獅子舞お断り看板を探す2【埼玉県川口市】
- 更新日: 2022/12/06
埼玉県川口市で発見したお断り看板
以前、「獅子舞お断り看板を探す」という記事を書かせていただいたところ、Twitterで反響が大きく、数々の看板目撃情報が寄せられた。
なぜ縁起の良い獅子舞が「お断り」なのか?その謎を解くために、今回はフォロワーさんに教えてもらった埼玉県川口市を訪れた。獅子舞のお断り看板が建てられた理由や、どのような地域にその看板が立てられやすいのかという性質にまで迫っていきたい。
フォロワーさん:はじめまして。うちの近所にありましたよ、獅子舞お断りの看板!確認しないとわかりませんが、今もたぶんあるかと……(実際に確認しに行ってくださった)
ぼく:え!そうなのですか!場所はどちらでしょう。こそっと教えていただけるとありがたいです(というわけで大体の場所を伺うことに成功)
その方がおっしゃるには「獅子舞にハマり始めた頃、押し売りや暴力と同列にされててショックを受けた思い出です。ご参考までに……」とのことだった。
現状では、昔見たけど今あるのかわからないという目撃情報も多数寄せられている。その中でもこの川口の案件は看板が確実にあるという確信が持てた。そこで、実際に現地を訪れてみることにした。
調査時間:1時間程度
場所:埼玉県川口市安行原
埼玉県の川口駅に降り立った。川口といえば、ヤクザが多いという噂もちらほら聞いている。この治安がやばいという側面が、獅子舞お断り看板はもちろん禁止看板の設置とも関わっているようにも思われる。大げさかもしれないが、ビクビクしながら駅を出る。
さて、川口駅から安行原に行くには、歩いたら1時間半もかかってしまう。結構地理的に離れているので、バスに乗って行くことにした。バス停に電光掲示板があり驚く。バスなんてしょっちゅう乗るわけではないから、バスもどんどん新しくなっているのだなとしみじみ思う。
バスの車窓から街を眺めながら、獅子舞お断り看板を探す。そんなに簡単に見つかるわけがない。バスが通るような道は基本的に広い道路沿いで交通量が多く、住宅の再開発が進んでいることもある。戦後に相次いで立てられた「昭和の遺産」とも言える獅子舞お断り看板はなかなか残っていない。
30分ほどバスに乗って、安行原まで徒歩15分程度のところまでたどり着く。洗濯物を干してある階段を発見。物干し竿もベランダもないお宅があるのだろうか?多世帯住宅のはずなのに、外まで生活感が溢れ出ている。そして階段の脇には「七つの鐘」という変わった名前の美容室もあった。
生活感といえばこちら。2階の部屋の玄関の前には、大量の荷物が置かれている。引越しでもするんだろうか?表札や郵便受けがないことから推測するに、もはやこの建物自体が今使われていなくて、物置き場になっている可能性もある。この辺りは生活感溢れるバラックのような家々が立ち並び、いかにも獅子舞お断り看板が残ってそうな雰囲気が漂っている。
少し歩くと、新築が立ち並ぶエリアもあった。窓のデザインがとても個性的だ。なぜ、青い縁取りで強調したかったのだろうか?植栽も小綺麗に置かれている。
家の塀がかまぼこ型で面白い。どうしても車庫のガラガラ(伸縮門扉)を取り付けたいがために、設置したのかもしれない。「どうせ設置するならオシャレに」と考えたのだろうが、背景が赤なのも相まって、かまぼこ型がやけに目立つ。
それからしばらく歩くと、急に庭の広い伝統家屋が多くなってきた。庭も綺麗に手入れされており、非常に格式が高そうな瓦屋根の古民家である。
庭石か何かに使うのだろうか。だだっ広い敷地の中に大量の石がゴロゴロと転がっている。白っぽいものから黒っぽいものまで、いろんな色の石がある。
お、なんか広場があるぞ。「安行原の蛇造り」という看板が立っている。大木の麓には、櫓が建てられており、そのテッペンになにやら藁で作られた造形物が乗っている。近くに行って見てみよう。
どうやら毎年5月24日に五穀豊穣、天下泰平、無病息災などを願い、長さ10メートルの蛇を作るらしい。さっき櫓の上に置かれていた藁の造形物は蛇だったのだ。
近くから見てみよう。ビニールに覆われているからよくわからないが、確かに言われても見れば、蛇のように見えてくる。櫓の下には地域の子供達が学校のレポートか何かで書いた蛇造りに関する新聞が貼られている。「なぜ蛇をつくるのかというと畑を荒らす害虫などを食べてくれるから」とか、「蛇の鼻は3つあるがこれは縁起の良い数字だから」とか、調べたことをまとめていた。
