なぜ獅子頭を穴の中に埋めたのか?埼玉県吉見町・東松山市で謎解き散歩

  • 更新日: 2021/03/23

なぜ獅子頭を穴の中に埋めたのか?埼玉県吉見町・東松山市で謎解き散歩のアイキャッチ画像

土の中に埋まっている大根

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僕は獅子舞に興味がある。何気なしに、google mapで「獅子舞」などのワードを検索していた。そしたら、埼玉県吉見町の「獅子封じ塚」という名前に赤い印がプロットされた。



獅子封じ塚とは何だろうと思って写真を見ると、どうやら獅子舞に使われるような獅子頭を埋めた場所だそうだ。看板には、以下の文字が刻まれていた。

昔、高生郷(現在の田中)には、獅子舞いの古い行事がありました。今から、数百年前ごろの旧暦六月の某日、悪疫退散のため獅子頭を冠り、戸毎を訪問する行事が行われておりました。しかし、ある年、痢病が著しく発生し、死者も多く出たので、村人たちは、これは産土神のお咎めではないかと恐れ、獅子舞を境内に埋没し、その上に、柊(昭和十二年に大柊は、県指定文化財となるが、現在は二代目)を植えて、獅子封じをしました。それ以来、痢病もおさまり、平和になったと言われています。

つまり、「病気が流行って、それを鎮めるために獅子頭を埋めた」ということだ。獅子頭は舞う時に使うものだと思っていた。なぜ埋めたのだろうという疑問が頭に浮かんだ。獅子頭は地域によっては、100万円以上する高価なものである。それを埋めるという行動に至った経緯は何なのか。そして、獅子頭を埋めることによって、次の年からは全く獅子舞ができなくなるが、このことについてどう考えていたのか。疑問は尽きない。

この看板は誰が建てたのかもわからず、問い合わせ先も見つからない。ただ、獅子封じ塚がポンポン山公園という公園内にあることはわかった。そこで、公園を管理する吉見町の「まち整備課都市計画係」のお電話番号を調べて、電話をさせてもらった。

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いなむこんにちは。獅子頭について研究しているものなのですが、吉見町に獅子封じ塚というものがありまして、それについてお詳しい方はいらっしゃいますか?

担当者へえ!そんな場所があったのですか。知りませんでした。ちょっといろいろな部署に確認してみますので、もう一度掛け直します

(待つこと1時間。)

担当者やはり、知っているものがおりませんで、現地近くの方にヒアリングをしていただくしか方法がないかもしれません。それか、図書館で資料を探してみるとか。

いなむそうですよね。ご丁寧にありがとうございます!

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そういうわけで、現地に行かないと始まらないと思い、獅子封じ塚周辺をいろいろ歩いて回ることにした。

・・・



先日、現地に出かけてきた。埼玉県鴻巣市の線路沿いから歩き始めた。ここから吉見町までの道のりは10km以上ある。歩くことによって、獅子頭を穴に埋める文化が数カ所に分布しているかもしれないし、発見もあるかもしれないと思った。




妙に目立つ看板を発見。月か弓矢みたいだ。




電線に大量の蔓がぶら下がっている。物干し竿のように見える。歌える幸玉という看板が立っている。




そのすぐ近くにあったお店、ハピネス。みんな幸せを求めているんだな。




花壇に囲まれた謎の三角形のエリア。植物はほぼ何も植えられていない。この中では何をするのだろう。立ち入り禁止にしたい事情があるのか、それとも何か大きいものを置くために場所を確保しているのか。とにかく謎が深い。




歩道にレタスみたいな雑草が生えている。このまま持ち帰れたら食費が浮く。




視界に占める鉄塔の割合が大きい。ここら辺は建物がほとんどないだだっ広い土地である分、鉄塔がやけに目立つ。




電柱の傾き具合もやけに目立つ。電柱が立っている角度って、1本1本こんなにバラバラだったのかと驚く。




自転車と歩行者で通路を分けている割には、その間隔が狭い。でも、こういう狭い道があるからこそ、人が人を思いやる気持ちが醸成されるのだと思う。脇に避けるなどして道を譲り合うのは、なかなか気持ちの良い光景である。




ここも謎の三角エリア。木の根が掘り返され、ぼこぼこになっている。一見、怪物のように見える。とろろのような草が絡みつくように木を覆っている。オレンジ色のネットが周囲に張られていて、工事中的な雰囲気を醸し出している。




