世田谷一丁目で「世田谷ボロ市」は本当にあったのか?
- 更新日: 2018/01/24
一見、普通の通りだが果たして
この連載は「せとゲノム」が祭りの翌日に顔を出し、本当に祭りが開催されたのか、どのような祭りだったのかを痕跡から推理します。
おはようございます。せとゲノムです。
本日は、2018年1月17日、早朝です。
世田谷一丁目のボロ市通り周辺に来ております。
1月15日と16日の二日に渡って、この地で世田谷ボロ市というお祭りがあったと聞いて来ました。
しかし、本当に祭りなんてあったんでしょうか。
聞くところによると、このお祭り、12月15、16日にも全く同じ場所であったそうじゃないですか。
全く同じ場所で、全く同じお祭りを、1ヵ月だけ間を空けて二度開催する。
どう考えても不自然ですよね。
思うに、今回の2回目はフェイクだと思うんです。
まあ、結果は証拠が語ってくれます。
実際に現地を歩いて、調べてみましょう。
ほう、提灯ですか。
確かに祭りっぽくはあります。
でも、年中提灯をつけている可能性もありますからね。
祭り確定ではないでしょう。
ボロ市饅頭の横断幕ですか。
これも年中、掲げているかもしれません。
それはそうと、数箇所ぱっくり割れているけど、大丈夫なの?
「市」の字のところすごいよ?
強度が大きく落ちる割に、軽量化効果が薄くない?
むむ、祭りのときに使う電飾コード。
街のいたるところに見られました。
これは、祭りの証拠として、決定的ではないですが有力ですね。
ポール立て。
巻き付け方の雑さから、祭りのときだけのぼり旗を立てるのに使ったんでしょうか。
それでは、本格的にボロ市通りに入っていきます。
いやいやいや。
ない!!
これは祭りなかったでしょう!
『ボロ市のあゆみ』という資料によると、「平成24年には、715店の出店者がありました」と書いてあるんです。
1日だけの数字じゃないとしても、715ですよ?
それが、翌日には跡形もなく完全撤収ですか?
前回の川口神社では、500店が見事に撤収されていましたが、あんなの例外ですからね!
そうそうできることじゃないですよ。
よし、結論言います。
祭り、ありませんでした!
早起きして損したぜ、帰ろ帰ろ!!!!
すみません、祭りありました。
世田谷ボロ市は、毎年世田谷ボロ市通りで開催されているお祭りです。
東京都指定の無形民俗文化財でもあります。
その起源は古く、1578年に小田原城主の北条氏政が、地域振興策の一環として始めたという記録が残っています。
六斉市→歳の市→ボロ市と、何度か名称が変わっています。
現在のボロ市という名前になった理由は、明治20年(1887年)頃に、古着やボロ布が売り物の主流になったことに由来します。
農家の方が、農閑期の副業としてよく出品していたようです。
特に、ボロ布で補強した草鞋の評判が良かったと言われています。
因みに私が最初に突っかかった、12月と1月の開催ですが、これは太陰暦と太陽暦に関わっています。
西洋諸国に合わせるため、日本は明治6年1月1日から、太陰暦から太陽暦に切り替えました。
しかし農家は、即座に太陽暦に順応せず、しばらくは太陰暦中心で動いていました。
まあ今までの風習もありますからね。
で、ここでギャップが生まれますよね。
じゃあ、毎年12月に開催していた市はどうするんだと。
太陽暦でいくのか。太陰暦でいくのか。
ん~~~~~、じゃあ両方でやっちゃえ!