蛇づくりも獅子舞とは形は違えど、地域の生業から派生した祈りという意味で似ている。畑を荒らす害虫ではなく害獣を払うために獅子舞を作ったという地域もあるくらいだから、獅子舞とも考え方が近いのである。
樹齢600年のケヤキが切り倒されたらしく、株を光に当てて目が出るのを待っているとの張り紙があった。この蛇造りの広場は情報量が非常に多い。この場所が持つ引力は凄まじい。地域の人の憩いの場であり、安行原の人々が大事にしている場であることがわかった。
さあ、獅子舞お断り看板探しを再開しよう。いよいよ、教えてもらった住所に近づいてきた。相変わらず、一戸建てで敷地面積の多い伝統家屋が多い。まるで名主か豪農がたくさん住んでいるかのような土地に驚きが隠せない。
この家なんて、玄関までのアプローチが長すぎる。これだけ空間的な余白があれば獅子舞を舞ったり暴れたりすることは容易である。お金持ってそうな家が多いので、獅子舞が訪ねてきてご祝儀を要求したとしてもおかしくはない。まさに、獅子舞にとっては訪問しやすい家が非常に多いように思われる。
突如、竹垣が現れた。かなり長く続いているので、この家の敷地面積はとても広いのだろう。あらかじめ、Twitterのフォロワーさんに伺った情報によると、竹垣沿いに獅子舞お断り看板があるとのこと。もしやこれは...?
あった!!!獅子舞お断り看板!!!
竹垣の隙間にはめ込まれていた。うまいことはめ込んだものだ。
この看板の発見が、僕自身、2つ目の出会いである。
よくよく看板を観察してみよう。「暴力」「しし舞」「押売」が並記されている。そして、この看板を発行したのが川口警察署だ。「強要はすぐ警察へ」と怖い口調で書かれている。
この家には間違いなく、獅子舞が来ていたはずである。
話が聞きたい!と思った僕は、とっさにインターホンを押していた。
「ピンポーン」
「......(沈黙)」
どうやら、お留守のようだった。
冷静に考えたらどこの誰だよって言われそうだが、
好奇心でお話を聞いてみたかったのだ。
家には広いお庭があり、畑もあった。
今は何処かに出かけているのだろうか?
ひとまず、獅子舞お断り看板的な何かがあるかもしれないから、この周辺の道をくまなく散歩してみることにした。
ここは安行原。獅子舞がかつて猛威を振るった場所だ。大通りはあるが、基本的には細々とした道が多く、とにかく大きい家と広い庭があるという特徴だけは押さえられた。
野生的だけどきちんと整備されている竹藪もあった。やはり、土地がとにかく広い。
そういえば、さっき歩いていた竹垣沿いを辿ってみると、「パトロール重点地域」という看板が立てられていた。小学校のPTAが警戒しているようだ。
よくみると、「セールスお断り」の文言が郵便受けに貼られている家もあった。
数少ないマンションに貼られていた張り紙。ダイドードリンコが自販機の設置場所を変えたらしい。わかりやすく地図も書かれている。
この地域の掲示板には花火大会や音楽の演奏会、ビジネスプランコンテストなど、多様な張り紙がペタペタと貼られている。催し物がたくさん開催されており、話題に事欠かないというのは素晴らしいことだ。裏社会の話題は当然ながら何も書かれていない。
この車庫の奥の方、よく見ると、赤背景に白文字で「防犯カメラ」の張り紙。個人宅でも防犯カメラが取り付けられているというのは衝撃的である。
たくさん歩いた。獅子舞お断り看板が設置されている場所から徒歩3分以内の道をほぼ歩き尽くしてわかったことは、治安維持のために様々な看板や張り紙が存在するということだ。
さて、再び獅子舞お断り看板を見て、帰ろうと思って歩き出す。竹垣沿いの道を歩き、大通りの方に向かおうとしていた時、突如、「これでいいのか?」という心の声が聞こえてくる。やはり地域の人に、獅子舞目撃情報だけでも聞いておいた方が良いかもしれない。
そういう訳で、勇気を振り絞って、獅子舞お断り看板近くの家の庭で剪定をしていたおばあさんに恐る恐る声をかけてみた。
*
—— すみません、ちょっと聞いてもいいですか?そこらへんを歩いていたら、「獅子舞のお断り看板」があったんですけど、ここら辺って獅子舞をやっていたんですかね?
