高津を散歩しました
- 更新日: 2017/08/17
久地円筒分水は高津のシンボル。
今日は高津に来ておりますけども。
川崎市高津区、高津駅。名前だけで言えば渋谷区で言うところの渋谷駅みたいなポジションなのですが、川崎市高津区の中心地はどう考えても溝の口駅でして……。しかも田園都市線の急行も止まらない。キャア。
違うの。俺は高津の悪口言うつもりはまったくないの。溝の口は南武線とも接続ありますし、比べるほうがどうかしてます。高津の乗降者数は1日に31,785人。溝の口の1/5であるのは仕方ない。
じゃあ高津とは何なのか、と申しますと、一言で言えば、溝の口からギリ徒歩圏内、高津区の住みやすさを担うエリアでございます。今でこそ住宅街が多いのですが、昔は農業地帯で、江戸初期に作られたこの近辺では最古の人口用水路、二ヶ領用水もこの辺りを流れており、田畑を潤しておりました。
二ヶ領用水といえば、ここらには面白いものがありまして、久地円筒分水。
作られたのは昭和初期。真ん中から水を湧き上げて、仕切りによって、水を分けているのが分かるでしょうか。
宿河原から取水した二ヶ領用水は、このマッシーンで4つの用水路に分けられ、各村へ流れていきます。
こいつが出来る前は、耕地面積に応じて各村に幅の違う樋(分量樋)を通じて分水していたそうなのですが、もっとも公平に分けたい水不足の時にちょろちょろとうまく分かれないなど、不公平感があるんですよね。争いが絶えませんでした。
円筒分水は、角度によって水の量が決まるので、分ける前の水が多いときも少ないときも、一定の割合で分けられます。見た目もめちゃくちゃ公平感ありますよね。水の怨念から生まれた謎技術だと思います。現在は役目を終えて、国登録有形文化財として保護されています。
あとは、大山街道ですかね。
江戸時代、大山詣で賑わった街道で、二子玉川、溝の口、長津田など、田園都市線の主要駅はだいたい大山街道の宿場町です。ただ、溝の口の宿場町はやや高津駅よりにあったので、高津が今の溝の口のように発展していた可能性も、ゼロではない、のか、どうなのか。まあ、あとで行きますね。
というわけで、高津、スタートです。
降りました。高架下の駅。
ちなみに駅の中に岡本太郎が高津って描いたやつが飾ってあります。母親の実家があったそうです。
駅前はこんな感じ。府中街道がバーンとありまして、商店街も府中街道沿いにあって賑やか。
ただ一歩路地に入るとほどよくとろけていて、落ち着くわ~。
しくよろ亭の、
スープが飛び出す標識。標識にするほどのことだろうか。ことなんだろうな。
何かがパンパンの部屋。
「喫煙はご遠慮ください」の土下座。
まっとうな主張なのだから、土下座までしなくてもいいのでは。こんなことをしたら、奴らはつけ上がるばかりです。
よくある「冷やし中華はじめました」の貼り紙。よくある。
ここが蕎麦屋であることを除けば、よくある。
府中街道沿いに、高津警察署がある。このあたりの治安を向上させる重要なアイテム。
あと、受かる履歴書写真で有名な「たなかや」はこの近くにあります。写真技術で面接官を攻略するってすごくかっこいいよね。写真映えの最大化。これは昨今のSNS文化にも応用できるのでは? このたなかやがインスタやったらインスタ映えする写真投稿しまくってフォロワー5兆人とか行くんじゃないか。
と思ったら既にインスタやってて、ほのぼのと運営されていました。写術を使ってインスタも攻略しよう、みたいな腹はないようです。
そうこうしているうちに、突然古そうな「はかり」のお店が登場するのですが、
ここを曲がると、大山街道でございます。
これは灰吹屋という薬屋さんで、江戸時代、このあたりで唯一の薬屋だったために繁盛したそう。
ちなみに、ここの店舗は既に使われていないのですが、
実は高津駅横にあったり、あと川崎市内に灰吹屋けっこうあるんですよ。 江戸時代の薬屋が完全に今風のドラッグストアとしてやってるのですごい。
しっかり創業1765年をアピールしてます。
大山小径、という公園もある。
タイルで大山街道の宿場町が書かれています。そのまま田園都市線の駅になっているのが多い。
馬絹! このあたりはちょっと渋い。田園都市線の宮崎台駅の南側のエリアでかつての要所。今はそんな面影も無く尻手黒川街道と住宅街が広がっています。
その奥に公園。
洗濯物が乾きそうな遊具がある。逆にこれは、洗濯物乾かさずに何をするの?
