浦賀散歩

  • 更新日: 2022/01/13

浦賀散歩のアイキャッチ画像

1853年 ペリーはプラモデルを自慢しに来た

  • hatebu
  • feedly
  • rss

普通 浦賀

この線路の先には、一体どんな街や風景があるのだろう? 職場へ向かうために電車を待っていると、現実逃避のようにそんなことが頭に浮かんでくる。新幹線や飛行機を使い、宿も予約して・・・というような、きちんとした旅行をすれば楽しいかもしれないが、そうすると計画を立てたり、旅費を工面するとか、相応の準備が必要だ。けれども、この線路の先の見知らぬ街へふらっと行ってみるというのは、それほどの準備もいらず、自由で気ままなものだと、平日の朝には感じるのかも知れない。自宅の最寄駅である京急の駅には、様々な行き先の電車が来るが、その中のひとつに「普通 浦賀」ゆきがあり、それに妙な旅情のようなものを感じた。普通・・・すなわち、全部の駅に停車しながら浦賀へ向かう電車であることを示している。「特急 浦賀」や「快特 浦賀」という電車を見ることは無く、浦賀とは普通電車でしか辿り着けない、レアな街なのだろうと思った。浦賀には何があるのだろう。


サンボマスターと黒船

自宅最寄り駅から浦賀方面を目指して、京急で一番速い種別である快特に乗る。「普通 浦賀」という表示に心惹かれるとしておきながら、どうなっているのかと訝しむ人もいるだろう。これには理由があり、普通電車を乗り通して浦賀へ行こうものなら、2時間近く要する長旅になってしまう。これでは乗り鉄の記事になってしまうおそれがあるため、途中駅までは快特を使う。電車が上大岡を過ぎたあたりから、次第にトンネルが多くなり、トンネルを抜けると丘陵に建ち並ぶ住宅地が現れては消える。僕は三半規管が弱いので、トンネルに入るたびに、耳がツンとなって詰まるような不快さがある。耳ツンと、丘陵の住宅地、それらを交互に感じながら電車は堀ノ内駅に到着。




堀ノ内駅からは線路が二手に分かれ、快特は三崎口方面を目指す。一方の浦賀へは、普通電車に乗り換えることになる。本来は浦賀方面の線路が本線なのだが、普通電車しか運行されておらず、ローカル線の雰囲気だ。電車は京急大津、馬堀海岸と進み、終点の浦賀駅へと滑り込んだ。どの駅名も、どことなく海を連想させるが、車窓から海は見えなかった。浦賀駅は唐突に線路が途切れたような感じの終着駅だった。終着駅というと、規模が大きくて、終着駅の風格があっても良さそうなものだが、こんなものだろうか。「開国のまち 浦賀へようこそ!!」とA4をつなぎ合わせた貼り紙が、即席感を漂わせていた。




改札口の近くに店舗があり、土産物でも売っているのかと見てみると、しんとしていて、ガチャポンすなわちカプセルトイ自動販売機が所狭しと並べられていた。BGMも流れておらず、店舗の片隅にあったサンボマスターのガチャポンでは、メンバーが心なしか空虚な表情を浮かべているようにも見えた。






駅を出て、駅舎を眺めてみると、こぢんまりとした駅舎の背後には山が迫っていて、狭い土地になんとか建てたといった感じだ。駅前ロータリーには、南国風の植物が植わっている。




駅前のビルには、進学塾や銀行といったお堅い建物が目につくばかりで、アミューズメント関連や、ひと息つけそうなカフェや、ぼんやり出来るようなベンチなどもなく、面白みに欠けるように思えた。




どうしたものかと、交差点に目をやると、唐突に、「1853年 浦賀に黒船来航」と書かれた巨大な絵があった。そういうことなのだ。商業施設や、アミューズメントな店舗は皆無に等しいが、その不足を補って余りある「黒船」や「ペリー」という唯一無二のアイデンティがある街ということを示している。