獅子舞のお断り?
—— そう、あのおうちの竹垣のところに看板がついてて、昔獅子舞がいたのかなと思って。
ああ、子供の時はいたよ。ほらパカパカ軒先でやって、その代わりお金をいただいてね。
—— え、そうなんですか!いつ頃のことですか?
あーもう70年前くらいかね。
—— それはずっとやっていたわけじゃないんですか?
ずっとやっていたわけじゃない。ここら辺の人じゃなくて、舞を舞いに来るっていうかさ。行事として回ってくるわけじゃないから。
—— へえー。
ほら、寄付まがいで突然来て、否応無くやられて、そのあとお礼を言ったりお金を出したり。あの看板はそういうのが嫌だったということじゃないの?行事で村でやっているならお付き合いがあるから仕方ないけれど。
—— それじゃあ、戦後の頃だけやってたっていう感じですかね?
昭和30年代くらいまでかなあ。40年過ぎたらそういうのはなくなっちゃったんじゃないかな。一番記憶に残っているのはね、私が小学生ぐらいの時だから。
—— その獅子舞っていうのはたくさん来るもんなんですか?
たくさんっていうわけじゃない。年がら年中来るわけじゃなくて、お正月とかね。
—— あーそうなんですね。
どこの誰かわからない人が来るから嫌がる人もいるんじゃないの。寄付って言ったって、いくらって決まっているわけじゃなくて、獅子舞をやってもらってお金を数えて返すってことをしてたよ。それをやってもらってタダで返すっていうのもなんとなく気がひけるからね。
—— なるほど、獅子舞お断りの看板を出す人はたくさんいたんですか?
たくさんはいなかったんだろうけど。
—— 獅子舞が来たのは、(背景として)戦後の貧しい時期だからっていう事もあったんですかね?
うん、まあね。でも貧しい時に限らず、昔は色々なセールスが来たよね、次々と。今は宗教勧誘くらいしか来ないけど。
—— 獅子舞以外にも色々来たんですか?
うん、昔はね。いろんなもの背負って、うろうろしてた。今はもう用心してるっていうかね。まあ、獅子舞は昔そういうのがあったってだけの話だから用心するも何もないけどね。
—— 獅子舞の看板なんてなかなか見たことがなかったんで、お話を聞かせてくれてありがとうございました(帰路につく)
お話を伺ったのはたったの10分間だったが、獅子舞お断り看板に関する様々な情報を得ることができた。帰りのバスで内容を振り返る。
まず、たまたま声をかけたおばあさんが自分の家に「押しかけるタイプの獅子舞が来た」という経験をお持ちだったことが非常に奇跡的だったので、感激もひとしおである。
獅子舞お断り看板が作られたのは戦後すぐのことで、その頃、押しかけるタイプの獅子舞が一時的に発生したことがわかる。獅子舞を仕掛けた側の人間は地域の人ではなく、「見知らぬ人だった」ことは重要なポイントだ。そこに信頼関係がないのに、いきなり獅子舞を舞い始め、金銭を要求するのである。
蛇造りの広場で繰り広げられているであろう地域の人々の対話を考えると、それとはほど遠い世界である。考えてもみれば、地域行事として獅子舞がなく、その代わりに蛇造りがある。だから、獅子舞同士がかち合うこともないし、押し売りのような獅子舞がひょこっと現れる可能性もその分高まるかもしれないとふと思った。
その獅子舞が舞い始めたら、もうお礼をせずにはいられなくなるという人間の心理があり、仕掛けられた側に支払うか否かという選択権はない。もう、払うしかないという状況になるのだろう。
そういえばこのおばあさん、一回、詐欺的なものにひっかかったことがあるというお話もされていた。でも特に気にしてないみたいな感じで、思い出話みたいに語ってくれた。そう、獅子舞が押しかけてきたのは70年も前。過去のお話なのである。
どんな舞い方だったのかなど焦って色々聞きそびれていたことを思い出した。それは今後の調査における課題としたい。ひとまず今回は、獅子舞を仕掛けられた側の人間のお話を伺うことができて本当に良かった。
突然だが「獅子舞お断り看板」をご存知だろうか?正月などにパクパクと頭を噛んでくれるあの縁起物の獅子舞がお断りされてしまうなんて!と驚く方もいるだろう。戦後、警察署の名義で商店や個人宅などに、数…