なんだろ。まっすぐすぎて不安になる。
もうちょっと曲がってもいいし、ちょっとくらい親に反抗したほうが結果的に良い子に育つと思う。
あ、これ最近よくあるかまどになるベンチですけど、
説明看板に出てくる紳士、気になりますよね。煮込んでいるのは赤ワインをたっぷり使ったビーフシチューだろうなあ。
このあたりは府中街道の圧も無く、静かで住みやすそう。
川崎のゴミ捨て場にはよくこの首がコキッてなってるやつがいる。
こいつの首は、このまま固定なんだろうなあ。家の時計もこの角度で曲がってかけてあるんだろうなあ。
ふらふら歩いてたらいつのまにか大山街道に戻っていた。
世界観の交錯。
そうそう、大山街道ふるさと館はここ高津にあるんすよ。
この土地は、もともと高津区役所だったんだそうです。今は溝の口のほうにあります。
と、ここで現れる二ヶ領用水。江戸初期に作られた人工用水路です。
さっき役所があったことからも分かるように、このあたりがかつての溝の口の中心地でした。
昭和初めの地図で確認すると、大山街道と、二ヶ領用水が交差するこのあたり(大石橋)を中心にお店が並んでいます。大山街道は昭和まで栄えてたんだなあ。
大山街道にかかる大石橋は今も健在です。親柱が宿場の常夜灯にもなっています。
点検済みで安心ですね。
ちょっと二ヶ領用水沿いを歩いてみます。
ここはちょっと降りられたり、綺麗に整備されてます。精のつきそうな魚も泳いでいます。
のどかです。
よく分からないですが、こいつ死んでそうだなって思った。
楽器が、こわれる!
この会社の、
これは、何かの便利機械っぽい気がするんだけど、何だろう。
窓の外にゴミを捨ててもキャッチしてくれる機械とかかな。
二ヶ領用水にかかる法泉坊橋にかかるカフェの看板が曖昧。110歩位? 知らないです……。
いまさら気づいたんですけど、二ヶ領用水の柵に魚が泳いでいる。良い。
ここで厚木街道(246)とぶつかるのですが、二ヶ領用水は下、人間は上を通る感じです。
渡るんですけど、
ここの交差点名が「切通し」って書いてあって、ほんとかな、って上を見ると、
切通しだ!
山を切通した感じ、めちゃくちゃ残ってます。これは七面山かなあ。
切通しと言えば、鎌倉時代に作られた山道で、両端が崖になってるやつが有名ですけど、これは246号線を通したときに作った、比較的新しい切通しです。
歩道橋を渡って、階段を降ります。下を潜った二ヶ領用水が待っててくれてますから。
このあたりは久地なんですけど、のどかです。山の斜面を利用したマンションとかも、どこかのどか。
森と同化しそうなバイクたち。森へ、お還り。
こういう綺麗な住宅エリアも多いんですけど、
どこかのどかなのが久地です。久地は以前散歩したのですが、ここらは久地駅からは一山越えないといけないエリアでして、前回は来てない。でも雰囲気は久地のそれ。
4だけじゃなくて、14とか、4がつく数字は全部使わないのか。
No.100 まであったとき、何台の車が停められるでしょうか。みたいな問題どう? 40~49を落とすのは忘れがち。
あ、あとたまに9も苦を連想するってことで使わない人が居るよね。発展で、4と9が使えない駐車場の問題も出したい。
と、ここで現れるのが、久地円筒分水です。今日も分けてる~?
