。
この橋の下は何度も通っていたんだけど、当時からあるかなどは考えたこともなかった。
噛めば噛むほどですよ。噛めば噛むほど。
噛もう、呑川。
聞くところによるとこのシリーズは観光者というよりも住んでいる人が購入することが多いらしく、地元民が満足するディープな地元参考書になっています。
我が街の暮らしを3倍楽しめる本、というキャッチフレーズは伊達ではない。
これの「目黒本新版」が最近発売されたのですが、ここになぜかサンポーが1ページ頂き散歩記録を書き散らす許可を頂いたのでした。
何故なのか。
これはよく分かってないんですよね。
お話を頂いたのは奇しくも改元の直前でしたので、改元によるバグが遠因で、ピタゴラ装置的にそうなったのではないかと考えています。
もっとバグ起きないかな。
街のぼんやりした現象をもっと書きたいです。
普段のサンポーの感じで、という理解ある編集さんに甘えて、目黒にカラコンをつける散歩とかも考えたのですが「呑川緑道を歩く」という、お題としてはシンプルな散歩のお話を書きました。
呑川は桜新町のあたりを水源として、世田谷区、目黒区、大田区と流れていく二級河川です。
蒲田のあたりは存在感ある川になっているのですが、目黒区のあたりは川を直接見ることができません。
昭和30年後半からふたをされはじめ、現在は緑道として整備されています。
▼この下に水道管が埋まっていて、呑川が流れています。
この緑道を、都立大学駅から緑が丘駅まで歩く散歩です。10分くらいの距離ですが2時間くらいかかりました。
サンポーを知らない人や、ふだん散歩をしない方でも読んで楽しい散歩記録を書いたつもりでございます。
僕らのほかにも目黒の歴史やカレーまとめなど、これはとても有益な目黒の参考書です。
機会ありましたらぜひ「目黒本新版」をお手にとってみてください。
さて、今回は紙の1ページでしたので、書きたかったけれど書かなかった小ネタがいくつかあります。
その中でも「新しい橋」の話はいつかしたいなと思っていたので、いい機会なので紹介できればと思います。
呑川緑道散歩B面としてご査収ください。
呑川緑道の新しい橋とは何か
一般的に、もと「川」の道を歩いていると、川の痕跡が見つかることがあります。川の痕跡といえば護岸、排水溝のあとなどがありますが、見つけるとテンションの上がるものの一つに「橋の跡」があります。
さて、呑川の橋の跡について。
都立大学北側の「中根橋」は昭和初期の欄干が残っています。
それより南には一見それっぽいものは残っていません。
都立大学南側は、このように静かな緑道になっています。
橋、無いんですよ。跡形も無い。と言いたいところなんですけど。
これ。
これって橋なんじゃないか。とふと思ったんです。
これは中根小学校の児童が、校舎から向こう岸の体育館へ行くときに使う連絡通路です。
児童しか通れないのですが、見事に呑川を渡っちゃっていませんか。
もうちょっと踏み込んで考えてみる。
もし呑川が開渠であった時代にもここに橋があったとしたら?
当時から児童が校舎から体育館へ橋を渡って移動していたのだとしたら?
ここには橋をかける圧が今も昔もあって、この連絡通路は橋の子孫、開渠時代の記憶ということにならないでしょうか。
それってとてもわくわくすることです。
まあ、調べたところそんな都合の良い事実は無く、この連絡通路および小学校校舎が出来たのは暗渠化された後でした。
さて、連絡通路・橋の子孫説を主張する夢は潰えたのですが、ちょっと考えてみてください。
暗渠化された緑道にさらに橋をかける行為ってすごくないですか。
いやだって、蓋をしたのだから、歩けるんです。原則的には、橋を架ける動機がもはやありません。
児童が安全に移動するため、という特殊な目的があってはじめて成立したのです。
というわけでこれはただの連絡通路に非ず、暗渠化後に誕生した珍しい橋であると、僕は主張したいのです。
東工大に架かる新しい橋
いやあ、とはいってもさっきのは連絡通路じゃないですか~ちょっとそれを橋って冗談きついっすよ~みたいな向きもありましょうか。
分かりました。呑川緑道をさらに南下すると。
認めてくれ。橋だ。これは橋でしょ! 認めて! 橋!
吊ってます。大層な橋です。
このあたりの緑道の両側は東工大のキャンパスになっており、往来するために橋が架けられています。
えっ、なんでわざわざ橋を? 緑道を横切ればいいだけなのでは?
実はこのあたり、高低差がすごいんです。特に西側の台地がすごい。
西側に台地があり、画像中央部、縦に低いラインが呑川緑道です。
蓋をしてもなお谷。谷を越えるために誕生した橋。
これも面白いなと思いました。
古くてあたらしい橋
ちなみに東工大のキャンパス内の橋は下流にもう一個あります。先ほどよりもだいぶシンプルで地味な橋です。
これも、両岸の台地にある東工大キャンパスを繋いでいる橋なのですが、ちょっとこの橋、前出の2つと違うことがあって……
一万分一地形図 昭和30-35年
昭和30年代の地図を見ると、その場所にはかつて本当に橋があったんですね。
あれっ? これはガチの……開渠時代の橋の子孫なのでは? ギャ~!
それで、この橋を近くで見たいな、と思ったのですが、ここどうやって入るんだろうな……
下から眺めていると、キャンパス内にもかかわらず人通りが多くて、明らかに大学生ではない、犬を連れたおばあちゃんとかが通ります。
犬を連れたおばあちゃんおよび犬が学生でしたら大変申し訳ないです。生涯学習の時代です。
まあ、それで、あれっ? ここ通れるんだ? って。
GooleMapには書かれていないのですが、結論から言うと構内の道路が解放されていました。
一万分一地形図 昭和30-35年
先ほどの地図の、大岡山から大井町線の線路沿いを通り、緑が丘に抜けるこの道がそのまま現存しており、通ることができました。
GoogleMapより昭和の地図が正しいってどういうことだよ。
せっかくなので、大岡山駅前、東工大蔵前会館からスタート。
会館とはいえ、あの上野の精養軒が出店していたり、学生だけを相手にしているわけではないように見えます。
そこから特に咎められることなく構内に入ることができました。
僕が智のオーラをまとっているから大学関係者と思われたのかな、とも考えたのですが、靴を足で放り投げて履いて放り投げて履いてを繰り返しながら進む子供も同じ道を進んでいたので、おそらく誰でも入って大丈夫です。
もしあなたが咎められたら、靴を足で放り投げて履いて放り投げて履いてを繰り返しながら進む子供より下、ということです。
犬を連れて歩ける場所が制限されています。
逆に言えば犬を連れて東工大に入っても良い。
大井町線とすれ違う。そういえば大井町線の車内からここ見たことあるわ。
太陽光パネルがびっしり、みたいな建物の脇。
難しい建物の前を通る。
僕は僕の最高知識であるところの九九を唱えながら進む。
特に難しいとされる七の段を唱えながら進む。
あった。
轟橋(とどろきはし)というのか。
開渠時代も同じ名前だったかしら。
橋に竣工が書かれていなかったので、いつからあるものかは不明でした。
呑川の工事が昭和30年後半ですから、さすがに暗渠化後に作ったものであるような気がします。
でも、両岸の台地の高さが変わっていないとすると、開渠時代の橋からの眺めもこんな感じだったのでは? と思ったりします。
この橋の下は何度も通っていたんだけど、当時からあるかなどは考えたこともなかった。
噛めば噛むほどですよ。噛めば噛むほど。
噛もう、呑川。