なぜ縁起の良い獅子舞が「お断り」なのか?その謎を解くために、今回はフォロワーさんに教えてもらった埼玉県川口市を訪れた。獅子舞のお断り看板が建てられた理由や、どのような地域にその看板が立てられやすいのかという性質にまで迫っていきたい。
川口市の情報を入手
そもそも、埼玉県川口市のお断り看板の情報をどうやって得たのかという話だ。こんな感じの看板目撃情報が寄せられた。フォロワーさん:はじめまして。うちの近所にありましたよ、獅子舞お断りの看板!確認しないとわかりませんが、今もたぶんあるかと……(実際に確認しに行ってくださった)
ぼく:え!そうなのですか!場所はどちらでしょう。こそっと教えていただけるとありがたいです(というわけで大体の場所を伺うことに成功)
その方がおっしゃるには「獅子舞にハマり始めた頃、押し売りや暴力と同列にされててショックを受けた思い出です。ご参考までに……」とのことだった。
現状では、昔見たけど今あるのかわからないという目撃情報も多数寄せられている。その中でもこの川口の案件は看板が確実にあるという確信が持てた。そこで、実際に現地を訪れてみることにした。
獅子舞お断り看板調査
日程:2022年10月16日調査時間:1時間程度
場所:埼玉県川口市安行原
埼玉県の川口駅に降り立った。川口といえば、ヤクザが多いという噂もちらほら聞いている。この治安がやばいという側面が、獅子舞お断り看板はもちろん禁止看板の設置とも関わっているようにも思われる。大げさかもしれないが、ビクビクしながら駅を出る。
さて、川口駅から安行原に行くには、歩いたら1時間半もかかってしまう。結構地理的に離れているので、バスに乗って行くことにした。バス停に電光掲示板があり驚く。バスなんてしょっちゅう乗るわけではないから、バスもどんどん新しくなっているのだなとしみじみ思う。
バスの車窓から街を眺めながら、獅子舞お断り看板を探す。そんなに簡単に見つかるわけがない。バスが通るような道は基本的に広い道路沿いで交通量が多く、住宅の再開発が進んでいることもある。戦後に相次いで立てられた「昭和の遺産」とも言える獅子舞お断り看板はなかなか残っていない。
30分ほどバスに乗って、安行原まで徒歩15分程度のところまでたどり着く。洗濯物を干してある階段を発見。物干し竿もベランダもないお宅があるのだろうか?多世帯住宅のはずなのに、外まで生活感が溢れ出ている。そして階段の脇には「七つの鐘」という変わった名前の美容室もあった。
生活感といえばこちら。2階の部屋の玄関の前には、大量の荷物が置かれている。引越しでもするんだろうか?表札や郵便受けがないことから推測するに、もはやこの建物自体が今使われていなくて、物置き場になっている可能性もある。この辺りは生活感溢れるバラックのような家々が立ち並び、いかにも獅子舞お断り看板が残ってそうな雰囲気が漂っている。
少し歩くと、新築が立ち並ぶエリアもあった。窓のデザインがとても個性的だ。なぜ、青い縁取りで強調したかったのだろうか?植栽も小綺麗に置かれている。
家の塀がかまぼこ型で面白い。どうしても車庫のガラガラ(伸縮門扉)を取り付けたいがために、設置したのかもしれない。「どうせ設置するならオシャレに」と考えたのだろうが、背景が赤なのも相まって、かまぼこ型がやけに目立つ。
それからしばらく歩くと、急に庭の広い伝統家屋が多くなってきた。庭も綺麗に手入れされており、非常に格式が高そうな瓦屋根の古民家である。
庭石か何かに使うのだろうか。だだっ広い敷地の中に大量の石がゴロゴロと転がっている。白っぽいものから黒っぽいものまで、いろんな色の石がある。
お、なんか広場があるぞ。「安行原の蛇造り」という看板が立っている。大木の麓には、櫓が建てられており、そのテッペンになにやら藁で作られた造形物が乗っている。近くに行って見てみよう。
どうやら毎年5月24日に五穀豊穣、天下泰平、無病息災などを願い、長さ10メートルの蛇を作るらしい。さっき櫓の上に置かれていた藁の造形物は蛇だったのだ。
近くから見てみよう。ビニールに覆われているからよくわからないが、確かに言われても見れば、蛇のように見えてくる。櫓の下には地域の子供達が学校のレポートか何かで書いた蛇造りに関する新聞が貼られている。「なぜ蛇をつくるのかというと畑を荒らす害虫などを食べてくれるから」とか、「蛇の鼻は3つあるがこれは縁起の良い数字だから」とか、調べたことをまとめていた。