分けてる分けてる~。
分かれた一つは、先ほどからたどってきた二ヶ領用水として流れて行きます。
こっちは別の流れだけどすごく停滞してる。全然この水活用してなさそう。昔この水でさんざん喧嘩してたくせに、どうでもよくなりすぎだろ。
ちなみにこれの数歩上流へ行くと、川の合流ポイントが観察できます。右が宿河原からの二ヶ領用水本流、左は平瀬川なんですけど、
平瀬側は、津田山の下を潜って出てきます。暗渠の出口。このあたりは水がめちゃくちゃ忙しいんです。
このあたりの水は過労でマイナスイオンあんまり出してないと思います。
よくある、赤字が消えちゃって穴埋め問題みたいになってるやつですが、
なんか誰かが回答してました。ポリス? 風刺なの?
その脇には久地神社。いわれは定かではないそうですが、昔は赤城社と言われ、結構前からあるっぽいとのこと。
最近お賽銭が割れ窓方式多いな。
狛犬の耳が何かで修復されていた。狛犬糊みたいな特別なの売ってるのかしら。治ったワン! みたいな。
神社の脇道は、高級住宅街であるところの津田山に繋がります。今日は行かないです! 今わたしズボンに穴が空いてますし。
津田山散歩のときにも登場しましたけど、鈴がやたらでかいお地蔵様、ご健在でした。
府中街道に出ました。ここまっすぐ行けば高津駅に帰れそう。遠いけど。
日本酒の瓶が手書きだ。
グッとくるうまみ。
成分表みたいなやつも模写している。
その執念は何なんだろう。
おばちゃん八百屋。その隣には、「おじぞうにゃん」と書かれている。くそー。何も分からない。
しかも、おばちゃん八百屋から出てきたのは、おじちゃんでした。
ちょっとこのあたりで住宅街にダイブしてみる。このあたりは新しめの住宅街ですごくいい。
実はちょっと前にこのあたりの住宅展示場でキュウレンジャーショーをやってたので子供連れてきたことある。
瓶の例がすごく独特だったので。お酒をたしなむご家庭の人が描かれたんですかね。
ボールを壁に当てないで、って書いてあるんだけど、なんとなく、この人の発する気によってボールが壁に到達する前にポト……ポト……って落下していきそう。当たる気がしない。
そうこうしているうちに高津小学校があります。めっちゃ広い。
明治の初めに私塾が合併して出来た、非常に古い小学校なんだと。
小学生の絵。これは円筒分水ですね。やっぱり地域のシンボルなんだな。
円筒分水君みたいなのも居る。キャラになるほどの円筒分水。
府中街道を戻ったら高津駅についてしまったのですが、ちょっと反対側、駅の東側も冷やかしに行きます。
こちらは、どちらかというと飲み屋や食べ物屋が多い印象です。
いい店構え。
「定食もあります」という照明もいいですよね。
動物病院の看板に外れなし。獣医にセンスのいい人が多いんだろうか。
もう「溝口」という名前が出てきました。暗黙のルールで、隣駅のテリトリーは侵さない、みたいなのがあるのでそろそろ帰ります。
休業じゃないか。真心込めて支度していないじゃないか。
良い感じの八百屋や、
すごく鋭角の食堂などがあります。テーブルとお皿も三角形ならば面積を最大限に使えそう。
何言ってんのかわかんないですよね。僕もわかんないです。
あとはそう、ここってば、帝京大学溝口病院がある。
溝の口からも歩けますけど、最寄りは高津駅ですので、よろしくお願いいたします。
そんなこんなで、高津駅に戻ってきました。おしまい。
かつての中心地は大山街道沿い、今の中心街は府中街道ですかね。府中街道も江戸時代に整備された街道なのですが、このあたりはちょっと流れが変わっていて、古地図で確認すると、高津駅前辺りに府中街道が整備されるのは明治の終わりくらい。約100年前です。
特に歴史のない広い通りってロードサイド文化が浸透しがちなのですが、ここは、そこまでファミレスとかも多くないんですよ。個人商店とか多くて、好感の持てる県道です。愛され県道。
というわけで、高津でした。またねー。
川崎市高津区、高津駅。名前だけで言えば渋谷区で言うところの渋谷駅みたいなポジションなのですが、川崎市高津区の中心地はどう考えても溝の口駅でして……。しかも田園都市線の急行も止まらない。キャア。