荒川を渡る。カラーコーンの配置がちょっと面白い。橋の上に置かれた2組のカラーコーンは多分使ってないやつだ。




川を渡りながらも、いよいよ吉見町に突入。とても直線的な道が続いている。今のところ、獅子封じ塚に関する手がかりは無い。




それにしても、ものすごくだだっ広い土地だ。区画がしっかり定められており、直線的に区切られている。




そうかと思いきや、こんなグネグネの余った土地も発見。直線と曲線が入り混じっており、ここを耕すのは一筋縄ではいかなそうである。




炭になった木を発見。焚き火をした時に燃えきらず残ったのかもしれない。




道端の杭が可愛らしい。なぜこのサイズなのだろうか。ガードレールのような役割はもちろん無いだろう。特に杭のような目印がなくても、道路かそうでないかはわかるけれど、その境界線をはっきりさせたいのかもしれない。




この杭、たまに根こそぎ抜けている。あまり深くまで刺さってないようだ。




あたり一面がもはや砂漠のようになってきた。家も木も田畑もない土地が広がっていて、古代にタイプスリップしたような、未来に来てしまったような感覚を覚えた。




木にものすごい生命力を感じる。




木が水路に橋をかけるように、横たわっている。渡るのはちょっと怖そうだ。




入れ物と草がある。入れ物から水が噴出しているように見えてちょっとびびった。




防空壕っぽい消防署。サイコロ型をしている。




大根がたくさん埋まっている。獅子頭は埋まっているところを見かけないが、大根は埋まっているらしい。




入れ物から草が噴出しているのを再び発見。




自販機がずらりと並んでいる。少なくとも50機以上はあるだろう。使い古した自販機をためておく場所なのかもしれない。こんなにたくさんの自販機を一気に見ることはなかなかない。細っこいのから太いのまで千差万別なのだと知る。




ポンポン山の標識を発見。獅子頭が埋められた場所はこのポンポン山の敷地内にあるとのこと。いよいよ謎の真相に迫る時が来た。現地をじっくり確かめたい。




この森がポンポン山らしい。車のサイズと比較してもわかるように、気が鬱蒼と茂った丘という認識が正しいかもしれない。この場所だけ落葉しない木々が凝縮して集まっていて、どこかパワーを放っている。




左側の暗い小道を奥へ奥へと進んでいく。ポンポン山公園の由来を調べてみたところ、山中の地面を強く踏むとポンと音がするからだという。ここから少し上がったところの地面を踏むと、確かにポンという音がした。踏んだ感触としては、土の中に少し空洞か隙間かがあるように思えた。自然の神秘とでも言うべきか、本当のところはよくわからない。




少し歩くと、ついに獅子封じ塚を発見!きちんと立札が立っている。冒頭でご紹介したように、数百年前、病を封じ込めるために獅子頭をこの場所に埋めたという内容が書かれている。ただし、この看板は誰が建てたのか不明で、市役所にも確認したがよくわからないらしい。現地に来てわかったことは、こんもりと土が盛られていて木が数本植えられていること。そして、その周りを石で囲っていて、小さな石造物が数体あることのみだ。



獅子封じ塚の周りにあった石造物。

せっかくここまで来たのだからということで、通りすがりの地元の人に「なぜここに獅子頭が埋められたか、詳細はご存知ですか?」というような内容を訊いてみた。しかし、皆「私たちはわからないのです」とのこと。少しでも手がかりがつかめればと思ったのだが、そもそも獅子封じ塚が存在することすら知らなかった人も多く、聞き取りは難しそうだ。

獅子封じ塚と類似した場所が他にあれば歩いて行ってみようと思い、google mapで調べてみたところ、獅子塚稲荷神社という神社があった。ここに行けば、何かヒントが見つかるかもしれない。この神社があるのは東松山市。吉見町からまた数キロ歩くことになるが、好奇心が原動力となり歩き始めた。







梅の花が咲いている。道中の癒しである。




この地域は人形作りが有名らしい。




カモが悠々と泳いでいる。




家の向こうにある木にとても生命力を感じる。大きさはそこまでではないが、天に向けてエネルギーを発しているようだ。




自販機の数が多い。1つの場所に6つの自販機がある。飲み物が全般的に揃っている自販機はまだわかるとして、サイダーとか酒の自販機まで揃っている。本当に使えるのかはわからない。もしかすると、先ほどの自販機置き場との関連性があるかもしれない。




梅の木は剪定した後に、道路ぎわに枝を束ねて置いておくらしい。歩いている途中にこの光景を何度も見かけた。




ついに、獅子塚稲荷神社が見えてきた!赤い鳥居と緑の屋根、まさにgoogle mapでみたところと同じである。




近づいてみると、がっつり工事中。鳥居の外からお参りをした。鉄骨が組んであり、神社の社殿の中まで見ることはできなかった。神社の両側面には丸っこい植栽が数個ずつ。その周りには畑が広がっている。獅子頭や獅子舞に関連するものは何も見当たらなかった。なぜこの神社は「獅子塚」と名付けられたのか。疑問は深まるばかりだ。