蛇づくりも獅子舞とは形は違えど、地域の生業から派生した祈りという意味で似ている。畑を荒らす害虫ではなく害獣を払うために獅子舞を作ったという地域もあるくらいだから、獅子舞とも考え方が近いのである。
樹齢600年のケヤキが切り倒されたらしく、株を光に当てて目が出るのを待っているとの張り紙があった。この蛇造りの広場は情報量が非常に多い。この場所が持つ引力は凄まじい。地域の人の憩いの場であり、安行原の人々が大事にしている場であることがわかった。
さあ、獅子舞お断り看板探しを再開しよう。いよいよ、教えてもらった住所に近づいてきた。相変わらず、一戸建てで敷地面積の多い伝統家屋が多い。まるで名主か豪農がたくさん住んでいるかのような土地に驚きが隠せない。
この家なんて、玄関までのアプローチが長すぎる。これだけ空間的な余白があれば獅子舞を舞ったり暴れたりすることは容易である。お金持ってそうな家が多いので、獅子舞が訪ねてきてご祝儀を要求したとしてもおかしくはない。まさに、獅子舞にとっては訪問しやすい家が非常に多いように思われる。
突如、竹垣が現れた。かなり長く続いているので、この家の敷地面積はとても広いのだろう。あらかじめ、Twitterのフォロワーさんに伺った情報によると、竹垣沿いに獅子舞お断り看板があるとのこと。もしやこれは...?
あった!!!獅子舞お断り看板!!!
竹垣の隙間にはめ込まれていた。うまいことはめ込んだものだ。
この看板の発見が、僕自身、2つ目の出会いである。
よくよく看板を観察してみよう。「暴力」「しし舞」「押売」が並記されている。そして、この看板を発行したのが川口警察署だ。「強要はすぐ警察へ」と怖い口調で書かれている。
この家には間違いなく、獅子舞が来ていたはずである。
話が聞きたい!と思った僕は、とっさにインターホンを押していた。
「ピンポーン」
「......(沈黙)」
どうやら、お留守のようだった。
冷静に考えたらどこの誰だよって言われそうだが、
好奇心でお話を聞いてみたかったのだ。
家には広いお庭があり、畑もあった。
今は何処かに出かけているのだろうか?
ひとまず、獅子舞お断り看板的な何かがあるかもしれないから、この周辺の道をくまなく散歩してみることにした。
ここは安行原。獅子舞がかつて猛威を振るった場所だ。大通りはあるが、基本的には細々とした道が多く、とにかく大きい家と広い庭があるという特徴だけは押さえられた。
野生的だけどきちんと整備されている竹藪もあった。やはり、土地がとにかく広い。
そういえば、さっき歩いていた竹垣沿いを辿ってみると、「パトロール重点地域」という看板が立てられていた。小学校のPTAが警戒しているようだ。
よくみると、「セールスお断り」の文言が郵便受けに貼られている家もあった。
数少ないマンションに貼られていた張り紙。ダイドードリンコが自販機の設置場所を変えたらしい。わかりやすく地図も書かれている。
この地域の掲示板には花火大会や音楽の演奏会、ビジネスプランコンテストなど、多様な張り紙がペタペタと貼られている。催し物がたくさん開催されており、話題に事欠かないというのは素晴らしいことだ。裏社会の話題は当然ながら何も書かれていない。
この車庫の奥の方、よく見ると、赤背景に白文字で「防犯カメラ」の張り紙。個人宅でも防犯カメラが取り付けられているというのは衝撃的である。
たくさん歩いた。獅子舞お断り看板が設置されている場所から徒歩3分以内の道をほぼ歩き尽くしてわかったことは、治安維持のために様々な看板や張り紙が存在するということだ。
さて、再び獅子舞お断り看板を見て、帰ろうと思って歩き出す。竹垣沿いの道を歩き、大通りの方に向かおうとしていた時、突如、「これでいいのか?」という心の声が聞こえてくる。やはり地域の人に、獅子舞目撃情報だけでも聞いておいた方が良いかもしれない。
そういう訳で、勇気を振り絞って、獅子舞お断り看板近くの家の庭で剪定をしていたおばあさんに恐る恐る声をかけてみた。
—— すみません、ちょっと聞いてもいいですか?そこらへんを歩いていたら、「獅子舞のお断り看板」があったんですけど、ここら辺って獅子舞をやっていたんですかね?