駅前を起点に、浦賀の街はVの字に展開されているようで、Vの中には入り江のようになっている浦賀港がある。黒船の巨大な絵や、それに続く「黒船来航の地 ようこそ浦賀へ」という文字やドヤ顔のペリーの絵に見とれるうちに、Vの字の右方向に進み始めていたので、まずは、こちら側を歩くことにしよう。




これらの絵は、巨大な工場のような建造物に掲げられていて、この巨大建造物は、「浦賀ドック」という施設の建物であったらしい。浦賀ドックは既に稼働していないようで、この建物は今は何の用途にも供されていないのだろうか。






浦賀ドックの向かい側には、閉じられたシャッターに「黒船来航の地」という文字がうっすらと見えた。やはり、潮風で風化が早いのだろうか。その割には、地元有志の壁画は色鮮やかに感じられたが、描かれてから日が浅いのかも知れない。




とりあえず、「黒船来航の地」というのが共通のキャッチフレーズになっているらしいが、それに乗っかった観光施設や、「黒船まんじゅう」、「黒船サブレ」、「ペリーゴーフル」といった土産物を商う店などはなく、これらのレガシーで儲けようという雰囲気はあまりないのかも知れない。






通りの左手には、旧浦賀ドックの壁が続いている。ドックという施設がどういうものなのか今ひとつ分かっていないのだが、船舶関連であるから、海が見えそうなものだが、壁があるので分からない。壁を見ながら歩くのも、やや単調に思えてきたので、ここらで路地に入ってみる。適当なところで角を曲がってみると、古くからの生活感が漂う路地であった。




四角い近代建築もあり、この路地はかつて賑わったのだろう。四角い建物は、一見したところ、それ程の古さは感じられないのだが、外壁がスクラッチタイルで出来ているので、昭和初期ぐらいだろうか。この路地をぐるりと歩いた所、窓の周りのレリーフが印象的な建物が、学研教室として使われていたりと、かつての繁栄の残り香を感じた。






うなぎの看板があったり、今も営業されているかは分からないが、和菓子屋があったりと、商店の建ち並ぶ路地だったのだろう。
再び、浦賀ドック沿いの道路へ戻ることにした。






渡し船

せっかくなので、渡し船に乗りたいと思った。僕は、駅前などに立つ、地図を見るのが好きだ。散歩をする際は、あまり下調べもせずに、専ら、駅前に立つ地図を当てにすることが多い。浦賀駅前の地図を見て気になったのだが、浦賀には渡し船がある。浦賀の街は、駅前を起点に二手に分かれているが、海に隔てられた東西の地区を結ぶ、渡し船が現役らしいのだ。渡し船は、東京都葛飾区にある矢切の渡しには乗ったことがあるが、あれはどちらかというと観光客がメインの客といった感じで、向こう岸の矢切地区の葱畑に用事があるために、渡し船を利用している人はそれほど多くない気がした。浦賀の渡し船は、観光客向けなのだろうか、それとも地元の人の足となっているのだろうか? 駅前から続く二車線の道路を歩いているが、なんだか雲行き怪しい。空が灰色のトーンになってきて、気持ちもやや下向きになりそうで、明るい色はないものかと周囲を見渡す。スーパーマーケットの妙なテンションの看板に足を止めた。看板の中の人たちは、皆一様にテンションが高いが、何ゆえそのテンションなのかがよく分からない。魚の口からハムが出ているし、空中に浮いているわで、そんな状況でこの様なハイテンションになれるだろうかと考えたが、結局分からなかった。




スーパーを過ぎ、左手のドック側にある、レンガの壁を見つつ進むと、古い佇まいの旧道めいた道があったので、そちらに入る。




旧道風の道に入ると、そこにはパステルブルーの外壁の郵便局があった。二階建ての出桁造りの家屋もあり、通りの背後には、コンクリートで固められた山が迫っている。




山側には青いトタンの建物があり、窓にはガラスではなく、金網が貼られているので、鳩小屋だったのかもしれない。海に向かって、ここから鳩が一斉に飛び立ったのだろうか?