違うの。俺は高津の悪口言うつもりはまったくないの。溝の口は南武線とも接続ありますし、比べるほうがどうかしてます。高津の乗降者数は1日に31,785人。溝の口の1/5であるのは仕方ない。
じゃあ高津とは何なのか、と申しますと、一言で言えば、溝の口からギリ徒歩圏内、高津区の住みやすさを担うエリアでございます。今でこそ住宅街が多いのですが、昔は農業地帯で、江戸初期に作られたこの近辺では最古の人口用水路、二ヶ領用水もこの辺りを流れており、田畑を潤しておりました。
二ヶ領用水といえば、ここらには面白いものがありまして、久地円筒分水。
作られたのは昭和初期。真ん中から水を湧き上げて、仕切りによって、水を分けているのが分かるでしょうか。
宿河原から取水した二ヶ領用水は、このマッシーンで4つの用水路に分けられ、各村へ流れていきます。
こいつが出来る前は、耕地面積に応じて各村に幅の違う樋(分量樋)を通じて分水していたそうなのですが、もっとも公平に分けたい水不足の時にちょろちょろとうまく分かれないなど、不公平感があるんですよね。争いが絶えませんでした。
円筒分水は、角度によって水の量が決まるので、分ける前の水が多いときも少ないときも、一定の割合で分けられます。見た目もめちゃくちゃ公平感ありますよね。水の怨念から生まれた謎技術だと思います。現在は役目を終えて、国登録有形文化財として保護されています。
あとは、大山街道ですかね。
江戸時代、大山詣で賑わった街道で、二子玉川、溝の口、長津田など、田園都市線の主要駅はだいたい大山街道の宿場町です。ただ、溝の口の宿場町はやや高津駅よりにあったので、高津が今の溝の口のように発展していた可能性も、ゼロではない、のか、どうなのか。まあ、あとで行きますね。
というわけで、高津、スタートです。
降りました。高架下の駅。
ちなみに駅の中に岡本太郎が高津って描いたやつが飾ってあります。母親の実家があったそうです。
駅前はこんな感じ。府中街道がバーンとありまして、商店街も府中街道沿いにあって賑やか。
ただ一歩路地に入るとほどよくとろけていて、落ち着くわ~。
しくよろ亭の、
スープが飛び出す標識。標識にするほどのことだろうか。ことなんだろうな。
何かがパンパンの部屋。
「喫煙はご遠慮ください」の土下座。
まっとうな主張なのだから、土下座までしなくてもいいのでは。こんなことをしたら、奴らはつけ上がるばかりです。
高津駅の西側
ちょっと府中街道に戻って、西側へ歩いてみます。よくある「冷やし中華はじめました」の貼り紙。よくある。
ここが蕎麦屋であることを除けば、よくある。
府中街道沿いに、高津警察署がある。このあたりの治安を向上させる重要なアイテム。
あと、受かる履歴書写真で有名な「たなかや」はこの近くにあります。写真技術で面接官を攻略するってすごくかっこいいよね。写真映えの最大化。これは昨今のSNS文化にも応用できるのでは? このたなかやがインスタやったらインスタ映えする写真投稿しまくってフォロワー5兆人とか行くんじゃないか。
と思ったら既にインスタやってて、ほのぼのと運営されていました。写術を使ってインスタも攻略しよう、みたいな腹はないようです。
そうこうしているうちに、突然古そうな「はかり」のお店が登場するのですが、
ここを曲がると、大山街道でございます。
これは灰吹屋という薬屋さんで、江戸時代、このあたりで唯一の薬屋だったために繁盛したそう。
ちなみに、ここの店舗は既に使われていないのですが、
実は高津駅横にあったり、あと川崎市内に灰吹屋けっこうあるんですよ。 江戸時代の薬屋が完全に今風のドラッグストアとしてやってるのですごい。
しっかり創業1765年をアピールしてます。
大山小径、という公園もある。
タイルで大山街道の宿場町が書かれています。そのまま田園都市線の駅になっているのが多い。
馬絹! このあたりはちょっと渋い。田園都市線の宮崎台駅の南側のエリアでかつての要所。今はそんな面影も無く尻手黒川街道と住宅街が広がっています。
その奥に公園。
洗濯物が乾きそうな遊具がある。逆にこれは、洗濯物乾かさずに何をするの?