獅子舞のお断り?
—— そう、あのおうちの竹垣のところに看板がついてて、昔獅子舞がいたのかなと思って。
ああ、子供の時はいたよ。ほらパカパカ軒先でやって、その代わりお金をいただいてね。
—— え、そうなんですか!いつ頃のことですか?
あーもう70年前くらいかね。
—— それはずっとやっていたわけじゃないんですか?
ずっとやっていたわけじゃない。ここら辺の人じゃなくて、舞を舞いに来るっていうかさ。行事として回ってくるわけじゃないから。
—— へえー。
ほら、寄付まがいで突然来て、否応無くやられて、そのあとお礼を言ったりお金を出したり。あの看板はそういうのが嫌だったということじゃないの?行事で村でやっているならお付き合いがあるから仕方ないけれど。
—— それじゃあ、戦後の頃だけやってたっていう感じですかね?
昭和30年代くらいまでかなあ。40年過ぎたらそういうのはなくなっちゃったんじゃないかな。一番記憶に残っているのはね、私が小学生ぐらいの時だから。
—— その獅子舞っていうのはたくさん来るもんなんですか?
たくさんっていうわけじゃない。年がら年中来るわけじゃなくて、お正月とかね。
—— あーそうなんですね。
どこの誰かわからない人が来るから嫌がる人もいるんじゃないの。寄付って言ったって、いくらって決まっているわけじゃなくて、獅子舞をやってもらってお金を数えて返すってことをしてたよ。それをやってもらってタダで返すっていうのもなんとなく気がひけるからね。
—— なるほど、獅子舞お断りの看板を出す人はたくさんいたんですか?
たくさんはいなかったんだろうけど。
—— 獅子舞が来たのは、(背景として)戦後の貧しい時期だからっていう事もあったんですかね?
うん、まあね。でも貧しい時に限らず、昔は色々なセールスが来たよね、次々と。今は宗教勧誘くらいしか来ないけど。
—— 獅子舞以外にも色々来たんですか?
うん、昔はね。いろんなもの背負って、うろうろしてた。今はもう用心してるっていうかね。まあ、獅子舞は昔そういうのがあったってだけの話だから用心するも何もないけどね。
—— 獅子舞の看板なんてなかなか見たことがなかったんで、お話を聞かせてくれてありがとうございました(帰路につく)
お話を伺ったのはたったの10分間だったが、獅子舞お断り看板に関する様々な情報を得ることができた。帰りのバスで内容を振り返る。
まず、たまたま声をかけたおばあさんが自分の家に「押しかけるタイプの獅子舞が来た」という経験をお持ちだったことが非常に奇跡的だったので、感激もひとしおである。
獅子舞お断り看板が作られたのは戦後すぐのことで、その頃、押しかけるタイプの獅子舞が一時的に発生したことがわかる。獅子舞を仕掛けた側の人間は地域の人ではなく、「見知らぬ人だった」ことは重要なポイントだ。そこに信頼関係がないのに、いきなり獅子舞を舞い始め、金銭を要求するのである。
蛇造りの広場で繰り広げられているであろう地域の人々の対話を考えると、それとはほど遠い世界である。考えてもみれば、地域行事として獅子舞がなく、その代わりに蛇造りがある。だから、獅子舞同士がかち合うこともないし、押し売りのような獅子舞がひょこっと現れる可能性もその分高まるかもしれないとふと思った。
その獅子舞が舞い始めたら、もうお礼をせずにはいられなくなるという人間の心理があり、仕掛けられた側に支払うか否かという選択権はない。もう、払うしかないという状況になるのだろう。
そういえばこのおばあさん、一回、詐欺的なものにひっかかったことがあるというお話もされていた。でも特に気にしてないみたいな感じで、思い出話みたいに語ってくれた。そう、獅子舞が押しかけてきたのは70年も前。過去のお話なのである。
どんな舞い方だったのかなど焦って色々聞きそびれていたことを思い出した。それは今後の調査における課題としたい。ひとまず今回は、獅子舞を仕掛けられた側の人間のお話を伺うことができて本当に良かった。