海側には二階建ての古い宿のような建物があり、今では目の前が二車線道路であるが、二階からは海と対岸の景色が眺められるはずで、車の走っていない時代には風光明媚だったのだろうと思う。




対岸までは目測で、200メートルといったところか。いや300メートルぐらいか。徒歩3分ぐらいといった感じだ。対岸への移動は、常設の橋を設けたほうが便利だろうが、船の往来に支障が出たりなど、何かしらの理由があるのだろう。それはそれで、このような静かな港の風景が残っていて良いものだと思う。




よそ者の僕にとっては、対岸へ渡る理由は何一つない。ただ単に、渡し船がどんなものかという興味があるだけだ。観光地で、遊覧船に浮かれ顔で乗る人の気持ちとなんら変わりない。そんな物見遊山な気持ちで、対岸へ用もないのに乗っても大丈夫なのだろうか? 船頭さんに向こう岸へ渡る理由を尋ねられたら、何と答えたら良いだろうかと不要な心配がよぎったが、別に渡船料を払うのだから、何ら問題はないだろうと自分に言い聞かせた。




渡船料は200円である。時刻表の類はなく、代わりに、家屋の門柱にあるような、古いタイプの呼び鈴があった。乗船の方はボタンを押して下さいとあるので、緊張しながら押してみると、ほどなくして、対岸からエンジンを吹かす音が聞こえ、小さな船が近付いてきた。




渡し船は小ぶりで、屋根がついているだけの簡素なものだった。けれども、屋根はまるで竜宮城のようなデザインが施されていて、このまま楽しい所へ連れて行ってくれそうにも思えるが、勿論そんなはずはなく、動き出してから間もなく、対岸が迫ってきた。浦賀の海は、波もなく穏やかで、小さな船でも揺れない。船の天井に、つり革がついていて、立ち客が出ることもあるのかと、自分一人の船内で気になった。船乗りの方も、穏やかで親切そうな人で、渡し船もいいものだな、と思った。




無事に上陸し、これからどうしたものかと思いながら、船着き場付近を歩き始めたが、いよいよ雨が本降りになってきて、散歩どころではなくなってきた。一旦、散歩は切り上げよう。ちょうど浦賀駅に向かうバスがやって来たので、それに乗り込み、家路につくことにした。




かもめ団地

前回は雨脚が強まり、泣く泣く家路についた。けれども、渡し船には乗れたことだし、浦賀散歩はこれにておしまいとしても良かったのかも知れない。しかし、散歩から何日か経った頃、浦賀にはかねてより行きたかったスポットがあることを思い出し、再訪することにした。
浦賀駅に到着すると、またしても天気が曇天であることに気づいた。駅前のロータリーに停車している京急バスに乗り込んだ。



これから向かおうとしている目的地は、団地である。浦賀には、「かもめ団地」という名称の県営団地があり、その団地のロケーションが、海がとても近いことで団地好きの間では有名なのだ。かもめ団地・・・海に面し、潮風が靡き、かもめが飛び交い、うららかな雰囲気の団地のイメージ。しかし、今日は天気が今ひとつなので、そんなイメージとはならないであろう。バスは浦賀港沿いに連なる古くからの街並みを抜け、丘陵の切り通しを抜けたエリアに入っていった。そして再び、海が見えてきた。水平線まで何も遮る物がなく、海面も空も、色彩が乏しかった。これはまるで、北海道の最果ての岬へ向かう路線バスのようだと思った。けれども、北海道には行ったことがないので、実際は全く異なるのだろうと思う。




バスは終点のかもめ団地に着いた。バス停の前には高層の住棟がそびえ立っていて、海要素はあまり感じられない。






そびえる高層の住棟を過ぎると、5階建ての中層棟と呼ばれる、それぞれの部屋まで階段で上がるタイプの住棟が建ち並ぶ風景になった。歩き始めて気付いたのだが、浦賀近辺は、海と山に挟まれた狭いところに街があるので、かもめ団地のようなまとまった平らな土地は珍しいかもしれない。




天気が違えば、印象も異なるのに・・・と思いながら、ゆとりのある間隔で建ち、グレーの空が広く感じられる団地内を歩いた。かもめは飛んでいなかった。団地内を飛んでいたのは、トンビであった。僕は以前、このように5階建てが並ぶ古い団地に住んでいたことがあり、見慣れたスケール感の住棟と巨大なトンビとの対比にビビってしまった。