もうこうなったら図書館に行って資料を探すしかない。これを今日の最後のミッションにしようと思い、東松山市立図書館に向けて歩くことにした。大きな葉っぱが図書館の方を指し示している。




これもある意味、生命力。川のど真ん中にポツンと草が生えている。




草によって川が大きく分断されている。しまいには、川を覆い尽くしちゃいそうな勢いだ。護岸工事をすることにより川の氾濫を防ぎ、人の命や財産を守ることができる。一方で、護岸工事をしすぎると周辺にいる生物の生息する環境が失われる。その両側面を繋ぐ存在として、川に生える雑草が機能しているのかもしれない。




しばらく歩くと川が黄色くなり、遥か遠くアマゾンの小川にたどり着いたような気分になる。カルガモがのんびりと泳いでいる。




それからしばらく歩くと、無数の穴を発見。獅子頭が埋められた穴かと思いきや、これは有名な吉見の百穴と呼ばれる観光地だ。古代人のお墓と言われ、その中に珍しいヒカリゴケという天然記念物が自生していることでも有名である。戦時中は地下軍需工場があったらしい。これだけの小さな丘に、様々なストーリーが眠っているのだ。それにしても、山肌にどうしてこのような無数の穴を掘り始めたのか疑問は尽きない。




百穴前の信号、横にでかでかとマクドナルドのMの文字。この写真だけ見ると、色々な想像が働いてしまい、「穴ってどんな穴なんだ」と突っ込みたくなる。百穴とは何かがさらによくわからなくなっていく。

そういえば、2014年に芥川賞を取った『穴』という本がある。得体の知れない黒い獣を追っかけると穴に行き着くという話だ。『おむすびころりん』という絵本では、おむすびが転がった先に異世界に繋がる入り口としての穴が描かれている。我々にとって身近な穴といえば、身体に付いている様々な穴だ。鼻やら毛穴やら色々なところに穴がある。そういえば、仏教の修行の世界では生きたまま穴に埋まる即身仏という習慣がある。穴は埋めて蓋をしてしまえば、空気が通わなくなる。それは後戻りの効かない永遠の眠りなのか、それとも永遠の安らぎなのか。

・・・

さて今回の本題、獅子頭を穴に埋めるとは、どういう行為だったのか。それを調べるべく、最後の目的地である東松山市立図書館にたどり着いた。



結論から言えば、獅子頭を穴に埋めることについて言及した資料を探し出すことはできなかった。しかし、いくつか似た事例を拾い集めることはできた。例えば、倉林正次著『埼玉県民俗芸能史』(1970年)によれば、臨時に獅子舞を行う場合として、2パターンの獅子舞の形態があるという。それが「雨乞い」と「悪魔払い(疫病除け)」である。後者の場合、コレラなどの伝染病や病気が流行った時に、各家を獅子頭を持って練り歩いたとのこと。埼玉県越谷市下間久里、東松山市野本・神戸、白岡町小久喜、深谷市柏合、北足立郡上尾市平方、加須市樋遣川・飯積などの地域でこの習慣があったそうだ。もしかすると、この延長上に獅子頭を穴に埋めて病気を鎮めるという発想が起こったのかもしれない。ただ、獅子封じ塚や獅子塚稲荷神社の詳しい由来に言及している資料は見つけることはできなかった。

・・・



資料を探すこと約3時間。夜になってしまい閉館も近づいてきたので、東松山駅から電車に乗って帰った。流石に図書館で色々調べれば、謎が解けるに違いないと思っていたが、そう簡単にいくものでもなかった。



僕にとって獅子頭という存在は、とても高価で愛着のある地域の宝物という印象が強い。その獅子頭を穴に埋めて病気を鎮めるという行為は、本当に危機的な状況でどうしようもない時の最終手段としか考えられない。その行為によって、獅子頭は地上で祭りの晴れ舞台や各種行事において姿を表すことができず、しまいには忘れ去られてしまうのだ。穴という異世界で永遠の眠りにつくことで、地上には安らぎがもたらされる。ある意味、ちょっと虚しい話だ。誰だかわからない「獅子封じ塚」の看板を立てた人物の気持ちがわかるような気がする。それにしても、獅子頭の謎は深まるばかりだ。ぜひ真相をご存知の方は教えていただきたい。







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稲村行真

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

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