昔の人はこう考えたんでしょう。
明治7年から、12月と1月の両方で開催されることになりました。
さらに、15日と16日の両方でやるのになったのも、途中からなんです。
最初は、15日が雨天だったとき、16日に非公式で商品を捌いていました。
それがだんだん定着してきて、「公式で2日開催にしちゃえば?」となったみたいです。
基本的に、足し算の思考だ。
大らかさを感じます。
この眼科も、ついでに17日休んだんですかね。
さ、残り香を嗅ぎに戻りましょう。
代官餅、名物というならちょっと見てみます。
おお、外観残ってますね。
力強いフォント。
あんこ餅、からみ餅、きなこ餅の三種類から選べるみたいです。
商品は、見づらいかもしれませんが、焼きそばのパックみたいなのに入っています。
ただね、このパックが、一つも落ちてなかったんですよ。
運営の人が綺麗に清掃したのか。或いは、誰もポイ捨てをしなかったのか。写真が完全に嘘なのか。
いずれにしても驚きました。
「最後尾はこちら」なんて用意してあるんですね。
よっぽど毎年売れるんでしょう。
新作のi-phone、イベント日のパチンコ屋の開店前、スプラッシュマウンテン、そして代官餅。
行列四天王です。
あと、出口への矢印多いな。
『「すいません」じゃなくて「申し訳ありません」だろ?』と、一瞬思ってしまいました。
モンスタークレーマーの一歩手前。
祭り特有の仮設水道だー。
このこのー。
用途は不明ですが、祭りに使ったんでしょう。
柄が祭り。
支柱か何かの部品。
地面に落ちてちゃだめな奴でしょ。
絶対どっか足りなくなってる。
種類ごとに分けられているポール。
気持ちいい。
こっちは、うーん。
ボロ市通りの途中にある代官屋敷も、有名ですね。
重要文化財に指定されています。
縁起物っぽい紐が落ちていました。
七福神ストラップとか?
ちっちゃい鳥居。
アリさん用ですかね。
麹あまざけが完売していました。
聞くだけでおいしそうですもん。
完売も納得です。
正体不明の串です。
団子にしては太く、フランクフルトにしては長く、かといって五平餅にしては細い串。
きりたんぽ辺りかなと予想します。
何らかの芋の現物です。
病院の張り紙が多言語で書いてありました。
海外の方も一定数いらっしゃるんでしょうね。
トイレの絵が親切。
あのー、あんま適当なこと言えないんですけど、そんな訳なくないですか?
元々1300円くらいだったでしょ。
急激に下げすぎると、逆に胡散臭くなりますよね。
何かは分からないけど、フラッと来た市で7800円は中々払えないよ。
銀台座5000円かあ。
随分かさばりそうなものも売ってるんですね。
せたがやボロ市保存会の本部ですね。
平成5年に、ボロ市推進委員会から改称しました。
せたがやボロ市の実施と保存を行っている他、ホタル祭りとサギ草市まで管轄しています。
その運営保存への意識は高く、看板には「四百二十年の伝統のボロ市を保存するためご迷惑を掛けします」とまで書かれています。
大抵の祭りは「この通りで○○が開催されますので、ご迷惑をおかけしますがご協力お願い致します」くらいですもんね。
強い決意を感じます。
四百二十年という重い数字が、クレーマーへの牽制にもなっていますね。
出た!世田谷特有の、文字を区切った「お し ら せ」。
せたがやふるさと区民まつりのときにも気になってたんですが、ここでも見られるとは。
読みやすさへの過剰なホスピタリティ。
自販機の下に、室町時代の民俗について説明した紙がありました。
そんな長年続いている市なんて、中々ないですからね。
ボロ市の大きな特徴として、ピックアップするのは妥当でしょう。
最後に、ボロ市通りにある上町天祖神社に入ってみましょう。
市田柿。長野の特産品ですね。
なぜ半透明の値札にしたのか、なぜ上下に値段の記載があるのか。
シンプルながら、いくつものツッコミどころを提供してくれます。
七宝?
七宝焼きのことですかね。
平成25年度の資料では、骨董が39店舗、陶器が24店舗出店していますからね。
あっても全然おかしくないと思います。
さきおり10万!?
wikiによると、「裂織(さきおり)とは、古くなった布を細かく裂いて麻糸などと共に織り上げた再生衣料を言う」らしいです。
古布を使って織った服が10万?
さっき落ちてた銀台座20個分?
いやあ、相場が全然分からないですね。
まとめ
以上です。感想としては、とにかく綺麗にされていました。
屋台などは跡形もありませんでしたからね。
あとは、周りのお店もボロ市の開催に合わせて営業時間を変更したりしていたのが、印象的でした。
長年やっているだけあって、地域の理解が深いんでしょうね。
ではまた。
参考資料
『せたがやの民話』1986 世田谷区区長室広報課
『ボロ市の歴史』2011 世田谷区立郷土資料館 編
『ボロ市のあゆみ』2014 せたがやボロ市保存会
『wikipedia 裂織』https://ja.wikipedia.org/wiki/裂織(最終確認2018/1/17)