団地の一番端まで辿り着いた。ここから先は海だ。想像以上に海との距離が近かった。海に接する住棟からはどの様な風景が見えるのだろう。また、夜など、海をゆく船からはこの団地の明かりはどういう風に見えるのだろうか。




しばし、海と団地とを眺めていたが、寒々としてきたので、そろそろ引き返そうと思った。再度、団地内を、今度は違う順路で歩いてみる。団地内には公園があり、コンクリートで出来た黄色いタツノオトシゴや、パステルピンクのタコの滑り台があった。グレーな空の下では、カラフルに感じた。まるでこれらは、波しぶきで打ち上げられたかのようだった。満足してかもめ団地を後にすることにした。






浦賀のワッフル

かもめ団地を後にし、しばし、海沿いを歩く。多数の漁船が止まっていて、漁港のような雰囲気だ。先ほどまでいた埋立地特有の真っ平らな土地から、浦賀らしい、起伏が多く平地が少ない風景だ。




やはり首都圏なので、丘陵にももれなく開発の手が回っている。丘陵地に建つ住宅地となると、決まって目にするのは、コンクリートで出来たワッフルだ。浦賀というと、黒船がやってきた街ということから、海の印象が強いのだろうが、山の方にも見どころがあるのだ。例えば、こんなワッフル。このワッフルは、上にまで車が止められている。落ちたりしないのだろうかと心配になってくる。このコンクリートワッフルをしばらく眺めていると、次第に、ワッフルか板チョコか、チョコモナカジャンボなどの、何かしら甘いものが食べたくなってくる。




ワッフルの上に車が止まっているということは、そこへ通じる道があるということだ。探してみると、やはり、上に通じる階段が出現し、そこを登ってみることにした。団地の次はコンクリートワッフルと、しばし、コンクリートの写真ばかり撮ることになり、色彩を欠くことになる。階段を上がっていくと、眼下には先ほどまで見ていた海が見える。住宅のベランダでは茶色い猫がこちらを睨んでいた。






階段を登りきると、丘陵の上は住宅街になっていた。高度経済成長時代に造られたであろう雰囲気だ。この住宅街を造成するに当たって、切り崩した土砂はどこかへ移動させる必要があり、それはもしかすると、目と鼻の先にある、かもめ団地の建設時に、埋め立て用の土砂として使われたのかもしれないなと思った。もちろん、建設関係は門外漢なので、何ら根拠はない。団地の次はワッフル鑑賞へと、散歩の軸足を移すことにしよう。散歩とは、無目的に漫然と歩くように見えて、無意識のうちに何らかの目的を生じることが多いと思う。究極的な散歩とは、無心に無目的に無我の境地で歩くことなのかもしれないが、その境地に行くのは難しいだろうし、第一、それはちょっと危ないような気もする。住宅地を抜けると、バス通りでもある二車線の道路に出た。この道路で間違いないだろう。行きのバスの車内から、気になるワッフルを見たのだ。すると、間髪入れずに、モノトーンのコンクリートの風景が目に飛び込んできた。道路が下り坂でカーブし、カーブに沿って、灰色のワッフルがそそり立っている。何かの要塞のように見えてくる。きっと、ショッカーや戦闘員など、悪い方面の集団がいる要塞だ。もし、その構成員がワッフルに姿を現したら、僕は逃げられないだろう。
下り坂のカーブ、かつ、両側には四角いいびつなワッフルという視界に覆われ、僕は、きちんと地球の重力に対して真っ直ぐに身体を支えて歩いているのだろうかという不安に襲われた。まるでだまし絵のようであり、水平、垂直、平面といった幾何学を通用させまいと、この要塞のショッカーたちは企んでいるのだ。あてにならない自分の平衡感覚を信じながら、恐る恐る坂道を下っているが、その横を自動車は一瞬にして走り去っていく。足取りが怪しかったが、坂道を降りることに成功した。