なんだろ。まっすぐすぎて不安になる。
もうちょっと曲がってもいいし、ちょっとくらい親に反抗したほうが結果的に良い子に育つと思う。
あ、これ最近よくあるかまどになるベンチですけど、
説明看板に出てくる紳士、気になりますよね。煮込んでいるのは赤ワインをたっぷり使ったビーフシチューだろうなあ。
このあたりは府中街道の圧も無く、静かで住みやすそう。
川崎のゴミ捨て場にはよくこの首がコキッてなってるやつがいる。
こいつの首は、このまま固定なんだろうなあ。家の時計もこの角度で曲がってかけてあるんだろうなあ。
ふらふら歩いてたらいつのまにか大山街道に戻っていた。
世界観の交錯。
そうそう、大山街道ふるさと館はここ高津にあるんすよ。
この土地は、もともと高津区役所だったんだそうです。今は溝の口のほうにあります。
と、ここで現れる二ヶ領用水。江戸初期に作られた人工用水路です。
さっき役所があったことからも分かるように、このあたりがかつての溝の口の中心地でした。
昭和初めの地図で確認すると、大山街道と、二ヶ領用水が交差するこのあたり(大石橋)を中心にお店が並んでいます。大山街道は昭和まで栄えてたんだなあ。
大山街道にかかる大石橋は今も健在です。親柱が宿場の常夜灯にもなっています。
点検済みで安心ですね。
ちょっと二ヶ領用水沿いを歩いてみます。
ここはちょっと降りられたり、綺麗に整備されてます。精のつきそうな魚も泳いでいます。
のどかです。
よく分からないですが、こいつ死んでそうだなって思った。
楽器が、こわれる!
この会社の、
これは、何かの便利機械っぽい気がするんだけど、何だろう。
窓の外にゴミを捨ててもキャッチしてくれる機械とかかな。
二ヶ領用水にかかる法泉坊橋にかかるカフェの看板が曖昧。110歩位? 知らないです……。
いまさら気づいたんですけど、二ヶ領用水の柵に魚が泳いでいる。良い。
ここで厚木街道(246)とぶつかるのですが、二ヶ領用水は下、人間は上を通る感じです。
渡るんですけど、
ここの交差点名が「切通し」って書いてあって、ほんとかな、って上を見ると、
切通しだ!
山を切通した感じ、めちゃくちゃ残ってます。これは七面山かなあ。
切通しと言えば、鎌倉時代に作られた山道で、両端が崖になってるやつが有名ですけど、これは246号線を通したときに作った、比較的新しい切通しです。
歩道橋を渡って、階段を降ります。下を潜った二ヶ領用水が待っててくれてますから。
このあたりは久地なんですけど、のどかです。山の斜面を利用したマンションとかも、どこかのどか。
森と同化しそうなバイクたち。森へ、お還り。
こういう綺麗な住宅エリアも多いんですけど、
どこかのどかなのが久地です。久地は以前散歩したのですが、ここらは久地駅からは一山越えないといけないエリアでして、前回は来てない。でも雰囲気は久地のそれ。
4だけじゃなくて、14とか、4がつく数字は全部使わないのか。
No.100 まであったとき、何台の車が停められるでしょうか。みたいな問題どう? 40~49を落とすのは忘れがち。
あ、あとたまに9も苦を連想するってことで使わない人が居るよね。発展で、4と9が使えない駐車場の問題も出したい。
と、ここで現れるのが、久地円筒分水です。今日も分けてる~?