叶神社

平衡感覚を失いそうになりながらワッフルの坂道を抜け、古い町並みの残る、浦賀港沿いのエリアまで戻ってきた。前回の散策では、渡し船でこちら側に上陸した瞬間に、雨脚が強まり、散歩を中断したのだ。今回も天気は芳しくないのだが、歩いてみよう。古い町並みには、細い道路が取り巻いており、その細い道路の脇には、手押しポンプの井戸が多く見られた。井戸というと、「リング」の貞子を彷彿とするので、あまり近寄らずに遠巻きに見る。




井戸と古い家屋が並ぶ道を進むと、神社があり、小雨がぱらつく中でも、そこそこに人がいた。パワースポットの神社なのだろうか? 鳥居の横にある石柱には、「叶神社」とあった。叶神社・・・いかにも願いが叶いそうなめでたい名前である。僕のように、曇り空に寒々と震え、コンクリートワッフルを見ればショッカーがいるのではと目をこらし、古井戸を見れば貞子に怯える。こんな調子では、せわしない現代社会では安寧して生きられるはずもなく、そんな我が身であるから、やはり、ありがたそうな場所で祈るほかない。本殿の背後は山になっており、海のすぐそばまで山が迫っているという浦賀の街の特徴を感じられる神社でもある。参拝を終えて、入口の方を見てみると、鳥居のすぐそばに迫る海と、対岸の山も見渡せて、なかなか良い景色だと思った。鳥居のそばに迫る海辺には、フェンスがない。もしかすると、海も神社の一部という考え方であり、鳥居の前にある海は参道であるから、フェンスは設けないという方針なのかもしれないな、と思った。
水質は綺麗だった。






神社の前の海は参道であるから、フェンスを設けないのだという説は、すぐさま、信憑性が怪しくなってきた。というのも、神社の横に続く海沿いの道にも、フェンスがないからだ。




渡し船、再び

さて、この散歩をどの様に終えようか? 散歩の始まりがあれば終わりがある。突然の本降りによって散歩が終わることもあるし、お腹が空いたからとか、歩き疲れたからという理由で散歩が終わることもある。今はそのいずれの状態でもない。時計を見ると、4時半を回ったところであり、今は11月の上旬であるから、日没が散歩の終わりということにしようか。海には大型の船舶が停泊していて、港の風情だ。それでは、もう一回渡し船に乗って、この散歩のフィナーレとしようかと思った。渡し船乗り場はすぐそこだし、ゆったり座りながら散歩を締めくくろうと思う。






渡し船乗り場にはすでに船が止まっていて、前回のように、呼び出しボタンを押す必要はなかった。後から来た二、三の乗客を乗せると、エンジンを唸らせて、向こう岸へ動き始めた。




浦賀港は穏やかだ。このまましばらく、船旅を続けてほしいという気持ちも湧いてくるが、当然叶うはずもなく、ものの2、3分で対岸にたどり着く。これがたまらなく良い。




さっきまでいたエリアとはまるで地続きであるかのように、こちらも古い町並みが残っている。いや、Vの字になった道路を介して、対岸とは地続きなのだ・・・。何らかの商店であったのであろう木造の立派な建物を撮ったり、「ば」が落ちそうな、たばこ屋の看板を撮るうちに、辺りは暗くなり始めた。






11月の日没はせわしない。暗くなり始めると、間髪入れずに夜へと突入していく。もうちょっと余韻に浸らせて欲しいという気持ちも虚しく、刻一刻と辺りは明度を減じていく。なぜか、急に焦りを覚えてしまい、むやみに辺りを撮る。






「久八」と書かれた、何屋か分からない看板があり、何だろうと思う間もなく、辺りは暗くなり、港には明かりが灯り始めた。さて、そろそろ帰ろうと思う。










このサイトの最新記事を読もう

twitterでフォローFacebookでフォロー
  • hatebu
  • feedly
  • rss

3街区

仕事 <<< 散歩 < 睡眠
という残念なおじさん。
自分探しをするため、今日も蒲田の街をさまよい歩く。

関連する散歩

フォローすると最新の散歩を見逃しません。

facebook      twitter      instagram      feedly

TOPへ戻る