分けてる分けてる~。
分かれた一つは、先ほどからたどってきた二ヶ領用水として流れて行きます。
こっちは別の流れだけどすごく停滞してる。全然この水活用してなさそう。昔この水でさんざん喧嘩してたくせに、どうでもよくなりすぎだろ。
ちなみにこれの数歩上流へ行くと、川の合流ポイントが観察できます。右が宿河原からの二ヶ領用水本流、左は平瀬川なんですけど、
平瀬側は、津田山の下を潜って出てきます。暗渠の出口。このあたりは水がめちゃくちゃ忙しいんです。
このあたりの水は過労でマイナスイオンあんまり出してないと思います。
よくある、赤字が消えちゃって穴埋め問題みたいになってるやつですが、
なんか誰かが回答してました。ポリス? 風刺なの?
その脇には久地神社。いわれは定かではないそうですが、昔は赤城社と言われ、結構前からあるっぽいとのこと。
最近お賽銭が割れ窓方式多いな。
狛犬の耳が何かで修復されていた。狛犬糊みたいな特別なの売ってるのかしら。治ったワン! みたいな。
神社の脇道は、高級住宅街であるところの津田山に繋がります。今日は行かないです! 今わたしズボンに穴が空いてますし。
津田山散歩のときにも登場しましたけど、鈴がやたらでかいお地蔵様、ご健在でした。
府中街道に出ました。ここまっすぐ行けば高津駅に帰れそう。遠いけど。
日本酒の瓶が手書きだ。
グッとくるうまみ。
成分表みたいなやつも模写している。
その執念は何なんだろう。
おばちゃん八百屋。その隣には、「おじぞうにゃん」と書かれている。くそー。何も分からない。
しかも、おばちゃん八百屋から出てきたのは、おじちゃんでした。
ちょっとこのあたりで住宅街にダイブしてみる。このあたりは新しめの住宅街ですごくいい。
実はちょっと前にこのあたりの住宅展示場でキュウレンジャーショーをやってたので子供連れてきたことある。
瓶の例がすごく独特だったので。お酒をたしなむご家庭の人が描かれたんですかね。
ボールを壁に当てないで、って書いてあるんだけど、なんとなく、この人の発する気によってボールが壁に到達する前にポト……ポト……って落下していきそう。当たる気がしない。
そうこうしているうちに高津小学校があります。めっちゃ広い。
明治の初めに私塾が合併して出来た、非常に古い小学校なんだと。
小学生の絵。これは円筒分水ですね。やっぱり地域のシンボルなんだな。
円筒分水君みたいなのも居る。キャラになるほどの円筒分水。
高津駅の東側
府中街道を戻ったら高津駅についてしまったのですが、ちょっと反対側、駅の東側も冷やかしに行きます。
こちらは、どちらかというと飲み屋や食べ物屋が多い印象です。
いい店構え。
「定食もあります」という照明もいいですよね。
動物病院の看板に外れなし。獣医にセンスのいい人が多いんだろうか。
もう「溝口」という名前が出てきました。暗黙のルールで、隣駅のテリトリーは侵さない、みたいなのがあるのでそろそろ帰ります。
休業じゃないか。真心込めて支度していないじゃないか。
良い感じの八百屋や、
すごく鋭角の食堂などがあります。テーブルとお皿も三角形ならば面積を最大限に使えそう。
何言ってんのかわかんないですよね。僕もわかんないです。
あとはそう、ここってば、帝京大学溝口病院がある。
溝の口からも歩けますけど、最寄りは高津駅ですので、よろしくお願いいたします。
そんなこんなで、高津駅に戻ってきました。おしまい。
雑感
えっと、高津ね。のどかな良い街ですよ。かつての中心地は大山街道沿い、今の中心街は府中街道ですかね。府中街道も江戸時代に整備された街道なのですが、このあたりはちょっと流れが変わっていて、古地図で確認すると、高津駅前辺りに府中街道が整備されるのは明治の終わりくらい。約100年前です。
特に歴史のない広い通りってロードサイド文化が浸透しがちなのですが、ここは、そこまでファミレスとかも多くないんですよ。個人商店とか多くて、好感の持てる県道です。愛され県道。
というわけで、高津でした。またねー。